協住歌【きょうじゅうか】
どうも、赤依です。こんにちは。
別に長く書く必要はないじゃないかと思い至ってから、書くのが楽になった気がします。と、言うわけで以下から本編です。どうぞ。
明日香の耳には缶ビールのプルタブを開ける音が聞こえたが、それが現実ではないことをエレベーターの到着ベルが証明した。
本日の業務が終わり、今日の忙しさを振り返りながら利き手の指は架空の缶ビールを無意識に開けようとする。ストックが枯渇する心配はない。先日、六缶セットを二セットも担ぎ、笑顔で冷蔵庫に並べていた同居人の姿を思い出す。まだ、一セット分くらいは残っているはずだ。……少し、食材収納スペースも考えてほしいものだが。
目的の階へと到着したエレベータの機械音声に促され、開延長ボタンを押した。焦らずに幅の広い外廊下に出て、延長解除ボタンを押す。閉まる扉を背後にし、本物の缶ビールが眠る部屋を目指した。
それほど飲むわけではない明日香も、今日は少し酔いたいようだ。
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「それじゃ、お疲れ!」
「おうっ! ……って、仕事終わったわりに元気だな、竹下。しっかりやってんのか?」
襟付きのポロシャツにジーンズ姿の、ビジネスカジュアル。最近では営業職を除いて落ち着いた服装ならばスーツを以外も許可される風潮に渡は喜んだ。
「しっかりって……。まだ新人研修の期間だろ? 『仕事』にはまだまだ届かないって」
「俺ら新人は、研修を受けるのが仕事だろうよ」
「うーん、見解の相違ですね」
笑い合って勤務先のビルを後にした渡は、最寄り駅の地下鉄に向かう。勤務先からゆっくり歩いても改札まで十分もかからないのは文句の付けようがなかった。ここから二駅だけ電車に揺られるだけで、同居人の待つマンションの最寄り駅に到着する。
夕方過ぎの電車に人は少ないが、座るほどの距離でもない。ドアの付近に立ち、見慣れた地下鉄の壁の模様を眺めた。
十五分もかからずに電車を降り、改札を出たら今度は地上へ。
晴れた空に綺麗な夕日を背中に、一帯では少し目立つマンションを目指して歩く。と、言っても、五分も歩けばマンションの前。そこから警備玄関を通過してエレベータまで行くのに時間的苦痛など存在しなかった。
しかし、乾いた喉をなんとか潤したい。勤務後のサラリーマンのオアシスまであと少し。ここに来て階数ボタンを押す手が少しだけ焦った。
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早く飲みたい。
そんな気持ちが明日香の視線を冷蔵庫へと誘導する。煮立つ鍋の火を消して、今すぐにでも缶を手にとれるが、同居人を思い出すと気が殺がれる。
「早く帰ってこないかなぁ」
その時、玄関の扉の鍵が回される音が聞こえた。同居人との話し合いの結果、明日香が独りの時は鍵を閉めるということになっている。
「渡ー、お帰りなさい!」
元気な言葉とは反対に、それぞれの手に握った杖と、辛うじて機能する片足を使って玄関まで進む。これまでただの苦行だった車いす以外の移動も、渡を迎えるためならば幸せだった。
「ただいま。どう? なんかあった?」
「ううん、特に問題ないよ」
いつも『ただいま』の二の句に迷う渡だが、毎回これでは芸がないなと感じ始めた。しかし、足の悪い女性が部屋に独りということは、渡にとって多大な不安となる。
「ねぇねぇそれよりさ。早く着替えてきなよ。一緒にビール飲まない?」
「いいね! ちょっと待ってて」
そう言って渡は自室に戻った。明日香は台所に戻り、今夜の食事を整える。
「はい、お待たせ。でも珍しいね。普段は明日香から飲もうよなんて言わない気がするんだけど」
「偶にはね」
今度こそ現実のプルタブの音。喉を通過するオアシスに渡は豪快に、明日香は笑顔で息を吐く。
「それで、明日香。何か話があるんだろう?」
「話というか、いい加減に教えてくれてもいいんじゃないかなぁ……と」
明日香の支度した夕飯を食しながら、暗くもなく明るくもない、他愛無い会話が進む。
「このマンションで部屋を借りられたのはラッキーだったけど、金額に関して一切教えてくれないのはどうして?」
「…………」
「明日、ビールが野菜や肉、魚に代わっててもいいのね?」
「死んでしまうよ明日香さん」
実はこのマンション、少し特別な目的で建造された、築三年に満たない清潔なマンションだ。その建造目的は“障害者用居住空間の提供”である。これまで医院などによる介助を受けず、家族とともに暮らしていた方を対象に、独り立ちの手助けとなればと建てられた。そのため、入居者上限、つまり部屋数は少ないがひとつあたりは一般的なマンションの一室と同等かそれ以上の広さだ。介助者が同居する、車いすなど特別な道具を部屋に入れるといった点から見れば理にかなった設計だろう。
「じゃぁ、はい。今すぐにここを借りた時の資金源を教える」
「…………竹下家が……七割」
「残り三割の出どころ」
「上浦家の優しさ」
溜息とともに傍らの杖とともに明日香は立ち上がった。
「な、なに?」
「どうして五分五分じゃないのかをお母さんに問いただした後で、竹下さんにお礼と、今後の負担割合の相談をします。今すぐに電話で」
「待て明日香。話せば分かるから!」
「問答無用です」
固定電話に手を伸ばしかけた緩慢な動きの最中に、渡は諦めて白状した。
「分かった分かった……。今話した偏った負担率を提案したのは俺だ。明日香のお母さんでも俺の家から出た話でもない。俺から提案して、みんなが納得してくれた」
「……『みんな』、じゃないでしょう? 私、初耳だよ?」
「悪かったって。まずは座ってくれ。……明日香のことについて家で話して、一緒に住むからと伝えたら、明日香のお母さんみたいに反対されなくてね。チャンスだと思って言ったんだよ」
「何を?」
椅子の背に体を預け、渡は言った。
「ビール、もう一本飲まない?」
お読みいただきありがとうございます。
今回出てきたマンションですが、もちろん架空の建物なので信じないでくださいね。私の文章は頭から尻尾まで嘘で出来上がっていますので。
ビール、最近は克服して飲めるようになってきました。飲めるお酒の種類が増えると、楽しいものです。酒類だけに。
では、次話にて。