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02 インストール

「――起きろって言ってるでしょ! 何時だと思ってんのよ、もう!」


 カナタが倒れたあの日から一か月経った朝、俺は文字通り叩き起こされていた。叩き起こした相手は一見清楚に見える女性で、――けれども一か月前とは中身が違う。彼女はふん、と鼻を鳴らすと、俺の額を容赦なく叩いた。バチバチと、明らかに痛そうな音が鳴り響く。


「お、き、ろー!」

「いたっ、ちょ、いたたた! やめろ、頭蓋骨が陥没骨折する!」

「慎吾、大げさ。そんなに強く叩いてないわよ」


 俺の知っている『彼女』は毎朝こんな感じで俺を起こす。けれど俺の知っている『彼女』は、もっとふわふわとした話し方をしていた。はずだった。


「……なんなの、ぼーっとして。まだ寝ぼけてるの?」

「え? あ、いや」

「シャッキリしなよ、もう。今日は特別にお高いコーヒーでも入れてあげるわ。さっさとリビングに来るように!」


 そう言い残し、早足で部屋を出て行こうとする彼女に、俺は呼びかける。彼女の、名前。


「――――……伊織」

「なに」


 躊躇していた俺とは違い、彼女は当たり前のように、素直な動作で振り返った。長い髪が、頭の動きよりも大げさに揺れる。俺の知っている伊織の髪は、いつだって肩の上ではねていたのに。


「……いや、いい。なんでもない」

「はあ? なんなの、振り返ってほしかっただけなの? 見返り美人でも要求した?」


 彼女は自分のセリフに自分でウケながら、今度こそ部屋から出て行ってしまった。




「……プログラム、伊織?」


 カナタの口から飛び出た言葉に、俺の頭は混乱していた。伊織。彼女は確かに今、伊織と言った。プログラム伊織。なんのことだ。

 カナタは、それ以上何も話さなくなった。何を訊いても返事がない。俺は諦めると、すっかり読まなくなっていた説明書を取り出した。カナタの性格や記憶――プログラムをアンインストールする方法は明記されている。だが、他のプログラムについては載っていない。

 と思っていたら、下の方に小さな赤文字でこう書かれていた。


『隠しプログラム搭載機の場合、初期ではロックされた状態となっています。ロックが解除されるのは、通常プログラムのインストールから三か月後です。ロック解除後は、隠しプログラムをインストールしていただけます。

 隠しプログラムをインストールする場合、通常プログラムをアンインストールするか、ゴミ箱に移してから実行してください。


 ※通常プログラムのメモリーを保持したい場合は、バックアップを取ることを推奨します。

 ※隠しプログラムは、バックアップできません。ご了承ください』



 訳が分からなかったので、もう一度読み返した。通常プログラム、というのはおそらく、CD-ROMからインストールしたカナタのことだろう。だとすれば隠しプログラムというのは、先ほど言っていた『伊織』に違いない。

 俺は分厚い説明書を隅から隅まで読んだ。けれど結局、一番知りたかったその『隠しプログラム』については一切触れられていなかった。ネットで検索してみても、憶測ばかりが飛び交っていてどれが本当なのかさっぱり分からない。ついには挫折し、『嫁サポートセンター』電話した。最初からこうしておけばよかったのかもしれない。


 よく通る声が特徴的な女性オペレーターは、カナタの製造番号と俺の名前を聞き出し本人確認すると、どこまでも懇切丁寧に事情を説明してくれた。


 この製品(嫁)は現在、実在している人間の記憶データをプログラミングし、一人の人間として活動できるよう研究を行っていること。

 その研究のため、あらゆる人間のデータを収集していること。

 人間一人分の記憶データを提供すれば、八割引きで嫁を購入できること。

 提供したデータは、自分が購入する製品の『隠しプログラム』として搭載されること。


 ここまで説明され、俺はその話を伊織に置き換え考えた。


 よく考えれば、伊織はさほどお金を持っていなかったはずだ。学生時代に貯めた金なんてたかが知れているし、そのあとはパートで食いつないでいた。大学時代に両親が事故で死に、天涯孤独だった伊織には、貯金する余裕なんてなかっただろう。俺と結婚してからは、すぐに入院している。逆立ちしたって、このアンドロイドを購入できるだけの貯金はなかったはずだ。『いたずらにしては金がかかりすぎている』と思ったあの日、なんでここに気が付かなかったんだろう。

 八割引き購入。安い商品なら、二十万円程度になるはずだ。そのために伊織は、『人間一人分の記憶』を提供した。その『記憶』こそ、伊織本人のものだったに違いない。

 自身の記憶を提供した理由は簡単、他に頼る相手がいなかったからだ。大体、「下手をすれば旦那の性欲処理に使われるかもしれないアンドロイドに、あなたの記憶を提供してください」などと他人に頼めるはずがない。

 そうして、伊織は自身の記憶を提供した。だからこそ購入した製品カナタの隠しプログラムに、伊織の記憶が搭載されている――。


「記憶を提供することで、本人が記憶喪失になることは?」と訊ねると、「提供していただくのはあくまでも複写コピーした記憶ですので、ご本人様に影響が出ることはございません」と即答された。『記憶の複製法』や『隠しプログラムとしての搭載方法』については企業秘密らしく、教えてくれなかった。


『また、記憶の一部は都合により、改竄かいざんさせていただいております』

「改竄?」

『はい。――たとえば容姿です。ご購入していただいた『製品』と、提供していただいた記憶データ内の『自分』では、当たり前ですが容姿が違います。こうなると、嫁の中で混乱が生じ、最悪の場合ショートする恐れがあるんです。そのため、『製品』の容姿を『自分』だと認識できるよう処理しております。自分はアンドロイドだと自覚のあった通常プログラムとは違い、隠しプログラムではあくまでも、自分のことは人間だと認識していますから……』


 なるほど、と俺がうなずくと、オペレーターは若干言いにくそうに言葉をつないだ。


『また、……失礼ですが、データを提供していただいた菅原すがはら伊織様は、ご病気で既に亡くなられていますよね?』

「……ああ」

『メモリーを提供していただいた際、菅原様はご自身のお体の事をよくご存知でした。しかし、それをそのままプログラムとして提供してしまうと――』

「病気で今にも死にそうな伊織、という設定になるわけですね」

『はい。……『嫁』からすれば、それも矛盾でしかありません。自分はいつまでも動いているし、動けるはずなのに、と』

「――その矛盾を解消するため、伊織の記憶を一部改竄した?」

「はい。大病を患ったこともないような健康体、という設定に変更させていただきました。大変申し訳ありません」


 なんでか本当に申し訳なさそうに謝られ、テレビ電話でもないくせに俺はぶんぶんと首を振った。それから、倒れているカナタへと目をやった。

 記憶が多少改竄されているとはいえ、伊織がまだここにいるんだ。そう考えた途端、何かが震えた。それが心だったのか身体だったのかは、自分にすら分らない。


『――お客様、隠しプログラムのインストールはお済みですか』


 唐突にオペレーターに訊ねられ、俺ははっとした。


「え、いやまだだけど」

『説明書でご確認いただいているかとは思いますが……。製品に付属していた『通常プログラム』、お客様の場合はカナタですね。これは、バックアップ可能です。たとえば隠しプログラムをインストール後、バックアップしていたカナタのデータを再度をインストールすることはできます。ただし、二つのプログラムを同時にインストールすることはできません。通常プログラムを再インストールする際は、隠しプログラムの方を破棄していただく必要がございます』

「破棄……?」

『隠しプログラムは実在する人物のデータですので、個人情報保護の観点からいくつか制限が設けられております。隠しプログラムは複写することができないよう念入りにブロックをかけておりますし、第三者への譲渡も禁止されています。そして……アンインストールされた場合、データは即刻【破壊】されるようになっています。隠しプログラムをアンインストールされる際は、十分ご注意ください』

「…………」


『私たちは、隠しプログラムのインストールを推奨しています。隠しプログラムをインストールされたなら、嫁は、感情のあるアンドロイドになりますからね――』



 それから、カナタのデータをバックアップ、アンインストールし、伊織のプログラムを読み込むのに丸二日かかった。半日ほどは俺が悩んだせい、更に半日はカナタのデータのバックアップに手間取ったからだが、丸一日は伊織のインストールに費やされた。通常、隠しプログラムのインストールは長くても一時間だと書かれていた。伊織をインストールするのにどうしてそこまで時間がかかったのかは不明だが、俺は通常の二十四倍の時間をかけ、伊織と再会したのだ。とはいえ、容姿や声が全く異なる伊織だが。


 カナタの姿をしたそれは、目覚めたとき、あっさりと言い放った。


「あれ、慎吾。どうしたの、変態な顔して」


 ……これは間違いなく、カナタなら言わない言葉だ。

 声は違う。容姿は違う。けれど口調も動作も考え方も、そのすべてが伊織になっていた。彼女はアンドロイドではなく、あくまでも伊織として、俺の名前を呼んだのだ。


 こうして俺は、再び伊織と生活し始めた。

 ただ、容姿が変わってから、彼女を抱いたことは一度たりともなかった。



「慎吾さ、今日は会社お休みだよね」


 明らかに焦げている食パンを俺に提供しながら、伊織が言う。ちなみに本日の朝食は、昨日の残りの八宝菜と、インスタントのカレースープ、焦げたトースト二枚にオレンジジュースだ。本人を丸々複写したとはよく言ったもので、相変わらずのセンスのなさを誇っている。色々なことに俺は笑いながら、「そうだけど」と答えた。


「じゃあこれでも見なよ。昨日借りてきてあげたから。あ、でも一泊レンタルだから今日中に全部見てね」


 伊織はそう言うと、ひょいっと青い袋を投げてよこした。近くにあるレンタルショップのものだ。レシートには、新作DVDと書かれている。


「なんだ、なんかの映画か?」


 俺は食パンを口にくわえたまま、袋を開いた。そして、食パンを袋の中に一枚まるごと落としてしまった。


 彼女が借りてきていたDVDは全八枚。手前から順に、『秘密の課外授業 先生の(自主規制)』、『私の(自主規制)特盛ツユダクで』、『(自主規制)を逮捕して! あなたの警棒(自主規制)』……後の五枚はもう自主規制するところがないくらいに率直なタイトルだった。もちろん自主規制するが。

 なんというかもう、ある意味素晴らしく、ある意味最低なラインナップである。どこからどう見ても女性が借りる代物じゃない。しかも伊織は今、何と言ったか。今日中に全部見てねとか言わなかったか。

 これらを下手に延滞して、カウンターで追加料金を払うのは恥ずかしい。しかし、一日でこれ全部見たら違う意味で恥ずかしい。俺は伊織の方を見た。意地の悪い顔して笑ってやがるこの野郎は……。


「あのな、伊織」

「あれ、好みじゃなかった? 好きそうなの借りてきたんだけど。あ、それとももう見たやつだった?」

「ああ、これとこれはもう見た……じゃない!」


 俺は袋の中に入り込んでしまった食パンを取り出しながら叫んだ。


「清楚な顔して何を借りてきてんだお前は!」

「いやあ。慎吾、すっごくたまってるかと思って」

「ばっ……余計な心配すんじゃねえ! あのあれだ、あの」

「だって慎吾」


 ふい、と俺から視線を逸らして、伊織は呟いた。


「最近、私の事抱かなくなったから」


 重いような、ぬるいような、複雑な空気が流れた。八宝菜とカレースープのにおいが混ざった部屋。そこにいるのは俺と伊織で、だけど彼女は伊織じゃない。

 容姿が変わっても、伊織は伊織だと思っていた。彼女はアンドロイドで、けれども伊織の記憶をインプットされている。俺との初デートの事だって鮮明に覚えているし、思考回路も口調も動作も、伊織そのものだった。


 けれど彼女はあくまでも、『伊織をなぞったもの』なのだ。


 俺の頭はそう判断していて、だからそういう欲求を抱くことも、なかった。

 けれど彼女は確かに伊織で、だから俺は、彼女のことを伊織と呼んでいた。伊織として接していた。

 それでも、本当の彼女は、もう。


「……えと」


 思わず、カナタの口癖が出た。二の句が継げない俺を見て、伊織は笑う。それはどこまでも、空虚な笑みだった。


「私もしかして……胸、小さくなった? そそらないとか?」

「え、俺貧乳でも……いや論点そこじゃねえよ!」


 俺が再び食パンを落とすのを見て、伊織は少しだけ考え、げらげらと笑った。


「いやまあ、いいんだけどね私は。あくまでも変態な慎吾君の欲求不満が心配になっただけー」


 彼女は気まぐれな声を出すと、「それじゃあそのビデオは私が見ちゃうから」などと冗談(であってほしいこと)を言いながら立ちあがり、フラフラとキッチンに消えてしまった。


 その華奢な背中を、揺れる黒髪を、その後姿を俺は知っていて。

 けれどそれは、伊織のものではなかったんだ。



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