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安全な世界 邂逅編

 その人間は家の屋根の上に立ち、嗤っていた。



「あぁ、まだかなぁ? まだ来ないかなぁ? 僕はこんなにも君と逢えるその時を待ち焦がれているというのに、君はそうやって僕を焦らすつもりかい? いや、それもいいな。君という存在と出逢うまでに、僕は君の事を、君だけの事を、君の事だけを思って想って過ごすんだ......いいね......実に、いい」



 彼か、または彼女なのか、老婆とも老爺ともつかないその人間は、眼下に広がる地獄を見渡し、嘲笑を漏らす。



「アハハ......いいねぇ。僕が君達に自由をあげたんだ。自由、自由はいい。僕は束縛ってのが大嫌いでね。もっと世の中フリーダムになって欲しいと常々思ってたんだ。うん、どうだい? 自由になった感想は?」



 あちこちで爆発が起き、真っ赤に視界が染まるまで炎が上がっているというのに、その人間は逃げる姿勢を全く見せない。



 それどころかその人間は屋根に座り、下で額から血を流して仰向けに倒れている男に向けて、そんな事を問い掛けた。



「クソ、喰らえ......この野郎......」



 彼はうっすらと瞼を開けると、小さな声でそんな事を呟く。

 果たして上にいる人間に届くのか、という程度の声量であったが、先程までの笑みが嘘のように凍り付いたのを見ると、どうやら聞こえていたようだ............というより、聞こえてしまったようだ。



「あ、そう? じゃあ君は足喰ーらえ!」



 感情の乗っていない声でそう言い、屋根から飛び降りる。もちろん歳で弱りきったその足腰では、たかが一階建ての家の屋根からとはいえ、とても耐えきれまい。



「ゴハァッ!?」



 だが、その人間は下の男をクッション代わりに踏みつけ、男から血が弾け飛び、自分に付着するのも全くいとわずに着地して見せる。

 それどころか、その人間は顔に再び笑みを浮かべると、既に絶命したであろう男の腹の上で何度も飛び、何度も踏みつけた。何度も何度も何度も何度も。

 その度に血が飛び散るが、まるでそれを見て楽しむかのように、更に顔の笑みを深めて行く。

 いや、そいつは確実に、楽しんでいた。



「アッハッハハハー!! やっぱり人の死はいーぃねぇ! 人は死ぬときこそ、輝くんだよ! 死こそがぁ! 人の全て也ぃ! 何度も死を経験した僕だからこそぉ! 分かるぅ! 世界のっ、真理! アハハハー!」



 奇声を上げながら男を踏みつけ続ける老人の姿は、その光景を見ていたほとんどの人間に恐怖を植え付けた。



 ......だが、例外も居た。この光景を超える、真なる地獄を見てきた男......名前は消え去り、今は彼という存在を示すためだけにある、『トリプ』という男が。



 彼は進み出る。さながら地獄の中から生まれた勇敢な戦士のように、ゆっくりとした足取りで。



「あぁ......アァァァァ!! 君が、君がなんだね! 僕は焦がれて焦がれて焦がれて待ち焦がれていたよ! 君の事をずっと考えていた! 正直に言おう、僕は君が大好きだぁ!! ハハハ、遂に言っちゃったよ、言ってしまった! 僕は君に僕の正直な気持ちを君に君に君に君にぃ――!! 伝えてしまったんだぁ――!! 大好きだぁ! 君の事が他の誰よりもっ、大好きだぁ――!!」



 その人間は、彼を見つけた途端、顔にあった笑顔を狂喜のそれに変え、更なる奇声を上げながら彼に向けて走りよっていく。



「――うるせぇな......今俺も分かった。俺はどうやらお前の事が大嫌いみたいだぜ」



 それを受け、彼は静かな怒りを込めた声でそう言い放つ。



 それが、邂逅だった。


 ◇ ◇ ◇


 突然、それはもう唐突な出来事。



『あ、れ......なん、だか......途切、れ、て......』



 ん、どうした?



『..................』



 ホバー車を運転途中、急に掠れた声を出したと思ったら、問い掛けても無言......あれ?



 ――目が、死んでる?



「うお、やべ!」



 《ヒューマン支援プログラムAI》である彼女が機能していない事を悟った俺は、直ぐに自分の体を自分で動かし、ハンドルをしっかり握り直す。

 ここは地上から三十メートルも離れた空中だ。ここから運転ミスで墜落すれば、下にあるホバー車の渋滞と衝突して大事故になりかねない......



 俺以外の異世界人、いや、転生者の家はもう直ぐそこのはずだ。

 彼女がどうして突然死んだような感じになってしまっているのかは分からないが、まぁ機械なのだ。エラーくらいあって当然だろう。暫くすれば復旧するはずだ。



 だが突然切れるのは本当に止めて欲しい。さっきまで俺の体をコントロールしていたのは俺じゃなくてお前なんだぜ? 全く、安全な世界で俺が事故死なんて、笑えないぜ......



 そう思い、窓から外の地面を見やる。



 ――そこでは既に、事故が......いや、地獄が起きていた。



「なん......だよ、これ」



 休日で車の数が多かったのが災いしたのか......恐らく、連鎖的な衝突事故が起きたのだろう。

 車同士が衝突し合い、爆発を起こして炎上している。更にその炎が近くにある木や家に燃え移り、下は正しく地獄と呼べる光景だった。

 全体を見ると......優に二十以上の車が事故を起こしているようだ。しかも、現在進行形で。

 今、また新たな一台の車が先程数えた数の一つに仲間入りを果たしてしまった。



「一体、どうなってるんだ......?」



 さっきあいつが急に切断されてしまったのと何か関係があるのだろうか......



 数秒の思考の後、思い出す。

 そうだ、そういえば、確かあいつは......



 ――むー、どうやらこの道の先で何らかの障害が発生しているようですね......



 そう、言っていた。障害......障害って、まさか......?



 自分の歯で、右手の皮膚を軽く噛み千切る。ちゃんと流血はしている。

 という事は、《ヒューマン支援プログラムAI》はおろか、《プロテクトチョーカー》すら機能していない......



 これは本格的にマズイな......多分、さっきあいつが言ってた障害ってのは、《プロテクトチョーカー》の機能を封じる電波か何かだったんだろう。

 で、その電波のせいで運転中に突然《ヒューマン支援プログラムAI》が切断された皆は混乱状態になり、事故を起こし、それが連鎖した......って訳か。成る程、道理で渋滞になる訳だ。



 俺は一人で生きる人生ってのを知ってたから大丈夫だったが、他の奴らからしてみれば、生まれた時からずっと一緒だった己の半身とも呼べる相手が突然いなくなれば、混乱もするだろう。



 ......あぁ、マズイ。急いであの人の家に行って伝えねぇと......!



 俺は強くアクセルを踏み、一気に車体を加速させ、目的地へと急いだ。



 そして、邂逅する。


 ◇ ◇ ◇


「えぇ!? それは残念だ......実に、残念残念......だけれども! 僕は君が、トリプが大好きなんだ! この気持ちは、例え君であってもぉ、止められない!!」



「お前......なんで俺の......」



 全身、男を踏んでいた時に付着した血だらけの格好で、こいつは俺の永遠の名を口に出した。

 この世界でその名を知っているのは、俺だけのはずなのに。



「うん、お前ってのは止めようね。僕にもちゃんと僕という存在だけを表す言葉があるんだからさ。僕の名前はワド。《ワールドトリッパー》から、『ワ』と『ド』を取ったんだぁ。君と同じだね!」



「残念ながら、俺のトリプの『プ』は、《ワールドトリッパー》から取ったものじゃないんでね」



「あぁ!! そうだったそうだったそうでしたねぇ! トリプの『プ』は違う! という事は、略称!」



 軽口を叩きながらも、正直俺の内心は、動揺しきっていた。

 何故お前が《ワールドトリッパー》という単語を知っている? お前もまさか、女神様からその力を貰ったのか......?



 その事を今すぐ口に出したいという感情をグッと堪え、取り敢えずは相手の反応を伺う。

 下手な事を言えば、どんな事になるか分からない。俺の中でそう警鐘が鳴り響いていた。



「あぁ、そうだ。トリプってのは《ワールドトリッパー》の略称......女神様が付けてくれた名だ」



 敢えて直接的な物言いはせず、女神様という単語を出す事で、相手側から話させようという試み。

 例え何も言わなくても、恐らく何らかのアクションは取るはず......



「女神様! そう、君は確か女神様の所の! 流石は女神様だ......君をっ、無限と思える永遠の連れ人にするなんてぇ!! あぁ、僕としては羨ましくて羨ましくて羨ましい限りだよぉ!!」



 気持ち悪い。俺は確実にこいつが嫌いだ。間違いない。

 女神様って単語を出しただけで、一人で勝手に舞い上がり過ぎなんだよ......もう一度言うが、気持ち悪い。



 しかし......思ったよりも簡単に乗ってくれたな。やはりこいつも、女神様の事を知ってる......でも、確か、という口振り......こいつに《ワールドトリッパー》の力を与えたのは女神様では無いのか?



 あぁもう、まどろっこしい。こうやって頭の中で色々考えて頭脳戦するのは苦手だ。

 前言撤回。どんな事になろうと、例えそれで死ぬ事になっても、今ここで出来るだけこいつに直接質問をぶつけよう。こっちの方が性に合ってる。



「じゃ、幾つか質問させて貰うぞ......というより、させて貰う」



「おや? もう攻めて来るのかい? 僕はどっちかっていうと君には受けを望んでいるんだけど......まぁ逆というのも、悪く無いなぁ! うん、いいよ。ドンドン質問してくれ!」



 こうもはしゃぐ老人というだけで、何故ここまで人を不快にさせられるのか。

 やはり、血だらけの今の格好が原因? それとも、今のこの地獄を産み出した張本人だろうという俺の予測による先入観? ......どっちでもいいな。気持ち悪い事に変わりは無いんだし。



「――じゃあ率直に一つ。この状況を生んだのはお前だな?」



「『お前か?』ですらないなんて、僕はどれだけ信用されていないのだろうね。いや、信用されているのかな? どちらにしても、もちろん僕がやったよ。君が信用しない僕が、君が信用した仮説通りのことを、ね」



「......って事は、お前は《プロテクトチョーカー》を機能させなくするための電波を、周囲一帯に放った。それでいいんだな?」



「ご名答ぉ!! 称賛と賞賛の嵐だよ! 拍手喝采歌宴!! そんな言葉は無いんだけれど、なんとなく語呂が良いと思わないかい? 僕はそういうのが大好きなんだ。存在しないものを存在させる......だから、存在しているものが消える時の快感もまた、素晴らしい!! それ故にっ! その快感が得られなくなる世界が生まれる事が......悲しいんだぁ!!」



 ワドはその場に膝をつき、一人で勝手に泣き始める。

 どうしてそう話を変な方へ発展させるんだ......こっちが質問するタイミングを逃しちまうじゃないか......



「あぁ......そうか、うん。で、お前はなんでそんな事をしたんだ? わざわざ安全で完成された世界を壊すなんて、俺には全く分からない行動なんだが」



 暑い。汗があちこちから流れている。

 ずっとこの場に居るのはどうかと思うが、でも多分、移動しようって言っても駄目そうだよなぁ......



 思考の半分を暑さに対する愚痴に割きながらも、もう半分は真剣にワドの話を聞く。



「分からない? それは無いはずだ。あり得ない。あるべきではない。あらざる感情だよ、それは」



「はぁ? どうして?」



「――君は......自由が、欲しくないのかな?」



 何を言って......るんだ? 自由なんて、そりゃ、欲しいかったけど......ん、欲しかった?



「君は否定出来ないはずだ。同じく、もっと広い世界、もっと自由な世界を知っている、君と僕では。君はどうやら自分の心を騙す事に成功したようだけれど......僕は正直者でね。思った事はやらなきゃ気がすまないんだ。我慢弱いって言った方が正しいかな?」



「俺とお前が......同じ? はは、それこそあり得ないだろ......そんなの」



「あり得るね。有るべきだ。そうでなくては。完全な安全は束縛......君ももう、気付いたろ?」



 完全な安全は束縛。危険が自由という訳では無いが、安全は縛られるのと同義だ。

 安全を取り除けば、危険が残る代わりに自由を得る。

 俺はそんな自由を知っていたから、自分が暴走しないよう、自分の心を騙して......あぁ、だから俺はあいつが、《ヒューマン支援プログラムAI》が嫌いだったのか。まるで彼女が、俺を縛っているようで。



 だが、この世界の人間は、生まれたその瞬間から常にその束縛を受けている。だから、自由を知らないし、求める事も無い。

 しかし、俺達は......転生者は、他の世界の自由を知っている。俺は求める気持ちを抑える事に成功したが、こいつは......ワドは、抑えられなかったのだろう。



 責める事は出来ない。俺がその立場になっていた可能性だってあるのだから。



「分かって貰えたようで何よりだよ」



「チッ......」



 だがやはり、気にくわない。もっとやりようはあったはずだ。何故こんな真似を......



「どうしてなのか、と言われれば......正直な所、時間が無かった、というのが答えなのだけれどね。僕は争いが嫌いだ。平和主義。和平を望むよ。だけれども......時間っていうのは思ったよりも早く進んじゃうし、世の中、そう上手くいかないもんなんだよね。結局、二割さんに手伝って貰っちゃったよ」



「二割さん?」



 自分の思考を読まれた事に不快感を感じながらも、二割さんという謎のワードに対し俺は口を開いた。



「うん、そう。世界から見放された者達......世界から逃げ出した者達......世界に背を向けた者達の事だよ。彼らは忌々しい拘束具をつけられていなかったからね。僕の拘束具を外して貰ったんだ。その後も、彼らには世話になった......」



 遠い目をするワド。



「つまり、二割さんってのは《プロテクトチョーカー》を付けていない奴らの事か」



「君達の言葉では、そうだね。彼らは......無論、僕もだけれど、君のその首についている物を拘束具と呼ぶんだ。相応しい名前だとは思わないかい?」



「相応しくないとは思わないが、実際それで楽しい暮らしをしていた人間だっているんだ。お前のやり方は......一方的過ぎる」



「時間が無かった、と言ったろう? もしやすると君は......知らないのかな?」



「知らないって、何を」



 お前は知っているという事か。俺が知らないかもしれない、何かを。

 ワドは、俺が聞き返した事に目を見開くと、突然興奮したかのような口調で喋り始める。


「なんと! 君は、知らない! 知らされていない! 知る術も無いというのかい! あぁ、哀れだねぇ! 哀れで、しかし素晴らしい! やはり僕の予想は間違っていなかった! いや、間違っていたぁ!! 僕は君を大好きという言葉だけでは表せないよ! そう、僕は君を愛しているぅ――!!」



「話が分からねぇ。気持ち悪い奇声を上げてないで教えろ......! 俺が知らないのはなんだ? どんなものなんだ!?」



「うんうん、知りたいかい? だけど今は、教えない。ここはもう大丈夫だしね。君と僕は惹かれ合っている。真実を教えるのは、僕じゃないよ。君自身の力で真実を知れば......君は僕と、共にぃ!! ......いや、これ以上の明言は避けておこうか。それに、君と僕が再び出会うのは、そう遠くない。君が共にというのは、遠いだろうけどね。精々僕をヒントにしてくれると、嬉しいな。それじゃあ......」



 ニヤリと、嫌な予感を否応なしにさせる気味の悪い笑みを浮かべ、スタスタとこちらに寄ってくるワド。

 俺は思わず後退るが、運が悪かったか、後ろにあった段差で躓き、尻餅をついてしまった。

 そしてそれが、俺の最後の行動。



「――また会える世界が、楽しみだねぇ!」



 懐から飛び出た銀の光が、俺の喉を捌く。

 口は空気を求めるようにパクパクと開き、結果を得られないまま赤色の液体を噴き出した。



 光はそのまま、ワド自身の喉すらも捌いて......



「......ぁ......ぉ......」



 声に出せないまま奴の名前を呼び、俺は苦悶の表情で死亡した。

 脳裏に焼き付いた奴の最後の姿は、恍惚とした笑みを浮かべていた。

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