予算取り合い騒動! 生徒会vs軽音部 -04-
真琴と神原は同じ中学に通っていたらしい。それも因縁浅からぬ仲だったとか。
先に言っておくが、俺や俊太、そして綾音は同じ小学校中学校と通ってきた腐れ縁だが、真琴とはこの浜山高校で初めて顔を合わせている。故に俺たちは中学以前の真琴を知らない。そういった話は真琴の口から出たこともないし、俺たちが聞くこともなかった。
だから、その事実に俺は素直に驚いていた。まさか、真琴と神原が中学のころから見知った仲だったとは。
「これ聞いたら驚くかもしれないけどね。秋村くんは中学の頃、風紀委員長をやっていたの」
神原は昔話を語るように、感慨深い表情をしていた。
「嘘じゃないんだよな?」
「嘘みたいな話だけど、本当。彼は当時、文武両道の優秀な生徒だった」
それは、まるで今の真琴と比較してのような、冷たい響きだった。本当に過去の真琴がそうだったのなら、何が真琴を変えてしまったのか。
きっと、それは中学で起きたことなのだろう。そして、それには神原が関わっているのだろう。
「それでね、その当時私は落ちこぼれの不良生徒だった」
「……は?」
一瞬言葉を失った。不良? 何が? 神原? 落ちこぼれ?
自分の汚点を晒すことを恥じること半分、そういった頃もあったのだという思い出に浸ること半分で、神原は照れるように頬を染める。
「神原が落ちこぼれって……そっちの方がびっくりだわ」
「そう? まぁ、中学が同じ人にはすごい変わりようだってよく言われるけどね」
「それに、不良ってのもなんていうか想像できないな」
「そうね。不良って言っても一昔前みたいな竹刀持って髪の毛染めてバイクにまたがってたとか、そういうのじゃなくてね。なんていうか、去年の秋村くんみたいな感じって言えば分かりやすいかも」
去年の真琴。素行が悪いという話はしたが、その内容としては主に、教師に対する反抗的な態度が目立ったり、学校に来てるくせに授業に出ずに校内をぶらぶらしていたり、気に入らない生徒に対する喧嘩っ早さなど、そういった感じである。
学校という枠にはまろうとしない問題児。というほど大げさなものでもなかったと思うけど、それは俺たちと真琴が友達で、問題行動を繰り返す真琴でも本当にやばい大事は起こさなかったというのがあったからだろう。
俺からすれば、ただやさぐれてるといった程度の印象だ。それこそブラックリスト云々の騒動には肝を冷やしたが。
「それじゃ、まるで今の逆だな」
不良の神原と風紀委員長の真琴。それが今では、生徒会長の神原と元不良の真琴。
「ええ。それもこれも、とある事件が原因なの」
「やっぱり、何かあったんだな」
「そう。私としてはあまり思い出したくない事件だけど、有島くんには知っておいてもらいたくてね」
「まぁ、ここまで聞いたんだから気にはなるな」
「分かったわ。まずはどこから話したらいいものかしら……そうね――」
そして話が続く。
風紀委員長だった真琴は、素行の悪かった神原に対し幾度も注意をしていたらしい。それも何度も何度も、顔を合わす度には。
それを面倒くさく思った神原は露骨に激しい剣幕で追い払ったり、完全に無視したりと厳しい態度であしらっていったのだという。
「私は私を変えるつもりがなかった。いや、変われるだなんて思ったことがなかった。落ちこぼれは落ちこぼれ、秀才に私の気持ちなんて分かるわけないって、彼を頑なに拒んでた」
「そりゃそうなるわな。でも、どんだけ疎ましく思っても、そんだけ気にかけてもらってたってことも事実だったんだろ?」
「そうね。今考えると、その頃の私は本当に素直じゃなかった。でも、はいそうですかって素直に素行を直せるなら、初めっから不良まがいなことはやってないわ」
「ま、それもそうか。俺も頭の出来はよくない方だから、全く理解できないってことはないけど」
「でね、あんまりにしつこかったもんから、ある日頭に来て暴力を振るっちゃってね」
「あーそれは……。怪我させちゃったのか?」
「うん。カバンをぶん回して、それが彼の頭に当たってね。そんなに角張ってるかばんじゃなかったんだけど、それでも柔らかいってほどでもなかったから、当たり所が悪かったのもあって結構血が出ちゃってね」
それを語る神原の表情は、まさに後悔一色といった感じだった。当時のその瞬間はどうだったのかは知らないが、今はその時のことを後悔しているのだろう。
「私、胸の内がスッとした半分、やりすぎたなって罪悪感を感じてね。でも、それで懲りてもう私に寄り付かなくなるだろうって思ってた」
「……それで、停学とかにはならなかったのか?」
さすがに怪我をさせたのはまずいだろう。ただの喧嘩で終わるならともかく、流血沙汰ともなれば、警察だって出てくるかもしれない。
「そう。やりすぎたって思ったのもそれ。停学は免れないって思ったの。停学すること自体はどうでもよかったけど、自分の親への説明や相手の親への謝罪、学校に提出する反省文だったり、やることはてんこもり。ああ、また面倒事かって頭を抱えたわ」
「で、どうなったんだよ?」
「さすがの私も怪我した彼を放ってその場を去るのは気が引けてね。肩担いで、保健室まで連れてったわ」
「へぇ、優しいじゃん」
「茶化さないで、やさぐれた不良だったけどクズではなかったつもりだから。といっても、当時の教師や周りからしたらクズも同然だったかもしれないけど」
神原の表情が一転して暗くなっていった。俺は飲みきったコーヒーカップを両手で大事そうに握って、次の言葉を待った。
「保健室の先生はすごく驚いていてね。そりゃそうだと思っていたわ。頭のどこかを切ったのか、結構血が流れてて、肩を担ぐ私の服にも血がたれてきてたくらいだから」
そんなに大量の血が流れるのを身近で見るのは初めてで、彼を運んでいる最中はすごく怖かった。そう神原は語った。
運んでいる時、真琴に意識はあったらしいが、死んだように黙りこくっていたそうなので、それがさらに恐怖心を煽ったらしい。
「保健室の先生にどうしたのってすごい剣幕で言い寄られて、私は素直に言ってさっさと治療してもらおうと思ってた。そしたらね、秋村くんなんて言ったと思う?」
「真琴が何か言ったのか? んー……、分からん」
「"階段から落ちました"って言ったの。保健室の先生は初めは信じようとしなくてね、隣の私をずっと睨んでた」
「疑われてたのか」
「そういう評価だったもの、当時の私は。でもね、秋村くんは何度も何度もしつこく階段から落ちたんだっていうもんだから、それで話が進んだの」
「神原は……何も言い返さなかったのか?」
「ええ。初めはわけがわからなくて言葉が出なかった。でも、次第に"ああ、なんか話が大きくならずに済みそう"って心のどこかで思っちゃってね。深く考えることはしなかったの」
「そうか……」
「初めは驚愕、次に安心、そしたら気がついたら今度は疑念に駆られてた」
「弱みを握られたと思ったってこと?」
「その通り。物的証拠なんて何もなかったけど、優等生の彼と不良の私、どっちの主張が周りの人々を頷かせるかなんて一目瞭然。それで私に無理やり言うこときかせて、素行を直そうとしてるのかってね。もしくはもっと悍ましい考えがあるのかもと思ったら、もう怖くて仕方なかった」
「何をされるのか分からなかったってことか」
「だから、何を言われても何をされてもNOと答えようと心に決めてね。で、頭に包帯を巻いた彼がまた後日、私の前に現れた」
「…………」
「不安と恐怖で緊張しきった私に、秋村くんはまたわけのわからないことを言ってきたの」
「……それは?」
「"風紀委員に入りなよ"ってね」
「それって……」
「そ。私がしたことと同じ。どうやら私が秋村くんに怪我させたところを誰かが目撃していたらしくてね。教員の中でも噂になってたらしいの」
目撃者は真琴と同じ風紀委員だったらしい。そいつが風紀委員会の直接顧問をしていた教頭先生に話をしたらしく、そこからいったいどういうことなのかと真琴に話がいったとのこと。
真琴の行動は迅速だった。素行の悪い生徒がついに問題行動を起こしたともなれば、何らかの処置が下される。ただでさえ周りから奇異な目で見られているのに、問題行動を起こして停学を食らったと公言されれば、クラスに溶け込むという意味での学業復帰は難しいだろう。それを真琴は恐れた。真琴は風紀委員長として、『クラスメイト全員の輪を守りたい』という信念の下に動いており、そこにはもちろん神原も含まれる。だからこそ、何の処置もなく罰もないままに神原を放置することができないといった教頭に対し、意見をしたという。
それを全て神原に話したらしい。
「それが"風紀委員として学校の風紀を守らせる"ってことか。もう二度と問題行動を起こさないように監視するって意味もある、と。まるで今の生徒会の真琴じゃねーか」
「ま、そうなるわね。言ってなかったと思うけど、私たちが通っていた中学は結構な進学校でね、落ちこぼれで成績が悪かった私にはなかなか友達もできなかった。みんなプライドが高い学校だったの。だからこそ、底辺を彷徨っている私のことを一生懸命考えてくれてる秋村くんには、何か強く感じるものがあったわ」
「まさか、惚れたのか?」
「そうかもしれないけど、もうちょっとこう……一方的な友情、みたいなね。対等に見てくれる存在として、もっと知りたいだとか、なんか負けたくないって思ったし」
「それで風紀委員に入っていろいろ頑張ったと」
「そう。勉強も、運動も。ただ自信を失ってただけで、やればできるんだってことが自分の成績の伸びを見てすごく実感できた」
「で、今の神原に繋がるわけだな」
「ま、そういうことね。今まで自分を女だと思ったこともなかった私だったけど、見た目にも気にしてみたり、礼儀作法や他人との接し方も正してみたの。優雅で美しく、そうあることが自分を良くしていくことに繋がるって信じてたから」
「それはよかった。なら、事件ってのはなんなんだよ」
そう。真琴が堕ちてしまう原因となったとある事件。それについてはまだ触れられていない。今の話が序章だったということなのだろうが、ここからどう話が続くのかが予想できない。
再び目線を下に落とし、一段と表情を暗くした神原が続けて話す。
「事件って言うほどのものじゃないのかもしれないけど……そうね。秋村くんの中の大切なものが壊れてしまったのは、高校受験の頃」
「浜山高校に受験した時の話?」
「直接的な出来事はね。でも、秋村くんが変わっていったのは中三くらいのころから」
それは、ちょうど私が変わってクラスの中でも人気者になるというくらいには学業に復帰することができた頃の話、と神原は語る。
「全教科の成績が常に学年トップだった秋村くんを抜いて、私が学年トップを取るようになった。秋村くんもやったねって言ってくれた」
底辺からのスタート。いくら才能があったとしても、それは厳しい道のりだっただろう。
今までみんなが走っていった道を、何倍ものスピードで走る。それがどれだけ辛いことか。
今までみんながしてきた努力の何倍もの努力を限られた時間の中でやりきる。それがどれだけ辛いことか。
守りたい輪の一部としてではなく、対等な一人の人間として真琴に自分を見て欲しかったと神原は語る。
だからこ神原は真琴にこれ以上ないほどの友情を感じ、少しでも近づきたい一心でライバル視していた。
「秋村くんと同じくらいには、みんなの信頼も勝ち取れた。やっと、やっと同じ舞台に立てたって思ったの」
「……それでも?」
「そうね。でも、……それでも、私の友情は一方的なものだったってことなのかしら。秋村くんは、笑ってなかった。こっちを向いて手を合わせて欲しかったのに……、よく頑張ったねって褒めて欲しかったのに……」
「それから何が起きたんだよ?」
「私は秋村くんに拒絶されたの。初めは勘違いかもって思った。でも、違う。ねっとりとした嫉妬が私を射抜いていくのを感じたわ。その時の秋村くんの目、それはまるで昔の私のような……」
「人の上に立って、学校という輪を守りたいだなんて聖人君子みたいなことを謳ってた真琴も、所詮は人の子だったってわけね」
「そうね。あまりこういうことは言いたくないけど、私のことを心配してくれたことも、本当は別の意志があっての行動だと思った。それからはずっと、ギクシャクした感じで卒業の時期になった」
「それで、受験?」
「ええ。私たちは浜山高校じゃなくて、隣町の進学校森川高校を受験してたの」
「そうだったのか。って、当たり前か。浜山高校は施設こそ充実してるけど、それほど学力は高くねえしな」
「そうね。で、結果だけど、残念ながら秋村くんは落ちて、第二志望だった浜山高校に流れた」
「それは、まぁ……。ここに入学してる時点で予想は出来てたけど」
「普段の彼なら、受かってたはず。彼は焦ってた。それはたぶん、私の存在があったからだと思う」
「それでも、落ちちゃった以上仕方ないわな。で、神原は……」
「私は第一志望の森川高校に受かってた」
「そうなるか……。でもなんで? ここにいるってことは、つまり――」
「そう、第一志望は蹴ったの。で、第二志望の浜山にやってきた」
「おいおい。それってまさか、聞きたくはないけどさ……」
「もちろん、秋山くんのことを思ってのことよ。このままじゃ、彼との仲が歪なまま別れることになるって思ったから。また、一緒に風紀委員をやれば、全て元通りになると思って」
「で、それは叶わなかったと」
「そう。その時、腹の中のものを全てぶちまけられたわ」
「……」
「なんて言われたか、気になる?」
「いや、いい。なんとなる分かる」
気にならないといえば、それは嘘になる。しかし、その内容を根掘り葉掘り聞くのは、さすがに野暮ったく感じた。もう十分すぎるほど状況は理解したし、これ以上は神原の心の傷を抉るだけだ。
実際、この話を語る神原の顔は悲痛なものだった。それもそうだろう、当時の神原にとって真琴は憧れの存在であり、頼りになる同級生であり、恋心を感じさせる男子だったのだ。
その真琴の口から発せられる罵詈雑言。恨み、嫉み、怨嗟、憎悪、自棄、完全な拒絶の言葉。
クラスの輪を、学年を輪を、学校の輪を守るということ、それはつまり、自分がその中心として存在していなければならないということだ。そしてみんなの中心であるということは、みんなの上に立つということである。文武両道というのはそういうことだろう。勉強も運動も、誰よりも優秀でなければならない。少なくとも真琴はそう感じていた。そしてそれがいつか、真琴自身にプレッシャーとしてのしかかっていたと、そういう状況だったのだろう。
みんなの輪を守る存在、何がきっかけになって真琴がそれを目指すことになったのかは分からない。しかし、そうなってしまった以上、真琴は一切止まれなくなった。そして、それを崩してしまったのが神原だったという話である。
その後、俺は真琴と出会い友達になる。神原は結局風紀委員会には入らず、生徒会に入ることになった。
それがちょうど、一年前の出来事だという。
しばらく目を瞑っていた神原。当時のことを思い出していたのだろうか。
俺はシリアスな空気に肩が上がらず深く椅子に腰掛け、神原の言葉に耳を傾けていた。
真琴の過去を知り、思うことはいくつもある。馬鹿で間抜けでお調子者な真琴にも、こんな重い過去があったのだ。
いつも振り回されて、それでもそれが心地よくて、気がつけば心を許してる俺の友人の一人。
風紀委員のこと、神原のこと、真琴は今はどう思っているのだろうか。
「入学してからはずっと会わなかった。いえ、会えなかった。クラスが違ったのは幸いだって思った。どんな顔で会えばいいのか、わからなかったから」
「そうだろうな。でも、気にはしてたんだろ?」
「ええ、もちろん。でも素行の悪い彼を、私は咎めず放置していた。彼は昔の私のようになっちゃったけど、私は昔の彼のようにはなれなかったの。そうして月日が経っていった。そしたら、二学期が始まるくらいのころだったかしら、転機が訪れたの」
「ブラックリスト騒動か」
「そう。秋村くんが風紀委員の横暴な罰則の餌食になろうとしてたとき、さすがに私は静観していられなかった。"あの時"と同じ手を使って秋村くんを助けた」
「秋村を救いたかったから? それとも、単純に学校の輪を守るために?」
「半々ね。秋村くんがやろうとしてたことを、私は今でも目指してる。それに、なにより私は秋村くんと仲直りがしたい。今更な話だけど、彼ともう一度学校の風紀を守っていけないかって思ってるの」
「……それで、仲直りは出来たのか? 真琴の様子を見るに、神原に対して険悪な雰囲気を見せるような感じはなかったけどさ」
「仲直りできたと言えばできたと思う。生徒会に入ることもちゃんと同意するとね。でも、釘を刺されたわ」
「なんて?」
「"昔のようには戻れないから"ですって」
「なるほどな。なんというか、真琴らしいな」
「あら、やっぱりそう思う?」
「そりゃ、一年だけとは言え毎日のようにつるんでるからな」
「そう。そうよね……」
神原は嬉しそうに微笑むと、冷め切ったであろうコーヒーの最後のひとくちを飲み干す。
そして、会長の椅子を立ち上がった。
「ん? どこか行くのか?」
「決まってるでしょ」
神原はふふんと不敵に笑うと、生徒会室の外を指差し腰に手を当て高らかに言い放つ。
「秋村くんを探しに、よ!」
「……おっけー。一緒に行こうか」
そう。あの問題児を捕まえて、勝負の種目の練習をしなくちゃな。
と、そんな話もすっかり忘れてしまっていた自分に少し恥ずかしさを感じた。