恋演歌【れんえんか】
すいません、急ぎで投稿するので前書きは特に書きません。
申し訳ありません!
流れる桜花を視界の端に感じ、信号で停止した際に横の桜並木を楽しむ。
後ろに座るヘルメットも、同じ方向を向いていた。なかなか信号が変わらない。
シールドを開いて後ろのヘルメットに目配せをし、目を細めて桃色が綺麗であることを告げる。すると、後ろもシルードを開いて目を細めながら一度だけ首を傾けた。やはり明日香にはジェットタイプのヘルメットにしよう。そう決めた瞬間だった。
信号が変わり、スロットルを開きながら滑らかにクラッチを繋いでゆく。再び、散る桃色が流れ始めた。
――――昨日。
明日香から連絡を受けた渡の口は引きつっていた。
「――――だからね、少し遠出した場所でも車椅子が使えるようになってもらいたいの。そういうわけだから、どこかに出掛けようよ」
「出掛けようって言われても、明日香も言った通り大掛かりな移動はできないぞ?」
「分かってる。だから、そんな移動しないような場所に行きたいの」
「車椅子はどうするんだ? 四輪免許は持ってないから、移動はバイクになるとして。明日香を乗せたら余裕はないぞ」
「さて問題です。いつ私が『私の車椅子を使う』と言ったでしょうか?」
「……言ってないな」
「正解。次、仮に『私の車椅子』が無い場所に居るとして、私たちはどのように移動するべきでしょうか? なお、明日香さんに男の子の体力を求めてはいけません」
……即答はできなかった。明日香の言葉を頭の中で整理する。
条件として、明日香の車椅子が近くにないこと。そして、限られた範囲の移動、もしくは全く移動しないでも楽しめる場所であること。
そもそも、明日香が行きたい場所に見当がつかない。明日香もノープランであったとしても、これらの条件に合致するような場所が思い当たらなかった。
「さぁ、制限時間です。私たちはどのようにして移動するべきでしょうか?」
「…………お、お姫さま、抱っこ……」
あぁ、誰でもいい、俺の舌を引き抜いてくれ。そんな気持ちで出た苦し紛れの一言だった。
「………――――――――」
「あの、はい?」
何か聞こえた気がしたが、電話口の微かな音声を拾うことはできなかった。
「あのねぇ……、『他の車椅子を借りる』って言葉を期待してたんだけどなぁ。車椅子は一人一台って決まってるわけじゃないんだから」
「ああ! なるほど、借りるのかっ! いやー、その発想はなかったわー!!」
隠す気もなく大袈裟に頷いても、音声しか伝わらない電話口では無駄な動作だった。
「大袈裟な移動ができない部分への回答は? ついでに、私はノープランだよ」
「威張るなよ……。そうだな……」
結局は静かに楽しめることをしたい、そこに行きつくのだろう。そうなると、アトラクションという言葉が出てきそうな場所は論外となる。渡は人間の五感から考えを深めていった。
味覚と嗅覚。つまりは食事だが、学生の懐事情では金額に限界がある。増してやデートだ。下手なお店を選べないという点で却下である。静かに楽しめるという点では限りなく満点に近いだろうが。
触覚。……何を馬鹿なことを考えているんだ、俺。絶対に静かになんて楽しめないだろう……。
視覚と聴覚。舞台鑑賞? 渡自身に舞台への興味が見当たらない上に、明日香からもそのような話は一切聞いたことがなかった。それではオーケストラでも聴きに行くか? いやいや、そもそも芸術的センスが皆無な自分には良く分からないだろう……。何か……忘れているような。
「…………映画だ」
「え?」
映画館に入ってしまえば、館内利用できる車椅子を借りてしまえばよい。上映が始まれば、その場でスクリーンに集中すればよいのだ。これほど条件に適った場所もないだろう。
「映画だ、明日香。映画館に行こう」
「なるほど、映画ね……。渡は気になるタイトルでもあるの?」
「ないっ!」
本日一番の即答だった。何しろ、たった今に思いついた考えであり、渡自身も頻繁に映画鑑賞をすることもない。
「でも、映画はいいアイデアだね。最近はバリアフリーを気にして段差が少ない館内設計とかもあるみたいだし。問題は何を観るかだけど……」
SF作品を観たいというのは簡単だが、明日香が興味を持つとは思えない。男同士でならば気兼ねないが、彼女と観るのだから。そう、例えば――――
「「ラブストーリーとか……」」
――――そして、今。
渡の駆るバイクは映画館の駐輪場に落ち着いた。エンジンを完全に止めると、背後からの拘束が緩んだ。
「ちょっと待ってろ。チケット買ってくるから」
「はーい。車椅子、忘れないでね?」
「当たり前だろ?」
二人分のヘルメットをホルダーに固定し、渡は館内へと向かっていった。
◇
受付の上部には、数種類のポスターが大きく掲載されている。特に人気の作品や、以前に大きな賞を受賞した監督の作品には、目が集まるような工夫までされている。今回の目的であるラブストーリーは、この中でも一つしかない。
「すいません。『あの青まで』、大人二枚で」
「大人二枚ですね。少々お待ちください……」
広大な青色が広告の大半を埋めているこの作品。大空へと手を伸ばす女性の頭には、茶色の中折れハットが見える。似合っていない。渡の正直な感想だった。
「こちら、大人二枚です。次回の上映は三十分後です」
「ありがとうございます。あと、お願いなんですが……」
「はい?」
「車椅子、お借りできますか?」
◇
館内係の優しい心遣いを柔らかく抑え込んで、渡は駐輪場まで戻ってきた。
「明日香、お待たせ。電動とどっちがいいかって聞かれて、咄嗟にこっちを選んじゃったけど……、良かった?」
渡の前には、何の変哲もない車椅子がある。どこを見てもモーターが備わっているようには見えない。
「うん。私、電動の車椅子ってなんか好きになれなくて……」
「分かった、覚えとくよ。あぁ、それと……。これ、チケット」
「ありがとう。次はいつから?」
「三十分後だって。ゆっくり移動しても間に合うだろう」
「そうだね。それじゃぁ……よろしくお願いします」
両輪にレバーブレーキを利かせ、渡は明日香の片側へと回り込む。明日香の片足を手で持ち上げてバイクを越えさせ、明日香を車椅子に向き合わせた。次に渡は車椅子を後ろから支えて、明日香は両手でバイクを押しながら車椅子へと重心を移す。上手い具合に支えている手を車椅子へと移して、くるりと軸足で回りながら座る。久しぶりに見る明日香の動きに、渡は声は出ずとも驚いた。
「よし、行こう!」
「お、おー……。ところで、車椅子の調子は?」
「え? 平気だけど?」
「そう、ならいいや。なんか整備が行き届いてない気がして。なんか前輪の摩擦が強いし……」
「……細かい男は嫌われるよ?」
「シャレにならねぇっす……」
◇
館内に戻ってエレベータを使い、先程チケットを購入した受付の付近まで戻ってきた。上映まであと十分。そろそろ、スクリーンの前に居た方がよさそうだ。偶然目が合った受付の人と渡は遠くから会釈をして、チケットを係りの人に見せた。
「大人二名ですね。上映まで十分程度です。椅子にお座りになって、しばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
明日香が礼を言うのを確認して、渡は歩を進めた。
「あ、お客様。車椅子用の席は一番奥の扉から入っていただけると近いです。このマークが描かれた扉です」
そう言って、係員が取り出したステッカーには車椅子マークが描かれていた。
「はい、わかりました」
今度こそ通り過ぎ、指定された最奥の扉を目指した。すると、先程の車椅子マークが見えてくる。
「まさか専用スペースまで用意してあるなんてな」
「一応調べたんだけど、ここ、私みたいな人には結構評判がいいらしいの。だから渡にこの場所を教えたんだ」
前日に明日香から連絡を受けた渡は、この映画館を指定された。明日香を乗せてもバイクでは行きやすい場所だということで承諾したが、そんな理由があったとは。
扉を抜けると、上映間近ということで非常に足元が暗かった。
「待って渡。少しだけ下り坂になってる」
「え? どうやって進めばいい?」
明日香は応えず、腰を少しだけ前に出して背中を後ろへ大きく倒した。重心を後ろへと移動させたのだ。
「緩くブレーキを利かせながら進んでくれる?」
「分かった」
上映まで五分。
案内された専用スペースは、一般席とは異なり二列で構成されている。それも、車椅子利用者の席には椅子がなく、その隣の列に椅子がある。付き添いの人が利用する座席だ。知らない人から見れば、中途半端に一列だけ存在する座席と思われるだろう。
最前列から、後ろへ三席だけ下がった位置に明日香を移動させる。ここならば、少し高い位置で映画を観ることができるだろう。明日香の車椅子にレバーブレーキを利かせて、すぐに渡も席へと着いた。
上映二分前。
人が多いにも関わらず、渡と明日香の耳には『なるほどね、だから一列しか席がなかったのか』という言葉が聞こえた。悪気がないことは分かっている。それでも、渡は声の主を探そうと振り返ってしまった。
「スクリーンはそっちじゃないよ、渡」
数秒前まで、明日香を無事に席へと届けるために力強く車椅子のグリップを握っていた手が、今は優しく包まれていた。決して渡を咎めるような握力ではなく、純粋に前を向いてもらいたかったらしい。
「ピリピリしないで……。せっかくここまで来たんだしさ……」
「……ごめん」
上映直前のため、お互い、囁くような声で伝え合う。明日香の声は、どこまでも優しい声音だった。こんな時だけ、渡は思い出す。明日香の方が一つ、年上であることを。
「しっかり観てよ? 終わったら感想言い合うんだからね……。だから、――――――――――?」
「……なに?」
上映開始のブザーが響く。明日香は笑ってスクリーンを見つめた。渡も、明日香の最後の言葉が気になりながらも前を向く。
ついに、明日香は渡の手を放そうとはしなかった。
◇
『あの青まで』
広告が大空によって埋め尽くされていることから、青とは空のことだろうと予想していた。この渡の予想は的中、劇中ではヒロインと思われる女性が大空に手を伸ばしながら、風に吹き飛ばされそうになる中折れハットを手で押さえている。
そう、この帽子。
そもそも女性用に作られていないはずの中折れハットを、女性は常に気にしている。空へと伸ばした手の薬指は太陽に照らされて小さく光り、思い人への言葉を伝えた。
「もう一度、あなたに会いたい……」
それに応える言葉はなく、この言葉を境にして、女性の過去へと記憶が遡っていく。
車から、一人の男性が降りてきた。その男性は、目の前の帽子店に入っていく。現在被っている中折れハットを脱いで、陳列されている帽子と見比べながらショッピングをしていた。
そこに、店の奥から一人の女性が出てきた。客をもてなし、好みの帽子はありますか? よければ試着なさってくださいと、満足のいくショッピングを手伝う。男性は唸りながらもあれこれと試着しては鏡を見るが、思うような物が見つからない様子だった。加えて、男性は女性店員の顔を気にするようになり、挙句の果てには、薬指のサイズを教えてくれと言いだした。首を傾げる店員に赤面し、男性は、また来ると言って店を後にした。
「(うわー、ここまでキザなセリフも久しぶりに聞いたな……)」
シーンはまた大空の下。相変わらず中折れハットを風から守りながら、女性は歩いた。だんだんとピントが合っていく物体が女性の目の前にある。こんな大空の下ぽつんと佇む墓が、そこにはあった。
ここで、シーンは再び過去へと移る。
数日後、再び帽子店を訪れた男性は、女性店員へ一言、言い放った。
『私に似合うハットを、頼めるか』
女性は喜んで特注ハットの作製を受け入れた。すぐさま、男性の頭部周りのサイズなどを計測し、好きな色味や形を聞いて、最後に値段の話に入った。
『特注ですから、ここに並んでいる物よりも少々……』
『構わん。出来に期待している。して、その代金だが……』
男性のジャケットから小さな箱が出てきた。何が入っているかは、開かなくても女性には伝わったようだ。
『あの……ここ、質屋ではないんですけど』
『違う! 金が欲しいわけじゃないんだ。いや、待てよ? 結局は同じことになってしまうのか……?』
『でもこれ、指輪ですよね? 失礼ですが、嫌な思い出もあるとは思いますが、奥様を忘れないためにも手放すべきではないと思います』
『あぁ、そうだ。君という奥様を忘れないためにも、是非とも受け取ってもらいたい』
プロポーズだ。きっとこの女性は大空の下で中折れハットを被った人で、指輪はこの時に受け取ったものだろう。中折れハットは、男性に届けるべき物に違いない。なのに、彼女は男性ではなく墓の前に佇んでいたはずだ。
『嬉しい……。こんな、帽子を作ることしか取り柄がないですが……』
『偶然だな、私は帽子が大好きで』
めでたしめでたしで終わるならば、この映画は描かれなかったはずだ。まだ、墓の謎が残っている。石の下に眠っているのは、果たして誰なのか……。
再び大空が映された。風は凪いでいる。
墓の前に立った女性は、悲しそうな表情でここまで守ってきた中折れハットを墓石に被せた。
『似合っているかね?』
『……えぇ、とてもお似合いです。私には……似合っていますか?』
左手を墓石の前にかざして、静かに尋ねる。
『生涯、購入した婚約指輪が一つだったことを喜びながら眠るとしよう……』
『……答えに、なってないです……!』
どこまでもキザな中折れハットの似合う男と、男の生涯の喜びが込められた指輪を携えた女の、ちょっとした恋の話だった。
◇
そもそも、映画を観ると言えばサイエンスフィクションに偏る渡にとって、今回の経験は全くの新しいことであり未知の領域だった。なるほど、甘いな。結局、エンドロールが終わる最後の最後まで渡の片手は明日香に拘束されたままだった。
「ねぇ、どうだった?」
「どうって……言われてもねぇ……」
うん、面白かった。果たして、この感想があの映画に適切かは分からない。それよりも、このままでは席すら立てない。
「まずは出ない? そろそろ放してもらいたいかなぁ……って」
いつからか無意識だったらしく、ようやく渡の片手は解放された。席を立ち、明日香を外まで押していく。今度は緩い昇り坂となったスロープでは、明日香が軽い前傾姿勢をとることで容易に昇りきれた。
「そういえば、映画が始まる直前に何て言ったの?」
「寝ないでよ? って言ったの」
「無事に覚醒状態です」
「よろしい」
扉を抜けたところで、渡は気づいた。明日香が右手で左手の薬指に触れていた。
「いつかな。三か月分で一番豪華なヤツ、プレゼントするよ」
「え、何が? ……あっ!」
薬指に触れていることを気づかれたのが恥ずかしかった。すぐに俯いた明日香に、渡はそっぽを向きながら手で頭を押さえた。
「……中折れハット。死なないでね?」
「縁起が悪いことを言うんじゃない」
同じ理由で後書きも省略。
お読みいただきありがとうございました。