第9話 宮廷の流儀
「本当に忌ま忌ましいしいですわ、あの女!! そう思いません事?」
「低い身分の癖に、あんなに澄まして私達を馬鹿にするなんて、本来の身分であれば声を掛けるのもおこがましいというのに!」
「あの、皆様……そんな事仰るのは」
「まぁお優しいのね、フィン。仲間意識と言うものかしら」
「い、いえ。そんなことは……ただ」
「アディ、この子とあの女を比べるなんて可哀相よ。フィンは私達に比べてなら家格は劣ってはいるけれどあの女よりは遥かに上なのですから」
「あぁ、ごめんなさいね」
「い、いえ」
茂みに隠れたシャーロットには声だけしか聞こえないが、どこかで聞き覚えのある声だった。
知っている方なら茂みから出て挨拶するべきなのかどうか迷っているうちに、少し険悪そうなムードになってきたので、茂みから出る事を辞める。今更出て行っても、立ち聞きしていたと、さらに気分を悪くされるかもしれない。
できるだけ会話を聞かないように、シャーロットは耳を塞いでみる。
けれどそれはあまり意味がなかった。興奮状態の女性の声はよく響いて、ほとんど聞こえてしまう。
シャーロットは別の事を考えようと、意識を集中しようとした。けれど。
途中「陛下」という単語が出て来たのでそれも難しくなってしまった。
「ねぇ、どうせなら陛下の前で、堂々と恥をかかせられないかしら?」
「どうやって?」
「そうね……ダンスの途中に足を掛けるとか?」
「あの女の食事に、何かを混ぜてやるとかもよくないかしら?」
「そうね、それぐらいなら出来そうね。こちらの言うことを聞くような召使いなんて掃いて捨てるほどいるのですもの」
「そんな恐ろしい事……もし陛下のお耳に入れば」
「まぁ、まさかフィン。貴女本気にしているの? 冗談よ、冗談」
「アディ。本当にフィンのいうとおり冗談だとしても程々にしなければ。真に受けた召使いが本気でやりかねないことよ? 私達は冗談のつもりなのに」
「あぁそういえば! 私、王太后様の宮に呼ばれていたのだったわ」
「そうね。貴女は呼ばれてなかったでしょうけどね、フィン?」
「は、はい。私は……」
「ではごきげんよう」
やっと響く声が静かになって、シャーロットは耳から手を離して、やっと息が付ける。深呼吸した。
所々漏れ聞こえてくる会話は始めは少し物騒な会話のような片鱗が見えたけれど、冗談だったようでホッとする。宮廷式の冗談なんてシャーロットには上級問題過ぎて、本気にとってしまいそうだった。いつまでも慣れそうにない。
やっと静かになったと思い、シャーロットは茂みから改めて出ると、誰も居ないと思っていたのにそこには女性が立っていた。
シャーロットは息が止まりそうなほど驚いた。相手もまさかこんな茂みから人が出てくるとは思ってもみなかったようで同じようにびっくりした顔をしている。
「お、王妃さま……申し訳ありませんでした」
やや時間が開いてからそう言って、真っ青な顔をして膝をおり謝ってくる。
その人物はよくシャーロットの元にご機嫌伺にやって来てくれる三人の中の一人だった。名前はオージュフィン様。
物静かで小柄で――まるで妖精のような美少女だ。
薄黄色のふんだんにレースをあしらったシフォンのドレスを着て、腰もコルセットで絞めていたとしてもシャーロットより一回り以上違いそうな細腰。華奢な体型ははかなげで。
長い縁取るような眉毛は震えていて、見るだけでお可哀相にと思ってしまう。
聞いた事がある声だと思ったら、きっと後の二人はいつも三人で行動しているフェルマー様とアディライラ様だろう。三人で訪問してくださる時は、主に二人が話してオージュフィン様は余り口を開かないので、どういった方なのかは良くわからない。
「こちらこそ驚かしてしまい申し訳ありません。まさか人がいるとは思っても居ませんでしたので」
「あ、あの……ルマ様……いえ、フェルマー様も悪気があった訳ではないのです」
「ええ、分かっております。あくまでも冗談なのですよね」
先程の物騒な会話を本気にとって、言い触らしはしないかとオージュフィン様は心配なのだろうとシャーロットは思って、安心させるために微笑んでみせる。動揺してるのはシャーロットもなので、少し顔が強張っていた。彼女も宮廷流の冗談は慣れないのだろう。どうしていいのか躊躇った表情を見せる。
「…………」
「そんなに心配しなくても大丈夫です。しかし、あまりそういった冗談は控えたほうが宜しいと思います。誰かに聞かれて本気に取られてしまうと、大変な事になりますよ?」
それを聞いてオージュフィン様は益々顔を強張らせた。
その反応にややしばらくしてから、シャーロットとしては心配しての言葉だったけれど、そういえば自覚があまりないとはいえ自分は王妃。本来の貴族としての身分で言えば彼女の方が遥かに上であるのに、目上の者というのはおこがましかったが、偉そうだったかもしれないと気が付く。
「私みたいな者が言うのはおこがましいのですが……」
内心は慌てて、でもかつシャーロットの精一杯で優雅に言い訳する。
しかし、そうシャーロットが気を遣えば使うほど、逆にオージュフィン様は縮こまっていくようだった。その様子は消え入りそうで、シャーロットはとても罪悪感を感じてしまう。
(どうしましょう……私がもっと上手くお慰めできれば)
そう考えて焦れば焦るほど、いい言葉が浮かばない。
「王妃様! こちらにいらっしゃったのですね! お探ししました」
重苦しい沈黙を一層するように、タイミング良く、最近入った侍女マールが、建物の中からシャーロットを見つけて声をかけ、駆け寄ってくる。近寄るとオージュフィン様がいるのに気がついて、慌てて礼を取った。
「お、お話し中に申し訳ありません。あ、あの……」
「いいえ、もう私のお話は終わりましたので。では王妃様。私は失礼させていただきますね」
わざとではないとはいえど。貴人の会話を中断させたためか慌てるマールに向かって、優しくフォローするように微笑み、オージュフィン様は静々と退出してしまった。その退出の仕方も見事に優美で、まるで夢のような余韻が漂う。
マールは彼女が完全に立ち去ったと分かると、顔をあげ心配そうな表情を浮かべた。
「あ、あの本当に大丈夫でしたか王妃様?」
「ええ、大丈夫ですよマール。お話は終わっていましたし……それにしてもオージュフィン様って本当に妖精のようですね。あの優雅さの十分の一でも私にあったらいいのに」
見惚れていたシャーロットはため息をついて、手を頬に置いた。
優雅に動かしたつもりが、やはり自分ではあのような動きにはならない。
「いえ。そういうことではなくてですね……」
マールは戸惑ったような顔を浮かべている。
マールはシャーロットと同じような下級貴族の娘だ。王宮に行儀見習として入ったばかりの彼女は、本来なら王妃付きという花形女官になれる筈がない身の上。
しかし、シャーロットは期間限定の王妃。
沈みゆく船につきたいと思うものはいないという貧乏くじを引かされて、シャーロットの元にやってきた……というのが世間一般の評価。勿論、シャーロットはそんな事を知るはずもなく、お友達になれて嬉しいという程度の認識しかない。マール自身もそんな風評を気にしてはいないかのごとく、他の宮廷女官たちの微妙な扱いをものともせず、シャーロットに付き従っていた。
新米侍女といえど、マールの身のこなしは優雅だ。先程だって軽やかな足取りで、足音も殆ど感じない。シャーロットはやはり王都の人間というのは社交の場に出る事が多くその為に洗練されているのだと、感心するばかり。地味な顔立で身分をわきまえてひっそりと目立たないように振る舞っているが、きっと令嬢として振る舞ったのなら、自分よりも華やかな女性だとシャーロットは思っていた。
始めは王妃と言うことで遠慮がちだったマールの態度も、身近で接することが多ければシャーロットのぼろが目立ち始めた頃から、親しい者へのそれへと変わっていき、話せば意外とはっきり物事を喋る。
そんなマールが、何かを決心した顔になる。よほど言いにくい事のようだ。
「その……あの方はフェルマー様のお取り巻きの方ですよね」
「ええ、よく三人でご挨拶に来て下さいます。最近はお忙しいようであまりお会いしませんけれど」
「殿下が王位を継続するのであれば、フェルマー様が一番の王妃候補と言われていたんですよ」
「まぁ……そうだったんですか?」
流石に"現在の王妃"に"王妃になるはずだった女性"の事を、進んで話す人間なんていないし、噂に疎いシャーロットには知らない事だった。
仮の王でなければ、フェルマー様が王妃だった。
それはすんなりと納得できる。
フェルマー様のご実家の公爵家は身分も十二分ながら貿易、外交にも明るい。そして豪奢な美人で、発言力もあり陛下の隣にいても何の問題もない女性。そしてそれは陛下の好みのタイプに大体あっている。少し違うのはクールで落ち着いていると言うよりも、華やかで女性的な色気があふれている事だろうか。
身分も外見も能力も、シャーロットとは裏と表。
彼女が一番の王妃候補という事は、陛下の望んだ女性像もそこにあるという事で……。
「フェルマー様……だなんて目標は高く険し過ぎます」
陛下好みの女性になるために、シャーロットなりに努力しているつもりなのをマールは知っていた。
「いえ、王妃様。そうではなく」
しかしマールはそれを遮って、目はさらに真剣になった。
シャーロットを見つめてから、周りを見渡して誰もいない事を確認してから口を開く。
「私の言いたいのは、王妃様に嫌がらせをしているのは、フェルマー様じゃないかって事です!」