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プチトマト  作者: コスミ
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ににんショウ




   ◯ インタビューインポッシブル


「小湊さん、ちょうどよかった」

 とキミは声をかけられたが、一切速度を緩めずに散歩を続行した。前方に回り込んできた男子の顔をちらりと見て、次に足下を観察する。彼は後ろ向きに歩きつつ、ポケットから手帳を出した。 

「ちょっと取材していいですか、新聞に載せるんで」

「そう……記事になるような事をした覚えはないよ私」

「またまたあ、学校一の変じ……いや、賢者と名高い小湊さんのことですから、ね。ちょうど同じクラスになれた事ですし、まああれです、全然記事になりますよ。インタビューさせてください」

「内容次第で許諾するよ、もし君が私と同じクラスで新聞係なら……あ、質問が遅れました、あなたは誰?」

「ああ、ごめん、オレはまさしく小湊さんのクラスメイトです。仁藤慶太、あだ名はニッケイです……って昨日、始業式の後クラスで完全に同じ事言ったけどね……」

 キミはようやく立ち止まって、軽く会釈した。

「はじめまして日経さん。日曜まで取材に励むなんて熱心な新聞係だね」

 二人はどちらともなく、忘れた頃に来る人通りに道を譲ってスーパーの外壁へ寄る。そこには自転車がずらりと待機中だ。着衣のビーグル犬も一匹。

「いやいや、まだ係って決めてないでしょ? まあでもオレは絶対新聞係になるけど。ああ、新聞係……! いやあ、待ちわびたよホント、なんで高学年にしかクラス新聞って無いんだろう、ようやくだよホント」

 キミは、自分の両肘を、両手で持つようにして腕を組んだ。

「……で、取材の内容はなに?」

「あ、まず小湊さん自体の事、あとはそうだなあ、何か面白い話を聞けたらありがたいですね。とりあえずまあその二点だけ」

「どちらも極めて曖昧だと思う」

 仁藤は頭をかきながら、ほどよい営業スマイルをつくった。そしてすぐさまメモを取る構えに戻る。

「すみません、今たまたまお見かけしたところなもんで準備ゼロなんです。でー……今は、どちらへ?」

「目的地は決めてないよ」

「あーなるほど、散歩ってことですかね」

「そうだね。地球を蹴って回すことだと解釈してる私は」

「え? えー……うわっすごい。早速いただきます」仁藤はメモをとった。

「え? ……うん、召し上がれ」

「ごちそうさまです。えーと……じゃそのタオル。今は着てるみたいですけど、なぜいつも持ってるんですかね」

 キミは水色のバスタオルを羽織っていた。胸元で、その両端をあわせて安全ピンで留めている。やや薄手だが大きく、キミの上半身はほとんど覆われていた。距離や視力によっては、ケープを着ているように見えない事もない。

「セキュリティブランケットだよ」

「……え、それってなんですか?」

「無いと不安になる、あると安心する。そういうもの」

「ああ、へえ、なるほど……。なんていうか、その、思ったよりあれですね、結構可愛らしい存在なんですね」

「日経さん、今後、敬語じゃなくていいよ」

「え? ああどうも恐縮です。あ、ちがう、恐縮……で、ある」

「うん、くるしゅうない」



   ◯ 黒木と小湊 ブロッコリー


 小湊が、カレーに添えられていた緑の野菜をスプーンですくって言った。

「ブロッコリーって、結構すごい存在だよね」

「……どのへんが?」黒木は義理人情でひとまず聞いてみた。

「見た目、木じゃん。木のミニチュアじゃん」

「木じゃないよ、野菜だよ」

「普通に訂正しないでよ。あと、ほらさ、名前もすごいじゃん」

「それは、すごいけどね」

「こんな名前で、こんな見た目で、よくさ、ここまで広く普及したもんだよね。見れば見るほどファンタジーだよ。こんな〝ブロッコリー〟なんて」

「そうだね……それだけ味や栄養が良いのか、努力したんじゃない?」

「ブロッコリーが?」

「農家の人に決まってるでしょ」黒木は笑って返す。

「あ、あとさあとさ、カリフラワーも――」

「いや、もう……それは本人がいる時にして」



   ◯ 惨事、どんぐり事件


「……でー、キミさん、そのタオルは、家でも身につけてるの?」

「家ではこうは使わない、冬以外」

 仁藤少年は、活き活きとした様子でメモをとっていく。

「ほうほう、そうなんだ。もしかして、同じのが何枚もあったりとかする?」

「全部で三枚あるよ、これも入れて」

 キミはだんだん、ビーグルから彼へと視線を移すようになった。彼女はいつも、より珍しいものを観察しようとする。

「じゃあそれが気に入ってるんだね。色が好きだとか? 手触り?」

「理由……うん、色や形かな。たぶん」

 仁藤はここで自然な笑みを見せた。意図的に使い分けているのかも知れない。

「結構なんて言うか、適当なんだね。一年中使ってるんだったら、相当気に入ってるんだと思うけど」

「一年の半分しか使ってないよ。秋冬はもっと厚手のやつ」

「え? ……ああそういえば去年廊下で見た小湊さんは赤かったかも。でも学校では今みたいにピンで留めてないよね? 首にかけるか、膝掛けにしてたと思うけど……まあつまりさ、そのタオルについてのこだわりとかを聞きたいんだオレは」

「だとしたら、ここでほとんど行き止まり。例えば、ただ単に人より大きいハンカチを持っているってだけ」

「えー、あれえ? なんか無いかなあ。使い始めるようになったきっかけとかは?」

「生まれつきだね。胎外に出て以来」

「うわ、すごい強烈だなあ。じゃあ、独自の思想とかポリシーとかじゃないんだ」

「強いて言えば、何かと便利」

「まあそうだよね、タオルだもんね。んー……じゃ、わかった」仁藤はまるく目を見開き、改めて声を明るくした。「なんか面白い話ある?」

 キミは引き続き微動だにせず、ただすこし喋るテンポを速めた。

「面白い話……となるとこれかな。――この前深夜に目が覚めたら、キッチンで、父が白い器を持って、じーっと中を凝視してたの。数えたら二分くらい完全に静止してて、私何が入ってるのかと思って、後ろからそっと覗き込んだら、ひと掴みくらいの量のピーナッツだった……という話」

「え、何……それって、どっちかというと怖い話じゃん。得体の知れない怖さが……」

「父曰く、虫がわいてないか調べてたんだって。でないと食べられないとか」

「ああ、そう……。何か、他の話はある?」

「というのは以前、私が部屋に隠し持っていた大量のどんぐりが、知らないうちにごっそり虫の温床となっていた事があって。覗いて見たら、ビニール袋一杯のどんぐりはもうみんな小さな穴だらけで、その穴や、どんぐりの隙間隙間には、白くてちっちゃいうねうねとした――」

「うわああもういいから! 想像したくないから!」

「そう? まあとにかく、まるでお米と小豆の比率を逆にした赤飯のような有様だったそれを摘発・処分した両親は、以来トラウマになったと訴えているよ」

「……今オレには軽く赤飯にもトラウマが飛び火したけどね」

「両親は赤飯は平気だよ、でもナッツ類を食べるのにはまだ気合いが要るみたい」

「むしろそのトラウマを抱えながらもナッツを食おうとするのがすごい……っていうか、もういいよその話は」

「面白いでしょう、その摘発した時の両親、心なしか顔面が白くなってたよ」

「そういう、面が白くなる感じはオレや読者が求めてるのと違うんだって」

「掲載されたら読ませてもらうね、私も」

「いやっ今のは載せないよ。それ載せたらオレ、クラス中のナッツ好きと赤飯好きに嫌われるじゃんか」

「そうしたら、クラスの中で誰がナッツや赤飯が好きなのか分かって面白いと思うよ」

「……とにかく他の話、お願い」



   ◯ 黒木と小湊 寿限無


 昼休みの残りを使って、二人は一学年の階にあるPCルームへ来ていた。

 各種授業のカリキュラムや、部活の紹介、バイトやインターンの募集と、あらゆる面で役に立つ情報がこの場所に集中している。

 小湊が、そうしたPCの一台に向かい、一心にキーを叩いている。

「ジュゲムジュゲム、ゴコウノスリキレ、カイジャリスイギョノスイギョウマツ、ウンライマツ、フウライマツ、クウネルトコロニスムトコロ、ヤブラコウジノブラコウジ、パイポパイポ、パイポノシューリンガン、シューリンガンノグーリンダイ、グーリンダイノポンポコピーノポンポコナーノ、チョウキュウメイノチョウスケ……っと、よーし!」

 モニターの向こう側から、黒木が紙を持って戻ってきた。

「何、わざわざそんなの打ち込んで……なにやってるの?」

「ん、クロスワード」

「でかっ!」



   ◯ 小湊キミの、にべもない話


「とは言うけど日経さん、面白い話ったって……そんなすぐ簡単には作れ、思い出せないよ」

「そう言われちゃうとオレは心の中でエールを送るしかないんだけどね……。なんとか、ひとつ頼むよ。できれば、作りものじゃなく」

「あ、落語でこういうのがあるよ、ものすごい長い名前のね……」

「ちょっ落語は……ごめん、しかも長いんなら紙面に入りきらないと思うし」

「んん、わかったよ。じゃそしたらね、スーパー冷やかしながら考えるから」

 キミはちょんちょんと外壁に向けて指を振りながら、返事を待たずに歩き出した。仁藤は肩を一度上げてからその後に続く。二人ともカゴは取らずに入店した。

 薄く、どこまでも平和なBGM。

「小湊さん、何か買うものあるの?」周りに人が増えたので、仁藤は無意識に名字へ呼びかたを戻した。

「お金持ってないから今」

「ああ、そうなの……」

「ぶらぶらしてたら何か思い出すから、ちょっと待ってて」キミは視界に入る青果をスキャンしていく。

「いや、オレもついて行くよ。邪魔じゃなけりゃ」

「待つのは位置の話じゃなく、時間だけの話。まあどちらにせよいいよ」

「ん? ああ、はい……」

 しばらく無言のまま店内を歩き回った。キミは在庫管理スタッフのように、あらゆる物品に視線を飛ばしていく。やがて、比較的人の来ないコーヒーや紅茶のコーナーで立ち止まると、ようやく口を開いた。ココアのパッケージを手にしながら。

「これ面白いよ。使用上のご注意」

「え、そんなの、直射日光とか開封後はお早めにってやつでしょ?」

「違う、甘い。読むよ――おいしいココアの香りに惹かれて虫が侵入する恐れがあります。保存方法にご注意ください」

「もう……虫は、いいよホント」

「身に沁みる注意だったから、つい。ココアはね、最初カップに粉と少しのお湯を入れてよーく練ってから作ると、美味しくできるんだよ。牛乳で作ったのが好きだけど私は」

「へえ……。まあ、見事な豆知識だけど……」

「ココアは、カカオ豆が原料だよ。そう書いてある」

「そうなんだ。いやでも、もういいから。豆知識で紙面を埋めつくす気はないんでね」

「なんだそうなの? じゃあしょうがない、今思い出したてのとっておきのオモシロい話を教えるよ。鮮度抜群だよ」

「お、良かった待ってました」

「ジャイアントパンダの話なんだけど、大丈夫かな?」

「いやわかんないけど、内容次第でしかないから。で、なんでパンダ?」

「まず聞いてみてよ、ジャイアントパンダってさ、色が大体半分ずつ、白黒だよね」

「そりゃあまあ、うん。大体ね」

「そこでクイズです。このジャイアントパンダの、尻尾は――白か黒か?」

「ここでクイズ来るんだ、意外。うーん……まあ、興味ないなあ」

「興味あってよ。こんなに白黒はっきりした二択のクイズって、なかなか類をみないよ」

「そりゃそうだろうけど……、記事にするにしても一行だよこれ」

「まそう言わずに、まず解答してみて」

「えー……じゃあ、黒で」

「黒ね……その選択に、悔いは無いか」

「いや無いよ。今のところは悔いも何も無いでしょ。はずれてたら初めて悔やむと思うけど」

「いや、はずれなんだよ。はずれだから、さあ悔んで」

「早いな判定。まあ悔やむよ、なんか色々と」

「ジャイアントパンダの尻尾は、白いんですね」

「あの……、いちいちジャイアントってきっちりつけるのは何で?」

「身体の半分が白いジャイアントパンダは、尾も、白い。ということですね」

「いや、えっ……あれ? ウソ……」

「以上、尾も白い話でした」

「え、まって……ウソでしょ? ……え、ウソでしょ?」

「嘘じゃないよ、現実だよ。ジャイアントパンダ、嘘つかない」

「えっ……、何で」



   ◯ 招かざる珍客


 長いランチタイムが終わり、午後は、ペーパーテストが実施された。

 教師曰く、総合的な学力と心理指向をいっぺんに調査する、という極めて怪しげな名目で、希望者はパスして帰宅することも許されていた。が、このクラスで帰った者は一人もおらず、今全員が大人しく机に向かっている。

 中等部からエスカレーターでここへ来た者が多いせいもあるかも知れないが、入学以来、早くも皆すでにずいぶんと寛容さを身につけているようだ。

 テストの内容は、第一問目から容赦なく〝ランチは食べましたか? メニューは何でしたか?〟と不気味に親密な問いで、どうやらまずは心を試している。

 さらに続く問2は〝なぜ出題者が問1の質問をしたのか、その意図を推測し、四十文字前後で述べよう〟で、これには思わず「知らねえよ」と無声で口を動かす生徒が続出した。

 開始後しばらくもすると、教室には珍しく静かな空気がすっかり馴染んでいく。紙と筆記具の控えめな音と、悩ましいため息がまばらに出没している。

 黒木はここまでで早くも四回、意識的に目を閉じて深呼吸をしていた。

 これほどに人を惑わすテストと遭遇したのは、ここの入試以来である。眉間を中指で押さえたまま瞼を開けると、視界の変化に気づく。

 教室の前方に、珍客の姿があった。

 校長が、スケッチブックを小脇に抱え、教卓に肘を置いて偉そうに寄りかかっている。

 ただの四十代の太った白人男性にしか見えないが、彼こそがこの私立夢見ヶ淵高校の長、ダグラス・清志・松・ウォルポールだ。

 名前に日本名が混じっているが、それは日本国籍を取得する際、妻の名字と共に追加したに過ぎず、その実体は生粋の英国人である。華々しい学歴、日本文化への耽溺ぶりと、冷蔵庫を思わせる体格、豊かな毛量の眉が特徴の四十七歳。

 噂によると、彼は最近、どういうわけか奇行に走ることが増えたという。以前では辛うじて紳士とされていたのだが、全く突然に、人格が激しく模様替えされたかのようだと、上級生達を中心にそこそこ話題となっている。

 と、その外国人校長に、テストの監督官である若い女性教諭が斜め後方から近づいた。彼女は恐る恐る、耳元で細かく口を動かす。

 黒木も含めたクラス中の視線が、その勇敢な女性教諭へエールとして注がれる。

 皆の心はひとつだった。追い出せ、早くそいつを追い出せ!

「痛っ」と、女性教諭が小さな悲鳴を上げた。

 側頭部を使って軽く頭突きを食らわせた校長は、何事も無かったかのように、依然としてクラスに向けて下唇を突き出している。そして睨み下ろす視線。どうやら、だいぶ機嫌がよろしくない。 

 クラスの儚い願いは散った。

 大部分の生徒がすぐに顔を落とし、テストに集中するフリをした。

 そして校長は、おもむろにスケッチブック(その巨体が持つとリングノートにも見える)の中を改め始める。頬と口角を下げた、憎々しい表情で目的のページを探している様子だ。やがて見つかったのか、持ち上げていた数枚を、スケッチブックの背面にめくり落とす。

 それによって一瞬だけ表となった一枚には、太い文字でFREEHUGと書かれていた。が、校長はすぐに反対側の、目的のページを皆の方へと向けた為、幸い生徒でその文字列を目にした者はいなかった。

「ヘイみんな、テスト中悪いけどもね、一回、こっちを盗み見てねー」

 校長は、胸元にスケッチブックを掲げ、教室の中を練り歩き始めた。「テスト中に他の紙を見るなんて、馴れっこでしょう? ハハッハー」

 その紙面には、等間隔でいくつかのシール類が貼られている。

 なんとも、異様な取り合わせだった。

 ――左上から順に、スーパーで買った品から移植したものと思わしき・半額・シール。

 切れ切れな状態から復元された紙製ガムテープ。

 大判で貼るタイプの使い捨てカイロ。

 ばんそうこう。

 セロテープで留められた使用後のガム。

 某チョコ菓子の四角くキラキラした有名おまけシール(悪魔大帝ゴッドデーモン)……と、六つのブロックに分けられ、それぞれに日にちが書き添えられていた。その日にちは、春休み後半の連続した六日間のようだ。

 校長は教室を一周して教卓に戻ると、唇の前に指を立てた。

「シー……邪魔したら悪いので、もう喋らない。文字で伝えまーす」

 シールだらけのそのページを一枚めくり、次の文面を生徒達へ向ける。

〝私のマイカーは、黒のメルセデスベンツS700〟

「フフン」校長は鼻を鳴らし、また教室を一周して、戻る。「……ネクスト」

 スケッチブックをまた一枚めくり、次の内容を確認した校長は、なにやら小刻みに震え出した。と、突発的な動作で、ギラつく眼差しとともに、そのページを生徒達へ向けた。

〝私のマイカーに、春休み、何日もシールを貼った者がいます〟

「居たら今すぐ手を挙げろ! バッキャロウッ!」校長は教卓に拳を叩きつけた。



   ◯ それでもキミは回している


 キミは、愕然と立ち尽くす仁藤に向けて、尚も非情な言葉を放った。

「よし、それじゃ、そろそろ帰るよ私」

「うわ、ええ? こんな感じで終わりなの? よしじゃないよ全然」

「え、だって取材はもう済んだでしょ?」

 仁藤はふらふらと首を振った。変にゆるんだ表情だ。

「いやもう全然済んでないけど、なんだろう……なんとなく、もういいような気もする」

「ほら、もう大丈夫なんだよ。じゃあ記事作り、頑張ってね」

「んーうん……じゃ小湊さんも頑張って、散歩」

「散歩じゃないよ、地球を回すの」

「ああ、うん。それじゃまた明日」

「うん、またいつか」

 キミはタオルを翻し、この日最速の歩行で去っていった。

 残された仁藤は、頭の混乱が収まるまでしばらくの時間を要した。額に突き立てるようにしてペンを数回ノックする、再起動のおまじないを施す。

「あーやっぱ……、事前の準備が必須だったかな」

 この日の内で最も自然な笑みがこぼれる。悔しくもなれないほどの大敗なのか、運良くブービー賞といったところなのか、仁藤はこの取材結果をどう捉えるかを考えた。先にきちんと判定しておくことで、出来上がる記事の、感情の色合いに統一性を与えられる気がしているのだ。

「まあ、なんか……思ったより優しいけど、ちょっと腹立つな、あの人」

 口の中でつぶやきながら、彼はふと、ココアのパッケージを手にとった。

「あ……うわっ、ホントだ。書いてある」

 そこには、絶対にウソだろうと思っていた、虫に気をつけろという注意の文が確かに印字されていた。

「これは、まさか、まさかだなあ……」

 ココアを見ていたからなのか、喉が乾き、固唾を飲む。

 恐るべきは、時に垣間見える現実の不可解さと、小湊キミ。


『彼女は、彼女のワンダーランドを縦横無尽に遊び回る』

 ……後日、私立夢見ヶ淵学園小等部五年二組の教室に、新年度第一号のクラス新聞が貼り出された。先の一文は、紙面の五分の一ほどを占める〝地球を回す賢者〟という見出しのついたインタビュー記事より抜粋したものだ。

 九割がた仁藤が一人で書き上げたそのクラス新聞は、センセーションを巻き起こした。

 誰も見向きもしなかった教室の隅の壁が、突然、磁力を持ったかのように、休み時間の度ごとに人垣をつくる。他クラスや他学年から聞きつけて来る者もマルチ算式に増え、やがて仁藤は、休み時間というものの存在を忘れるほどに多忙な日々を送り始めた。

 授業時間さえも、教師の隙をついては、また新しく届いた投書や相談記録の選抜・編集に費やす始末。

しかし彼は、こうした反響の大きさに驚きはしても、後悔や疑問は一切持たなかった。それは、彼がいま忙殺寸前に追い込まれているその原因を、他でもない彼自身が作ったからだ。

 新聞のインタビュー記事、その最後に、次のようなお知らせ文がある。

『奇跡起こる! 次号より、空前絶後、全人類必見の超新星企画が堂々連載開始! その名も~超絶解決~アースドリブラー小湊キミ! そこで大募集! あなたのお悩み、質問等、小湊キミのお言葉を賜りたいという方は、迷わずためらわず、すぐさま当クラス新聞係の仁藤慶太に、お投書またはお声掛け下さい!』

「あ、あっ、小湊さんだ! タオル、お似合いです」

「ありがとう。君も似合ってる……今思いつかないけど、何かが」

「小湊さん、あの、僕、相談応募……で、えっと、よろしくお願いします!」

「え? ああ、はい……あまりお願いしないで」

 一方の小湊キミは、なぜ最近、通りすがりに話しかけてくる人が激増したのかを知らない。

「……さっきの人、ソウダン王墓って……。なんなんだろう……」



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