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04 アンインストール

「……で、これのどこがお墓な訳?」


 明らかにつまらなさそうな声で、伊織は吐き捨てた。それはそうだ。俺たちの目の前にあるのはどこからどう見ても、街路樹のイチョウなのだから。

 自宅から駅に向かう途中にあるイチョウ並木は、結構な長さを誇っていた。駅を通り過ぎ、道なりに十分ほど進むと、長い上り坂がある。さらにそこを登れば、『一番端に植えられた街路樹』にたどり着くのだ。


 それは、他の木よりも二回りほど大きなイチョウだった。なぜこの一本だけそんなに成長したのかは分からない。さらに、長く続いたイチョウ並木の先にあるのは、廃工場のみ。廃工場にはがっちりと鍵がかかっていて、簡単にいたずらもできない。周囲は住宅街というわけでもなく、閑散としている。つまり、この大きなイチョウを見るためにわざわざ上り坂を登らない限り、誰も来ないような場所になっていた。

 周囲は当たり前のように静まり返っている。わくわくとした表情でついてきていたはずの伊織は、面白くなさそうに周囲を見渡した。


「ここ、よく来てる場所じゃない。なんでわざわざ」


 ――そう。伊織とはよく来ていた。誰もいないから気楽でいいね、と。

 この場所が便利だと言える点は、大きなイチョウの木の下に、ぽつりと一つだけベンチが設置されていることだ。これまたどうして設置されたのかは不明だが、ある限りはありがたく使わせてもらう。俺はすとんと腰を掛けると、空いているスペースを手で叩いた。


「お前も座れよ、ほら」


 伊織は口を尖らせつつも、俺の隣に仕方なく腰をおろした。そして再度、首をあちこちに振る。


「……ねえ、誰のお墓参りだって?」

「ここでよく、一緒に話してた人の」

「そんな人いたんだ」

「……中学の同級生な。男だけど」


 口から出まかせを言うと、伊織は吹き出した。


「男同士で、イチョウの木の下に座ってたの? 絵面がちょっと面白いんだけど」

「ば、そんなんじゃなくて! ……カードゲームとかやってたんだよ」

「へえ……」


 伊織はそれっきり、黙り込んでしまった。俺は気まずくなって、ラップに包んだ握り飯を取り出し、伊織に差し出す。目の前に突き出された握り飯を見て、伊織は目を輝かせた。


「わ、慎吾のおにぎりとか久しぶり。慎吾って、おにぎりだけはうまく握るもんね」

「おにぎり屋でバイトしてた人間が作った傑作なんだからな。味わって食えよ」

「うん! ……ありがと」


 なぜか急にぎこちない笑顔を作り、伊織はまるで暖でも取るように、握り飯を両手で包み込んた。確かに握り飯は若干暖かい。けれど今日は、秋という割には暑い気温だった。


「寒いのか?」

「え? ううん……」


 それきり、また黙り込む。俺は自分の握り飯を取り出すと、ラップをはがし、口に入れた。少し高級な、自分で作ったわけでもない鮭フレークの味が広がる。伊織の一番好きだったメーカーの物を選んだが、昆布やおかかが食べたかったのだろうか。そう考えていると、伊織が「ねえ」と口を開いた。


「その人って、どうして死んだの」

「え?」

「その、中学時代の同級生よ」


 俺は伊織の顔を見ないようにしながら、「病気」と短く答えた。何の病気? という質問は飛んでこない。その代りに、違う質問がぶつけられた。


「その人、最後に何て言ってた?」

「え?」


 ――私が死んだら、新しい彼女作りなよ。


「……ええっとな」


 呟いてから、はっとする。それは、伊織から指摘された、嘘をつくときの俺の癖だった。

 けれど、本当の事なんて言えるはずがない。

 何も聞こえない時間が続く。それはまるで、海の中に潜っているような静かでゆっくりとした時間だった。


「……そう」


 隣に座っているはずの伊織が、ぽつりと声を漏らした。その距離がひどく遠くなったような気がして、俺は伊織の方を見やった。彼女は足元に目をやったまま、ぴくりとも動かない。


「――……伊織?」

「私さ。最近、変?」


 最近、というのはいつのことを指しているのだろう。伊織が生きていたころの記憶だろうか。それとも、伊織の記憶をインストールした後の事だろうか。俺は思考を巡らせながらも、何が、と返した。

 伊織はふっと顔をあげた。その顔に張り付いているのは、


「私、ちゃんと笑ってる?」


 その顔に張り付いていたのは、不器用に創作された笑顔だった。途端に何も答えられなくなって、おかしな表情を貼り付け俺も固まる。そんな俺を見て、伊織はふっと息を吐いた。


「いつからだろう。ある朝起きたらね、心の底から笑えなくなってたんだ」


『ある朝』。それがいつなのか、俺はきっと明確に理解している。その朝よりもずっと前に彼女は死んだ。最後までよく笑って、怒って、泣いて。彼女のそれは決して、演技ではなかったのに。


「――怒るのも泣くのも嬉しくなるのも悲しくなるのも、計算しないと出来ない気がする。……考えるのはね、ほんの一瞬なんだ。笑うべきか怒るべきか、ほんの一瞬で考えて、『きっと私ならこうするんだ』って答えを出すの。機械みたいに。人間じゃ、なくなったみたいに」


 そうして少しずつ、慎吾と私は、何かがズレていってるんだ。

 その告白に、彼女の涙に、俺ははっとした。


 伊織の感情や思考をインストールしたアンドロイド。本人にアンドロイドという自覚がない以上、もうそれは人間に近いものに違いない。

 俺は彼女と、どう接していたのか。アンドロイドとして? それとも人間として? 伊織として? ――きっとどれも当てはまるし、どれも間違えている。俺は彼女を伊織だと思っていたし、人間だと思っていたし、アンドロイドだと理解していた。不安定な気分で、不安定な態度で彼女と接した。そうすることで少しずつできていく溝に、彼女が気付かないはずがない。だって彼女は、『どこまでも人間に近い』アンドロイドなのだから。


 俺は彼女に何を求めていたのだろう。彼女は伊織ではないとあれほど頭で認識しながら、どこかで伊織を探していたに違いない。伊織ならどうするか、伊織ならどう考えるかを、常に彼女に求めていた。彼女はずっと、それに応えていたんだ。伊織として考え、伊織として動いて、伊織として笑う。自分のどこかに、違和感を覚えながら。ずっとずっと。

 そんな彼女とともに空虚に笑う日々が、続いていたんだ。今まで。

 それは彼女を傷つけるだけだと、俺は、理解できていなかったのだろうか。


「……伊織」

「私やっぱり、おかしくなってる?」


 笑いながら、手の甲で涙を拭いながら、伊織は呟いた。


「ねえ。私の名前を呼ぶとき、どうしてそんな遠くを見るの?」


 彼女は伊織で、伊織ではない。どうしてもっと早く気が付かなかったんだ。

 あの日、言っていたじゃないか。電話口で、女性のオペレーターが。


 ――隠しプログラムをインストールされたなら、感情のあるアンドロイドになりますからね。


 感情のある『アンドロイド』という枠組みから、彼女はきっと抜け出せない。

 その事実は、どれだけ彼女を傷つけることになるのだろう。


 俺は握り飯を包んでいたラップを丸めると、鞄に突っ込み立ち上がった。彼女は俺を見上げる。その拍子に零れた涙は、コンクリートにぽつりと黒いシミを付けた。俺は微笑むと、彼女が怯えないように出来るだけゆっくりと、右手を差し出した。


「――……帰ろう」


 その意味を、彼女は理解していない。けれども、その細い指で俺の手を掴んだ。


 黄緑色に染まったイチョウ並木に沿うようにして、ゆっくりと歩いていく。彼女と手を繋いで。

 彼女は俺の半歩後ろを歩いていて、俺が彼女の手を引っ張るような形になっていた。彼女は何も話そうとせず、俺も何も言おうとはしなかった。そうしてゆっくりと、長い下り坂を下っていく。木漏れ日が照らす道はゆらゆらと不安定に揺れていて、それに何故か安心した。


 それは、あの日と同じ光景だった。

 木漏れ日の下、手を繋ごうと言い出したのは彼女で、俺は妙に動揺して。あの時は手を差し伸べてきたのも、そのまま指を絡めてきたのも、伊織だった。そして、満足そうに笑ったんだ。

 けれどその手は驚くほど冷たくて、――そしてかすかに震えていた。

 それに気づかないふりをして、俺は率先して前を歩いた。彼女の手を握りしめて、半ば引っ張るようにして歩く。小さな嗚咽の聞こえる、その後ろを振り向けなかった。

 振り向けばきっと、足を止めてしまうような気がしていたんだ。


 そしてあの時、イチョウ並木の下で、伊織はたった一言呟いた。




「……私がもしも死んで」


 伊織の記憶を受け継いでいる、彼女が不意に口を開いた。その声はかすれていて、頼りなくて、けれどもはっきりとした意志を持っていた。


「うん?」

「その私が慎吾にアンドロイドをプレゼントしたとすれば、どういう意味があると思うか。前に、そう訊いてきたよね」

「――ああ」

「あれ、ずっと気になってたの。なんとなく、引っかかって……。それでね、考えたんだ。もしも私が、そういうものを慎吾に送ったのだとすればそれは」


 くん、と手を引っ張られ、俺は後方にたたらを踏んだ。思わず、彼女の方を見る。彼女はやはり泣いていて、それでも透き通った目で、透き通った声で、俺に伝えた。


「そのアンドロイドが、慎吾の時を動かしてくれれば、と思ってたんだ」


 私が死んだら、慎吾は自分の時も止めてしまいそうで。

 誰かに頼るなんてこともしなさそうで。

 だから、多少おかしくても、頼れるような『人』が側にいてくれればいいなって思うんだ。

 それで慎吾がまた笑えたら。その人と過ごすことで、時を進めることができたら。その相手がたとえアンドロイドであったとしても、嬉しいと思えるから。そのアンドロイドから、また新しい出会いに巡り合えたら。――時を動かせたら、世界を広げられたら、それはとても素敵なことだと思うの。

 だって私、慎吾には死んで欲しくないもの。身体だけじゃなくて、心も。


「――そうか」


 握りしめた手が震えているのは、彼女だけじゃない。あの日と同じ。

 あの日震えていたのは、伊織だけじゃ、なかったんだ。



 帰宅すると、彼女は俺の作った握り飯を噛みしめるようにして食べた。俺はそれを眺めながら、この後自分がすべきことの段取りを、頭の中で組み立てる。彼女が眠ったらパソコンを起動して、USBケーブルを繋げ、――そして俺は彼女を、消すことになるんだ。

 ごちそうさま、と笑う彼女。その顔だけは忘れないよう、脳裏に焼き付けた。

 疲れちゃったから少し休むね、と伊織は言う。それは単にバッテリー切れなのだということを、彼女は知らない。俺は寝室まで伊織を導き、そっと頭をなでた。


「……今日の事、俺は忘れないから」


 その言葉を聴いて安心したのか、彼女は頬を緩ませた。


「うん。じゃ、おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 すっと彼女のまぶたが閉じる。俺はしばらく彼女の額をなでた後、パソコンを起動し、彼女の体にUSBケーブルを繋いだ。彼女を、アンインストールするために。


『プログラム【伊織】をアンインストールしますか? 

 警告:この情報は、一度アンインストールされると二度と復元できません』


 ――俺は彼女をアンインストールする。けれどたとえ、コンピュータから伊織の記憶データが消されてしまっても、俺は彼女のことを一生忘れない。そう、彼女の存在が俺の中からアンインストールされることは、ないんだ。伊織のデータをアンインストールしても、目に見えなくなっても、会話ができなくなっても。彼女はいつだって、俺のすぐ近くにいる。


「そうだろ? ――伊織」


 俺は微笑み、エンターキーを、押した。




 伊織のアンインストールも、カナタのバックアップデータのインストールも、あっという間だった。伊織をインストールするとき、丸一日かかったのが嘘のようだ。

 目を覚ましたカナタは、「おはようございます、マスター」とあいさつし、微笑んだ。先ほどまでとは全く別の表情を見せるアンドロイドに、俺も微笑んだ。

 カナタは『朝食にだし巻き卵と、ジャガイモの味噌汁を作ってる最中』という中途半端な記憶を保持したままだった。目覚めて早々キッチンに行き、自分の料理がすっかり消えていることに、更には調理器具の配置が変わっていることに首を傾げた。その様子を見た俺はとりあえず、カナタの回路に少しだけ不具合が生じ、しばらくの間修理に出していたのだと嘘をついた。

 カナタはまず、俺に謝った。マスターにご迷惑をおかけして申し訳ない、情けないです、と。それを言うのは俺の方なのだが、カナタはその訳を知らない。俺は苦笑して、大丈夫だよと頭をなでた。カナタが壊れてなくてよかった、と。

 ――彼女を一時的にアンインストールしていたことの方が、よっぽど情けなくて申し訳なかった。


「……あの」


 どこか言いにくそうに、カナタが言う。なに、と訊ねると、カナタはしばらく考えてから、


「もしかして、私、修理にすごく時間がかかったり、あるいは何かのプログラムを読み込むのに手間取ったりしていませんでしたか」


 その質問に、俺はどきりとした。

 何かのプログラム、というのは『伊織』のことだろう。確かに、伊織をインストールするのにはかなりの時間を要した。けれどどうして、カナタがそれを知っているのだろうか。


「プログラムが停止している間の事なので、覚えているはずがないんですけど……。声が聞こえていたんです」

「声?」

「ええ。女性の声で……『やめて、やめて』って」


 それを聴いた瞬間、伊織だ、と直感的に思った。やめて、の後に続いていただろう言葉も。


 ――やめて。私をインストールしないで。あなたの時を止めないで。


「……やっと分かった」

「へ?」

「いや、なんでもない。ごめんな」


 伊織が自分のデータを残したのは、俺のためじゃなかった。違う形で、俺と生きていくためでもなかった。ただ本当に、『カナタ』を渡したかっただけなのだろう。自分が死ぬことで閉ざされるかもしれない俺の心を開くための、彼女を。そのために、伊織は自分の記憶データを売っただけだったんだ。

 俺はカナタの頭をぽんぽんと撫でると、正面から瞳を見つめた。伊織のそれとは違う、茶色ががった瞳。


「カナタ」

「はい?」

「――好きだよ」


 俺が笑うと、カナタは「み?」と言ったきり凝り固まってしまった。俺は笑う。

 彼女はあくまでも『嫁』アンドロイドだ。好きだのなんだの、そういった言葉をかけられたことに対するマニュアルは、頭にインプットされてるだろう。それでも凝り固まる理由を、何秒も何十秒もかけて返事を選ぶ理由を、「えと、えと……」と言葉を繋ぐ理由を。もしかしたら、俺は知っているのかもしれない。

 俺は微笑んだまま、カナタの耳元でささやいた。

 昔、イチョウ並木の下で、伊織が泣きながらも紡いだ一言を。



「――ありがとう」



 目の前にいる彼女と、遠くに行ってしまった彼女に、心を込めて。


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