卑屈な救世主・3
「こ、これが宇宙船……」
薄暗い森の中、舞子は目の前の巨大な物体を眺め、呆然と呟いた。
銀色の円盤。まさしくUFOと呼ぶに相応しい乗り物。
「大人二人、寝泊まりできるくらいの広さがあるんだ。僕達は舞子ちゃんを探しに来てから一週間ちょっと、ここで生活してるんだよ」
確かに、彼らがどこで寝泊まりしているのか疑問ではあったのだが。それにしてもいくら森の奥とはいえ、よくこの宇宙船は今まで人に見つからなかったものである。
プシューッと音を立てて、銀色の円盤の一部が開かれた。
「さあ、舞子さま。どうぞ乗って下さい」
舞子はジオに促され、恐る恐る円盤に乗り込む。
中は意外に普通だった。十五畳くらいの広さで何の飾り気もないシンプルな部屋。二段ベッドにテーブルに冷蔵庫など、必要最低限の家具だけが置いてあり、簡易キッチンも設置されている。
「お風呂とトイレもあるから安心してね。でも……ベッドは二つしかないから、舞子ちゃんは僕と一緒に寝てもらおうかな」
「………………え」
セイガの無駄に輝かしい笑顔を見てぽかんとする。
一瞬何を言われているのか理解できなかったのだが、彼の『一緒に寝てもらおうかな』という言葉を、頭の中で何度も反芻してようやく理解する。
――これがセクハラというものか。
舞子は初めての体験に恐れおののいた。
しかしその言葉を本気で受け取るほど、舞子は自分に自信がない。だから冗談だろうと理解はするのだが、なにぶん耐性がないのでどう反応するべきかわからない。
そしてやはり冗談だとわかっていても、そんな恥ずかしいセリフを言われてしまえば、多少なりとも顔が赤くなってしまうのは生理現象なので仕様がない。
「可愛いなあ、舞子ちゃんは」
クスクスと笑われ、非常に不愉快な気分になる。
「セイガ! お前はまたそんなくだらない冗談を!」
「またまた。ジオも舞子ちゃんと一緒に寝たいクセに」
瞬間、ジオと視線がばっちりと合う。
が、お互い思い切り視線を逸らした。
「お、おま! 何を……!?」
顔を真っ赤にして突っ掛かるジオだが、セイガはどこ吹く風といった様子で惚けた顔をしている。
こんな地味女のことでからかわれて申し訳ないと、ジオに心の中で謝罪してしまった。ジオは咳払いをして、こちらを振り返る。
「ま、舞子さま……安心して下さい。おれ達の星には一時間もあれば到着するので、そういった心配は無用です」
一時間。長いような短いような。宇宙の距離などわかるわけもないので、とりあえず頷いておく。もとより心配はしていない。
ジオはそのまま舞子を奥の部屋――操縦室へと連れて行った。正面はガラス張りになっており、外がよく見える。今は木々しか見えないが。
ジオは右側の操縦席に座り、左側の席に座ったセイガに手招きされる。
「舞子ちゃんは真ん中の席ね」
そうは言うが、間は座席がない。
と思ったら、その間の床がプシュッと音を立てて丸い穴が開き、なんとそこからイスが飛び出してきた。
驚くべきハイテク仕様。
「ちょっと狭いですが、ご勘弁を」
狭いのは問題ではないが、男の人の間に挟まれるのはできれば勘弁したいものである。
しかしそんな我が儘を言えるような状況でもないので、やむなく席へと座る。シートベルトを着けるよう促され、「出発しますよ」とジオがエンジンを掛けた。
見る間に景色が青空へと変わり、舞子は無意識に手に力が入る。
「少しだけ揺れるので、しっかり捕まってて下さい」
ジオが何やら操縦席にあるパネルをピピッと操作した瞬間、青空だった景色が真っ赤に染まる。全身に重圧も感じ、ガタタッと揺れたかと思うと、真っ赤な景色が今度は真っ暗闇へと変貌した。いや、暗闇ではなく、チラチラと大小の様々な大きさの球体が輝き浮いている。
まるで映画やプラネタリウムで見たようなその景色は――
「う、宇宙……?」
「大正解」
固まる舞子を見て、セイガは楽しそうにウィンクした。
そこかしこにある球体の正体は星かと息を呑む。
「二人は本当に……宇宙人、なんですね……?」
ここまで来てようやく、夢でも嘘でもなく非現実的な状況に立たされているのだという実感が湧いてきた。
「少しは信じてくれたみたいだね。だったら、僕達の星に着く前に、現状について少し説明させてもらおうかな」
現状の説明――救世主の自覚がどうだとか、星を救えだとかのことだろう。
「まずは僕達の星――シロ星のことから説明しよう。文明は、こと宇宙に関しては、地球よりも遥かに進んでいるよ。この船を見てくれれば一目瞭然だろう? でも残念ながら基本的な文明力はかなり遅れている。舞子ちゃんが見たらきっと、タイムスリップでもした感覚に陥ることは間違いないよ。何てったって、日本の江戸時代あたりを模倣しちゃってるから」
「な、何故……?」
「先駆者達の趣味としか言いようがないね」
セイガは苦笑いを浮かべる。
「よく他の星から刺客が潜り込んでくるから戦うのが日常茶飯事で、とても平和とは言いがたい星なんだけど、その分、シロ星人は結束力があるし、いい人達だからとりあえず安心してね」
大いに不安だ。
というか、他にも宇宙人がいる星が存在することに驚く。
「でも最近、かなり厄介な奴らがシロ星に現れたんだ。それが――〈ダーク星人〉」
悪者を全面に押し出したような名前である。
「〈ザ・宇宙人〉って感じの気味の悪い奴らなんだけど、これが本当に強いんだ」
「……攻めてきたんですか?」
「うん。ダークスモッグとかいうのでシロ星を覆ってしまって、太陽が見えなくなってしまった。まだ完全に覆われたわけではないけど、作物も育たないから、このままなら僕達は死ぬしかなくなってしまう」
太陽がないと生きていけなくなるのは、地球と同じらしい。
淡々と語るセイガだが、ふとジオを見れば、その表情は暗い影を落としていた。
「すでに何人かのシロ星人がダーク星人と戦ってコテンパンにやられた。ダーク星に向かった人達も行方不明になっているし、今のシロ星の戦力では奴らには敵わない。何を考えているのか、ダークスモッグがシロ星を覆い尽くすまで、僕達を全滅させる気はないらしいけど」
「その、ダーク星人の目的は……何なんですか?」
シロ星を従えたいのか、破壊したいのか。
「それが一番わからないんです」
ジオは宇宙船を操縦し、正面を見たまま言った。
「実を言えば、ダーク星は突然現れた未知の星なんです。確実に今まで存在しなかったはずなんです。発見したダーク星はシロ星とそんなに距離も離れてません。存在していたなら、こちらが認識していないはずがない」
「……そうなんだよな。突然現れて、突然シロ星を攻めてきた。他にももっと近くに生命体がある星はたくさんあったはずなのに、他の星を襲ってる様子もない」
頬杖をついてセイガは少し素を出しつつ外を眺める。
「……ま、今そんなこと考察したところで無意味か。ジオ、予言の書について説明してあげろよ。お前のほうが詳しいだろう」
シッシッと犬でも追っ払うかのように手を払い、ジオに促す。
ジオは軽く舌打ちしたのだが、すぐ咳払いをして舞子にチラリと視線を送ってきた。
「シロ星には、〈予言の書〉というものを代々引き継いできた家系がいるんですが、その本には〈救世主様〉のことが書かれているんです」
何のことだがさっぱりである。
「予言の書と言いつつ、内容は主に大昔に現れた救世主様のことが書かれているんですが――シロ星が危機に陥った時、必ず救世主様が現れ助けてくれる。だからその時は、救世主様の力を求めよ――とその本には記されています」
「はあ……」
相槌を打つことしかできない。
「シロ星には何回か救世主様が現れているんです。百年単位とかそれこそ千年単位だったりしますが……少し揺れますよ」
宇宙船を大きくカーブさせた為、体が少し横にずれる。
「救世主様はこれまでに五回現れていますが、全て別の人物です」
きっぱりと言い放った。
「それはどういう……」
「救世主様の力は全て、初代の力なんです。初代救世主様はシロ星人だったらしいですが、亡くなる前にその力だけを転生させることにしたそうです」
途端、セイガに背中をポンと叩かれる。
「それが回り巡って舞子ちゃん。今回は君に、その力が引き継がれたってわけさ」
まるで自覚がないのに、そんなことを言われてもまったくピンとこない。
「何で……そんなことがわかるんですか」
「初代救世主様の子孫は、その力を感じ取ることができるからです。ただ、その……」
ジオは何か逡巡するように舞子を横目で見た。先程までハキハキと説明していたのに、急にどうしたというのか。
するとセイガは「ジオ」と少し強めに言葉を被せた。
「一度に色々言っても舞子ちゃんも混乱するだけだ。今はその説明だけで十分じゃないか」
ねえ、舞子ちゃん――ニコリと甘いマスクで微笑まれる。
そう言われてしまえば、舞子も頷くしかない。話についていけないのは事実なのだから。
しかし、ジオの態度は気になる。それに本当に自分が救世主なのか、はっきり言って何一つ自信はない。例え本当に救世主だとしても、ダーク星人と戦わなければならないということだ。
そんなこと、絶対にできないと断言できる。
「何かの間違いってことは、ないんでしょうか……?」
「それはありません!」
予想以上のジオの大きな反応に、舞子はびくりと肩を揺らした。「す、すみません」と謝られる。
「でも――舞子さまは、本当に救世主様の力を持っているんです」
真剣な瞳で見つめられ、思わずごくりと息を呑んだ。
萌葱色の瞳と視線を交わし、綺麗な色だと思うのも束の間、自分の頬が一気に熱くなるのを感じた。
慌てて視線を外し、ふと前を見れば、徐々に大きくなる灰色の球体が一つ。
このままでは――ぶつかる。
「ジ、ジオくん、ま、前!」
「え!?」
「うわ、馬鹿!」
ジオと身を乗り出したセイガは、ハンドルを思い切り回す。
宇宙船は大きく右に曲がり、間一髪で灰色の星を回避した。
ぜえぜえ、と息切れする二人。舞子も放心状態になる。
「ジオ、てめえ、俺達を殺す気か……!」
「わ、悪かった……いや、お前は死んでもよかったが」
さらりと酷いことを言い放つジオ。
「いい度胸だ。それは喧嘩を売ってるってことだな、ああ?」
額に青筋浮かべ、セイガはすっかりと爽やか好青年の仮面を外してしまったようだ。 まあそれはどうでもいいのだが、間に挟まれているこちらの気持ちも汲んでほしい。
「でもやっぱり……私は救世主なんかじゃないよ」
言い合う二人の間で、舞子は俯き呟くのだった――