ワドの世界
ワドはまず、俺ではなく俺の奥でうつ伏せに倒れている女神様の姿を一瞥してから言った。
「とにかく......場所を変えた方がいいだろうね。ここでは色々と話しづらいだろうし」
どうして......ワドがここに居るんだ?
俺は今まで、ここに俺と女神様以外の人間が......いや、生命が存在していたのを見たことがない。
そのぶんここは俺と女神様の場所だ、という認識が強かったのだし、その認識が一瞬で壊されてしまったのには色々思うこともあったのだが......
今はとにかく、ズタズタに引き裂かれた心の拠り所が欲しかった。俺が夢見ていた女神様はもういないのだ。
最低とでも何とでも言ってくれ。お前は今度はワドに縋るのか、と責めてくれ。誰でもいい。
でないと、俺は、もう......
「う......あ......あぁ......俺......女神、様を......」
俺は嗚咽を漏らし、ワドにもたれ掛かる。
ほんの少し前まで殺しあっていたというのに彼女は温かく、俺を優しく包んでくれているような気がした。
「大丈夫だ、彼女は死んでいない。死んでいたら僕が反応しないはずないだろう?」
俺の体を抱擁し、いつになく優しい声音でワドは俺を慰める。
「お、れ......もう何を......どうして......女神様は......」
「仕方がなかったよね......君は知らなかったんだ。君が悪いんじゃない。君はよく頑張ったさ。だからほら、もう泣かなくていい」
言葉の一つ一つが俺の心に深く浸透していき......少しずつ傷を癒していく。
どうやら、俺はワドという存在の評価を、ほぼ真逆の方向に修正する必要があるようだった。
「落ち着いた?」
「......そうは、言えないかもしれないけどな」
「そんな皮肉が吐けるんなら充分さ。それじゃ少し飛ぶから、僕にちゃんと捕まって」
そう言えば、ワドは女性だったな。なんだか、少し恥ずかしい。こうやって彼女の体にもたれ掛かっていることも、伸ばされた手をしっかりと掴むことも。
今更......って話だけどな。だけど、さっきのことで俺は、彼女を女神として見てしまったのだ。
それに、俺の泣き顔も見られてしまったし。普通なら恥ずかしさで死にたくなるところを、この程度で済んでる分マシというべきだろう。
でもまぁ、礼くらいは言っておくべきだよな。
「――ありがとうな、ワド」
「いやいや、僕の愛するトリプのためなら、こんなのお礼を言われるようなことでも無いさ」
少し顔を赤くして言ったワドの言葉に、俺は不覚にも少しドキッとしてしまった。
◇ ◇ ◇
言われるがまま、離さないようワドの手を掴み、目を瞑っていると、少し意識が揺らぐような感覚がした。
その揺れの直後、ワドの「もういいよ」という言葉に従い、目を開ける。
「いやぁ、なんだか初めてクラスの男の子を部屋に上げた時の女子中学生のような気恥ずかしさを感じるね。まぁそんなイベントが起こったことは無いから、その気恥ずかしさなんて味わったことも無いんだけれども。それに、恥ずかしがるようなものは何も置いていないしね............だけどまぁ、想像した感じで言うと、そんな感じなのかなってだけさ。実際がどうなのかは知らないけれどね。あるいは、僕もそういう経験をしたことがあったのかな? 記憶は無いけれど、記憶なんて曖昧なものだからね。僕ら神様は人間よりは記憶能力がいいけど、別に絶対というわけでは無いだろうし......もしかすると、忘れてしまった記憶の中で、ちゃんと経験していたのかもしれない。だとすれば、それはとても惜しいことだね。この状況に陥ったとき、どういう気持ちだったのかを是非参考にしたかった。まったく、記憶というのはどうして自分で選んで消すことができないのだろうね? そうなれば喜ぶ者はこの世のなかに大勢いるというのに......君もそう思わないかい、トリプ?」
俺を自分の敷地内に入れたから少し恥ずかしい、という気持ちのことについて長々と語り、そこから発展した話題に対して俺は、取り敢えず「ん......あぁ......」と曖昧な返事を返しつつ、周りを見る。
一言で言うと、何も無い、というのが俺の感想だ。
つまり、あの始まりの世界と同じ、何も無い、ただ真っ白な世界。
......正直、移動したのかどうかすら怪しいのだが、ここにはいつもならある絶対的な一つのものが無かった。
それはもちろん、女神様。
一つというよりは一人だし、ものというよりは者だが、まぁそこら辺は言葉の綾ということで。
しかし......記憶を自分で選んで消す、か......確かに便利だな。
俺はもしそんなことができたら、ワドから聞いた真実の記憶を消すのだろうか? そうすれば、女神様と、何のわだかまりも無く、ただ何も知らずに、女神様のためだけに生きることが出来ていた。
それは......幸せだな。無知は罪だけど、知らない方がいいこともある。無知は罪であり、楽でもある。
消してはならないと思う。あのままだったら、俺は世界が壊れるまでずっと転生を続けていたのだ。
全てが終わってからでは遅い。その時になって女神様を責めるのは......俺が悪いよな。そうなると分かってて、記憶を消したんだから。
でも、それであの楽しい人生が続けられていたのなら、あんなことをせずに済んだなら......俺は......
「――トリプ、あんまり余計なことは考えない方がいい」
不意に掛けられたワドの声に、俺は少し動揺する。
「君は自分が、間違ったことをしたと思っているのかい? 神様達の、死にたいというただそれだけの願望のせいで滅びる世界の結末を、正しいと思うのかい?」
「そんなわけじゃないけど......だけど、俺は女神様が......」
優しく微笑む顔のその先に、嘘があったとは思えない。きっと彼女は、俺が彼女を殺すために尽くす様を見て、心から好意的に思ってくれていたのだろう......それは嬉しい。
でも、俺は知らなかったんだ。彼女が自分で望んで死にたいと思っていたなんて、これっぽっちも想像できなかった。
俺は女神様が死ぬのは嫌だ。あんな事をしてしまったけれど、俺の女神様への思いは、たった一回の出来事で変わってしまうようなものではないのだ。あの時は......頭に血が上ったというか、冷静に判断できなかったというか。
とにかく、今ならば俺ははっきりと答えられる。俺はまだ、女神様が好きだ。
女神様は好んで世界を破壊したがっているわけではないのだし、それに、女神様は他の世界に行ったことが無いのだ。世界をよく知らないから、壊してしまう。
ならば、教えてやればいい。世界はこんなにも美しく、愛に溢れているのだということを。
「分かってるよ。君の女神様への思いは、そうそう簡単に変わるものじゃあ無いんだろう? 僕だって、君に殺されそうになろうと、君への思いは弱まるどころか、強くなっていったからね。あぁ、それじゃあ変わっちゃってるか」
「お前は俺のことをよく知ってるな」
「はは、当たり前だろう? 僕は君を愛しているんだから」
顔を背けて、俺は苦く笑う。
まったく、何度も言うようだが、俺は先日までコイツと殺しあっていたんだぜ? それがどうしてこうなるのか............いや、殺しあっていたからこそ、なのかもしれないな。
「しかし、どうしてこんな場所に移動したんだ? 別に、女神様のところと変わらないように見えるんだが」
「ここは僕の場所だからね。僕が神だった頃の、僕の場所」
つまり、昔はワドも、ここで女神様のように世界の監視をしていた......ということなのだろうか。
「いや、僕は上位神だったからね。世界の監視は下位神の役目さ。僕らは《ワールドトリッパー》の力を作り、それを下位神に渡す役目を持っていた」
へぇ。《ワールドトリッパー》は上位神が作っていたのか。作り方とかは気になるところだけど、それは取り敢えず置いておいて、それじゃあなんで上位神や下位神は自分で《ワールドトリッパー》を使わないんだろう。
「それが普通だったからさ。別に、効率なんて求めていなかったしね。下位神は何処かの世界で見つけて来た適材の人間に力を与え、その人間はただ下位神のために働く......というよりは、人生のやり直しをする。何度も何度も繰り返し。途中で心が壊れれば他の人間に乗り換えさ。その間中、下位神はずっと世界の監視。上位神は次の人間のために《ワールドトリッパー》を用意する。これはお腹が減ったらご飯を食べるのと同じくらい当たり前なことで、疑問を持つ神なんていなかったんだよ」
ほうほう。ワドもその一人だったと。
「まぁね。今思えば、つまらない生き方をしていたと思うよ。心から。心の底どころか裏側まで全てを通して、ね。あの頃の僕は、それがつまらない生き方だということにすら気付いていなかったんだから、本当に腹立たしい。でもまぁ、僕はあの頃から少しばかりやんちゃでね。やれと言われたことはやりたくないみたいな面がなきにしもあらずだったんだよ。それに、自分で作った力なんだから、テストはしておきたいだろう? だからさ、まぁ......ね」
やっちゃった、と。それでその時に死の素晴らしさを知り、神から堕ちたと。
馬鹿だな......それで助かってる俺が言うことじゃないかもしれないけどよ。
......まぁそれはいいとして、なんでお前はさっきから僕の心の声が聞こえてるの?
「はは、当たり前だろう? 僕は君を愛しているんだから」
「一語一句違わぬ言葉でここまで気持ち悪くなれるとはな!」
使うタイミングって大事だよな。
「はは、当たり前だろう? 僕は君を愛しているんだから」
「冷めてるよ! お前の愛は間違いなく冷めてるよ!」
そんなに連続で愛を語る奴は信用できん。
そもそも、なんでワドにボケの才能が芽生えて、俺にツッコミの才能が芽生えてるんだよ!
「......失敬だねぇ! 僕は君のことを心から愛していて、だからこそこの愛を必死に懸命に伝えようとしているんじゃないかぁ!!」
「いきなり気持ち悪いモード入るな! 頼むからさっきまでの大人しい状態をキープしてくれ!」
テンションが上がると気持ち悪くなるようだ。
野性動物の習性みたいなのを持ってるな。
あるいはポ○モン?
《ワド》
神様ポケ○ン。闇属性。特性|《狂気》
テンションが上がると気持ち悪くなる。
......あんま想像できなかった。
「でもさ、ほら。トリプ、笑ってる」
「え......?」
笑ってる? あんなことがあったばかりなのに? 顔に手を這わせてみるが......それでは分からない。自分では、笑ってるなんて感覚はない。しかし......そうだな。
楽しくは、あった。
「楽になったかい?」
そう言って微笑むワド。
「お前は、本当に......」
いい奴だよ、お前は。まぁ恥ずかしいから言わないけど。
「――さーて、気持ちが楽になったところで......どうするか、考えようか」
さっきの微笑みとは違う、明らかに気持ちの悪い、ニヤリとした笑みを一瞬浮かべた後、ワドは話を本筋に戻した。
どうするか、か......あぁそうだ、これだけは確かめておかなきゃな。
「それについてなんだが......一つ、聞いておきたいことがある」
「ん、なんだい?」
俺は、一呼吸置いてから口を開く。
「――お前、転生する度に世界が壊れているの、知ってたか?」
そう、これだけはハッキリさせておかねばならない。
ワドは無の世界の創造に反対しているらしいが、それで何も行動せず、ただ転生を繰り返しているのであれば、それはただ神様達の手助けをしていただけということになる。
「もちろん、知ってるよ。当たり前じゃないか。なにせ、《ワールドトリッパー》を作っているのは僕なんだよ? どんな力かぐらい、把握してるさ」
「じゃあお前、なんで転生してるんだよ......!?」
少なくとも、その事実を知ってしまった俺は、再び転生しようなどとは思えない。
今まで他の世界で出会って来た人々全てが、俺のせいで消えていると聞いて、まだ転生しようだなんて......とても。
本当かどうか確かめる術は無いけれど、女神様から聞き、ワドも知っていると言ったのだ。間違っているということは無いのだろう。
それを知って尚転生を繰り返すワドの行動には、必ず意味があるはずだ。
「転生して、世界を改変しなきゃいけないからさ」
「改変......?」
初めて出たワードに、思わず俺はワドに聞き返した。
駄洒落じゃねぇぞ。
「あぁそうさ! 世界の改変......世界の理を変えることで、世界の隔絶を上書きするのさ! なにも、《ワールドトリッパー》を使った後の世界は、直ぐ様消えて無くなるわけじゃない! コップに穴が空いていても、水は少しずつ出ていくだろう? そういうことさぁ!! どういうことっていうと、それはもうさっき話した通りのことさ!」
再び点火したおかしなテンションで話される内容を理解するのに数秒の時間を要し、俺もまた少し興奮気味に口を開く。
「......ってことは、世界は壊れていないのか!? お前が、俺が空けた穴を上書きしたから、世界はまだ......!」
世界の隔絶に穴が空こうと、一瞬で世界が無くなるわけじゃない。少しずつ、少しずつ壊れていく。だから完全に壊れる前に、改変とやらで世界の隔絶を上書きすれば、穴は塞がり、世界は助かる......と?
じゃあ、じゃあ......俺が今まで行った世界も、壊れていないってことじゃ......
「残念ながら、全部ってわけじゃないけどね。ある程度なら............それに、君が空けて僕が塞いだ穴も、再び他の《ワールドトリッパー》が空ける場合もあるし。もちろん、逆の場合もね」
「ご、ごめん......」
しかし、そうか......だいぶ心が楽になった。これでようやく、俺も考えを話すことができる。
「なぁワド。確かにその行動はさ、世界が壊れて行くのをゆっくりにする効果はあるのかもしれない。だけどさ、結局は止められないわけじゃんか」
「へぇ。何かいいアイデアでもあるのかな?」
わざとらしい笑みを浮かべるワド。
そうか、全部計算通りか......流石だな。
なら、最後まで手のひらで踊ってやる。想像以上に素晴らしい俺の踊りを見て、精々驚嘆するがいいさ。
「もちろん、俺達が力ずくで止めようったって、そうはいかない。死ねないんだから、力に訴えても意味がないんだからな」
「そりゃあそうだね。だから僕は今までこんな間接的な行為で世界を守って来たのだし............君は他にやり方を見つけたのかい?」
「あぁ......俺は......」
息を深く吸い込み、一語を一語を強調して、言う。
「――神様達を、説得しようと思う」




