ビビり
だが、ドルヒは剱田の肉を少しえぐっただけで止まっていた。
「ヤバかったな」
剱田が咄嗟に体をねじり、刃が内臓まで達するのを防いだのだ。
やった、そう思った直後の隙は想像以上に大きかった。
剱田の反撃に対する反応が遅れる。
だが刃物が肉をえぐった苦痛は相当なものだったのだろう、剱田の剣が大分鈍ったので咄嗟にその攻撃を避けることができた。
だが切り裂かれた髪が数本宙に舞った。光沢のない僕の髪は乱軌道を描いて風に散ってゆく。だがドルヒの刀身は進化して複雑な軌跡を描いているため、剱田の脇の肉が塊となって付着していた。
僕はそれを無造作に振って落とす。茶色い地面に赤黒い肉片が花を添えた。
「てめえ……」
剱田が初めて、苦痛の混じった顔で僕を睨みつけてくる。
それがおかしくて愉快で嬉しくて、こんなときだというのに声をあげて笑ってしまった。
「人が痛がってるのを見て何がおかしいの!」
清美がわけのわからないことを言ってくる。
「なんでだか、僕にもわからないよ。ただ、これだけは言える」
「コカトリスに喰われてる最中は、もっと痛かったよ? それを安全地帯から見物してる村人の顔、見たことある?」
「てめえ、余裕こきやがって」
脇を押さえた剱田が、よろめきながら立ち上がる。もう傷はあらかた塞がっていたが、輝く甲冑に付着した鮮血が痛々しい、いや似つかわしい。
文字通り奴の輝かしい経歴に傷がついたって感じだ。
「笑っていられるのも今のうちだぜ。もう傷は治ったからな、追撃しなかったことを後悔させてやる」
剱田はまた剣を構えるが、さっきと雰囲気が変わっている。あの立ちふさがるものすべてをなぎ倒すっていう気迫がないのだ。
あれだけの深手を負わされたのは生まれて初めてなのか、相当堪えたらしい。
「ビビってるの?」
「この、村上のクセに!」
剱田は額に青筋を浮かべて襲いかかってくる。
僕の目の前で剣を振り上げて、子供がキレた時みたいに叫んだ。
「グロース・アングライフェンんん!」
剣から再び扇形の衝撃波が巻き起こる。大地も、草花も、湖も全てをなぎ倒し蹂躙していく。
暴風と衝撃の後には、二つ目の扇形の傷跡が大地に刻まれていた。剱田の前の地面には、生きとし生けるものは何一つ存在していない死の空間が出来上がっている。
剱田は肩で息をして、剣を地面に突き立てて杖代わりにしている。グロース・アングライフェンを一発で打ち止めにしたのは清美を巻き込む恐れのほかに相当な体力を消耗するせいもあったらしい。
「剣だけの勝負のはずだったか? け、最初に卑怯な真似したのはお前だぜ」
「そうだね」
僕は剱田の真後ろから、彼の首の後ろにドルヒを深々と差し込んだ。
「て、てめえ…… どうやってかわしやがった」
剱田のくぐもった声が聞こえてくる。
一度グロース・アングライフェンを受けて攻撃範囲をつかめたのが幸いした。
攻撃は扇形に広がるから、近くにいれば少しの距離を横に移動すれば簡単にかわせる。距離を取って使われたり、通常攻撃と織り混ぜてタイミングをずらして使われると避けるタイミングがつかめないから恐ろしいけど、挑発に乗って攻撃するタイミングがバレバレだったので楽だった。
そのまま首に刺さったナイフをえぐって致命傷にする。頸動脈も生命維持を司る脳幹も、ズタズタにして確実を期す。ドルヒが複雑な刀身を持っているため傷口がかなり複雑な
状態になった。
剱田の四肢がピンと硬直したように伸び、そのまま力が抜けてぐったりした。
その瞬間これまでで一番の経験値が手に入った。
これで完全に殺したことが分かる。よくある展開みたいに「実は死んでなかった」というのがない。相手の死亡を確実に確認できるのもカルトマヘンの力の一つだな。
剱田の四肢から力が抜けて、首から湧き水のように血があふれ出るのを見て清美は呆然とした後に頭を抱えて叫びだした。
「いや、いや、いやああっ!」
久しくこんな反応は見ていなかったけど、知り合いが目の前で殺されたらそうなるのが自然か。
だが一瞬だけ清美の口元が笑うように歪んだ。