ここで、死ぬのかな
「昨日、ゲーセンでよ……」
「ああ、あの気弱そうな奴か」
「結構持ってたぜ、あいつ」
「初めは抵抗したけどよ、一発殴ったら大人しくなったぜ」
朝の教室で、今日も今日とて剱田と岩崎は盛り上がっていた。
剱田直正と岩崎亮介はヤンキーコンビで、カツアゲとか喧嘩の話題で盛り上がることが多い。
剱田は短髪で目が刃みたいに細くて鋭い。岩崎は角刈りで岩のように盛り上がった筋肉をしている。
「おーす」
僕のクラスメイトの一人に入ってきた。彼は空手部の副部長で、LLサイズのシャツがちぎれそうな筋肉をしている。
彼の席は岩崎の隣だ。自分の席に座ろうとすると、彼の鞄が岩崎の肘に軽く当たった。
「ああア?」
岩崎が彼をひと睨みすると、それだけで縮みあがったように大人しくなった。クラスで談笑していたみんなもびくっとして動きと会話を止める。
その様を見て岩崎と剱田はにやにやと、蟻を踏みつぶして楽しむ子供のように笑っている。
岩崎と剱田は道場やジムに通っているわけでもないのに、喧嘩だけで強くなって今では学校でだれも勝てるものがいない。噂では高校入学早々にして空手部と柔道部の全員をシメたらしい。
その様子を僕、村上直哉は本を読みながらやりすごしていた。剱田の大声に対し、僕の前の席の鍋島清美が怯えたように体をすくませる。
清美は僕の幼馴染で、小学校、中学校、高校と一緒だ。
家も隣同士だったこともあって小さいころから家族ぐるみの付き合いをしている。
清美はおさげで背が小さい、大人しい女の子だ。前髪を赤い髪止めでとめて、すこしぽっちゃりしてるけど手とか顔とか、肌の色がすごく綺麗な色白の子。学園の人気者と言うタイプじゃないけど目鼻立ちは整っていて、護ってあげたくなるようなかわいらしさがあるのでそういったタイプが好きな男子からは人気があるらしいけど、今のところ告白は断り続けているらしい。
僕がそんなことを考えていると、振り返った清美と目があった。軽く手を振って挨拶すると、清美はすぐに顔を反らしてしまう。
男子と話すのが恥ずかしいんだろうな、と僕は考えた。だから告白も断ってるんだろう。昔は僕となら普通に話せたんだけど、中学に上がるくらいからずっとこんな感じだ。何か嫌われるようなことをしてしまったらしい。
その時、小さな地震が起こった。
教室の窓ガラスが揺れて、机や椅子がカタカタと鳴る。クラスのみんなは少し驚くけどすぐに談笑に戻り、地震も間もなくおさまった。この地方は地震が多いのでみんな慣れたものだ。
「おらー、ホームルーム始めるぞ、席につけー」
担任が教室に入ってくると、剱田も岩崎もぴたりと談笑を止め、従順に席についた。
ホームルームの後帰ってきた小テストの成績も、二人はクラス上位だ。もちろん僕より成績はいい。
憂鬱な気分のまま先生の話を聞き流していると、また地震が起こった。
今度は窓ガラスが振動するレベルではなく、机や椅子が床を滑るように揺れて、天井から吊ってある蛍光灯がブランコのように揺れた。
僕たちは慌てて机の下に隠れるが、剱田と岩崎は落ちついたもので笑いながら地震を観察していた。
やがて揺れがおさまると、僕の下の空間が真っ黒い空洞になっていた。
そこだけ床を切り取ったような黒い円形になっていて、何が起こったのか考える間もなく僕は黒い空洞に落ちていった。
周りを見ると、清美をはじめ他の何人かも似たような状況になっていた。
どれくらい僕は気を失っていたのだろう。でもさっきの地震の影響はさほどないようで、体に痛みはない。でも目を開くと、そこは見慣れた教室ではなかった。
まず鼻についたのは土と緑の匂い、周囲に視線を巡らせると苔むした木々に囲まれ、地面は低い丈の草が一面に生えていた。
そんな森の一角、教室ほどに開けた場所があって僕や清美、他何人かのクラスメイトが倒れていた。
「いてて……」
「てか、ここどこだよ?」
僕以外のクラスメイトも目を覚まし始めた。
皆一様になにが起こったのか理解できないらしく、呆けたようになって周囲を見回している。
僕だってこの状況、聞いたことはあるけど理解したくない。小説じゃ良く聞く状況だけど、いざ自分の身に降りかかるとここまでわけがわからなくなるものだったのか。
とりあえず立ち上がろうと膝に手をつくと、慣れた制服の感触ではなかった。
ズボンも、ブレザーもなくなってごわごわする麻のような服に変わっていた。ついでに腰には一振りの短剣が差してあるけれど、刃渡りはナイフほどしかない上に革製の鞘はぼろぼろで、あまり役立ちそうにない。
ただ柄に手を触れると、ひどく禍々しい感じがした。
他のみんなも服装が変わっている。剱田は軽装の金属鎧と柄と剣身が十字型になった西洋剣。黄金の鍔で凄く立派に見える。岩崎は服は町人のような軽装だけど、ごつい岩みたいのがついたワンドを持っておりあれで殴れば熊でも一撃で仕留められそうだ。
剱田たちはこの状況でも混乱していないのか、互いの格好を見て格好いいと言いあって武器をぶんぶんと振り回している。
「村上君…… 一体何があったの?」
清美がいつの間にか隣に立ち、僕を不安そうに見上げていた。清美は真っ黒いシスターのような服に身を包み、右手にロザリオを巻いていた。そうだ、清美はこういう子だった。人一倍怖がりで、優しくて。僕の後ろをついてきてばかりいた。
僕が守ってあげないと。
「大丈夫だよ。何が起こったのかはわからないけど、とりあえず誰も怪我してないみたいだし」
僕がほほ笑みを作りながらそう言うと、清美も少し落ち着きを取り戻したようであたりを見回して状況を確認しようと努めているようだ。
「学校の周りにこんな場所あったかな……?」
あるわけない。
地震で学校が倒壊して、ついでに地滑りが起こったくらいならわかるけど、学校の周囲にこんなうっそうとした森はない。
というか、あたりの木がブナでも樫でも杉でもない。丈の低い草も見たことのない花をつけているし、明らかに日本の森じゃない。
「近頃、VRの凄いのが発表されたから、それかもよ」
「俺たちそこにサプライズでご招待ってわけか?」
剱田以外のクラスメイトも色々と憶測を交わしているが、この土と草の匂いと言い、腰の短剣と言い明らかにVRじゃないと思う。
異世界転生ものだろう。
しかもクラス丸ごと転移するやつらしい。でも転移するのなら、剱田と岩崎は一緒にしてほしくなかった。
がさがさと、左手の茂みから音がした。
静かな中で音が響いたので、みんな一斉にそちらを向く。ひょっとしたら、こうなった原因を知っている人かもしれない。僕たちをこの場所に連れてきた張本人かもしれない。
音は一つではなく、二つ、三つとどんどん増えていく。
茂みから出てきたのは、人じゃなかった。
灰色の毛をした狼十数匹だった。
口からはよだれを垂らし、目はすべて僕たちを捉えて低いうなり声を立てている。
明らかに食べようと言う気満々だ。
「逃げろ!」
誰の声かはわからないけど、その声で僕たちは一斉に狼と反対の方向に駆け出した。
「剱田、お前剣持ってんじゃん、それで何とかしろよ」
「バカ言え、狼となんて戦った事ねえよ、それよりそんなゴツイの持ってるお前がどうにかしろ」
剱田と岩崎は一番重そうな装備なのに足が速く、狼の群れからどんどん遠ざかっていく。
くそ、狼の足から逃げ切れる人間なんていないはずなのになんだあいつらは?
現実世界だけじゃ飽き足らず異世界でも能力に補正かかってるのか?
一方僕や清美、他何人かのクラスメイトは足が遅く狼に追いつかれそうになってきた。
そしてとうとう、一番足の遅かった僕が足に激痛を感じた。
脳髄まで響くような激痛と共に、僕はその場に倒れ込む。倒れ込んだ僕に向かって、狼たちが一斉に喰らいついてきた。咄嗟に腕と足を曲げて最低限急所だけはカバーしたけど、あちこちの手足に激痛を感じる。
他のクラスメイトたちは、倒れた僕に目もくれずに逃げていた。
清美でさえも。
それを見て、手足の痛みがふっと消えて、かわりに絶望と落胆が襲ってきた。
幼馴染だったのに。
昔は、いつも一緒にいて、困った時は助けてあげたのに。
それがいざ命がかかると、振り返りもせずに逃げ出すのか。
「あいつの尊い犠牲を無駄にするな、逃げるぜ」
クラスメイト達の声が聞こえてくる。僕に何頭かの狼が喰らいついたせいで、他のクラスメイトを追いかける人数が減ったらしい。
くそ、
くそ、
ちくしょう……
悔しさと怒りで心が真っ黒になりそうだ。同時に、腰の短剣が熱を帯びて行くのを感じるけど、肝心の手が狼に噛みつかれているので抜きようがない。
ここで、死ぬのかな。