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プチトマト  作者: コスミ
6/12

ウォーミング



   ◯ 小湊と回田 お昼ごはん


 この日、小湊は一人で食堂へ来た。

 すると、券売機の前で長考している知り合いを見かける。その横に立ってみた。

「んん~……」

 回田が、ゆっくりと頭を左右に揺らし、インフィニティの記号を描いている。

「……回田さん」小湊はそっと声をかけた。

「あ、すみませんどうぞお先……」回田は身体を引いたところで、小湊に気づいた。「あ~、小湊さんだ。これからお昼なの?」

「うん、お昼」小湊は窓を一瞥した。「ダイエットしてないから、ちゃんと食べるよ」

「いいね~……あれ? 黒木さんは一緒じゃないの?」

「そうそう、なんか上手い具合にさ、選択した授業の時間が歯車な感じで嚙み合っちゃって」

「そうなんだ~。時間食い違っちゃったのか~」

「うん、食い違った……真逆なようだけど、そういう感じでもある」

「あのさ、だったら小湊さん、一緒にお昼どう?」

「おお、いいね。あ、とりあえず早くさ、食券買おっか……列できてきたし」

「えっとね~、小湊さん、先にやって。やり方もう一回見たいから」

「えっ、そうなの……」

 小湊は自分のメニューを選びながら、回田に券の買い方を教えた。それほど時間はかからず、渋滞は何とかすぐに回復可能な程度に留めることができた。

 二人は、空いている真ん中あたりのテーブルに座った。

 定食を前に、回田は目をつむり、手を合わせて少しだけ静止した。そして食べ始める。

「美味しいね」と言い合った後、しばらく、会話はなかった。

「私、ひとりで食べるの平気なんだけど、一緒に食べる友達がいると、もっといいよね」

 半分ほど食べたころ、ようやく回田がそのようなことを言った。

 長い発言我慢比べが終わったと見たのか、小湊はすぐに元気よく頷く。飲み込んで、口を拭いた。

「そうだね。私も静かに食べたり、賑やかに食べたりするの好き。後者の方が、ちょっと上」

「小湊さん、友達多そうだから、いいね」

「……うーん、どうだろ。広く浅く、って感じかな」

「へえ、広く浅くか~。……それって、田んぼみたい?」

「え。いや……ちょっと違うかな。そこまでフラットじゃないし、ぬかるんでもいないよ」

「そっか~まだ田植え前だもんね。この例えは、秋にするべきだった」

「そうだね……、でも秋だと、刈り入れ前に水を抜いちゃうんじゃない?」

「あ~、う~ん、浅いどころか干上がっちゃうのか。でも、もっと実り多くて、それにもっと深くなるといいよね」

「うん……。なんの話だっけ、これ」

「ここのご飯、美味しいよね。いいお米みたい」

「あ、そうそう本当に。いい炊き具合だよね」



   ◯ まんじゅうの倒し方


 興津は、全ての情熱を傾けて田又まりんに説いた。自分は、タチの悪い冗談と、甘いもの全般が大の苦手である、ということを。

『そうですか、貴方の品位では我の冗談を〝質の悪い〟ものと見るのですね。はーい。では、これから正しい手順を踏んで、まんじゅうの撃破・処理をしましょう』

「……ボクには、もっと撃破したいものがあるんだけど」

『まずは、ミキサーを出してください。……ほら左下だよ、とっとと出せ。出せって』

「いや……ミキサーって、なんか意図がストレートだな……」

 興津は、容量一リットルほどの大型ミキサーを調理台にセットした。

『まんじゅうをふたつ、入れなさい』

「うわー」興津はまんじゅうを恐れるように、ためらいを見せた。「いざやろうとすると、もう何とも嫌な感じだな……あのさ、先に聞かせてくれ」

『なんですか』

「ミキサーで混ぜたあとは、どうする気?」

『それを知っては作業に差し支えます。いいから速やかに粉砕しなさい』

「そんなっ、そんな恐怖を背負ってミキシングしろって言うのか!」

『そうです。悪に対しては、時に非情に、無感情にならねば、やっていけませんよ』

「……はあ、わかったよ。でも、後でいいから教えてくれないか? 知りたいんだ……ボクは一体、前世でどれだけ悪いことをしたから、今こんな目にあっているのかを……」

 興津はミキサーのスイッチを押した。

 途端に、モーターが待ってましたとばかりに猛烈な唸りを上げる。透明な円筒の中で、斜めに重なっていた紅白まんじゅうが、一瞬にして黒いあんこをさらけ出す。

 宙を舞い、荒れ狂うあんこの塊が、ぶつかり合い、混じり合い、やがてハリケーンのように渦を巻く。あまりに無力な紅白の皮の色は、見る間に引き裂かれて消えた。

「これは……、思ったより壮絶だ……」興津はスイッチを押さえる指先を白くしていた。

『なかなかに体積がありますからね、大きめのミキサーがあって良かったです。親に感謝しなさい、このキザボンボン』

「一瞬、悪口だとわからないようなことを言うの止めてくれないか、時間差で変に嫌な気分になるんだけど」

『そんなタイムラグについて我が気遣う必要性は皆無です。さあ、そろそろ止めてください』

 興津が指を離すと、モーターが気分を害したように沈黙し、ミキサーの中の嵐は止んだ。

「これ……、どうするんだ? 生ゴミとして、ごめんなさい、か?」

『いいえ。適当な器に移してください。……右奥の、そのラーメンどんぶりでいいです』

「ああ、嫌な作業だな……。悪を討っている筈なのになんで罪悪感があるんだよ……」

 興津はミキサーを器の上でひっくり返して中身を落とした。内側やブレードの部分にへばりついたものは、分解してゴムベラを使った。

「ミキサーはどうするんだ? 普通に洗うだけでいいなら助かるんだけど」

『奇跡的に気を利かせましたね。そう、ミキサーの汚染についてですが、問題ありません、水洗で充分です。ゴムベラや器もまた同様。今回の場合は、まんじゅうの体積の大きさが幸いしましたね。もし微小であれば濃度も上がるので処理が面倒ですし、捜索の段階から困難だったでしょう』

「まあそうなんだ。いやいいけどさ、このぼてぼてしたまんじゅうペーストの処遇は?」

『そうですね、清潔なスプーンを持ってください』

「スプーンって……小分けにするのか? ……これでいいや」

『はい。いいですよ』

「ん? なんだよ……。なんの許可だ?」

『だから、どうぞ召し上がれよ』

 興津は、抜かれた度肝と逃げ去った魂を呼び戻すために数秒間沈黙し、それから言葉を尽くしての抗議を開始した。強いられた現在・過去の行動とその順序の意義を問い、人道的な観点から要求内容の見直しを迫った。

結局、一時間二十分かけて、彼は完食した。

 ……そして、紅白まんじゅうに憑いていた悪は、興津の消化能力と、田又の波動照射との連携によって、めでたく完全に浄化されたのだった。



   ◯ 黒木と小湊 新しい呼び方 


 教室が、朝の集合場所として機能している。

 小湊と短い挨拶を交し、黒木が、机の横に黒のメガロポリスを掛けながら切り出す。

「突然だけどさ、小湊さんのこと、るぅって呼んでも平気?」

「え……」小湊は目をまるくして、机を押すように腕を伸ばした。「あ、そっか、もしかして回田さんに聞いた?」

 黒はが少し身体を揺らすように頷く。「そうそう、昨日言われてさ。なんか、るぅって呼ぶように勧められた。回田さん、『私がお昼の時に、るぅちゃんって呼ぶ許可をとったから、黒木さんもそう呼べるはずだよ』って」

「へえ、そっか。それはもちろん回田さんの言う通りだけどさ、もっと回田さんの口調を真似て欲しかったかな」

「え、何の感想?」黒木は悩ましい笑みを浮かべた。「とりあえず、せっかくだから今後はそう呼んでみるよ。嫌じゃなければ」

「全然。ぴったりって感じ。実はお父さんもさ、私のこと、るぅって呼ぶんだよ、だから黒木さんも今みたいに、ちゃん抜きの方でね」

「なんかそれ、わたし父親に重ねられてない?」

「黒木さんならきっと、良い父親にも、良い母親にもなれるよ」

「なれないよ。特に前半は断言できる」

「あ、ね、それじゃ私もこれからさ、黒木さん、じゃない呼び方してもいいかな」

「……ん、そっか。いいよ、何でも、変なのじゃなきゃ。ああでも、ちなちゃんっていうのだと、ちょっとこそばゆいから、それよりはもう少し大人な感じのを希望します。単に呼び捨てとか」

「待って、考え尽くすから……」小湊はインチキっぽく額に指を当てた。がすぐに終わり、また黒木へ顔を向ける。「よし、これはどう? ちーにゃ」

「なんか甘い」黒木の即答。「ちょっと、わたしには合わないと思う」

「えー? クールに見せて名前は甘い、っていうのが、この新たなイメージ戦略の大事なチャームポイントなのに。あ、むしろ、ちーにゃじゃなくてチャーム、いや、チャーミング……チャーミー、ミィ、ミィニャ! これだ!」

「これだ! じゃないよ。もうそれ原型ないし、甘さが増してて完全に恥ずかしいレベル」

「うーん、確かにミィニャまでいくと、さすがに合わないかな……じゃあもっと普通なのにするよ、申し訳ないけど」

「うん、申し訳なくないよ。普通大歓迎」

「それじゃ、ちなっちゃん、じゃないな……ちなっち、これでもないかな……」

「いいよ、ちなっちで」

「え? なんで、もっと麗しい感じのが良いと思うんだけど……いいの?」

「あだ名に麗しさは求めないよ……むしろ要らない。ちなっちにしてください」

「ほんとー? なんかさ、妥協っぽくない? 大丈夫?」

「大丈夫だから、うん、決定ね、よろしく」

「むー、なんかふつーなのが採用されちゃったなー」



   ◯ すずなりプチトマト(小湊キミの要望により改題)


 当コーナーでは、校史に残る逸材小湊キミが、読者の皆様のあらゆる声に応えます。

Q・勉強のコツを教えてください              A・コツを編み出そうとする

Q・キミさんが一番楽しいと思う事を教えてください     A・思考

Q・将来の夢を聞きたいです                A・ない 常に実現中なので

Q・好きです!                      A・照れます!

Q・その伝説的な記憶力の秘訣はあるんでしょうか?     A・単に機械的な特徴です

Q・好きな給食のメニューを知りたい            A・みかん お味噌汁

Q・森の中でクマに出会った時はどうしたらいいですか?   A・静かに荷を置き後ずさり

Q・尊敬する人は誰ですか?                A・より人間的な人 母と姉

Q・毎日が退屈です 励ましの言葉をください        A・日々は刀削麺

 次号の当コーナーは、〝春・恋愛〟をテーマにお送りします。引き続き、小湊キミさんへの質問と相談を若・干・数お待ちしております。当クラス仁藤慶太または、紙面下部のポストへ投書を。



   ◯ 黒木と小湊 くろねこの謎


「ちなっちってさ、聞き上手だよね」

 小湊がくつろいだ声で、また話の発端を作る。 

「そうかな、意識してないけど」

 黒木はゆるく疑いを示して、小湊のプレゼンテーション力を引き出す。

「聞き上手だよ。だっていつも私の話聞いてくれるじゃん。しかも嫌そうじゃなく。小さい頃なんかさ、ぬいぐるみでさえ、私の話聞いてたら返事する時に縫い目から綿を出しちゃった事があるっていうのに」

「え、それは……扱い方に問題があったんでしょ」

「まあ確かに、ボディランゲージをさせすぎたっていうのも、あるかも知れないけど。とにかく、ちなっちは聞き上手だと思う。それってナイススキルだよ。あ、でも、たまにはさ、ちなっちからも何か話を聞いてみたいなあ。何かない?」

「ええ、そんな、何かって言われてもなあ……」黒木は、雲を掴まされる気分になったが、すぐに掴めた。「あ、でもちょうどいいのあった」

「おお、すごい。聞き上手で話し上手とは……天は彼女にいくつお与えになるのか」

「ちょっと説明要るし、どう話そうかな……ああ、それじゃクイズ形式にしようかな」

「おー、なんかテクニカルだね。テクニシャンヌだね」

「もうそれ以上褒めないで聞いててよ。ええとね――ある日、わたしの携帯に電話がかかってきました。知らない番号からで、それは携帯の番号でもありませんでした」

「どこか家の電話からってこと?」

「たぶんそう、都内から。それで、わたしは軽く勇気を出して、電話にでました」

「そんな、天は知らない電話にでる勇気も彼女に……」

「いいから、ここが大事だよ。わたしが電話にでて『はい……』と言ったら、すぐに相手から返事がありました。それは女の人の声で、一言だけ。『くろねこさんですか?』」

「えっ……」小湊は息を飲んだ。「それだけ? それしか言わないの?」

「いや、まあ、待てば何か続けて言ってくれたかもしれないけど。私はすぐに『いや、あの、違いますけど……』って返しちゃった。だって違うから。そしたら、相手の人は普通に『あ、そうですか、すみません、失礼しましたー』とか謝って、電話はそこで終わった」

「えー……どういうことなのそれ……、いたずらってことじゃないの?」

「たぶん違う。そういう感じじゃなく、いたって真面目な声だったし、演技っぽくもない」

「それは、かえってもう、恐いね……」

「わたしも最初の一瞬は恐かった。わたしの名字をくろねこと読んじゃうなんてことは無いだろうし、もちろんわたしは黒猫じゃなくて人間だし」

「そりゃそうだよ。ちょっとこの恐怖を紛らわす為に試しに猫耳つけてみてほしいけど」

「何たわけた事言ってんの、ここでクイズだよ」

「え、なになに、思わぬ恐さで忘れてた」

「さて、この電話の相手は、なぜこういう事をわたしに言ったのでしょうか?」

「えっ、うそぉ……」小湊の絶望した表情。「無理だよ、そんなざっくりとした問い。わかんないよそれだけじゃ」



   ◯ 黒木と小湊 くろねこの怪


「それじゃヒントね。彼女は、本気で動物のくろねこに電話をかけようとしていたのではありません」

「いや、それはそうでしょう。この世はそこまでファンタジーじゃないよ」

「知ってる。でもわたしは『くろねこさんですか?』って言われた瞬間、頭の中に、受話器を持った黒猫のイメージが浮かんだよ。今思うと、それがパニックというものなのかも」

「相当びっくりするだろうね……そんなこといきなり言われたら。あ、それさ、本当に第一声でいきなり『くろねこさんですか』だったの? 実はその前に何かやり取りがあったとか」

「いいや、そういう編集はしてない。電話は全部、ほぼあった通りに話したよ。次のヒントとしては、そうだなあ、彼女はただ電話番号を間違っただけで、わたしに言った内容は間違ってないっていうか、おかしくはない。っていうところかな」

「うそだあ、おかしさの塊じゃん。なに、くろねこって何かの暗号だったとか?」

「いや。……んん、もっと具体的なヒントにするね。彼女が電話をかけたかったくろねこは、ちゃんと実在します」

「いやだ、もう恐い!」小湊は脇を締めて首を振った。

「待ってよちょっと……」黒木はつい笑ってしまう。「普通の人間です。くろねこさん、というふうに呼ばれても不思議じゃない人物……それを思い出せばもう正解だから」

「どんな人間なのそれー」小湊の声は少し震えている。「もうギブアップします……」

「ここで止めたら恐いままだって。ああ、もういいや。組織です、個人だけじゃなく、法人の単位でもそういうふうに呼ばれます」

「えーなにその謎の化け猫軍団ー、やだもうやめてよう」

 その後も小湊は必死に頼み、黒木は仕方なくクイズの答えの開示を保留して、聞き役へ戻った。セラピーとして猫耳をつけろ、という小湊の要求は即座に棄却された。



   ◯ 喫茶店の休日 くろねこの解


 その翌日、小湊はしっかりと寝て遅く起きた。

 月に二日だけの貴重な完全休日の、見事なスタートダッシュだった。この日の目的は、もうほとんど達成されたようなものだ。

 休業の店内へ行き、テーブルに逆立ちしている椅子をひとつ下ろして座る。

 図書室から借りてきた本と牛乳のグラスを相手に、客の気持ちになってくつろぐ。

 今、家には他に誰もいなかった。

 キミは図書館か公園かスーパーの散歩へ出かけ、父はゴルフ練習場か買い出しか食べ歩きかそれ以外の何かに出かけ、母は今ごろ市の建物にある調理室で製菓教室の準備中だろう。

 牛乳で胃を優しく労りながら、筒井隆之の素晴らしくエッジの効いた短編世界をふたつほど旅した時、父親が帰宅した。家の奥からガタゴトと収納棚の鳴る音が聞こえるので、どうやらゴルフだったらしい。

 やがて、キッチンの奥から父親が顔を覗かせた。

「なんだ、るぅ居たの。荷物、気づかなかった?」

「え? あ、ごめん寝てたかも」小湊は本から頭を離した。「不在の紙来てた?」

「うん、来てた」

 父親はキッチンへ一歩降り、背を向けながら紙を持ち上げて見せた。「安眠過ぎるのも問題だなあ……まあこっちのダメージとしちゃ、ちょっと電話するだけだけど」

「あ、ありがとう。宅配便の人来たら私出るね、そこで謝るから」

「今謝るよ……」とそこで電話が繋がったようだ。「あ、すみません再配達お願いします――」

 父親は時間を指定し終え、再度謝ってから受話器を置いた。そして自分で飲むコーヒーの準備に移る。

「まあ、悪い。言っときゃよかったな、今日荷物来るって。俺も忘れてたんだよ」

「そうなんだ……」本に戻っていた小湊は苦笑した。

 コンロの火が点く音の後、しばらくして、父親が独り言のように話し出す。

「……でもまあ、配達の人に直接電話して、すぐまた持って来てくれるってのは、合理的でいいよな、クロネコさん」

 ――甲高い雷鳴の幻聴。

 小湊は、息を吸い込み、パタンと本を閉じ、勢いよく立ち上がって椅子を鳴らした。

「それだっ!」

 父親は、一瞬固まる。「なに嬉しそうに……うるさいよ。指さすなって」



   ◯ 小湊姉妹 借りてきたくろねこ


 散歩から帰宅したキミに、何かを成し遂げたかのように誇らしげな姉が、素早くかまってきた。

「ねえキミ、いいクイズがあるんだけど」

 キミは手を洗い終え、タオルに本来の働きをさせているところだった。

 鏡から姉へと向き直る。「いいね。また、ろくでもないものを期待する」

「なに、またって。ろくでもない常習犯みたいに言わないでよ。今度のは私のじゃなくて、昨日友達から聞いたのだし、鮮度も品質はばっちりだからね」

「なんだ、高品位で凡庸なものなら聞き捨てるよ」キミはリビングへ歩き出す。

「わがままっこだなあ。いいから聞いてよね、はい、ある日……」

 小湊は、妹の後を追いながら、黒木から聞いた通りに奇怪なクイズの内容を話した。

「……さて、なぜ、このちなっちは突然にこうした電話を受けたのでしょうか?」

 キミはテーブルにつき、新聞の日曜版にある漢字クロスワードを睨んでいた。出題を聞き終えて、姉に顔を向ける。

「これ難しいよね」

「おお、そうでしょう。なんていうか、正常な思考が出来ないようなクイズだよね」

「うん、他の数独とかは退屈するほど簡単なのに、この漢字クロスワードだけは、全然糸口が掴めない」

「ちょっと。そんなパズル後回し。生きた人間の口から聞いた新鮮なクイズに取り組んでよ」

「そのクイズ結構好き」キミはくすぐったそうな笑顔になる。「黒木さんって素敵な目に遭う人なんだね。(ねえ)に釣り合うの?」

「……なんかキミ、今日はスパイシーだね。くすぐるよ」

「やめて。全力で暴れるよ」

「それこそやめなさい、キミ結構力あるんだから。っていうか、もう、脱線してないで回答する姿勢を見せてよ」

「宅急便だよね」

「え……」小湊は口を開けて固まった。

「たぶん黒木さんの携帯番号が、配達の人の番号と似てたんだね。(ねえ)はこのクイズを昨日聞いたんでしょ、それで答えが今わかったばかりみたいな様子なのと、今日の午前に家に荷物が来ることを知っていれば、考えるまでもなく、すぐ連想してわかっちゃうよ。クイズ自体は良かったのに、出題者がまるで甘かったね。はあ……もったいない事が起きた」

「……なんだとこのっ」

 小湊は歯を食いしばり(安全の為)覚悟の下、妹をくすぐった。

「うあはははははははははははははは」

 狂ったような高い笑い声を上げ、キミは数発、姉の顔に変則的な平手打ちを入れながら暴れまわった。姉がくすぐるのを止めて数秒の嵐は去り、新聞に荒々しい傷跡が残った。

 キミは、一瞬で完全な真顔に戻ってつぶやく。

「……ああ、つかれた」

 姉は、頬をさすりながら言う。「ああ、痛ったー……。キミってさ……その最中も直後も、やたら恐くなるよね、くすぐると」

「さあ……それはなぜでしょうか」

「知らないよ。こっちが聞きたい」

「……うん、同感」



   ◯ 校長と愛鳥と、光と闇


 購買部で仕入れたパックの牛乳とクリームサンド豆パンを持って、校長は広い空に包まれた席に腰を下ろす。そこは、野球場の外野にいくつか設置されたベンチだった。

 グラウンドでは、威勢のいい野球部員達がシートノックをしている。新入生達と思われる球拾い係が、外野のフェンスの近くにたくさんいた。

 遠近から大声が届く賑やかな席で、校長はのんびりとパンをかじり、隣の席にいるハトにも欠片を味見させてやる。

 このキジバトは、ある台風の過ぎた朝に、木の下で怪我をしているところを見つけられ、以来保護されていた。

 彼はそのハトをドロシーと名付け、また飛べるようになるまでは……と、その成長と回復を複雑な気持ちで見守っている。

 最近ドロシーは、伸びをするように翼を広げ、ばたばたと素早く羽ばたく仕草を見せることも増えてきていた。かかりつけの獣医も、いつ飛んでもおかしくないほどに治っている、と太鼓判を押した。

 今や彼は、別れの覚悟をするためにドロシーを見つめている。どの瞬間も、それが最後の見納めとなってしまう可能性があるのだ。

 と突然、ドロシーは小さく跳び上がった。

 羽音はたくましく、しかし一瞬で止む。

 校長の太いひざの上に飛び移ったドロシーは、どうやら、そこにこぼれたパンを求めていたようだ。今はもう何事もなかったかのように、微小なパン屑をついばんでいる。

 校長は、驚いて両腕を持ち上げた姿勢のまま固まっていた。あごを引いて、ドロシーをしばらく観察する。気まぐれな鳥は、今は食事にしか興味のない生き物を演じている。

 やがて校長は空を見上げ、そこに還っていく愛鳥の姿を思い描いた。

 そして、パンをひとかじり。

 カィィン――鋭い打球音が、先にこの外野席に届いた。

 その瞬間に、かじられたパンから、一粒の豆が落ち始める。

 甘く煮られた金時豆が、校長の口元から、一度、二度と、胸とおなかをバウンドし、そして……ドロシーの後頭部に命中した。

 校長は、スローモーションの世界を見る。

 視界を斜めに昇って行く、ドロシーの羽ばたく姿が、グラウンドの緑を背景に展開される。翼が空気を叩く音が、バタタタとすぐ耳へと伝わってくる。

 顔を上げて、飛行を追う。

 いくら強く見つめても、距離は戻らない。ただ広がっていくだけだ。

 もう、ぎりぎり手も届かない。

 そこに一瞬の、白線。

 ドロシーは、羽を散らしてくるりと踊った。

 ボールが、近くのベンチに跳ね返って大きな音をたてた。

 その後に、羽ばたきを止めたドロシーが落下を始めた。

 校長は、わけもわからず隣のベンチへ横っ飛びした。

 受け止める。身体に走る衝撃を感じない。

 伸ばした両手に、ドロシーのぬくもりが伝わるまで、彼は無心だった。

 力無く片翼を伸ばした鳥は、まだ、動かない。

「ド……ドロシィィ――――!」


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