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王妃失踪五十三日目から五十九日目

王妃失踪五十三日目


 今日の朝議のあと、出席していた大臣や官僚から騎士団の王妃探索を中止するように申し入れがあった。話を聞くと下級騎士のほとんどが交代で国中を回っているらしく、王都の治安維持などを上級騎士が受け持っているのだという。下級と上級の違いは明確に身分だ。平民や騎士家系出身は下級、貴族の子息子女は上級と別れているのだが、下級騎士がいない今は下町や治安の悪い場所も上級騎士が見回っていた。そのために勝手が分からなくて騒動になって怪我をしたり、気を張りつめすぎて体調を崩す者が現れ、自分達が楽をするために不要な探索をやめて欲しいと親に訴えたのだという。

 もちろん自分達が楽をするために……というのは傍で聞いていた宰相の印象なのだが、あながち間違いではないだろう。

「というわけで騎士を呼び戻せ。アレを探す必要はない」

 宮廷騎士団長を呼びつけた国王は挨拶もなく王妃探索中止を言い渡した。呼びつけられた騎士団長は用件が判っていたのだろう、珍しく真面目な顔で机の前に立つ。

「俺は今回の探索を利用して上級騎士共を鍛えようと思っている。知っているか? 奴らは試合形式では下級騎士に勝てるのに、下町のチンピラに喧嘩で負けるんだ。どういうことだか判るよな。いざ戦場に出たときに上級騎士共は怖じ気づいて逃げ出すかもしれないんだよ」

 子供の頃から剣を習えば上手くなるのは当然だ。だが実戦経験の少ない彼らは心が弱い。王都でも治安のいい地区ばかり受け持っていれば根性がないのは当たり前である。

「それは訓練でもなんでもすればいい。アレを探さなくとも出来るだろう」

「無理だ。王妃探索という大義名分があってすら親に文句を言うような奴らだぞ。なんの理由もなしに今と同じ事をすればどんな反発が起こるかわらかん。まぁ、俺はいいんだがな。実際の戦場でお前を守るのは根性のない上級騎士共だ。俺は下級騎士と共に戦場に出るから、奇襲でも受けた際は逃げまどう奴らと共に走るといい」

 それとこれとは別の話だと言い切った国王に騎士団長も嫌味で返した。これにはさすがの国王も返す言葉がない。騎士団を仕切っている男が言うのだから間違いはないのだ。

「それに前にも言ったが王妃を慕っている騎士の妻は多い。そいつらになんて言ったらいい? 俺には奴らを抑える自信はないから、どうしても王妃探索を中止したいなら俺を騎士団長から降ろせ。ついでに首にしろ」

「ギルバート叔父上」

 苦渋を含んだ声だが国王の腹は決まっていた。騎士団長一人と政治の中枢を担う多数の大臣や官僚では後者を選ぶのは当たり前だった。

「私の命令に背いた罪で自宅謹慎を命じる。復帰するまで副団長を団長代理とし、王妃探索を直ちに中止せよ。その代わり私の影に探索を命じる。騎士たちにはそれで納得しろと伝えろ」



 深夜。珍しくこの時間に仕事を終えた国王が愛しい妃が待つ寝室へと向かっていると、暗がりから黒ずくめの男が現れた。代々王族に仕える影の一族である。

「アレの居場所が分かったか」

 夕刻に命令を出してこの時間で判るとは、さすが王直属の影だと労おうとした矢先、彼は膝をついて首を垂れた。

「陛下、無礼を承知でお願いがございます」

「どうした」

 迅速な仕事ぶりに機嫌を良くした国王は、続く言葉に愕然とした。

「王妃様の絵姿などはございませんでしょうか。我々は側妃様を存じておりますが、王妃様を直に拝見した者は二人しかおりません。そのうちの一人は数年前に引退した先の頭領で、もう一人は今海辺の大国に潜入しております。王宮にも一枚たりとも絵姿が見当たらず、王妃様の顔を知る者がいないのでございます。これでは探しようがありません」

「一度も……か?」

「はい。王妃様を監視するのは一人でいいと陛下からのご命令を受けておりました故。それも数年で必要なしとのご指示に従いました」

「王族の顔も知らぬとは職務怠慢だな」

 結婚当初に「あの女は王妃とは名ばかりの人形だ。王族などと思わなくて構わん」と言い放ったのは国王自身なのだが、権力者は己の都合の悪いことは簡単に忘れるのだ。そして権力者は自分の都合のいいように物事を進めようとする。

「では、アレの顔を知っている者を呼び戻せ。海辺の大国から帰ってくるなら二ヶ月はかかるだろうが、探索を命じたのは事実だからな。これで騎士連中も納得するだろう」


* * * * *


王妃失踪五十八日目


 城下に不穏な噂が立った。それは何者かが王都を襲撃するというものである。よほど信憑性があるのか流れの商人たちが真っ先に王都を出ると、王都の商人たちも密かに食料の買いだめに走っているという。武器や防具が高騰し、王都に入る荷馬車が減っていた。それにより食料までが少なくなり、王宮は慌てて備蓄を放出したのである。

「一体なにが起こっている! 誰が攻めて来るというのだ!」

 苛立つ国王に大臣を始め官僚たちも首を傾げるばかり。影に情報収集させているが、この騒動に気が付いたのは今朝だ。事実が分かるにはもう少し時間が必要だろう。

 他に数日前まで王都周辺をくまなく巡っていた騎士団に不審な事はなかったと質問するも、山賊、盗賊の類をことごとく潰しながら回っていたが、国境近くまでなにもなかったという答えが返ってきたのみ。それ以降、彼らは騎士棟に戻り沈黙していた。

「なぜ……こんなことに」

 国王が即位してからこれほど問題が噴出することはなかった。小さな問題は次々と現れはするが、突飛なことをしない限り臣下がうまく対応してきたのだ。大臣たちと対立したのは二度。即位前に結婚相手を今の側妃にすると言ったときと、即位してから強引に側妃制度を復活させた時だ。その時だって国を傾けるような我が儘は言っていない。ただ心から愛している人を公然と傍に置きたかっただけなのだ。

「政務だとて大きな事はなにも変えてはない。周辺国との関係もなにも変わってはない。それなのに! なぜなにもかも上手くいかなくなった……」

 憤慨していた国王はなにかに思い当たって口を閉じる。集まった者達も次の言葉を待ち沈黙する中、ようやく絞り出すような声で国王は言った。

「アレか……王妃が消えたのが悪いのか……まさか今回の出来事はあの女が画策したんじゃないだろうな!」

 国王の推測を肯定する者も否定する者もいない。そもそも王妃を良く知る者がいないのだ。当たり前だろう。だが国王が王妃を疎ましく思っていることは周知の事実であり、ここで王妃を庇う者は誰一人としていなかった。

「陛下に愛される側妃様を妬んでクラインフィルド公爵家の権力を使ったのかもしれませんな」

 一人の大臣の発言に数人が肯いて同意する。この国でも三本の指に入る格式も権力もある家なのだ。ただ王妃の出身であるクラインフィルド家はあまり権力に固執しない偏屈な家系であることで有名でもある。いかに公爵家といえども国王のお膝元で誰にも気付かせずに王都襲撃の噂を流すなど出来るはずもないのだが。

「陛下」

 影が国王の元を訪れたのは夜も更けてからだ。

「どうだ。なにか判ったか? クラインフィルドは関与していたか」

 待ち望んだ報告に影は身を低くしたまま答えた。

「王妃様の実家であるクラインフィルド家は関与しておりません。それどころか彼らは数週間前から領地内の温泉地に保養に行っております。鄙びた場所ですので不必要な人間が出入りすれば一目で判りますが、そのような人間が出入りした事実はありませんでした。そして今回の王都襲撃の噂の出所はやはり商人たちでしたが理由がありました」

「なんだ」

「数日前に陛下が王妃様の探索を中止されたと知った騎士団の奥方たちが、一斉に実家に帰ったようなのです。地方を回っていた騎士団を一斉に呼び戻すと同時に騎士団の奥方の一部が王都を出たことであらぬ憶測が飛び交い、騒動を起こしたものと思われます」

 またもや王妃がらみの事件に国王は疲れた様子で頭を抱える。だがこれだけの事実を突きつけられれば、偏見に満ち満ちた自分ですら理解できた。

 王妃は自分と同等程度の信頼と忠誠を民から向けられているのだと。そして向けられるに値すべき仕事をしていたのだと言うことを。

 それを認めてしまえばあとは簡単である。明日にでも王妃の息子エリックのところに向かおうと国王は決めた。息子なら母親の居場所を知っているはずだ。もうこの騒動を収めるには王妃に復帰してもらう以外ないのである。


* * * * *


王妃失踪五十九日目


 寒さに目覚めた国王は微かな違和感に隣の側妃を見た。こちらも寒そうにしているものの起きる気配はない。温かい彼女に寄り添うようにしてもう一度眠ろうとするが、まるで暖房のついていない寒さにもう一度部屋を見回した。そしてこの時期ならそろそろ入っているはずの炭鉢が来ていないことに気付く。

「? だれかいるか」

 侍女に炭鉢を持ってこさせようとして呼ぶが一向に現れる気配はなく、城内でなにか起こっていると判断した国王はガウンを羽織ると廊下に出た。

 城の朝は早い。この時間なら侍女や侍従の一人や二人と擦れ違ってもいいはずなのだが、なぜか人の気配がほとんどなかった。

「陛下!」

 昨夜から一睡もしていないのだろう、酷い顔色の宰相が駆け寄ってきて抱えてきた紙の束を差し出してきた。

「これは?」

 さまざまな紙に書かれてあるものの、すべて辞表なのはすぐに判った。パラパラとめくっていくと侍従長、侍女長、メイド長の辞表もある。ざっと百枚近くはあるだろうか。

「申し訳ありません、陛下。二ヶ月以上も休みのない状態では働けないとこれだけの辞職者が出ました。侍従長、侍女長、メイド長も説得できなかったと責任を取り辞職すると申しまして、皆、まもなく城を出ていくようです」

「なに?! どういうことだ! お前に仕事を振り分けるように指示したはず! それなのにこれだけの辞職者を出すとは、一体なにをしていた!」

 これだけの人数が一気に仕事を放棄すれば、どれだけ大臣や官僚がいても仕事にならないのは目に見えていた。部屋の暖房、ゴミの収集、食事はもとよりお茶を飲むためのお湯すら届かなくなる。紙や墨の予備がどこに保管されているのかも判らないし、廊下や部屋に飾られている生花は毎日水を換えなければ枯れてしまうだろう。その上、少ない侍従たちに無理をさせれば残ってくれた者たちですら、激務と叱責に辞めてしまうのは明らかだ。国王も含めて、彼らの仕事は自分達の仕事より下なのだと見下している貴族は大勢いるのだから。

 項垂れた宰相は疲れの滲んだ顔で国王を見上げ、常では有り得ない低い声で結果のみを語った。

「王妃様がなさっていたことは仕事の片手間にできるようなものではありませんでした。この国を守っているのは陛下や大臣、官僚の私達ですが、その私達が快く仕事が出来るようにと王宮を守って下さっていたのが王妃様だったのです。私達が気付くことがない大事な部分を、王妃様はずっと支えて下さっていたのですよ」



 こうして北の大国の王宮は一時的に機能しなくなった。国王がどれだけ引き止めようとも残る者は少なく、給料を倍にするといって残ったのは歳の若い者達ばかり。このままでは本当に国が機能しなくなってしまうと、国王と宰相は慌てて王妃を捜しに王子の部屋へと向かう。

 そしてあっさりと王妃は見つかった。侍女服姿の彼女は息子の部屋に軟禁されていたのだ。聞けば侍女に扮して働いていた王妃は城下での騒ぎを聞きつけ、このままでは民に迷惑がかかると姿を現そうとしたらしい。だが国王と側近、大臣たちが未だに王妃の仕事ぶりを認めていないという理由で、王子と侍女姿の影に部屋を出ることを禁じられたのだ。

 重要な仕事をしている王妃の存在を蔑ろにしてきた者達には当然の報いだと、八歳にしては酷く冷静なエリック王子の言葉に国王と宰相はただ肯くのみ。王妃への謝罪は後日正式に行うとして、とりあえず今の騒動を収めましょうというエリザベートの指示によりいくつかの手段が取られた。

 一つ。騎士団に向けて王妃帰還の正式な報告と、騎士団長の自宅謹慎処分の取り消し。

 二つ。今回の騒動で辞職した者達に向けて、辞表提出を不問にし、辞職を取り消す。

 三つ。側妃制度の見直しを検討する。

 三つ目に関しては国王がかなり嫌がる素振りを見せたものの、「悪いようにはいたしません。お約束します」という王妃の言葉を信じたという。約二ヶ月前の憎んでさえいた状態を思えば豹変と言っていい変化だ。

 そしてそれらが発表されると半日で騒ぎが収まったのである。

 まず最初に辞職した者達が戻ってきた。前と同じ環境で働けるのであれば、王宮の下働きといえども平民では花形の職業なのである。辞めるには相当な理由が必要だったことを思えば、二ヶ月間に一度も休みがなかった状況は過酷の一言に尽きるだろう。夕方には各部屋に炭鉢が置かれてロウソクの明かりが灯り、王宮はかろうじて息を吹き返した。

 それから三日後には騎士団の奥方たちが実家から戻ってくる。それにともない王都に流れた噂は王妃様によって回避されたという事実とは微妙に異なった噂が流れるも、これが更に事態を収束させた。なぜなら王家御用達の服飾師や絵画師などがこぞって道具や素材を発注したからだ。平和な時でなければ仕事のしづらい彼らが大量に材料を発注したことにより、商人たちも今回の噂が出任せであったと判ったらしい。

 一週間も経てば買い占めていた食料の置き場所に困った商人たちが原価割れの低価格で売り出すこととなり、王宮は価格の下がった食料を放出した備蓄の代わりに購入した。宰相などは備蓄の入れ替えにお金をかけることなく済んだと喜んでいたようである。

 こうして一連の騒動は一応の幕を閉じたのであった。


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