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プチトマト  作者: コスミ
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ワン・ドット

 ありふれた、どこかひとつの有機連鎖世界でのこと。



   ◯ 惑星プチトマトの色相環


 暖色の太陽系にある、ひとつの惑星について。

 その惑星は、生まれたときからずっと、太陽のまわりを同じコースでしつこく周回し続けている。ここ一億年ほどは、青い顔を向けながら。

 最近では地表に人類が発生し、すぐに、惑星のほとんどの大陸に分布していった。その惑星に似たのか似ないのか、人類は転居と変化を続けた。

 短い時を経て、原初の暮らしを保存する民族は少数派になっていた。今、彼らの大部分は文明という悩みの種を抱えて悶えている。奪い合ったり、譲り合ったりしながら。

 未知の大陸という目標を失った開拓者の子孫たち。

 文化圏という怪しげな分別の内側に籠る人たち。

 彼らはたとえば、なんとなく、自分達が〝青い星〟に住んでいると思っている。

 実際のところ、その惑星は、太陽光を受ける面こそ青く見えるが、裏側の半面は残念なことに常に黒い。これを昼と夜に置き換えれば、彼らは、昼しかない惑星に住んでいる、と思い込んでいるような事態である。確かに、基本的に彼らは昼行性だが、あまり有力な言い訳にはならないだろう。

 その他、歴史がコンパクトに例証を列挙している通りに、彼らは、イメージに踊らされやすいという特徴をもっている。

 物事が半面しか正しくなくても、なんとなく、芯から信じきる。

 その無謀さは、開拓に活路を見出したことによる後遺症だった。水平線の先に目指す島があると、心底信じきったからこそ、かつて彼らは大海を渡りきった。

代を重ね、彼らの開拓と挑戦は、形を変えながら続いていく。

 ところで今、青黒いこの惑星には、もうひとつの色が存在している。

 それは前の二色に比べると、ずっと面積も狭く、おぼろげではある。

 しかし、彼らのイメージに言わせると、逞しい〝生命の色〟なのだった。




     一章   春風群像




   ◯ 犬の怒り


 黒木は下校中、またしても足止めをくっていた。彼女は数えてはいないが、今日だけでもう七回目の信号待ちである。信号に嫌われているのか、好かれているのか。

 ここは、迫る夕闇にあまり逆らわない、郊外の地区。それなりの交通量が交差点に集まってくる。

 車たちはそこで、曲がったり待ったり真っ直ぐ進んでいったりする。

 歩行者にとって信号待ちというのは、信号を待っているのではない。車に時間と道とを譲っている状態なのだ。

 黒木が、そんなことを思うともなく思っている時だった。

 ワウワンワン! ――と突然、犬(恐らく大型)が、やたらと吠え立てた。

 瞬間、黒木の隣にいた若いスーツ姿の男性が、びくっと、ほんのすこしだけ跳ね上がった。彼はコンマ数ミリの空中遊泳を終えると、すぐにスーツの懐に手を突っ込む。

 犬の怒号の正体は、着信音だったようだ。

 黒木は、そんなびっくりな音なんかに設定しなければいいのに……と男性の自虐性を不思議がりながら、彼の気弱そうな通話開始の動作を横目で見た。黒木もまた、その着信音に驚かされていたので、見物料は前払い済みの気分でいた。

「あ、おそれいりますお疲れさまですう、ハイ、あ、ハイ今……ハイ、あっ、ハイ……」

 男性は、哀れなほど相手から一方的に話されているようだった。聞きようによっては、話す力を封じられているようでもある。

 魔女に声を差し押さえられた人魚姫の話を、黒木はぼんやりと思い出す。

 ところで歩行者用信号は、もう青に変わっていた。

 正確には、赤だった部分が黒に変わり、黒だった部分が青に変わっていた。もっと言えば、青ではなく緑色だ。

 黒木は、すこしの間その信号の変化に気づかず、しばらく前を向いたままだった。すると横から、歩く事を許されたスーツが横断歩道へ進み出ていく。

 はっ、とメルヘンからこの世界へと意識が再びチャンネルされた黒木は、右足で地面を後ろへ押しやるようにして蹴った。

 それだけで、彼女はスーツと声を追い越して、さらに前へと滑らかに進んでいく。

 街が動き出す。商店や家々、たまにすれ違う人たち。

 ある人は犬に引かれ、ある人は乳母車を押す。

 全てが、黒木のそばをめまぐるしく流れていく。

 ときどき、建物の隙間からは、まばゆい夕日と赤い空が現れる。が、それはいつも一瞬のことで、すぐにまた、逆光の作るシルエットが慌てて隠すように限りなく連なる。

 黒木は、そのどれをも見ることもなく、今は自転車のライト程度の視野を、流れる地面に貼りつけていた。

 高校に入学してから、まだ日も浅く、未来は見通せない。現在位置が全てだった。



   ◯ ネイバーギブアップ


 春らしい縁起の良さそうな晴天が、教室の窓に広がっている。

 朝の始業前のひととき。きれいな大気圏の照明を受け、高校一年生達のクラスは、まだぎこちなさを残しつつも、新鮮なサラダのようにきらめいていた。

 小湊(こみなと)瑠璃(るり)は、中でも抜群に一切の心理的抵抗を感じさせない調子で、着席早々に言った。

「おはようー。ね、黒木さん、高校受験でここに入ったんだよね?」

 名前まで呼ばれているのに、黒木は最初、彼女が親友にでも話しかけているのだろうと思い込んだ。

 がしかし、隣の席へ視線を振ると、まだ外の空気をまとった小湊が、身体ごとこちらを向いていた。

 真っ直ぐに視線が正面衝突し、戸惑う。

「ん……うん、そう。小湊さんだっけ? 中等部出身なんだ?」

 黒木はとにかく会話を繕った。

「そうだよ」小湊は純度の高い笑みを見せる。「でもクラス分けでことごとく話せる人と生き別れちゃってさー。だからよろしくね黒木さん。あ、昨日も言ったっけね、よろしくは。あ、ね、聞きたかったんだけど、黒木さんって、こういうさ、よく喋る人間って平気なほう?」

 平気ではない、と直感が叫ぶ。知り合って二日目でこの加速力は、さすがに不安だ。黒木は、曖昧な笑顔を作った。

「うーん、わたしは、どちらかというと量は喋らないほうだからなあ……」

「そんなことないよー、即座に反応してくれてるじゃん。回転すごいよ、できるできる」

 励まされた……何かを。ちょっと怪しげな気分をのせて横目で見ると、小湊はすぐに笑みを控えて口をすぼめた。

「あ……ごめん、ちょっと勢いおかしかった。でもあの、バランスはいいと思うから、よく喋る人と喋らない人って……ね?」

「いや、ごめん違うの、よく誤解されるんだけど、怒ってないから」と黒木は筋力で口角を上げて細かく首を振った。

「え、そう……? でもなんか調子乗っちゃって……ごめんね、もうちょっと落ち着くよ」

「そんな固い感じにしないで、なんかこっちまで緊張しちゃうから。自然に、自由にして……あ、それじゃ良かったら、色々教えてくれると助かるな、ここのこと」

 小湊は、また明るい状態へと一瞬で復帰した。

「うんいいよ。と言いつつあまり知らないけどね、私も高校生になるの初めてだし――」

 ……多少、まぶしく、こそばゆいところがあるが、そう悪い人ではないんだな、と黒木は好意的に判断した。小湊の無防備なほどに澄んだ声を聞きながら。

「――でも食堂は何回か潜入したことあるんだ、行ったことある? びっくりするよねあそこ、きれいだし美味しいし感じいいしさ、今日お昼とか早速行こうよ、ね。あっ、ねえ黒木さんってさ、きょうだいとかいる? 私、妹がいてさー、何か黒木さんに気配が似てるような感じするんだよ、ちょっとだけ。それで話しかけてみたみたいなとこもあったりしたんだー、ふへへへ。でさー……」

 黒木は、早くも少し後悔してきた。



   ◯ 黒木と小湊 休み時間


 授業ともガイダンスともつかない時間が終わり、休み時間に入った。

「あの、黒木さん……」小湊が、少し遠慮がちな声を出す。「さっき、ちょっと勢いよく喋りすぎちゃって……その、緊張すると止まらなくなるんだ、私って」

「え、緊張?」黒木は硬直して驚きを伝えるとともに、思考した。「それは……なんていうか、真逆な方に出るんだね。全然そうは見えなかった」

「ああ、そういうふうに言われたことある、うん」

「緊張してたのかあ……。でもまあ、今はなさそうで良かった」

「まだちょっとあるよ。でさ、さっき勢いでお昼誘っちゃったよね? なんか、あの、わきまえてなくて……全然、気にしないでね。本当に、良かったらでいいから……」

「いやこちらこそ、気にしないで、色々と……」黒木は、どうもこの人物の期待は自分の弱点ではないかと疑えてきた。「こちらこそ良かったら、お昼さ、案内してよ。食堂」

「本当? いいの? うわーどうしよう、なんか緊張しちゃうな、ああ……何食べよう」

 黒木は、ともあれこの生き物は完璧に幸福なのだ、としみじみ思った。



   ◯ グループワーク


 午前最後の授業は、まずエリアごとに適当に区切った五~六人の机を、団結させるところから始まった。

 がたがたと椅子と机が動き、黒木は小湊と対面する――目が合い笑顔で軽く片手をあげられ、反応に困った。最終的に頷いておいた。

 グループ結成の目的は、今後の授業の履修計画を立て、一人ずつ班内で発表するためだと教師は言う。これは、将来について、という漠然としたテーマも絡んでくる。それなりに自分でも内容を把握しておかないと、人に対して形良く伝えられない。

 だが今日のこの時間では、まず雑談のかたちでお互いの夢や目標について気楽に話し合え、とのことだった。発表までは二週間ほどと、たっぷり時間が用意された。

 もちろん最終的に〝無計画〟というのもアリ、だそうだが、無計画なりに展望や意図を言葉にしなければならないのなら、夢のひとつやふたつ、でっちあげた方が楽だろう。

 パン――と、教師が手を打った。

「はい。では、どうぞ、ご歓談ください」

 不自由な自由時間が訪れ、黒木はまず、同じグループとなった人々を眺めてみた。

 正面の小湊はいいとして、残るは左側の三人。

 すぐ隣にいるのは女子で、肩に届かないその髪型と落ち着いた服装、きちんと座っている姿勢から見て、育ちの良さそうな印象を受ける。まともそうだ。

 その彼女の向かい、小湊の隣にいるのは男子で、なかなかに個性が強いヴィジュアルだ。自転車用ヘルメットのような、風と固さを感じさせる髪型に、劇的にパリッとした白シャツとサスペンダーが不思議と似合っている。顔立ちがそれなりに涼しげで整っているからかもしれない。これはこれで、育ちが良さそうだ。が、まともである可能性は低い。

 そしてその男女の間からこちら向きに座っているのが最後の一人なのだが、彼はただの普通の人だと判断する他はなかった。眼鏡の人(たぶん無害)だ。

 誰が最初に口を開くのか、黒木はなんとなく予想がついていた。

「じゃあ自己紹介、します? 改めて」眼鏡の人が言った。

 慌てて黒木は、小湊へ向かっていた視線を大きく戻す。完全に意表を突かれた。

「は~い、じゃあ自分から~」

 と、まともそうな女子が、不必要な挙手をした。「回田維麻(めぐりたゆいま)、十五歳。お寺から来ました~。妖魔関係でお悩みの方、そうでない方、どうぞよろしく~」

 黒木は数秒、呼吸を忘れていた。回田は一通り笑顔を皆に配ると、最後は黒木に向かってにこりとした。会釈しか、返せない。

「めぐりたさんて、漢字は、どう書くの?」小湊がようやく期待通りの働きをする。

「お、そっかそっか、漢字はね~」

 回田は縦書きの和紙っぽいノートを開くと、筆ペンを直立のままさらさらと動かした。

「こんな感じ~、回田維麻と読むんだな~これが」

 それからひとしきり、皆で字の上手さを褒める平和な時間が過ぎた。十秒以下で済んだ。

「じゃ次、俺で」眼鏡の人がなおも積極性を見せる。「えー大野友貴です、よろしく……うん、以上です」

 それが彼の、最後の活躍となった。皆の「よろしくー」の四重奏が、レクイエムとして送られる。以後、彼が印象に残る発言をすることは、ついになかった。夢は公務員だそうだ。

「で、時計周りだとすると、ボクの番になるかな」

サスペンダーの人が顎を上げ、期待通りのキザっぽい口調で言う。「興津(こうづ)ミノル。将来は、とりあえずサイバー警察官って分類しとく。まあそんな感じの方向ってこと。次、どうぞ」

 どうしてかはわからないが、黒木には彼がなんとなく普通な人に思えた。

「小湊瑠璃、です。将来についてはまだ決めてないけど、経営学は一応押さえとこうと思ってます。あと絵を描くのも、頑張ってみたいです。よろしく」

 小湊は、終始ノートの表紙にある自分の名前を見せながら話した。政権放送みたいな構図だった。

「そか、自分も表紙見せれば良かった……」回田がノートを閉じながらつぶやいた。

 順番がまわってきて、黒木は何も考えずにスタートを切る。

「黒木ちな、将来の夢は……」

 とそこで、言葉に詰まった。

「……今は、ない、です。運動が得意だったから、トレーナーの勉強でも……いや違うかな、やっぱ興味次第です。あ……漢字は普通に黒木で、名前はただのひらがなだから、一応」

 小湊が、微笑みながらも心配そうに聞く。「黒木さん、もしかして緊張した?」



   ◯ 食堂へ


 教室を出た後、黒木は、小湊に続いて卵色の廊下を歩いていた。

 小湊の歩く後ろ姿を見ながら、ほぼ無意識に観察する。

 歩行の動作を分析すると、身体を動かす素質は意外とありそうだ。しかし筋力は、平均か少なめ。ただ背筋だけはそれなりに発達しているらしく、姿勢が良い。

 難癖をつけるとすれば、身体が変に軽そうな、ふわふわした歩き方だ。小湊の周りだけ、気圧も重力も手加減しているのではないだろうか、と黒木はわりと真剣に思う。

 と、小湊は一度黒木を肩越しに見て、歩くフォーメーションを縦列から並列に変えた。

「黒木さんって、かっこいい歩き方するね」

 高原が似合いそうな声だ、と黒木は想像し、遅れてその発言内容に驚いた。余計なテレパシーが働いたのだろうか。

「えっ、歩き方?」

「うん、すごい何て言うか……強そう」小湊は、いっそう姿勢を良くした。

「そうかな……」

 黒木はただ、まだ痛む左膝を庇っているように見せたくないので、普通に、普通にと努めて歩いているだけだった。今意識してみると、足首のスナップが強いらしいと自覚できた。

「やっぱり何か、スポーツやってたの?」小湊が本当に知りたそうに聞く。

「ああ、そう、だね。中学はテニスを……硬式のね」

「へえ、そっかー……」小湊は曖昧な声で相づちをうったきり、しばらく何かを考えている様子だった。そして一瞬で、声の明るさと話題を変えた。

「お昼、何食べよっか?」

 優しい、けど下手だ。

 そう思うと同時に、彼女には、早めに言っておくべきだと感じる。

 黒木は、これまで打ち込んできたテニスとその未来を、失っていた。

 そのことを今、小湊はおぼろげながら察知したようだ。

 ならば、できるだけ早いタイミングで、軽く言える内に言ってしまおう。

 黒木はそう決心して、口を開いた。

 しかし、声が出る前に、すれ違うはずの人物が立ち止まる。

「おー、みなこじゃーん」

 背の高い女性が、小湊に気づき低く手を振った。「高校上がれたんだー良かったあ~」

「わ、風子先輩」

 と小湊は、驚いた勢いで立ち止まった。「こんにちわー、運良く上がれましたよ! 運を高めるために多めに家の手伝いをしたかいがありましたー、へへへ。あ、このあたりって、二年の授業やってましたっけ?」

「ううん、そじゃなくて」風子先輩は、後ろに長く束ねた髪を揺らす。「仲の良い後輩がそろそろ授業終わるから、迎えに参上しにきたの」

「なるほど、そうですか……あ」小湊は手を合わせた。「先輩、こちら紹介します。黒木さんです」

 黒木は、こういうシュチュエーションで当たり障りのないオーラと沈黙を保って佇むのが巧かったが、本人の心理的には辛いので、会話に参入するのは比較的ありがたかった。

「あ、どうも初めまして、黒木です」ややカジュアルな角度の会釈を添える。

 風子先輩も同程度の会釈をして、聞いた。

「初めまして、前崎です。黒木さんって、みなことは、知り合ったの最近?」

 黒木は小湊に説明をなすりつけようと顔を見たが、目が合った瞬間に諦めた。

「はい……昨日ですね」

「早速、捕まったんだね~」前崎風子はなぜか嬉しそうだ。「気をつけてね黒木さん、こいつ、〝クイーンオブくだらない〟の称号を持つ女だから。適当に扱っといてね」

 先輩に手で示された小湊は、目をまるくして、交差させた平手を振った。バリアーの一種だろう。

「なっ、ちょっと先輩ひどい。私そんなクイーンに即位した覚え無いですからっ」

「へえ、そんなに高貴な方だとは知りませんでした」黒木は試しにのっかってみる。

「えーっ? もうこうなったら、苦しゅうない、とか言っちゃおうかな」

 先輩は、義理で笑ってくれた。「高貴っていうかレアなだけだよ。てか珍品だね珍品」

「うわもう、何ですか。思いのほかアウェイになっちゃった」小湊が泣き笑いの表情を作る。

 先輩は笑いながら携帯を出して、ちらと見た。「まあ……仲良くできそうで良い感じだね、お二人。じゃ、あたしも後輩迎えに行くから……」

 低く手をあげながらすれ違って行く先輩に、黒木と小湊はそれぞれ挨拶を送った。そして歩き出そうとした時、また先輩の声がした。

「……あっ、そうだ!」

 背後を見ると、先輩は振り返った勢いで、肩に髪束が乗っかっていた。人なつっこい髪だ、と黒木は思う。

「お二人さ、近いうち部活見に来てよ、あたしんとこの。ラクロスか、文化系のもいくつか」

「文科系かあ、良いですねー」小湊が黒木を横目に言った。「風子さん、今は文科系の中だと何部がメインなんですか?」

 この高校では、大会などを目指すストイックないくつかの運動部を除いて、同時に複数の部活に在籍することが可能だ。それどころか、部員として登録する必要すらなく、ひたすら自由に、流動的なメンバー構成で活動しているクラブや同好会も多い。

「メインは手芸部だけど、今日ならこっちのがオススメ、発明部」

「発明部?」黒木は思わずリピートしてしまった。「すごい、夢溢れる響きですね」

「どんな発明してるんですか?」小湊が聞いた。

「けっこう大きいクラブっていうか、サークルだから、色々やってるよ。まあ9割ゴミとガラクタだけど、スポンサーついてる研究もあったりする。その大学生の先輩がいとこだから、あたしも今日の夕方行くし、それでオススメってわけ」

「へえー、なんかすごそうですねえ、見応えありそう」小湊は乗り気だ。

「場所は大学の新南館だからわりと近いし、いいでしょ、三階の……東側かな? まあゴミの増えてく方に進んでれば着くよ。じゃね」

 先輩はまた手を振ると、肩に髪束を乗せたまま歩き出した。

 二人はまた軽く別れの挨拶を送り、今度こそ食堂へと向かった。



   ◯ 幸福な食堂


 ランチタイムに入ると、エネルギー補給と休憩を求める生徒達が、次第に廊下をにぎやかにする。

 しかしここ私立夢見ヶ淵高校では、全体がいっぺんに昼休みに入るのではなく少しづつ時間差をつけるという、ややこしい先進的なシステムのおかげで、食堂や購買部が大混雑することはない。

 加えて上級生達に至っては、ほとんど大学と同じ方式で授業を受け、自分のクラスに拘束されるのは週に数時間、という放し飼いぶりなので、当然昼食のタイミングもほぼ自由だった。

 そのため食堂は、生徒達の間では、ほとんどカフェといった形で親しまれている。人に殺到されることもなければ、無人となる時間もない。

 しかしそういった有り難い条件よりも、訪れる人にとって鮮烈なのは、その空間自体のルックスだろう。

 廊下を歩ききった黒木と小湊は、角を曲がった瞬間、開けた空間に出くわした。

 広く、明るく、見心地が良い空間。

 黒木は思わず「わ」と小さく声を上げる。

 天井の高さこそ普通の教室とあまり変わりないようだが、それが余計に平面の広さを強調している。下手をすると、サッカーグラウンドの半面くらいはありそうだ。

 見渡す視線を遮るパーティションの類いもなく、ただ飾り気のない円柱が列を嫌って配されている。未来文明の遺跡のようだ。

 数学的な生真面目さで、テーブルセットが規則的に斜めを向いておびただしく並んでいる。ざっと見て全部で三百席はあるだろうか。

 食事を受け取るカウンターは、遠い右奥にあった。

 その反対の左側――地上二階から見下ろす中庭と、延びていく校舎を望む面は、全体にガラス張りで、今一部は開け放たれている。そこから外へ続く広いデッキには、意匠の異なる円形のテーブルセットがゆったりとした間隔で六つほど置かれ、その×四の席が用意されていた。

 食堂には、そうして外からの光がたっぷり届き、広い空間の左半分をぼんやり明るくしているが、不思議と右側も負けずに明るい。見るとそちら側は、キッチンが特に明るいのに加え、フロアの所々には天窓があった。テーブルや椅子に四角い光が落ちている。

 全体に、清潔そうでありながら、冷たく無機質過ぎることもない。

 この場所における〝少しだけ斬新な正解〟を目指したデザインのようだ。邪魔にならない程度の個性と配慮が息づき、調和している。

 このままの形で長生きしそうな場所だ。

「どう? 黒木さん。いいでしょう」

 小湊が、腕を斜め下に伸ばして楽しそうに同意を促す。

 これはちょっとやり過ぎだ、と黒木は少し呆れていた。

「まあ……味次第かな」



   ◯ 黒木と小湊 ランチと妹について


 一年生は遠慮するのだろう、比較的さらに空いていた外の席に、二人は向かい合って座った。

 それぞれ運んできたトレイの上は、黒木が日替わりランチA(ご飯、豆腐ハンバーグ、じゃがいもの味噌汁、春野菜コールスロー、選べるミニデザートからレアチーズヨーグルト、アイスコーヒー。比較的高価)で、小湊がワンディッシュセットB(コンビーフカレー、アイスティー。比較的安価)だった。

 小湊が腕まくりをする。

「よーし、いただきまーす」

 黒木も一応「いただきます」とおまじない程度につぶやく。

 そして、一口で黒木は食堂の支配下に置かれた。「うん……美味しいね」

「んん、おいしい。こいつもなかなか、期待通りに攻めてるよ……良かったら一口どぞ」

「ありがとう、遠慮なくいただきます。箸で、いやデザートスプーンで……。にしてもさ、キッチンもすごかったよね、あれ。めちゃめちゃ大きかったよ」黒木が感心したふうに言った。「ん、変に美味しいね、このカレー」

「確かに〝変に〟だね、うん」小湊は満足そうだ。「……そうそう、あの厨房ほんと設備もいいし、みんな腕もいいよ。それにメニューは確か何人か栄養士さんを雇って競争体勢を敷いてるとか。あとトップに食堂主任みたいな人もいるみたい」

「へえ……なんて言うか、私立って恐ろしいね……」

「でも特に休日とかはお客さんも結構来るから、あんまり赤字じゃないって。黒字かも」

「ええ、それは、ますます恐ろしいね……どの部分に本気出してるんだこの学校は」

「だよねー」小湊はストローから口を離して笑った。

 黒木はトレイを少し押す。「あ、ハンバーグどうぞ。一口」

「おお、ありがとう」小湊はスプーンでハンバーグを器用に切ってすくった。そして食べる。「……うん! 良い奥さんになれるって感じの味」

「わかるかも。けどそれって、誰が奥さんになるの? シェフ?」

「え、わかんない。ハンバーグ自体?」

「それはさすがに……」

「……何にせよ、法の整備が待たれるね。味結婚法、とかさ」

「……いや……忙しいと思うしさ、法のほうも」

「……そうだね。あ、ねえ今、ダジャレった?」

「……え? ああ、うん」

「……法なんてカタい言葉でユーモアするなんて、すごいね」

「……偶然というか、ただの事故だね。それに、お互い様」

 二人は、もう長くお互いの目を見ていない。それぞれの食事にすっかり夢中になっていた。ほとんど無意識での、精度の低いやりとりが続く。

「……黒木さん、やっぱり私の妹に似てる」

「そうなんだ」黒木は一度、小湊の顔を見た。「話し方とかが?」

「……うん、いや、なんだろうね。今度会わせてみたいな、キミ……って、名前なんだけど、小等部にいるし」

「……へえ、何年生?」

「五年になったよ。だんだん伸びてきた、身長」

 小湊はアイスティーを飲み、ここで思考を食事から離した様子だった。「憎らしいほどいい妹なんだよ、キミは。なんか学校でも変に人気あるみたいでね、この前私が家の近所歩いてたら、小学生の男の子たちが『あ、あの人が、賢者のお姉さんだよ』なんて言ってたし、その後の彼らの視線からすると、まだちょっと恐れられてそうな気配もあったけど、とにかく学校でも一目置かれてる存在なんだよ、きっとキミって」

「……へえ」

 黒木はデザートに入るにあたり、カレーに使ってしまったスプーンをどう洗浄するかを考えていた。あいにく、味噌汁は完食してしまっている。

「あ、スプーンね」小湊が色々と察して、苦笑しつつ話題を合わせる。「どうするのかなあって思ってたよ、それ。もしかして、無策だったの?」

「うん、それにより困ってるところ。……ま、なんとかなるよ」黒木はストローをくわえ、目を閉じてコーヒーを味わう。

「……やっぱり似てる。そういやキミこの前の日曜ね、新聞係の人に取材されたらしいよ。『失礼に当たるレベルであしらってしまった』ってうっすら懺悔してたんだけど、その時の様子がもうかわいいっていうか変にクールっていうか……」

 黒木は、静かにコーヒーを味わっている。


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