結魂歌【けっこんか】 ―花嫁の椅子―
なんとか予約掲載に間に合いました。
結婚について、今回のお話で区切りがつきます。本編中に一部、私が特定の宗教を信仰しているように感じる方がいらっしゃると思いますが、私は無宗教者ですので。内容の分かりやすさを優先するための表現だと考えていただければと思っています。
では、以下より本編です。どうぞっ!
式場に敷かれたカーペットが吸収するため、車いすは普段よりも静かに進む。
「わ……渡」
「ん?」
背後から近付いて、もうあと少しで渡に手が届くというところで呼びかけた。お互いに普段では絶対に着ないような服装であるため、最初は別人だと思ってしまうほどだ。
「……明日香。…………あ、その……驚いたな、こりゃ」
「渡も、いいじゃん」
「そ、そうか? まぁ、スーツとは違うしな。それにしても…………」
純白に身を包んで現れた明日香に言葉が出ず、渡はぐるぐると車いすに座る明日香の周囲を回る。そうしているうちに、式場のスタッフがゆっくりと二人のもとへ近付いてきた。
「こちらからのお二人へのお支度は以上です。式まで、まだお時間がございますが……」
「こちらの部屋で待たせてもらっても構いませんか?」
渡は、今まで自身が身支度を整えていた部屋を示す。
「かしこまりました。お時間に間に合うように、お呼びにあがりますので」
来た時と同じように、ゆっくりとした所作で引いていくスタッフ。渡は明日香の車いすを押して部屋に入った。開式まで一時間程度の余裕。準備は全て終わっているし、お互いに声をかけた来賓はすでに会場へと向かっているはずだ。
「ついにここまで来ちゃったね。夢みたい……」
「そんな『夢みたい』なんて言うような歳でもないだろう」
「この車いすで轢こうか?」
「『今夜はハンバーグです』ってか?」
緊張が悟られないように、冗談を言って、無理に笑う。
「さっきね、車いすを勧められたの」
「え? 変だな。もう乗ってるじゃん」
「そう、だから断った。たぶん、ここでしか使わないのと、使う機会も少ないみたいで、勧められた車いすが綺麗でね。追加料金はありませんとか言われたけど、断った」
「よく分からんが、綺麗なんだったら乗ればよかったのに。身体に合わなかったのか?」
「試してもないよ。私はこれに乗っていたかったから」
明日香は車いすのひじ掛けを撫でる。長年使い続けてきた物でもある。慣れた物から感じる安心は、きっと大きいに違いない。
「これまでたくさん、渡に修理してきてもらった物に乗りたかったの」
「……ありがとう、大切に使ってくれて」
「……ありがとう、いつまでも使わせてくれて」
たとえとんなに綺麗でも。結婚式の場に似つかわしくなくても。渡の隣を歩むのに、今日まで使ってきた車いす以外を選ぶことは考えなかった。渡の手が入った物でなければ、今日という日は迎えたくなかったのだ。
「ところで、明日香は誰を呼んだの? 俺は大学時代のヤツ、一人だけ呼んだけど」
「私も大学時代の友達。三人も呼んだけど、よかったかな?」
「いつか話してくれた面白い三人組か。まさか会えるなんてな」
「あまり驚かないでね。元気な人たちだから……」
「気にしないよ。俺が呼んだヤツは女たらしの点では最悪だ。色んな女性を引っ掛けては、とっかえひっかえだったな。今頃どうしてるか……」
「それは最悪だ」
「だろ?」
ノックが聞こえた。早めにスタッフが呼びに来てくれたようだ。
「明日香、準備はいいか?」
「そっちこそ」
小さく笑って扉を開く。
「お待たせいたしました。式場の準備も整いましたので、お二人がよろしければご案内いたします。既に来賓の方もお見えになり、着席していただいております」
「では、私たちも向かいます。案内をお願いします」
「かしこまりました」
明日香の後ろに回り、車いすを押して部屋から出た。これから、式場――――二人の愛を誓い合う場へと向かうことになる。
式場へと向かう途中、渡と明日香は一言も交わさなかった。
スタッフが同行していたこともあるが、何を話しかけていいのか分からなかったのだ。
「こちらの扉の向こうが式場です。内部は以前にご案内した通り、教会のような造りになっていますので、お二方には一直線に牧師の前まで進んでいただきます。両脇にはご来賓が着席されているので、所々で会釈程度を交わしていただくことも可能です。上浦様の移動は、竹下様が行う手筈ですが、よろしいですね?」
「はい、私が」
細かい注意点がスタッフから飛ぶ。開場まであと数分。際限なく溢れる焦りを車いすを押す手に込め、純白の後ろ姿に安心を求めた。
「それでは、開場まで残り二分です。今しばらくお待ちください」
スタッフが扉の両脇に立ち、腕時計を気にしながら扉を開く準備を始めた。
「渡」
「……なんだ」
「緊張で震えてるでしょ。さっきから車いすが揺れてる」
「ご、ごめん。どうしても耐えられなくて、な」
「まったく緊張されないよりかは嬉しいよ。大丈夫だって。渡はカッコイイ!」
「ドレスを着たキレイなお前を見てるとな、落ち着かなくて……」
くすくすと、明日香の方が揺れている。そんなに自分の両手が震えているのかと、渡は心配だった。
「なんだよ、笑って」
「やっと、言ってくれたね。キレイだって……」
「あ……」
「お時間です」
扉が力強く押し開かれる直前、渡は幸せそうな明日香の横顔を確認した。
『新郎新婦が入場いたします。暖かい拍手でお迎えください』
車いすを押して渡と明日香は式場へと、静かに踏み入った。
二人が式場内のカーペットに乗ったことを確認すると、両脇からの拍手が迎えた。人数はそれほど多くはないけれど、耳に届く優しい喝采は、今日という日を待ち望んでいたことが二人だけではなかったことの証明でもある。
渡は一度、車いすの後ろから明日香の真横に移動する。明日香へと手を伸ばし、明日香はその手に乗せるように、自身の手を握った。そこから、二人が揃って式場に向けて頭を下げる。本来は両者が腕を組んで行うべき動作だ。
名残惜しそうに手を放し、渡は車いすの後ろへと戻った。
「進むよ」
「ええ……」
ゆっくりと一歩ずつ、赤いカーペットの上を二人が歩み始めた。
◆
あれはたしか、明日香に告白した日だったかもしれない。
明日香は俺がこれから何を伝えようとしているかを先読みして、自分の欠点を並べるだけ並べた。
自分を貶めてでも、俺に告白の一言を言わせないつもりだったんだろうが。
その中に、『一緒に歩くことは一生できない』っていうものがあったのを、今でも覚えている。
どうだ、明日香。あのセリフが嘘だったと、今なら言えるか?
◇
不思議だな。
私と渡の人生は、絶対に交わることなんてないと思ってたのに。
運命なんて言葉を信じるつもりはない。
でも、この車いすには、きっと何かが宿ってるかもしれない。
偶然に故障して、偶然に渡に会って。
そして今日、必然に渡と一緒に歩いていると、今なら言えるかもしれない。
そう、脚が動かなくたって人は歩ける。『支える』の一言を伝えてくれた人がいるんだから。
二人は牧師の前まで到達した。
拍手は自然と小さくなっていき、式場が静寂に包まれた。
『汝、竹下渡は、この女、上浦明日香を妻として、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで妻を想うことを、誓いますか』
「誓います」
『汝、上浦明日香は、この男、竹下渡を夫とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで夫を想うことを、誓いますか』
「はい、誓います」
誓いの言葉が続く。この場に立つ意志に偽りはないと、お互いに言い聞かせるために。
『では……汝、竹下渡は、この女、上浦明日香の両脚が回復しない場合でも、愛を誓い通せますか』
「誓います、誓い通します」
『よろしい……汝、上浦明日香は、例え両脚が回復したとしても、この男、竹下渡から離れないと、誓いますか』
「誓います。私の脚は、夫から離れるために存在してはいません」
『よし……。皆さま、お二人はお互いが強い想いを持って結ばれていることを誓いました。今後、大きな災いがお二人を襲わないように、祈りましょう……』
それから数秒間、牧師が瞳を閉じた。二人には見えなかったが、後ろに座る人々もきっと、同じように目を閉じているのだろう。牧師が再び二人を見据えたとき、式の最後を迎えたことを察知した。
『では……竹下渡、上浦明日香。誓いのキスを』
二人は向き合い、渡は片膝をついた。自然と近付く唇に熱を覚えながら、ここから新たな二人の人生が始まる。
式場は先ほどの喝采が霞むほどに拍手に溢れた。
「今日は来てくれてありがとう」
「何言ってんだ。母さんも明日香ちゃんの晴れ姿を見たいって張り切ってたんだからな」
「それはあなたではなかったかしら? ひ・ろ・し・さん?」
誓いのキスの後、盛大に見送られて式場を出て、会場に設けられていた別の部屋での懇談会を始めた。今だけは渡は明日香から離れて、親しい仲の者へと声をかけている。明日香も、学生の頃に仲が良かった三人組と一緒にいる。
「よかったね明日香。花嫁衣裳だ!」
「すっごくキレイ! いいなぁ~、私も早く着てみた~い!」
色々な角度から純白の明日香を眺めては、ため息を吐く花帆と実来。その二人に、明日香は笑顔で皮肉を言う。
「まずは相手を探します」
「くっそー! 覚えてろ!」
「それが難しいと言っとるんだ!」
明日香が呼んだ三人は皆、結婚式のことを伝えると全ての予定を振り切って飛んでいくと言った。本当に来てくれたところを見ると、少しばかり無理をさせたかもしれない。
「……明日香」
「どうしたの、夕ちゃん」
これまで黙っていた夕が、口を開いた。
「おめでとう。本当に心から、そう思う」
「嬉しいな、夕ちゃんにそう言われると。さっきから元気がないみたいだったから、今日のこと、良く思われてないのかなって……」
「そんなことない。今日は本当に幸せだよ。明日香も、私たちも」
では、先ほどから黙っていたのはなんだったのか。理由がわからないまま明日香は学生時代の仲間と久しぶりの時間を過ごす。
渡も、肩の力を抜ける仲間と再会した。
「よう、渡。今の気分は?」
「最高だぜ、行広」
グラス同士を小突いて、再会を喜び合う。
「呼んでもらえるとはな、驚いたよ。正直言うと、こんな日が来るなんて思わなかった。明日香ちゃんを諦めて別の女に流れるんじゃないかってな」
「今日の新郎は行広じゃないだろう? そんなことはしなかったさ」
「あ、今。俺のことバカにしただろ?」
「まだとっかえひっかえしてるんだろう?」
「そんなことない! 何年アイツと続いてると…………」
行広が、人差し指を向けた先に渡は疑問だった。
「……アイツ?」
「いや……これは、その……」
夕が急に顔を覆った。
「夕ちゃん。もしかして体調が悪いの? 無理して来てもらわなくてもよかったのに……」
「あぁ……たしかに眩暈はするけど、たった今からでね……」
明日香の耳に、渡と行広の声が届いた。
「え、行広。もしかして、この人と?」
周囲の視線が一斉に夕に向いた。相変わらず、夕は顔を覆ったままだ。
「え、違うって……。なぁ、夕。なんとか言ってくれ……」
「『夕』?」
「もう、馬鹿…………」
明日香が渡を小突いた。渡は車いすを集団から少し外し、事の成り行きを見守るらしい。
「(なんか、面白くなってきたな)」
「(今日一番の驚きだよ)」
花帆と実来が夕に詰め寄った。
「説明を要求する」
「事と次第によっては桃色反逆罪……」
「あー! そんな学生時代の恥ずかしい単語なんか出さなくてもいいんだよ! 分かった、話すから!」
突然、これまで顔を覆っていた手を行広に伸ばし、引き寄せた。
「私たち、付き合ってま……す……」
ここまで弱気な夕を見たことがなかった。顔もリンゴのように染まっている。理解はしたが驚きを隠せないといった意見が大半だが、渡だけは鋭い質問を投げた。
「行広。思い出したことがある。俺が明日香を海に連れて行った後の話だ。あの時、どうしてすぐに告白っていう言葉が出てきたんだ? 海には連れて行ったけど、告白までするとは言ってなかったはずだけど」
「あー…………それな…………。実はコイツから聞いてたんだよ。『明日香っていう私の友達が、男と一緒に海に行く。告白されるかもね』って」
渡と明日香の行動は、行広と夕を通して筒抜けだった。別に嫌な気持ちにはならなかったが、それよりも気になったのは行広と夕の関係がいつから始まったのかだ。
「夕ちゃん。行広さんとは、いつ頃から?」
「実は大学に入学して、すぐに……」
「嘘だろ? だって行広は女たらしで、彼女作らないって噂が……」
「噂だろ? 俺は一度もその噂が正しいなんて言ってないからな」
行広と夕の話をまとめると、こうなる。
夕が明日香と同期であることから、大学入学時には行広は高校三年。進学する大学に理系を選択する前に、行広は文系大学の文化祭に来ていた。その大学が、明日香も通う大学である。強風が学生の制作したセットや立て看板を襲うような日だったから、文化祭実行委員が補強作業に乗り出していた。夕も委員会の一人であったため、作業に駆り出されたが、吹き抜けた強風が運悪く夕の目の前のセットのバランスを崩し、倒れ始めた。セットが大きかったから、夕は倒れ始めていることに気付くのが遅れ、逃げ始めても間に合わなかった。『どうせ軽いセットだし、当たっても大丈夫だろう』。セットの裏に補強用の金属パイプが何本も仕込んであることも知らずに、夕は頭部を守るようにしてその場にしゃがんだ。
目を閉じて、いくら待ってもセットは夕を襲わなかった。恐る恐る目を開けて、見上げると――――――
「それが二人の始まりってわけですよ。どう、理解した?」
「理解した。だけど彼女、さっきから恥ずかしそうだぞ?」
「……隠し通すつもりだったのに。あの時に血だらけになったアンタをどれだけ心配したと思ってるのよ……」
「バレちゃったし、しょうがないよね。あはははは……いてっ!」
「いつもバカなんだから! 私、今すごく恥ずかしいんだよっ!」
「なんで?」
「今日は誰と誰の結婚式だっけ?」
そこで、主役に再び意識が向いた。
「……そういえば、そうだったな。すまんな、渡」
「いや、面食らって言葉もないよ」
「ごめんね明日香。私たちのことは無視していいから。渡さんと一緒にいなよ」
「それはそうなんだけど。私、驚いちゃって……」
済まなそうにする夕とは対照的に、ガハガハと行広は笑っている。
「挙式は! 挙式はいつですか!?」
「ほれほれ、誓いのチューはどうしたっ!」
「あんた達はさっきからうるさい! 黙ってろ!」
記者の言動を真似て、花帆と実来が夕へと詰め寄る。もう、この場は渡と明日香が抜けても大丈夫だろう。
「(頑張れよ、幸せ者)」
「(お前もな。それじゃ行広、俺たちは向こうに行くから)」
渡は車いすを押し、明日香と一緒に誰も人気の少ない部分へと逃げ出す。少しは明日香と話したかった渡も、これでようやく落ち着けると思った。
「大変よね、旧友ってやつは」
「あ、お母さんだ」
「本日はお忙しい中、ありがとうございました」
そういえばまだお礼を言っていなかったと思い、渡は明美に感謝を述べた。
「いいのよいいのよ。お礼を言いたいのはこっちの方だし。それより、どう? 今の気分は」
「嬉しいです。絶対に叶わない夢が叶った、そんな気分です」
「渡はいつも大袈裟だってば」
「いいわねぇ~、若いって。思い出すにはもう、若くなくなっちゃったわ……。まぁ、そんなことよりも。二人とも、おめでとう。明日香、渡くんに迷惑かけちゃダメよ? 渡くん、明日香をよろしくね」
それじゃぁごゆっくりぃ~。そう言って背を向ける明美の足取りは、とても軽やかだった。
「やっと話せるな」
「そうだね」
懇談会も終盤となり、二人の許から人が離れた。来賓同士でも会話に花が咲き、二人だけでも時間をとれるようになった。
「疲れたか?」
「少しね。ドレス、着慣れてないから」
「もう二度と着ないから安心しろ」
「おー、強気だねぇ」
明日香が二度目の花嫁衣裳を纏う時、渡は明日香の隣にはいないだろう。そんな状況は、この会場にいる誰もが望んでいない未来だ。そうならないように、互いが互いを想うのだ。これまでも現在も、そしてこれからも。
「明日香」
「ん?」
車いすの後ろから、そっと耳元に顔を近づける。
「(大好き)」
「(『愛してる』……じゃなくて)」
「(……間違えた)」
「(雰囲気、台無しなんですけど)」
お読みいただきありがとうございます。
結婚式がどんな風に進められるかなんて、知らないよっ! だから想像に任せて書くしかなく、重要な部分が欠落していても気付きません。無責任で申し訳ないです。これでも精神を削って調べるべきところは調べたのですが……。
さて、スイーツたちの結婚が終了しました。次の更新では、一体全体、どのように話が展開していくのでしょうか。私の頭の中は、明日香が着たドレスのようです。では、次話にて。