安全な世界 前日談
「安全な世界?」
女神様の言った、あまりに抽象的な例えに、俺は彼女が言った言葉をそのままに聞き返した。
俺はトリプ。《ワールドトリッパー》の力を女神様に授かり、以後何万と転生を繰り返して来た存在。
外見的な特徴は毎度毎度変わるので、敢えて言うことでもないだろう。
まぁ分かる通り、かなり特殊な境遇に居る俺だが、特に頭がいいと言うわけでも無い。だから、ただ安全な世界と言われてもどんな世界なのか予想が付かなかったのだ。
「――そうですね、安全な世界です。私がその世界を覗き見て思ったのは、ただひたすらに安全な世界......それはもう安全過ぎる程に」
銀髪で碧眼、この世のものではない美しさを備え、その姿は全裸でありながらも光のローブを羽織り、見えそうで見えないというギリギリの色気を醸し出している。だが精神的な年齢は幼く、女神らしからぬ行動で今まで幾度となく俺の理性を殺そうとして来た。
そんな女神様が、少し難しそうな顔をして言う。自分の例えがあまり具体性を伴っていない事を自覚しての事だろう。
それならば何故、もっと具体的な答えを言ってくれないのだろうか。
「安全......ってのは、どういう風になんだ?」
「全てです。危険となりうる可能性のある行為には、全てに安全という保証が付く......それが、次の世界です」
「意味が分からねぇぞ? どうして全てが全て安全になれるんだ?」
「それは、私にも分かりません」
へぇ。女神様にも分からない事ってあるのか。
「――今、私にも分からない事ってあるんだ、って思いましたね、トリプ?」
顔をずい、と近付けて少し怒り気味で言う女神様。
どうして俺の思考を読んでいる......っていうかいつも思うけど、顔が近い。変に緊張するからやめてほしいんだけど......
まさかそんな事を言えるはずも無く、俺はあまり女神様を視界に入れないように、目を背ける。
無言でそんな行為を行ってしまった為、女神様は更に怒り始めた。
「ト~リ~プ~! さては図星だったんですね! そうなんですよね! もう怒りましたよトリプ~!」
女神様は両手で俺の頬を挟み、強制的に前を向かせる。
ちょ、それだと唇が突き出る上に顔が近いんですけど! しかも思ったより女神様力が強い! 必死に顔を動かしてもびくともしねぇ!
「ごみぇんみぇがみ様!」
ぐ......謝っても変な声になるから真面目だと思われない......ちょい待てそれ以上顔を寄せるな危ない危ないから!
「むー......許しませんよー......」
おでこが合わさってますよ女神様! 吐息が温かいですよ女神様! ちょ、ちょ!
「――なーんて、嘘です」
「は......ふぅ......え?」
今まで鋭い顔(だと自分では思っているんだろうが、俺にはその顔も魅力的で可愛く見えた)で俺を睨んでいた女神様が、突然顔をパッと明るくし、あっかんべーをした。
む、無邪気だ......可愛い......
俺はやっと解放された顔で息をつき、その後見た女神様の姿に対し、そう思った。
「怖かったでしょうトリプ? 私から《ワールドトリッパー》の力を剥奪されるかもしれないって思いましたよね?」
子供のような笑顔で言う女神様。先程のは完全に演技だったようだ。
しかし、全然的外れな事言っているな。全くそんな事は考えもしなかったけど。
「全くそんな事は考えもしなかったけど......」
「..................」
し、しまった。声に出てた......女神様絶対拗ねてる......ほら、もう声も出さずに俯いちゃってるし......やばい、どうしよう......
「ぐす......」
「ち、違うんだ女神様! ただ俺は、まさか女神様がそんな事をする訳無いって信頼していて......そう、信頼だよ! 俺は誰よりも女神様を信頼しているんだ! だからそんな事を考えもしなかったんだよ!」
「そうですか......? 本当にそうですか......?」
喋りながら何とか女神様を説得する為の文句を作り、それを整理しながら話していく。
実際、言っている事が全く間違っている訳では無い。確かに俺は女神様を信頼している......というより、愛している。まぁ相手には気付いて貰えて無いのだが。
だが、あの状況に関しては、ただ俺が顔を寄せる女神様に緊張しまくってそんな事を考える余裕が無かったというのが実際的な所だろう。
もう時間という枠を超越した仲だというのに、未だ俺は女神様に気持ちを伝えられない。
それが達成出来ないのは、互いの存在としての大きさの差が大きすぎるというのが最も足る要因だろう......簡単に言うと、女神と女神に助けられたただの人間、という差だ。
ここまで差があるのに、女神様が俺と一緒になるのはどうなのか......そう考えると、とても告白など出来ない。
......いや、本当はそうでは無いのかもしれないな。もし告白して、断られたら......きっと俺は、今まで通り女神様と接する事が出来なくなる。それは女神様も、だ。
永遠という時間を共有する互いに唯一の存在......それと気兼ね無く接する事が出来なくなるなんて、とても俺には耐えられそうに無い。
それが怖くて、怯えているから、存在としての大きさの差、なんてのを隠れ蓑にして逃げているんだ。
つまりは......ヘタレだ。告白してそれを受け入れてくれる状況を考えられずに、断られる状況ばかり考えている。
直したいとは思っているんだが......まぁ、それはまた今度だな。
今はとにかく、もう一押しで陥落しそうな女神様に言葉を畳み掛けなければ。
「うんうん、本当にそう!」
「本当の本当ですか?」
徐々に徐々に顔を上げていく女神様。
その目頭には涙が溜まっていた。感受性強すぎだろ......本当に泣いてたのか......ま、そういう所が可愛いポイントである訳なんだけど!
「本当の本当だ」
対し俺は、全く間違いだという訳ではないが、嘘をついている......その事実に心が痛むが、しかし女神様が悲しむ方がもっと心が痛い。
ここは一つ我慢して、女神様の笑顔の為に嘘をつくとしよう。ついてもいい嘘はあるのだ。
「......ぐす......ありがとうございます、トリプ......」
「なんで泣かせた俺が感謝されてるんだろうなぁ......?」
不思議に思いつつも、俺の顔もまた笑顔になる。
「でもトリプ、私にだって分からない事くらいあるんですよ? 私なんて、世界を覗いているだけですし」
「そもそも、覗くって何なんだ? どうしてちょっとしか見ないんだ?」
前から思っていた事だが......世界を調べるなら、何故覗くだけにするのだろう。ちゃんとしっかり見ればいいのに。
俺の疑問を受けて、女神様は人差し指を顎に付けて首を傾げ、典型的な考え中の素振りを取った後、極普通の声音で話始める。
さっき泣いてたのは一体なんだったんだ。切り替えが速すぎてついてけねぇよ......
「そういえば説明していませんでしたね............世界同士っていうのはですね、トリプ。とっても強く隔絶されているんです」
「ふーん。隔絶、か」
「そうですそうです。世界は、同じ場所に重なりあうように、しかし隔絶して無限に広がっている......これが世界なんです」
「うん、意味が分からない。どうして重なってるのに隔絶されてるんだよ?」
「隔絶っていうのは、距離の話じゃないんです。なんというか......例えるなら、存在、ですかね......」
「存在が離れているから隔絶されているって事か......?」
「まぁそうなりますね。そして、その世界同士の存在が近付いた時、当然隔絶は弱くなります。分かりやすい例えは、そうですね......デジャヴ、ってありますよね。あれは他の世界で同じ事をした同じような人間が居て、その時世界同士の隔絶が弱まって、片方の世界で起きた事がまるで以前自分に起きていたかのように錯覚するんです」
「待て、待て待て。ちょっと待て」
今まで天然みたいなキャラで通していた女神様が、突然理系と化したぞオイ。
全く話についていけん。少しクールダウンして考えよう............よし、オーケー。理解した。
「――んーと、デジャヴが世界同士の隔絶の影響で起きてるって事は分かった。じゃあ隔絶が消えるとどうなるんだ?」
「世界が全て無になります」
なんかいきなり物凄い事になったな......
「正しくは、全ての世界が融合して全く新しい世界、『無』が出来上がります」
「それは......何故なんだ?」
「トリプ、いきなりですが、1にマイナス1を足すとどうなりますか?」
遂に数学かよ......まぁ数学は大体全ての世界で共通だ。そんなの簡単に分かる。
「2だな」
「0です」
..................そ、そうだったそうだった。今のは女神様のマイナスって単語が聞こえなかっただけだから。うん。
「そ、それはともかく......そんな計算に一体どんな関係があるっていうんだ?」
「全ての世界はプラスとマイナスで出来ている......そして、それら全てを足すと、必ず0になるように出来ています......何故なら、全ての世界は、元は『無』だったんですから」
「つまり......元は『無』だった世界は、何かの事故? みたいなのが起きて、無限の世界に別れちまって、隔絶された......って事でいいのか?」
「流石はトリプです! 今からそこの話をしようと思っていたのですが、そこまで自力で理解するとは!」
そんなキラキラした目で見られても......普通ここまで言われれば分かるだろ。
「まぁな......で、どんなものでも、それこそ人間の感情もだけど、本当に例えそれがどんなものでも、元あった形に戻ろうとする......それが世界にも適応されて、そういう風に世界の隔絶が弱くなったりするんだな? つまり、人間の行動すら『無』の世界の影響を受けてるって訳だ」
「ど、どうしたんですか? さっき1足すマイナス1を間違えた人間とは思えません......」
いつの間にかこの話題に引き込まれていた俺の頭は、フルスロットルで回転し始める。
「そして、女神様は世界の隔絶が弱まった瞬間に何らかの方法を使って世界を覗いている......だから女神様はずっとその世界を見ることが出来ないんだ。隔絶が強くなると、この世界からは覗く事が出来ないから」
「凄いですトリプ! 正にその通りです! ざっつらいと、です!」
分かりやすく褒める女神様。かなりテンション上がってるな。
「ま、当然だな。なんてったって俺は女神様のトリプなんだぜ?」
「ふふふ、そうでしたね」
納得納得............ん、なんかおかしくないか?
「――さっきの話が正しいなら、なんで女神様は俺が転生している間はずっと世界を覗けるんだ?」
「んー、まぁ簡単に言うなら、トリプが穴になってるんですよ。隔絶っていう壁の穴。トリプが他の世界に行ってくれると、私はその穴から世界をずっと覗き見ることが出来るんです。でも所詮は穴なので、トリプの周りをちょっとしか見れないんですけどね」
テヘ、という感じで女神様は頭をグーでコツンとした。狙ってるのか? いや、狙っている。確実に。
もしこれが天然だというのなら、女神様は相当だ。相当に痛い子だ。
......まぁその完璧過ぎる見た目も相まって、全然可愛いんだけど。
「へ、へぇ。そうなのか」
「はい、そうですよ?」
「..................」
んー......なんかグダグダしてきたな......そろそろ話題も尽きた事だし、転生するか。
何かまだ話したい事があったと思うんだがなぁ......ま、いっか。それはまた今度にしよう。
「――そろそろ俺も転生するよ。安全な世界、ね。今回は長生きしそうだから、また会うのは八十年後位かな? ま、それじゃ行ってくる」
「そうですか。行ってらっしゃい、トリプ」
いつものように微笑む女神様の顔を目に焼き付け、俺は目を瞑る。
そして、開いた先は――
◇ ◇ ◇
「またトリプ、行っちゃいましたね......はぁ、寂しいです......この三十億年、一度も上位神さん達からの使いも無いですし......一体いつこんな生活が終わるんでしょうか......? 今はとにかく、トリプに期待するしかありませんね......」
俺は何故あの時、俺の力、《ワールドトリッパー》は世界の隔絶を越える事が出来るのか、どうしてこの世界は限りなく『無』に近いのか......そういう大事な事を聞かなかったのだろうか。
......だが、それを聞いていたところで、何かが変わった訳でも無かったのだろう。俺には世界を跨ぐ事......ただそれだけしか、出来ないのだから。




