卑屈な救世主・1
「あ、あの、おれ! あなたに用事があるんです!」
目の前に突如、恐らく自分と同年代だろう男の子が現れた。
萌葱色の髪と瞳。オレンジ色の大きめのジャンパーを羽織った少し異質な少年。七月にしてはかなり暑そうな格好である。日本人顔ではあるのだが、髪と瞳の色からそうは思えない。もちろん、髪は染めて瞳はカラーコンタクトをしているという可能性は十分にあるのだが。まあそんなことは、今の彼女にはどうでもよかった。
――用事って、何でしょう……?
何一つ言葉を発することができずに心の中だけで問い返す。同年代の男の子から話し掛けられたという驚きで思わず硬直してしまったのだ。
そんな彼女――笹森舞子には友達がいない。
原因を挙げるとするならば、まず一つに両親が小学校一年生の時に火事で亡くなったことだ。幼い舞子はショックからなかなか立ち直ることができず、随分と性格の暗い子になってしまった。自分の意見がはっきり言えず、友達の輪の中にも入れなくなり、ついには登校拒否となる。しかし両親の代わりに面倒を見てくれていた祖母のおかげで、少しずつ舞子は元気を取り戻していった。学校にも通うようになったのだが、両親のいない舞子は周りから浮いていた。結果、苛めに会い、そこで悟った。自分に優しくしてくれる人間は肉親の祖母しかいないのだと。
それから舞子は一人で生きることを決めた。高校二年生になった今も誰一人友達を作っていない。「どうせ私なんて――」が口癖になってしまった。無駄に伸びきった長い黒髪をおさげに結い、前髪も目が隠れるくらいに伸ばしている。至って地味な格好と地味な生活を送っていた。
現在は苛めを受けていないので、女子生徒とは多少の挨拶くらいはするのだが、男子生徒とはほぼ皆無と言っていいくらい会話をしていない。基本的にまだ子供っぽさが抜けない彼らが苦手だった。
だから、同年代の男の子が自分に話し掛けてきても、対処の方法が舞子にはわからなかった。もっとも、彼のことはまったく見覚えがないので、突然そんなことを切り出されれば、誰でも硬直して当然かもしれない。
ちなみに今は学校が終わり、家へ帰ろうとのんびり歩いていたところである。
少年はしばらく無反応な舞子の様子を伺うようにしてから「笹森舞子さん……ですよね?」と、少し不安そうに問うてきた。
その言葉に息を呑む。見知らぬ人間に名前を指摘されたからだ。
もしかして同じ学校の生徒なのか――
疑問に思いつつも、やはり言葉が出てこない。少年は困った顔で「驚かせてすみません」と、頭をぺこりと下げた。
「あ……えと……」
掠れた声で、なお言葉に窮していると、
「おれはジオ――福武ジオって言います」
彼が名乗りを上げた。
ジオ――って、やっぱハーフ?
そんな感想は出てくるのだが、どうしたって彼に掛ける言葉は出てこない。沈黙に耐えかねた様子のジオは、何やら大きく息を吸い込み、力強い視線を舞子に向けてきた。
「実は折り入って頼みたいことがあるんです」
あまりにも真剣な表情なので、一歩後退る。が、ジオも一歩踏み込んでくる。
「お願いです! どうか、おれ達の星を救って下さい!」
瞬間、舞子は目を点にした。
不審者――
思い浮かんだ言葉はその一言。何かの宗教の勧誘だろうか。過去の境遇からまったく信仰心など持ち合わせていない舞子は、とにかくこの場から離れなければいけないと即座に判断した。
「ご、ごめ……なさ……!」
掠れた声で謝罪の言葉を残し、舞子は踵を返して一心不乱に駆け出した。何やら後ろで叫ぶ声が聞こえたが、構わず家へと方向を定めたのだった。
息を切らし、辿り着いた我が家を見上げ、舞子はほっと一息ついた。築二十年の古い瓦屋根の一軒家。ここに入ってしまえば、自分の陣地。誰にも侵されることのない唯一安心できる居場所だ。
鍵を鞄から取り出し、扉を開ける。
「ただいま……ん?」
玄関に入ると、何やら見慣れぬ靴が一つ。少し変わったデザインの白い革靴だ。男物のようである。
舞子の家にお客が来ることはほとんどない。あったとしても祖母の友人くらいである。こんなハイカラな靴を履くような知り合いなど、まったく身に覚えがなかった。
何やら嫌な予感を胸に抱きながら、中へと入っていく。
お客がいるだろう居間を恐る恐る通り過ぎようとした時、襖が開いた。
「舞子、お帰り」
白髪の混じった髪の毛を一つにまとめてエプロンを身に付けた女性。祖母――伊代だった。年齢よりもずっと若く見える快活な笑顔を浮かべている。舞子はこの伊代の笑顔にいつも救われていた。
「おばあちゃん……」と呟き、再びほっと一息つく。
「お前にお客さんだよ。連城君って、学校の先輩なんだろう?」
「え……」
安堵したのも束の間、まさか自分の来客だとは何一つ予想していなかった為、瞬時に不安が襲う。
というか、先輩なんぞに知り合いは誰一人としていない。
しかし伊代は何食わぬ顔で戸惑う舞子の肩を引き寄せる。そして居間へと放り込まれる直前、「お前と大事な話がしたいんだってさ」と、ニヤリと笑った伊代が耳元で呟いた。
訳がわからないまま襖が閉じられ、彼女は行ってしまう。
ビクビクしながら部屋の中を振り返ると、ちゃぶ台の前に一人の青年が正座し、優雅な仕草でお茶をすすっていた。彼もこちらに気付いたようで、視線が交わる。
「やあ、君が舞子ちゃんだね」
パッと表情が明るくなり、キラキラした笑顔を向けてきた男は、馴れ馴れしくも下の名前を呼んできた。
少し年上だろうか。薄いブルーの瞳とサラサラとした髪。とても綺麗な顔立ちをした男は、この畳の部屋とは場違いな、これまた変わったデザインの白いスーツを身に纏っている。
「あ、失礼。僕の名前は連城セイガ。気軽にセイガと呼んでくれると嬉しいな」
ホストみたいな名前――
そんな感想が頭を過り、本当にホストなんじゃないかと訝しむ。
「あ……の、うちの学校の生徒なんですか?」
「ははは、違うよ。嘘も方便って言うだろう。僕、十九才だし」
な、何を堂々と白状しているんだ。何故、そんな嘘を――
「お祖母さんには迷惑掛けないほうがいいと思って、ね?」
キラキラだと思っていた笑顔は、瞬時に黒い笑みへと姿を変える。舞子は逃げ出したい衝動に駆られた。
「逃げようとか思わないでくれよ。お祖母さんが大事ならね」
き、脅迫――!
「い、一体何なんですか!」
「声大きいよ、そんなに興奮しないで」
したくてしているのではない。
「まずは、ここに座りなさい」
まるで自分の家のような物言いに、少しでも反抗する意思を示そうと、舞子は彼と十分に距離を取って正座した。
「遠いよ、舞子ちゃん」
「話すには問題ない距離かと思います……」
セイガは肩を竦める。
「まあ、いいや。色々説明しても、君は信じないだろうと思うから、簡潔に話すよ」
ぜひそうしてほしい。長々と話したくない舞子はコクコクと頷いた。
「要は舞子ちゃんに、自分が救世主だってことを自覚してもらって、僕達の星を救出してほしいんだよ」
セイガが爽やかに答えた。
な――何の話だ。
ふと先程の萌葱色の少年を思い出す。彼も何やら『救って下さい』とか何とか言っていた気がする。
「ま、まさか……グルですか……!」
思わず口に出る。
一瞬不思議そうな表情で首を傾げていたセイガだったが、すぐに「ああ――」と冷めた口調で言った。
「ジオと会ったのか。その様子だと、あいつから逃げて来たんだろう? ……俺の言う通りにやればいいものを」
一人称が変わっている。いわゆる二重人格だと舞子は思った。こういう腹黒い性格の持ち主は信用しないに限る。上辺の優しさに騙されて陰で悪口を叩かれていた、なんてことは何度も経験しているからだ。
セイガはすぐに腹黒い表情を切り替え、また眩しい笑顔を向けてきた。
「舞子ちゃん、あいつのことは気にしないで。まずは僕のことだけ考えてくれる?」
何だか傍から聞いたら、とても恥ずかしい台詞な気がする。
「いや、その……」
「君に拒否権はないよ」
笑顔のまま、目を細めて睨まれる。
ここで逆らっても意味はないのだろう。舞子は「はい」と弱々しく答えた。
彼はブルーの髪を掻き上げて満足そうに微笑む。香水だろうか、何だかいい香りも漂ってくる。きっと世の女性が見たら黄色い悲鳴が上がるに違いない。舞子でさえ、見惚れそうになるのだから。自分を脅そうとしている人物にも関わらず。
「ここで一から説明してもいいんだけど、絶対信じてくれないだろうから。……舞子ちゃんの学校、もうすぐ夏休みなんだろう?」
「……そう、ですけど」
嫌な予感しかしない。
「まずは僕達の星に来てもらう。そうすれば嫌でも信じられるだろうし」
「あ、あの……ずっと気になっていたのですが……」
舞子は自分の長い前髪の隙間から覗くように、恐る恐るセイガの綺麗な顔を見上げた。
「あなた達は……う、宇宙人だとでも言うのでしょうか?」
彼らが言う〈星〉という言葉が、地球人ではないと主張しているようだった。
セイガは「そうだよ」と事も無げに頷く。
肯定されるとは思っていたが、こうもさらりと言われると言葉をなくしてしまう。
「信じられないんだろう? わかってるよ。だから、君をまず僕らの星に招待したいんだ。夏休みが始まったら迎えに来るからね」
……どう聞いたって怪し過ぎる。これは警察に通報するべきなのだろうか? 変なところに拉致されたら嫌だ。舞子は胃が痛くなってきた。
するとセイガはすっくと立ち上がり、舞子の隣に屈んで耳元に顔を近付けてきた。逃げないようにする為か、がっしり腕を掴まれる。もとより、男性にこんなに近付かれたことのない舞子は、固まってしまって逃げようにも体が動かないのだが。
「再度の忠告だ。お祖母さんが大事なら、変なことは考えないほうがいい」
ぞくりと悪寒が走る。吐息がくすぐったいというのもあるのだが、それ以上に彼の腹黒さが全身に伝わってきたせいである。
「は、はい……」
素直に返事をするしかなかった。舞子にとって、伊代は唯一無二の家族。彼女がいなくなれば、舞子は本当に孤独になってしまう。そうなるくらいならば、自分が犠牲になったほうが何倍もマシかもしれない。
セイガは腕から手を離すと、途端に困ったように笑って舞子を見下ろした。
「ごめんね、舞子ちゃん。少し強引過ぎるとは思うんだけど、僕達の命が懸かっているから」
そんな切なそうな笑顔を向けられても、脅迫されているという事実は覆らない。
「それじゃあ、また迎えに来るから――」
舞子の頭をそっと撫で、セイガは部屋を出ていく。襖が閉じられた瞬間、大きな溜め息をつき、床に両手をついた。
一体、彼は――いや、彼らは何者なのか。とてもじゃないが、宇宙人なんてものを信じられるわけがない。
だけど――逆らうわけにはいかない。
舞子は混乱する頭の中、伊代に彼のことをどう説明したものかと悩むのだった。