第8話 王妃の動揺
今朝もいつもの通り。
お忙しい合間をぬって、エヴァラート様が顔を見に来て下さってシャーロットはホッとした。
今日も陛下は麗しく威風堂々としていて、シャーロットの胸をときめかせる。
あれからオルヴァーから言われた言葉が心に引っ掛かっていた。
――たまにはワガママでも言ってみろよ。
またその言葉がふと胸に湧き。
「息災か?」
「……あの」
エヴァラート様の問い掛けに、反射的にいつもと違う言葉を返してしまった。
彼はわずかに表情を変えると、いつもならすぐに立ち去るのに無言で立っている。
シャーロットはとても焦った。
(言ってもいい……のでしょうか?)
そして中々立ち去らないエヴァラート様に、自分の言葉を待っているとようやく気付く。
慌てて膝を折り、謝罪の言葉を口にした。
「っ……申し訳ありません、何でもございません」
「何だ、話してみろ」
エヴァラート様は、シャーロットの不審な様子に少し固い表情になる。
言いたくないけれど言わなきゃいけない。そんなプレッシャーがひしひしと伝わってくるのは、カリスマ性というものだろうか。まるでいたずらをして、親に叱られた子供のような身の置き場のない気持ちにシャーロットはなってしまう。
「その……陛下は」
声が震えた。
思えばエヴァラート様に、挨拶以外の長い台詞を喋るのはあの夜以来だ。
とにかく。簡潔にクールに要点を言わなきゃ……と慌てている内心を表さないよう、表情を硬くした。そしてやっと言えた一言。
「陛下はお食事をどうされているのですか?」
「?」
エヴァラート様は、面食らった顔を一瞬見せると、すぐに真顔になった。
どうやら予想してなかった質問らしい。
こんな朝早くから、シャーロットの部屋を訪れているのだ。シャーロットもまだ朝食をとっておらず、それが気になって世間話のつもりで振った話題。流石にシャーロットもいきなり「ワガママ」を言う勇気がなかった。
しかしそんなに変な質問だったのかと、シャーロットは内心ますます動揺する。けれどクールを装った仮面は外さないように努める。
「朝は忙しいので食べていないが?」
と、言うことは。そんな忙しい合間をぬってでも、会いに来てくださっていると言うことで。
「陛下。そんなにご無理をしてまで、こちらに来られてはなりません……」
「……」
シャーロットは反射的に結論だけ言ってしまった。
朝の食事は一日のはじまりで重要だ。
普通の状態でもシャーロットは必ず食べないとお腹がすくし、めまいを起こすように頭が回らなくなるのに。今はエヴァラート様という見るだけで胸いっぱいになる方がいらっしゃるので、朝食前でもお腹が空いているということは感じない。別の意味でめまいを起こしそうにはなるけれど。
シャーロットとは違って、これから政務を執られるお忙しいエヴァラート様が食べていないのは論外で、心配のあまり少し厳しい口調になってしまう。
気まずい沈黙が流れる。ため息のあと尋ねられたのは。
「君は、私の妃なのにか?」
「妃だから申し上げているのです」
――私の事なんて後回しにして下さい。
そう言いたい気持ちで一杯だったが、陛下の行動に口をはさんだからか、表情は柔らかいし一見そうとは見えないが、シャーロットを見る瞳からは段々と不機嫌を感じ取れて、シャーロットは口をつぐんでしまう。それはまた余計な事を言って、エヴァラート様から嫌われたくないという一心だった。
「わかった、君に会いに来るのは控えよう」
射るように感じていた視線が、ため息とともに外される。
その言葉はシャーロットが望んで引き出した言葉、だったのに心が痛んだ。
自分にかかずらわせる時間を少しでも、エヴァラート様が休息に使ってくださればという配慮だったのに。
今でも会える時間が短くてもっとお会いしたいというのに。
(これでいいのに……)
急にシャーロットの視界がぼやける。
「シャーロット?」
「も……申し訳ありません陛下。御前を失礼いたします……」
陛下の怪訝な自分を呼ぶ声に、顔を伏せて一礼し淑女らしくなくシャーロットはその場から逃げ出す。普段なら王妃の庭へと逃げ込むために進む足は、エヴァラート様が立っている方向だったので、廊下の方へと向いた。その様子は礼儀作法を教えてくれる婦人からは憤慨ものの行儀の悪さだったが構わなかった。
なぜなら表情はキープ出来たのに、涙が自然と溢れて止まらない。
咄嗟にごまかしたので、エヴァラート様には気付かれなかったとは思ったが、シャーロットは泣いていると言うことを気付かれたくなかった。
背後から誰かが名前を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、足は止まらない。
とてもみっともなかった。
ただ会えないという、そんな些細な事で泣いてしまうなんて、エヴァラート様の望むような立派な淑女はそんな事ぐらい何ともないはずだろう。でもシャーロットにはそんな些細な事が大事で。誰も居ない場所でひっそりと涙を止めようと、庭園を歩いていたら丁度いい茂みを見つけたので、そこに座って落ち着く事にした。
さわさわと木葉の奏でる音を聞きながら、一人でいると段々とおちついてくる。
思いっきり涙が止まるまで泣いてスッキリすると、頑張ろうと気持ちが上向いてくる。
(お話の途中に急に逃げ出したりして、陛下は気分を悪くされたかしら? そうよね、きっと)
次にお会いする時は……もう朝は来ないと言っていたから当分の間はそのチャンスはないだろうけれど……謝らなきゃとシャーロットは決心する。
そして不意に、シャーロットは笑いたくなった。
「そういえばエヴァラート様とお話……出来たんだわ」
旦那さまの体調を心配しての会話だなんて。今までの事を考えると少し……いや、かなり夫婦らしい会話だったかもしれない。
シャーロットは途端。自分が泣いてその場を逃げ出したくなるような結果になってしまったことを忘れてしまう。
今更になって、エヴァラート様とお話しできた事実が胸を熱くする。
(旦那様の朝食について口を挟むなんて、奥様っぽい……っぽいです)
それどころか、「君は私の妃」とかそんな夢のような言葉がエヴァラート様の口から聞けている。
シャーロットが奥さんだという事を、エヴァラート様も認めているのだ。
いつか本当の夫婦らしく色んな事を語り合えるようになれたらいいな……何て今の自分のレベルでは一歩歩いて二歩下がるぐらいの進歩なのに、脳天気な事を考えてしまう。
それには、エバラート様の理想に少しずつでも近付いて、いけばいい。きっかけはどうであれこれからずっとずっと一緒なんだから。好きになってもらえるように頑張ろう。
そう反省すると、次こそ王妃として立派な謝罪をしなければと決心する。
悪い事ばかりを考えない、それがシャーロットのいいところでもあるが、脱線気味なことには自分では気がついていない――そして肝心な事にも。
気分が急上昇したシャーロットは、そろそろ自分の部屋にもどらなければ、朝一の王妃教育の教師がもう来ているかもしれない事を思い出した。さっそく郷に入っては郷に従え。いつものシャーロットのまま闇雲にあわてて謝っては、失礼にあたるかもしれない、宮廷らしく上品な謝罪の切り出し方を教えてもらおうと心に誓う。
エヴァラート様も、流石にもうお部屋には居ないだろうと、シャーロットはドレスに付いた葉っぱを払い、立ち上がろうとする。
途端静かだった庭園内に、人の気配と甲高い声が響き渡って、シャーロットは反射的にまた茂みのなかに引き返して隠れてしまった。