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女神様の世界

 それからしばらくして。



 俺は白くて何もない世界で、とてもとても久し振りに、女神様と対面していた。



 銀髪に、澄んだ碧眼。この世のものとは思えない美貌と、奥が見えそうで見えないギリギリのラインを保っている透明な光のローブ。その奥では、控えめながらもその美貌と合わせて全世界の男を悩殺できる楽園が広がっているのだ。

 そんな彼女は、少し怒ったような......寂しそうな......そんな顔をしていた。



 何も、ワドから真実を聞いたからといって、俺が女神様のことを嫌いになってしまったというのでは無いのだが......



 無いのだが。



「ただいま、女神様。久し振りだな」



 少し怒ったような感じが垣間見えてしまうのは、仕方がないと許してほしい。



「おかえりなさい、トリプ」



 そう言って、女神様はいつものように微笑んだ。

 いつも俺を迎えてくれた、優しい笑み。取り繕ったものだと分かってはいるのだが、それでも俺の心は少し落ち着いた。



 変わらないな、女神様は。世界を跨ぐ度に変わってしまう俺とは違って。



「俺、ワールドトリッパーの力、結構使いこなせるようになったよ。まだ完全な状態の人間は無理だけど、弱っている人のだったら、簡単に解けるようになった」



 何を、とは言わない。俺だって馬鹿な事を言ってるのは分かってるんだ。

 人の精神を乗っ取るのがうまくなったよ......俺はそう言っているのだ。あるいは、人殺しがうまくなったよ......か。



 でも、俺はそう簡単に本題に踏み込めないでいた。それならまだ、女神様を信じていられるから。

 もし彼女の口から真実を聞いた暁には......俺は、彼女を信用できなくなる。



 ――少し、怖くさえなる。



「そうですか」



 確か、最初会ったときもこんな感じだったっけか。ニコニコ微笑みながら、『そうですか』と。

 深く聞きはしない。俺から切り出すまで、彼女は『そうですか』と言い続けるのだろう。



「ワドと会ったよ」



「そうですか」



「あいつ、自分から死にまくるからさ......捕まえるの、難しかった」



「そうですか」



「何回も転生して......何人も犠牲にして......ようやく、捕まえたんだ。ようやく、真実を......」



「そうですか」



 真実。ワドから聞いた、女神様がしようとしている事。

 本当にそうなのか、聞かなければならない。



 聞かなければならないのに、俺の口はまた、別の話題を求めてしまう。



「俺、あの世界でワドと出会わなければ、ずっとずっと変わらず、女神様の望むまま転生を繰り返してたのかな......」



「それは......無い、でしょうね。あなたとあの方は、表裏一体。表と裏。光と影。そんな関係ですから」



 切っても切り離せない......ってことか。まぁ言わんとすることは分かるけれども。

 決して混ざらず、混同しない。俺が生で、ワドは死。

 執着するものは真逆でも、いや、真逆だからこそ二人の距離は近い。



 遅かれ早かれ、出会うのは免れなかったのだろう。



「じゃあ、女神様は分かってたんじゃないか? いつかこうなるって......俺が、こういう立場になるって」



「私は......そうなっても、あなたが味方であり続けてくれると、信じていましたから」



 嘘じゃないんだろうな。彼女はいつだって真っ直ぐで、純粋だ。

 女神様が俺のことを心から信じていてくれていたからこそ、俺はずっと彼女の傍に居られ続けたのだ。



 俺は、そんな彼女の信用を裏切りたくない。俺は彼女を信用したい。



 だって、好きなんだぜ? ずっと好きなんだ。これからも好きであり続けたいんだ。



 だから。



「――女神様、本当なのか?」



 俺は遂に、真実を問いただす。



『トリプ、女神様の......というより、僕以外の神様の目的はね――』



「何が、です?」



『世界を作ることなんだ』



「とぼけないでくれよ......」



『いいことじゃないか、それは』



『良くないよ。その世界は、全ての世界を破壊して出来る無の世界なんだから』



 無の世界。いつか女神様が話してくれた、始まりの世界。それを再び、女神様は創ろうとしている?



「この世界を無の世界に戻そうとしてるって、本当なのかよ!」



『――本当だよ。僕も最初は賛成だったんだけどね。でも、途中から許せなくなったんだ』



『どうして?』



『僕はね、死が好きなんだよ! 人の死が! 生命の死がっ! 死ぬっていうことは、生きていたってことだろう? 生きていた証ってことだろう? 存在の証明ってことだろう? そんな死を、僕は知ってしまったんだ!』



『言いたいこと、分からないでも無いけどな......確かに、死があるから、人は生に希望を感じる。死なない生なんて、死に続けているのと同じだ』



『君ならそう言ってくれると思ったよぉ!! 僕はだから君が好きなんだ! 誰よりも生に執着しっ、誰よりも死を輝かせる君がぁ!!』



『なるほどな。それが、俺をお前が日々大好き大好き言う理由か......お前は死が好きになったから、死が生まれない世界を作ろうとする女神様に反対なんだな......あぁ、俺も反対だ。生の無い世界なんて、許されない......女神様が、それを......』



『ようやく君は僕に届いた! 僕と同じ理想を掲げる、唯一無二の存在となった! この瞬間を、僕は待ちわびていたよ!』



『お前、俺に真実を教えなかったのって......』



『うん。最初の君なら、僕の話を聞いても女神様の味方をしていたかもしれないからね。僕もこんな性格をしているもんだからさ、君と深く関わらないと、信用を得られないと思ったんだよ。それで、君が僕に勝てるまで一旦女神様から離れさせて、僕に執着させようとしたんだ。悪かったね』



『俺はお前の手のひらの上で踊らされてたってわけか。まぁ、結果だけ見れば、悪くは無いんだろうけどよ』



『それで? どうするつもりかな? 僕から真実を聞いて、君は何をする?』



『俺は............駄目だ。思い付かねぇ。とにかく女神様に会って、確かめて来る。どうしてこんなことをしようとしているのか、とかな。それを聞いた上で......俺なりに考えてみるさ』



『ふーん、そっか............あぁそうだ、トリプ。めだたく僕の同志になった記念として教えといてあげるよ』



『ん? なんだ?』



『実はね――』



『勿体ぶるなよ』



『――僕、女なんだ』



 回想、終わり。



 結局その後、生き残っていたアンノウンに殺されたんだよな............正直、今までのワドがあまりに気持ち悪かったのでずっと男性として扱ってきたものだから、実は女性でしたーなんて言われてとても動揺してしまっていたのだが。一生の不覚なり。



 そんなトリプとのやり取りを少し思い出しつつ、俺は再び女神様の目を見据える。

 彼女もまた、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。



「――本当なのか?」



「本当です」



 キッパリと、言い切った。



「どうして......どうして、そんなことを!」



 全ての世界の隔絶が無くなれば、『無』という新たな世界が誕生する。

 無の世界。ここ、始まりの世界とほぼ同じな、何も無い世界。

 違うのは一つ。無の世界には、俺や女神様のような異物が存在しない。



 そう、無の世界を作るということは、女神様自身を滅ぼすということでさえあるのだ。



「それが、世界のあるべき姿だからです。もう一つ言うなら......そうですね。皆、疲れたんですよ。私も」



「疲れた?」



 あるべき姿......っていうのは辛うじて分かるけど......賛成するわけではないが。

 世界の元の姿だしな。始まりの世界というのはここでは無く、無の世界の方が相応しいのかもしれない。

 ......いや、無の世界は始まってすらいないのか。始まる以前の世界......といったところか。



 しかし、疲れたというのは全く分からない。

 一体何に? 何が女神様を疲れさせた?



「トリプ......あなたはまだ、生きたいですか?」



「そんなの、当たり前だろう」



 だから俺はここに居る。

 俺は女神様が望んだから生きたいと思ったんだ。死ねと言われれば死ぬさ。でも、生きてほしいって言ったのは女神様なんだぜ?

 俺は女神様のために生きている。



「そうですよね。そうだと思います。あなたはそうだから、私はあなたを選んだんです。きっとあなたなら、最後まで私に付いてきてくれると思ったから......」



「最後まで......って、無の世界を作るところまでか? 俺は嫌だぞ。今までの世界を全て壊すのに協力してくれ......っていうのなら、俺にはできない」



 俺だけが犠牲になるのであれば、喜んで体を献上したのだろうが......しかし、これは俺だけが犠牲になるのでは無いのだ。

 今まで出会った全ての人達。これから出会う全ての人達。出会わなかった全ての人達。

 上位神やワド、そして女神様すら全てを犠牲にして創られるのが、何も無い無の世界だなんて、俺にはとても許せない。



 例え女神様自身がそれを願っていたとしても、だ。



「俺は女神様に生きてほしいって思ってる。それに、もう顔も名前も存在すらも思い出せない今まで出会った人達が、彼らの知らない場所で神様の都合のせいで消されるなんて、酷いと思うんだよ。顔も名前も存在すらも思い出せないとしても、彼らが教えてくれたことは俺の心に残ってると思うから」



「......そん......に......い......」



「え?」



「――そんな簡単に生きてほしいなんて言わないで下さい!!」



 今まで女神様が見せたことの無かった、怒りの表情。キッと吊り上げられた目が俺を睨む。

 思わずひるみ、少し後退ってしまった。



 女神様から俺に向けられる、強烈な悪意。それを感じる度、俺の心はヤスリがけをされたように、ガリガリと削られていってしまう。こんなのは初めてだ。

 自分の好きな人に向けられる悪意ってのは......こんなに、辛いものなんだな......



「私はもういいじゃないですか! どれだけ私に生きろというんです! 私たちが死ぬためには、もうその方法しかないんですよ!」



「女神様は......死にたい......のか? なんで!」



 死にたい......というより、消えたいのだろう。死ぬだけならば、ワールドトリッパーの力を使ってどこかの世界に転生して自殺すればいいのだ。

 だが、それでは世界からいなくなるだけで、存在そのものが消えるわけじゃない。



 でもやはり、死にたいという気持ちは俺には分からない。



「私は、もう数えられない時間の流れの中で、ずっと過ごして来ました! 疲れないはず無いでしょう!? 私はあなたの何億倍もの時間の流れに晒されて......それでもまだ生きろと言うんですか、トリプは!?」



「それは......」



 少し、想像してしまった。今まで俺が過ごした時間の何億倍もの時間を、ずっと一人で過ごしている様を。

 耐えられない。絶対、耐えられないだろう。

 でも、死にたくなっても死ねないのだ。気を狂わせることすらできない地獄。



 だけど、それで他の全てを犠牲にして死のうだなんて......それしか方法がないのだとしても、もっと他の方法を模索して欲しかった。それこそ時間は永遠にあったのだから。



「それに、もう遅いんです! 私は今まで何度あなたを転生させたと思ってるんですか? 何のためにあなたを転生させたと思ってるんですか!?」



「何のため......って、それは、女神様が俺に生きてほしいからって......だから、俺は......」



 転生していた。女神様の言葉を鵜呑みにして、何の疑問も抱かず。

 よく考えれば、おかしな話だったのだ。確かに、女神様は俺に生きてほしいと思っていたはず。

 そりゃそうだ。俺が転生することで、無の世界の創造に、知らず知らずの内に協力させられていたのだから。



 結局、女神様が俺を大好きと言ってくれたのも、自分を死に導くために一生懸命働く健気な使い程度にしか思っていなかったからなのだろう。



 以前俺はワドを死神だのなんだのと称していたが......とんだ道化だな。そう言う俺のほうが実は、全世界の生命を殺そうとしていた、なんて。



「ワールドトリッパーで転生した世界には、隔絶に穴が空く......私はそう言いましたよね。穴が空いたら、中身はどうなるか、分かりませんか?」



 もういい。聞きたくない。そこから先を言わないでくれ......!

 俺が今まで出会った人も、場所も、全部、全部、俺がこの手で破壊していたなんて。



 《ワールドトリッパー》は、死ぬ度に他の世界で転生して、人生を何度でもやり直せる素敵な力なんかじゃない。

 転生する度に周囲に死を振り撒き、徐々に世界を壊していく悪夢の力だ。



「違う、俺は、そんなつもりでずっと転生していたんじゃ......だって女神様が......だけど女神様は......俺は、どうすれば......」



 絶望と後悔で心が満たされる。



 いっそのこと、俺が死ねばいいのでは。

 駄目だ。それじゃ根本的な解決にはならないし、まずこのワールドトリッパーがある限り、死ぬことすら出来ない。女神様にこの力を返すといって受け取ってくれるはずがない。



 かといって、このまま再び転生を繰り返すことなど、出来るはずがない。



「お、れ、は......何を......」



「と、トリプ......」



 気付けば俺は、涙をボロボロと流しながら女神様の首を締め上げていた。

 違う。こんなことがしたいんじゃないんだ。これじゃ何の解決方法にもならない。

 理性が俺にそう訴えかけるが、俺の手は止まらなかった。あんなに好きだった女神様が、俺を使って、例えもう名前も顔も存在すらも覚えていないような人達であったとしても、心に何かを残していってくれた......そんな人達を殺していたなんて、俺には認められなかった。許せなかった。怒りをぶつけなければいけないと思った。



 そうしないと、申し訳が立たない。自分の心を許せそうになかった。



「......か......」



 ゴキ、という嫌な感触。



 崩れ落ちる、俺の大好きだった女神様。



「あ、あぁ......ああ......」



 分かってる。死んだわけじゃないのは。だけど俺は、いつまでもこの女神様の亡骸を見ていられなかった。



 だから、俺は、今度は自分の首に手を掛けて......



「――あーあ、全く、見てらんないねぇ。どーしてこうなっちゃうのかなぁ......もっとやりようはあったと思うんだけど、まぁ君は不器用だからね。心配だったから付いてきて良かったよ」



 俺の背後から響く、中性的な声。そうだ、この感じ、間違いない。



「ワ、ド......?」



「――なんだい、トリプ?」



 そうやっていつものように笑みを浮かべる彼女が、今の俺には光輝く女神のように見えたのは、言うまでもない。

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