プロローグ 始まりの世界
もう今となっては思い出せない。どうして俺は死んだのだろうか。でも、これだけは覚えている。そう、あの時俺は、『死にたくない』と、心から願ったのだ。
◇ ◇ ◇
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
俺はまだ二十歳にもなってねぇんだぞ!? まだ女の子と付き合った事もねぇんだぞ!? 酒だって美味しく飲んだ事もねぇんだぞ!? 仕事だってした事ねぇんだぞ!?
嫌だ!! まだ俺は死ねない! 死にたくない! 俺にはまだ先が、未来があるんだ! それをこんな、こんな終わらせ方をされて......納得出来るものか!!
「俺は生きる!!」
「そうですか」
「女の子と遊んで、友達と酒飲んで、ちゃんとした仕事に就いて、充実した人生を送るまで、俺は死なない! 死ねない!」
「そうですか」
「だから、今聞こえる女性の声も、死神のとかそういうのじゃなくて、きっとただの幻聴か、俺に生き返るチャンスを与えてくれる神様の声のどっちかなんだ!!」
「半分当たり、半分外れってとこですね。まぁいいです。目を開けて下さい。あなたには私が見えるはずですから」
今聞こえる声は一体誰のものなんだ。そう思いつつも、俺は頭の中に直接響く、鈴のような女の人の声の指示に従い、ゆっくりと瞼を開けた。そこには――
「――こほん、見えますかー? 大丈夫ですよね? どこかおかしい所とかあったら言って下さい。なるべく対応しますので」
女神様が居た。
「あ......あぁ......」
俺は小さく口を開き、掠れた声を出す事しか出来ない。何故なら、目の前に居る女の人は何処までも美しく、とても人間ではあり得ない神々しさを感じさせる風貌だったからだ。
姿は裸体。しかしその体のほとんどは隠されて見えない。彼女は、光の服としかいえないような、白く輝く光を身に纏っているのだ。しかし、それを直視しても全く目が痛く無いのだから、不思議な光だ。若干透けて奥が見えないでも無いが、しっかりと細部を識別出来る程ではない。要するに、あれだ。なんか、凄いエロい。髪の色は眩しい程の銀髪で、こちらを見つめる碧眼は蒼穹のように澄んでいる。
俺はこの時、この人に勝る美しさを持つ人物は、未来永劫絶対に現れないだろうと思ったのだ。だが、例えそうであったとしても、この状況は......
「あ、あの……近すぎません?」
近い。非常に近い。もうお互い息がかかるレベルに近い。さっきから俺の心臓バクバクでやばい。まだ人生経験の足りていない俺には厳しすぎる状況だ。いや、こんな超絶美人にこんな近距離から見つめられて正常な精神を保てる奴がいるはずがない。というか、声を出せただけ俺はまだマシだ。人によっては発狂してそのまま抱き付く事もあり得る。
「え? ......あ! ごめんなさい。人間と接するのは凄く久し振りなもので......すいません。距離感が掴めませんでした」
女神様は顔に一瞬疑問の表情を浮かべ、少ししてから小さく声を出し、少しだけ距離を取ってからペコリと頭を二度下げた。その動作すら輝く一枚の画に見えた俺は、恐らくは赤くなったであろう顔を女神様に見せないために顔を背ける。
......もうこんな事を言っても遅いが、あのままの方が良かったかしれない。
「いやいやいや、駄目だろ俺。目が覚めたら目の前に絶世の美女......あれ、良く見るとまだ幼いな。高校生くらいか? 君、いくつ?」
自分の中で浮かび上がった考えを即座否定しつつ、俺は例の女神様をチラ見し、その女神様が自分より背が低く、顔も何処かまだ少女っぽさを出しているものだという事に気付いた。あまり顔から下は見ていない、というか見ると色々危険なので見ていないが、一瞬、ほんの一瞬、本っ当に一瞬だけチラッと見た感じでは、胸の膨らみもほぼ無いように見えた。もう一回、確かめて......はっ、俺は何を考えているんだ!? 消えよ邪念!
「うーん、十万を越えた辺りから数えて無いですねー......世界って凄くてね、どんな世界でも、時の刻み方って一緒なんですよね。幾つも数の数え方覚えなくていいから便利でいいかなーって思ったり......」
俺が自分の中に居るもう一人の自分と戦っている間に、女神様はさっきの俺の質問に答える。しかし、未だに戦闘を続けている俺はその言葉におかしな点が幾つもあった事に気付かない。
――彼女は裸だ。見たくないのか?
「くそ......やめろ! 出てくるな! 俺がそんな事を考えているはずがない!」
――どうして? 俺が出てくるって事はお前は本当は見たいって事だろ?
「ちが......う......俺に、俺に話し掛けるんじゃねー!!」
消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念「う......ぐす......」消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念「ずびばせん(すいません)わだじ、ぞんなにあなだをぎずづけて......(私、あなたをそんなに傷付けて......)」消えろ邪念消えろ邪念消えろ邪念......ん?
「あぁ! 違うんだ、これはその、君に向けた言葉じゃなくて、俺が俺自身に言い聞かせる為の言葉というか、えっと、その......」
どうやら俺は女神様を泣かせたらしい。っていうか、泣いてる。見た目以上に精神的な年齢は幼いようで、俺の言葉を自分向けた言葉だと勘違いし、傷付いてしまったようだ。当たり前だ。この場には俺と女神様の二人だけしかいなくて、俺の言葉は全て女神様に向けられた言葉と捉えるのが普通なのだから......この場?
「わ、わだじに怒ってたん」
「ここ何処だよォォォォ!?!?」
「今度はむじざれまじたあぁぁ(今度は無視されましたぁぁ)!!」
笑顔に戻りかけた顔を再び歪めて女神様は泣き始めた。しかし、そんな事……詳しく言うと超可愛い美少女が自分のせいで泣いていたとしても、俺はそれを無視して叫ぶ事が出来た。こう言ってはなんだが、当然だ。俺は訳のわからない空間に居たのだから。
三百六十度何処からどう見ても白。ここには白しかない。自分の立つ影すら見えず、それどころか自分が立っている場所は何処なのか、そもそも地面はあるのか、というか俺は落ち続けているんじゃないのか......という錯覚に(錯覚かどうかは分からないが)囚われる。今、この世界を構成するのは、白と、女神様と、そして俺しかいない。
「体は......ある、よな。手足が動く感覚はあるし、あるべき場所にちゃんと体のパーツが揃ってる。良かった......これで精神体だけとか言われたらどうしようかと思ってた所だぜ......」
とにかく、こんな場所が俺の生きていた場所にあったとは思えない。多分ここは死後の世界、天国って所だろう。天国は大きな花畑があるとか聞いたが、とんだ大嘘だったな。しかし、あそこまで俺は死ぬのを嫌がってたというのに、いざ死んだと分かるとあっさりしたものだ。
「うび……ぐず……」
「あ、ごめんごめん! 自分を取り巻く状況に混乱しすぎてた! えっと……大丈夫か?」
自分の置かれた状況をやっと理解した俺は、まだ泣き止まない女神様(今更だが俺が彼女を女神様と呼んでいるのは、一目見た瞬間に俺が完全に見た目で女神様だと決めてしまったからである)に言葉を掛けた。さっき無視したのは全面的に俺が悪いので、出来れば怒らないでくれるといいのだが。
「そう……ですよね……ぐすん、いきなりこんな訳分からない場所に飛ばされて、普通でいられるはずありませんよね。はい、もう大丈夫です。さっきはごめんなさい」
まだ会って十分も経っていないのに、女神様はもう三度も頭を下げている。こんなに綺麗なのに、性格もここまで出来ているなんて、なんて素晴らしいのだろう。
ただ、やはり見た目以上の幼さが垣間見える事はあるのだが。
「あぁ、いや、そんなに謝らなくてもいいんだ。元々、俺が変な事言い始めたのが駄目だったんだし。それよりも、聞きたい事があるんだ」
まぁ、これ以上彼女の人間性について話していても仕方がないだろう。とにかく、今重要なのは状況の把握だ。見た感じ、彼女は俺と同じ死者ではないっぽい。さっきは無視してしまったが、彼女は十万年以上の時を……にしては精神年齢が低すぎるような気もするが、一応過ごしていると言っていたし、現状を把握するのならば、彼女に聞くのが一番だろう。
「はい、なんですか?」
まだ目の辺りが腫れているような気もするが、もうすっかりけろっとした様子で女神様は俺の質問に答える意思を表した。
その態度に若干ほっとしつつも、俺は一つ目の質問を切り出す。
「一つ目、ここは何処だ? 俺は死後の世界、天国だと踏んでいるんだが」
「あぁ、あなた達の世界では、死んだ後には天国と地獄というもう一つの世界が広がっているという話でしたね。はい、その認識で間違いはありません」
少し言い方に含みのある感じだったが、ひとまずはその事に触れずに俺は半ば確信している事の確認をする。
「つまり、俺は死んだのか?」
「そうですね」
「………………」
「ショックですか?」
「いや、思ったよりもショックじゃない事がショックでな……俺はあんなに死にたく無かったっていうのに……もしかしたら、死んだ後にこんな可愛い娘と会えたからなのかもな」
実は、後半はほとんど嘘ではなくて、俺の本心だ。もしあんな死に方をした後に、たった一人でこんな場所に放り出されたら、俺は狂乱していてもおかしくない。だから、例え一人でも、この場に俺と話せる人が居てくれた事が俺は嬉しかったのだ。
しかし、それにしても大抵の女性は後半の言葉をお世辞と受け取り、適当に流すはずである。だというのに、彼女は受け取る方もいささか正直過ぎたようだ。
「ほ、褒めても何も出ないんですからね! 私は神様ですけど、あなたにあの『力』以上の能力を授けるのは不可能なんですから!」
腕を組み、真っ赤に染まった顔を背けながら彼女はツンツンし始めた。やはり話す内容に色々引っ掛かるとこがあるが、そもそもこの場所にどれくらい留まれるか分からないのだ。どちらにしろ彼女の正体は聞こうと思っていたし、今はこちらの質問を優先させるべきだろう。まぁ、物凄く可愛いので、かなり俺の口調も辿々しくになるのだが。
「お、おう、そうか……いや、ざ、残念だなぁ。ま、まぁこの話は置いといて……こほん、では二つ目の質問だ。君は一体誰なんだ?」
「私ですか? なんと、私は様々な世界を見守るめが……さて、誰だと思います?」
ほとんど自分で答えを言って置きながら、急に悪戯っ子っぽい笑みを浮かべて女神様は聞いてきた。まぁ、小悪魔系の可愛い女の子にしか見えないのだが。しかも指を口元に当てているのだから尚更だ。と言っても、そろそろ俺も慣れてきたので普通に答えるとしよう。そう、普通に。
「女神」
「なんでっ!?」
「いや自分で女神の『めが』まで言ってたし」
やっぱりというかなんというか、俺の予想は当たっていた訳だ。けれども、自分の予想がまさか当たっていたとは、若干驚きでもある。しかし、俺はそれを顔に出さないように心掛けた。実は一目見た時から女神様のようだと思っていました、なんて恥ずかし過ぎるし。それじゃあまるで一目惚れじゃないか。間違ってはいないけど。まぁ、そもそも死後の世界にいる人なんて、悪魔か死神か天使か神様くらいだろう。彼女が悪魔とかそっち系統でない事は見た目でほぼ明白なのだから、ほぼ二分の一の確率だった訳だ。そう考えれば一目で女神様だと思ったのも不思議ではない。
「うぅ……失敗しました……次からはもっと分かりにくい問題を出しますからね!」
女神様は本当に悔しそうに顔を歪め、少しこちらを上目遣いで少し睨み付けながら言った。やはりその表情も可愛いのだが......
「そ、そうですか…………『次』?」
しかし、俺は気付いた。彼女口から決して聞き流せないキーワードが出た事に。
『次』。彼女はそう言った。間違いなく。その言葉こそ、俺が最も気にかかっていた問題の根幹に関わる言葉だ。
「今、次って言ったよな!? 俺はどうなるんだ!? なんか、記憶失ってまた赤ちゃんになったりするのか!?」
正直、俺はまだまだ生きていたかった。だが、死んでしまったからには仕方がない。けれども、なんとかして俺はもっと俺の人生を生きたかった。しかし、彼女は言ったのだ。『次』と。ならば、俺にも『次』があるという事ではないのか。それを確かめたい一心でずいずいと互いの距離を縮める俺に、女神様は焦った風に言った。
「そ、そんなに詰め寄らないで下さい……心配しなくても、あなたは記憶を失ったりとかはしませんよ。ただ、転生はしますけど……」
? 記憶は失わないが、転生はする? つまり、記憶を保持したまま生き返るって事か? しかし、それはかなり世界の理に反する事のように思える。まぁ、その言葉に安心してしまった俺が言える事ではないが。矛盾した考えなので口には出さず、一人で考える俺に女神様は問いかける。
「あなたが死にたく無いって思ったのは、まだ人生を満喫してなかったからですよね?」
「あぁ、そうだ」
俺は迷いなく答えた。
「良かった……それならあなたは私が与えた『力』を使おうと思えるはずです」
「『力』ってさっきも言ってたな? 何なんだ、『力』って」
それが、記憶を保持したまま生き返る力って事なのだろうか。だとすれば、俺はその力を——
「——《ワールドトリッパー》、死ぬ度に別の世界で転生する力。それが、私があなたに与えた力です」
「その力、ちゃんと俺の記憶は引き継がれるのか? 死ぬ度に転生って事は、俺は無限に生き返る事が出来るのか?」
「両方とも、イエスです…………この力、使ってくれますか?」
「嫌だって言っても、もう拒否権はないんだろ?」
「あれ、気付いてましたか。ごめんなさい、魂ごと死にそうだったあなたを助けるには、この手段しか無かったの。でも、きっとあなたなら……」
「全く、悪い女神様だ。でもまぁ、悪く無い。そうだな——」
目を瞑り、上を見上げる。きっと目を開けば、そこは別の世界だろう。だからせめて今だけ、俺は前の世界の記憶を思い出す。
優しかった母、厳しかった父、可愛かった妹、俺を支えてくれた親友、俺にいろんな事を教えてくれた先生、様々な人物との思い出が駆け巡り、もう一度正面を向いて目を開く頃には、俺の覚悟は決まっていた。
「——使うよ、この力。ありがとう、女神様」
「そうですか」
変わってゆく世界の中、笑う女神様のそんな声が、聞こえた気がした。




