王妃復帰八日目
王妃復帰八日目
「わたくし、今回の事については本当に怒っているのです」
大広間の上座に毅然と立つ王妃エリザベートは隣に息子を、背後に一人の影を従えて並み居る人々に強く言葉を紡いだ。対するのは国王に宰相、騎士団長や大臣、官僚などこの国の主要な人間ばかりである。ほとんどは今回の騒動の原因を聞いてエリザベートに対する態度を改めたが、今まで蔑ろにしてきた人間を見直すことの出来ない連中は「お飾りの王妃がなにを偉そうに」とありありと表情に出しながらこちらを睨んでいた。
「ライ」
「御意」
エリック王子が小さく呼びかけ、背後に控えていた影が応じる。きっと『考えを改めていない人間』のリストを作るように二人で示し合わせたのだろう。ナニこれ、我が息子と配下ながらちょっと怖いわ~とエリザベートは頬を引きつらせつつ、気を取り直して真っ直ぐに前を向いた。
「陛下がわたくしを嫌っているのは判ります。わたくしも陛下を愛しておりませんから、それに関してはどうでもよろしいのです。わたくしに何をしようとも、人格を否定され、存在を無視され、言われなき嘲笑に晒されようともずっと我慢しておりました。ですが」
ここでスッと目を細めたエリザベートに気圧されて一部の者達の身体が揺らいだ。
「産まれてきた子供にはなんの罪もないはずです。遊び相手もなく、従者や教師もつけられずとも文句を言うことなく育ってきたこの子を、わたくしを苦しめるためだけに他国に送ろうとするとは……たとえ犯罪者の子供だろうと、王妃の子供だろうと、子供を道具のように扱う今回の命令だけは許せませんでした」
「陛下を愛していない」という言葉に少なからず衝撃を受けた国王を見て、王子が小さく笑う。そんな二人の様子に気付かないエリザベートは更に続けた。
「ですから姿を消したのです。元々わたくしを疎んじておられた陛下が最終的に許可をだしたのですから、わたくしが姿を消せばエリックを他国に送る話はなくなると思いました。そして飾りとは言え王妃が消えれば混乱するかもしれないと手紙を残したのですが……」
そこでエリザベートは宰相を見た。
「宛名のない手紙は、恐らく貴方が一番に部屋に確認に来るだろうと予測して残したものだったのです。王妃から宰相宛の手紙を残せば後々貴方の不利になるだろうと気を使ったのですが、なぜ中を確認もせずに陛下に渡したのですか? 陛下がわたくしからの手紙など読まぬ事を貴方は知っていたでしょう。手紙には居場所を伏せてはいましたが無事でいることと、今までわたくしが取り仕切ってきた王宮の雑事が書かれてあったのです。あれがあれば今回のような騒動はおきなかったでしょうに」
元から国王など当てにしていないと言い切ったエリザベートに国王は項垂れる。隣の宰相もその通りだったと謝罪した。
「それからギルバート様! 貴方への手紙には全て書いておいたはずです! なぜ騎士団の家族を宥めて下さらなかったのですか。くれぐれも陛下をお願いしますと書いたはずですのに、どうして自宅謹慎になどなっているのですか?」
こちらは更に怒気を強めたエリザベートに驚く一同。今までこんなに感情を顕わにした王妃を見た者はいなかったのだ。だが騎士団長は堪えた様子もなくニヤニヤと笑いながら言い訳した。
「俺に説得は無理だったんだよ。お前はお前が思っている以上に強く民に慕われている。それを自覚するんだな」
親愛を込めた気安い言葉に、それでも貴方ほどの方ならやりようはあったはずだと語気荒く諫める王妃と騎士団長は関係以上に親密に見える。そんな二人になぜか居心地悪そうにしていた国王が割って入り、「他に言いたいことがあるなら言っておけ」と続きを促した。
「では言わせていただきますが……外務大臣。貴方が着ている服はわたくしがトラルに頼んで考えて貰ったものですの。妊娠中にあまりお腹の目立たないような服を注文して、試行錯誤を繰り返して出来上がったものですわ。それを紳士用に変更したものがその服なのです。『陛下に愛される側妃様を妬んでクラインフィルド公爵家の権力を使った』わたくしのお陰で、貴方様のふくよかな身体が服で隠されているのですよ」
恰幅のいい男性が驚いて顔を上げた。十日ほど前の会議での国王の機嫌を取った発言が筒抜けてあったという事実に顔が青ざめていく。
「それに財務大臣。貴方が必要だといって、来客の滅多にない大臣室を改装させた予算を医療技術発展にまわせば、もしかしたら貴方が常に帽子の下に隠している秘密も改善されるかもしれませんのに。それから――――」
「もういい」
主に自分が責められると思っていた国王はここでも肩すかしを食らい、いかに王妃にとって自分がどうでもいい存在なのかを思い知った。
「……お前は権力があるわけでもなく、私に疎まれていると判っていながらなぜ王妃の座にいたのだ」
エリザベートが王妃の座にしがみついていたのは、少なからず自分に気があるからだと思っていた国王が理解できないと呟くと、彼女は小さく首を傾げてなんでもない事のように答える。
「わたくしが王妃の座にいたのは病床の前国王陛下に頼まれたからにございます。……陛下が結婚相手にと連れてこられた側妃様の爵位が低く、恐らく王宮の細々とした雑事どころか王妃の責務すら判らないだろうと前陛下は心配しておられました。その点、わたくしは子供の頃より王宮に出入りし、前王妃様が亡くなられてからは下働きの者達の声を前陛下に届けておりましたので、陛下がお気づきにならない王宮の雑事をこなすことができると判断されたのでしょう」
そこで小さくため息を吐き、エリザベートはやんわりと隣に立つ息子の耳を塞いだ。
「長くて五年、仮の王妃をする予定でございました。前陛下ともそのような取り決めになっておられたはずです。結婚も初夜も納得はしておりましたが、まさか子供が出来るとは思いもしませんでした。もう少し計画性と堪え性を持っていて下さると思っていたのですが、陛下も意外と若かったということなのでしょうね」
子供に聞かせることのできない話を終え、それでも国王を責めることのないエリザベートの告白は続く。
「私が仮の王妃をしている間に陛下がお連れした男爵令嬢に王妃教育を施し、わたくしが行ってきた王妃の仕事を代わると同時に正式な王妃として立っていただく予定でしたのに、陛下も側妃様も王妃教育など馬鹿げているとおっしゃって見向きもされませんでした」
確かに前国王は病床で「お前が連れてきた女性が王妃として相応しい知識と社交を身に付けたら結婚するといい」と言っていた。その当時の王太子はそれを「身分の低い女に王妃が務まるわけがない」という意味でとったのだ。
「そのためにわたくしは今まで王妃でいたのでございます」
別に王妃でいたくていたわけじゃない。代わりの人間が来なかっただけなのだと明言したエリザベートに、王妃の仕事と役割を理解せず酷い言動を向けたと国王が謝罪した。
「今まで本当にすまなかった」
「いいえ。それは仕事ですから、わたくしへの謝罪は必要ありません。それよりも最初に言ったとおり、子供を嫌がらせの道具に使おうとしたことをエリックに謝罪してください」
「……すまなかった。二度とお前を道具として扱わないと誓う」
側妃の息子と同じ歳なのだろうかと周囲が思うほど落ち着いた様子の聡明な王子は、冷ややかな眼差しで国王の謝罪を受けると前に進み出た。
「では陛下。一つお願いがございます」
「なんだ。私に出来ることならなんでも聞いてやろう」
王妃への罪滅ぼしも兼ねているのだろう、太っ腹な言葉に言質を取ったと小さく笑う王子は菓子でも強請るように願いをあっさりと口にする。
「簡単ですよ。母上と離婚してください。母上は今まで充分王家に尽くしました。もう自分の幸せを掴んでもいいと思いませんか」
「それは……」
今回の騒動は一部の人間(主に騎士団長)の作為と宰相の妙な遠慮から起こったとはいえ、今の王妃の仕事を全て側妃に持たせるには無理がある。着飾って手を振るだけの公務くらいしかしたことのない側妃が、王妃の仕事を嫌がるのは目に見えていたのだ。渋る国王に呆れた王子は、ぼそっと小さく国王と側近にのみに聞こえるように呟く。
「本気で隠しますよ?」
母上を。たかが八歳の子供の脅しに国王は戦慄する。仮にも父親としてここで脅しに屈してはいけないのは判るが、裏表の少なそうな王妃の息子とは思えない腹黒さだ。一体誰に似た? 私だとてこんな幼少の頃はもう少し可愛い気があったはずだと悩んでいると、自分に良く似た息子の隣に騎士団長が並んだ。
「話の持っていき方が悪いな、エリック。少しは相手に譲歩しつつ自分の要求を通すには、もう少し勉強が必要だ」
「はい。ギルバート様」
ギルバートの助言を素直に聞き入れるエリックと、それを微笑ましそうに見守るエリザベート。なるほど、この男が原因だったのかと呆れる国王にギルバートは辛辣な言葉を口にする。
「誰にも省みられなかったエリックの父親代わりだったからな。俺に似るのは当たり前だ」
放っておいたのはお前らだろうと言われれば、こちらはなにも言うことは出来ない。叔父と甥の関係故にギルバートにも似ているエリック王子はしばらく考えると、利発そうな蒼い目に強い光を宿して父親を見上げた。
「では、離婚していただくにあたっていくつか約束をしましょう」
一つ。前国王とエリザベートとの契約を公表し、契約終了に伴う王妃の退位と新たな王妃に側妃を据える。
二つ。エリザベートを新たな女公爵に据えて王妃の仕事を継続させつつ、王妃に引継を行う。
三つ。それに伴い王位継承第一位を現側妃の王子とする。
「王位継承権一位を譲るのか?」
母親にうり二つな物言いで精一杯国王側に譲歩したエリックに、この歳でこれだけ利発なのならさぞかし良い王になれるだろうと、この短時間で理解した国王が聞いた。背後で宰相や大臣たちも肯いているところを見ると、皆同じ意見のようであるが。
「『弟』はまだ子供なだけです。努力し勉強を続ければ、成人する頃にはそれなりの知識を修めることが出来るでしょう。そして僕はそれを補佐するのがいいんです。国王なんて表立つのは面倒ですし、凡庸な王を陰から操る方が僕に合っていますから。その辺りは変人クラインフィルド家の血が出たのでしょう」
ハッキリと国王を陰から操ると宣言した第一王子にエリザベートが頭を抱えた。
「なにをどう間違ってこんな性格に育っちゃったのかしら……」
「お嬢に腹黒さを足したらそっくりだろうが」
背後に控えていた影の突っ込みに、エリザベートは諦めて苦笑する。
「エリックの夢は置いておくとして、今までの境遇と取り扱いを考えると王位継承権に関しては妥当だと思います。それ以外は陛下にも悪いようにはならないのではないでしょうか。ですが……」
「なんだ?」
言い淀んだエリザベートに国王が続きを聞くと、ここで初めて女性らしい表情を見せた王妃はとても言いにくそうに口を開いた。
「側妃様が一番納得されないかもしれません」
国王が飾りの王妃を追い出して自分を王妃に据えることを望んでいたのだ。こんな形で王妃と国王が和解し、譲られる形で王妃の座を手に入れることを喜ぶだろうか。しかもその席が多大な責任と仕事を伴っているとしたら。国王に甘やかされるままに過ごしてきたこの八年が彼女の中の『王妃』を歪めていたとしたら。
とまぁ考えはしたが、大変なのは自分ではないとエリザベートはこの問題を脇に置いておくことにした。国王の大切な女性なのだ。自分でどうにかするだろう。
「ではエリックの出した条件で進めて下さいませ。それでは皆様、ごきげんよう」
「待て! どこへ帰るつもりだ。お前の部屋を新しく用意してあるぞ」
王城の居心地のいい部屋を用意してあった国王に、息子と影を伴った『元』王妃は楽しそうに笑いながら振り返った。
「この一週間で城下に家を買いましたの。警護などの配下は充分に揃っておりますので、ご心配には及びません。これでようやく自由に生きられますわ」
* * * * *
これ以降、公にエリザベート・シルフィルド女公爵の名が頻繁に出るようになる。また彼女は新しく立った王妃とも仲が良く、生涯王家に尽くしたと言われた。
他にも賢い子供を育てる親の見本ともてはやされたが、本人は至極不服だったという逸話が残っていたり、髪の薄くなった男性の為の自然なカツラを当時の財務大臣と開発したという功績もあった。のちに王太子妃の教育係も務めたあと、晩年はギルバート殿下と田舎の屋敷に籠もり穏やかで幸せな日々を過ごしたのだった。
番外を数話更新予定しています。