存在音【トクントクントクン】
前回からの続き。
そして、活動報告に記載した裏設定を平気で出しているので、ネタが切れてきているとお考えください。
では、以下より本編。
後書きにてお会いしましょう。
「……診察は以上です。お疲れさまでした。次回の予定は…………」
「あのっ!」
医師の言葉を遮ってでも、明日香には聞きたいことがあった。たった今、何を言われたのか。
「今、なんて言ったんですか? それに、結果を聞いてないんですけど」
「察しの良い方だと、今ので分かっちゃうもんですけどね。おめでとうございます、元気に産まれてくるといいですね」
「それじゃぁ……やっぱり」
「はい。産まれてくるよりも早く、是非、好きになってください」
エレベーターに乗り、一階へ戻ってきた。黒谷のいる受付へと進むと、白衣の男の姿が見えた。
「あ、ほら。戻ってきましたよ、先生」
「うん? ……おぉ、久しぶりだねぇ」
「お久しぶりです…………高橋先生、ですよね?」
白髪が目立つ。最後に会ってからかなり時間が経っていることを痛感する。
「そうだとも。黒谷さんから聞いたよ、結婚おめでとう、明日香ちゃん」
「ありがとうございます。……それにしても、そろそろ『ちゃん』付けは恥ずかしいですね」
「今更変えられないよ。変えろと言えば考えるけどね」
「まぁ、慣れていますし、そのままで」
年齢を重ねたとは思えないほどの通る声で、高橋は笑った。黒谷は小さく肩を震わせている。
「ところで、脚の方は? 大丈夫かね?」
「高橋先生、明日香ちゃんは今日、別件で来院したんですよ」
「別件って?」
「あのですね……産婦人科に少々……」
それを聞くなり、高橋は目を開いて黒谷と明日香を交互に見た。てっきり黒谷から聞いていたもんだと明日香は思っていた。
「産婦人科、ってことは……。おぉ、なるほど。そういうことか」
「そういうことです、はい」
「明日香ちゃん明日香ちゃん。結果はどうだったの?」
念のため周囲を気にして、明日香は無言で片手の親指と人差し指で輪を作った。もちろん、大きな笑顔と一緒にして。
「良かったわ~。これから大変だと思うけど、頑張ってね」
「はい、頑張ります。……あぁ、そうだった。ちょっと聞きたいことがあるんですけど。産婦人科に所属されている診察医について」
「あぁ、いいよ。私が知ってる人のことだったら問題ない範囲で答えよう」
「どうも。あのですね、さっき私を診察してくれた方なんですけど。最後の最後に私のお腹に顔を近づけて何かを言ったんですよ。たしか、『おめでとう』って聞こえたような……」
「……『おめでとう』、か。ねぇ黒谷さん。たしかそれって……」
「ええ、私も知ってますよ。『魔法使い』のことですよね?」
「魔法使い?」
どうしてそんなファンタジーな言葉が飛び出したのかは不明だが、どうやら先程の医師の異名だということは理解した。
「また随分な名前で呼ばれているんですね」
「ちゃんとした理由もあるけどね。彼女に一度でも診察してもらうと、必ず元気な赤ちゃんが産まれてくるっていう、噂話が流れてさ。悪い内容が一切含まれてないもんだから、本人もこの噂を消そうともしなくてね。偶然に診察された人たちは決まって、『なんだか乾いた人ですね』って言うんだけど、産婦人科としての腕は立つのよ。ただちょっと、掴みにくい部分があるというか、いつむムスッとしたような感じがあるというか……」
「私が聞いたのは、『魔法をかけてもらった』ですかね。……そうそう、ちょうど明日香ちゃんの話と同じよ。『お腹に向かっておめでとうと言う産婦人科医』ってね」
「変わった方なんですね、魔法使いさんは」
魔法使い。たしかに変わった人だった。『出産を望むか』という質問に対して、あれほどまでに執着する。
「本当に、変わった方でした。私の、『出産を希望するか』っていう問診票の回答に食いつきまして。でも、産婦人科医なら当たり前なんでしょうか?」
「いやぁ、私にもそれは分からないなぁ。産婦人科医ではないから。あと知ってることと言えば、ご自身で死産の経験があるそうだよ?」
「…………真実ですが、口外は控えていただけると助かります」
いつのまにか、明日香の背後に先ほどの産婦人科医が立っていた。
「うっ、これは……。申し訳ないことをした」
高橋は頭を下げる。足音もせずに背後に立たれた明日香は驚く暇さえなかった。
「あ、先程の……」
両親を互いに逆回転させて後ろを向き、気まずそうな顔で会話に入ってきた医師を見る。
「いや、そんな丁寧な謝罪は必要ないです。真実ですから。ただ、院外の方には不要な情報だと思ったものですから」
「沢渡さん。ありがとうね。明日香ちゃんの診察してくれて」
「いえ、そんな。お礼を言われることではありませんよ。仕事ですし。でも、黒谷さんにはもう少し早めに車いすでの来院を伝えてほしかったです」
「はい、気を付けます……」
瞬時に高橋と黒谷を落ち着かせた沢渡という産婦人科医。気付けば背後に、というところを考えると、魔法使いという異名は見当外れではないかもしれない。
「先ほどはありがとうございました。ここに赤ちゃんが宿ったことが分かって、安心しました」
「……くれぐれもご自愛を。あなたの体調は、その子に直結します。少しでも変だなと思ったら、迷わずにまた来院を」
「はい、分かりました。魔法つ……沢渡さん」
「……だから、こんな無駄な情報を流したのは誰ですか?」
「この方たちから……。私の昔からの知り合いでもありまして……」
「お近くにお住みで?」
ギロリ、と明日香の背後を睨みながら、会話は続く。
「いえ、挨拶を兼ねての来院でした。慣れた病院の方が気が楽ですし」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですね」
「あ、笑いましたね」
「私だって笑顔くらいは持ってます。表情が乏しいだけです」
「……沢渡さんには憧れます」
「その身体で言うと、縁起の悪いことが起きそうなので、即刻訂正を。ご主人が泣きますよ?」
「沢渡さんがいれば、心配なしです」
「……お元気で。またの来院をお待ちしてます」
そう言い捨てて、沢渡は外へと続く自動扉に向かって歩いていった。しかし、故障していることを忘れていたのか、すぐに方向転換して隣の手動扉から出て行った。
「もう蛇はいなくなった?」
「そのようですね、先生」
「良い先生じゃないですか、沢渡先生」
「正気は大丈夫かい?」
死産の経験がありながら、産婦人科医となった沢渡。明日香は彼女の強い精神力に惹かれていた。どうして産婦人科医になろうとしたかは分からないが、きっと悪い人ではない。そう確信した。
「ただいまー」
夕方、渡が会社から帰宅すると、明日香は夕食の準備に追われていた。
「あぁ、お帰りなさい。ごめん、夕食なんだけど、もう少しだけ待ってね」
「あいよ。着替えてきたら手伝うね」
「ありがと」
時間をかけて病院から戻り、気付けば疲労から、明日香は長い昼寝を漂っていた。起きてからは弾かれるように夕食の準備を始めたが、渡の帰宅に合わせることには失敗した。
「……んで、何をやろうか。シンクでもキレイにする?」
「うん、お願い」
調理中に使用した器具や食器を渡は洗い始めた。明日香は本日の出来事をどのように伝えるべきかを迷っていた。
「…………よし、完成。あなた、運んでくれる?」
「はーい」
本日の夕食を食卓へと運び終わり、二人は席に着いた。渡既に缶ビールを用意しており、今すぐにでもプルタブに引き起こしそうだった。
「それじゃぁ、いただきます」
「いただきます」
箸を手に取るよりも早く、勤務後の一口に溺れる渡。その後、渡は缶を軽く振ったが、明日香は断った。
「いや、今日は止めておく」
「そう? 遠慮しないでいいのに。無くなったらまた買ってくるから」
「飲みたいんだけどね。実は今、魔法使いに禁酒の魔法をかけられていて…………」
「……………………は?」
時間が凍ったかのように、渡の動作が全て止まった。この歳で『魔法』なんて言ったら、頭がおかしくなったと思われても当たり前だ。苦笑いと同時に頬を掻いても、渡の視線は躱せなかった。
「今、なんて言った?」
「アルコールを飲めない」
「その理由の方」
「禁酒の……魔法……」
「明日香、俺よりも先に飲んだな?」
「飲んでないって」
「じゃぁ、『魔法』だなんていう乙女チックな表現はどうした?」
明日香は身構えた。これから本題に踏み入るのに、生半可な精神ではいられない。
「渡、驚かないで聞いて」
「『魔法』の時点でその約束は守れてないけどな……」
「い・い・か・ら、驚かないで」
明日香は車いすの上で姿勢を正し、真っすぐに渡の瞳を射抜く。
「今日、産婦人科に行ったの」
「…………会社の定期健診か?」
「ち・が・う・わ・よっ! 胸が張ってたから変だな……って思ったから!」
「胸が張って……」
渡はそこで考えこんでしまった。そして、重たい表情で明日香を案じた。
「まさか……重い病気なのか?」
「…………どこまでも鈍い。産婦人科っていう言葉の時点で思い当たる節が出ない時点で、あなたにはガッカリよ……」
「ガッカリされても。母体がそこまで元気なら、俺は安心だ……」
明日香は勢いを削がれた。
「まったく、気付いてたんなら言ってよね」
「あぁ、ごめんごめん。なるほどね、それで禁酒と。いやぁ、それにしても嬉しいなぁ。俺たちの子どもかぁ……」
うっとりしている渡に構わず、明日香は続けた。
「……産むわよ、私」
「あぁ。早く名前を決めたいな」
「そうじゃなくて。反対は、しない?」
「するわけないじゃん。俺、夢だったんだから」
「ありがとう……」
「……泣くなよ。まだ『魔法』の話を聞いてない」
夕食はもう、冷めていた。
「…………私を診察してくれた方の、病院内の異名。その人に一度でも診てもらうと、安産確実なんだってさ」
「すごい医者がいるんだな。ちゃんと安産の方も『魔法』はかけてもらえたか?」
「もちろん。ちょっとこっちにおいで」
「どうした突然?」
「いいからいいから」
手招きする明日香に釣られて、渡は車いすの横に腰を落とした。すると、明日香は渡の頭を抱いた。
「『おめでとう』。あなたの夢が、これから叶うわ――――――」
お読みいただきありがとうございます。
最後の言葉、明日香ママにお願いすれば、文才は向上しますかね。しませんか。そうですね。
胸が張るという感覚が分からないので、同じ男同士、明日香は何か病気を患ったのではと渡くんには勘違いさせていました。調べたところ、妊婦さんが感じる妊娠初期の頃に現れる症状だそうですね。間違っていたら恥ずかしいですが、既に後書きを書いている時点で修正は間に合いませんが。
では、次話にて。乙女チックに磨きがかかる……かも?