第42話:天上の回廊と天使
エンシェントゴーレムとの死闘を制し、学とプニはチュートリアルタワー九階層の最奥、次なる階層へと続く転移門の前に立っていた。体は疲労困憊だったが、情報も少ない未知の階層。学は少しでも情報を持ち帰ることを目的に10階層へ入ることを決めた。
「プルル…マナブ…行く…?」
プニの幼いながらも確かな思念が、学の頭の中に直接響く。その虹色の体は、戦いの激しさを物語るように、微かに明滅を繰り返していた。
「ああ、行くぞ、プニ。一体どんな場所が待っているのか……」
学は深呼吸し、プニを抱き上げて転移門をくぐった。
視界が切り替わった瞬間、学の肌をひんやりと澄んだ空気が包み込んだ。これまで踏破してきた草原、湿地帯、岩石地帯、溶岩地帯、そして古代遺跡……そのどれとも異なる、荘厳で幻想的な景色が目の前に広がっていた。足元には、雲の上に作られたかのような白く輝く大理石の回廊がどこまでも伸び、その左右には、天へとそびえ立つ巨大な柱が規則的に並んでいる。柱には精巧な彫刻が施され、空間全体からは聖歌のような、清らかな調べが微かに響いていた。雲海の合間からは、地上では決して見ることのできない、星々が煌めく夜空が広がっている。
「……まるで、神殿のようだ」
学は思わず呟いた。ここが、チュートリアルタワーもいよいよ終盤に差し掛かっていると実感した。
プニもまた、学の腕の中で興奮したようにプルプルと震えている。その虹色の体は、この神聖な空間に満ちる清浄な魔力に反応し、一層輝きを増していた。
学は慎重に回廊を進んだ。荘厳な雰囲気とは裏腹に、背筋に走る微かな緊張感が、この場所が持つ真の危険性を学に警告していた。自身のレベルは39、プニも同様だ。これまでの経験から、最終階層のモンスターは、これまでのボスと同等かそれ以上の強敵である可能性が高い。
数分歩いたところで、学の視界に、宙を舞う影が捉えられた。それは、ニュース映像で見たことのある「天使」のような姿をした存在だった。背には巨大な白い翼を持ち、全身からはまばゆい光を放っている。手には、鋭利な光の剣を携えていた。
学は即座に『真贋鑑定』を発動した。
【ヴァーチュガード】
レベル:40
HP:700/700
特性:聖なる光の剣、高速飛行、聖属性攻撃
弱点:闇属性、物理衝撃(翼)
備考:神聖な守護者の一種。群れで行動する。
「レベル40か。やはり……」
学は身構えた。ヴァーチュガードが学に気づき、その光の剣を構え、高速で向かってくる。学は『シャドウダガー』を構えて迎え撃つが、ヴァーチュガードの動きは想像以上に素早かった。光の剣が学の体を掠め、その神聖な力は学の『火属性耐性(小)』や『水霊の加護(小)』とは全く異なる、純粋なダメージを与えてくる。
「プルル!」
プニが学の意図を汲み取り、ヴァーチュガードへと向かっていく。プニの『放電(微)』や『磁力操作(微)』がヴァーチュガードにヒットするが、その効果は限定的だった。聖属性の敵には、闇属性や魔力衝撃が有効とあるが、学には闇属性の攻撃スキルはない。プニの『魔力共鳴(学限定)』を活かし、魔力で物理攻撃を強化するしかないか。
その時、さらに数体のヴァーチュガードが合流し、学たちを取り囲むように現れた。その中には、一際大きな、両手に光の槌を構えた存在もいた。
【パワーエンジェル】
レベル:42
HP:900/900
特性:神聖な力、広範囲聖属性攻撃、高い物理防御力
弱点:闇属性(極大)、精神攻撃
「パワーエンジェルまで…!」
学は冷や汗をかいた。パワーエンジェルは広範囲の聖属性攻撃を繰り出してくる。学の『水霊の加護(小)』のような耐性スキルは、聖属性には効果が薄いことを痛感させられた。これまでの階層で物理や地属性、火属性、水属性への対応策は練ってきたが、聖属性、特に天使系のモンスターとの戦いは初めてだ。攻防一体の戦術が求められる。
学はプニとの連携でヴァーチュガードを撃破していくが、聖属性攻撃のダメージと、MP消費による『因果固定』の代償(微かな頭痛)が学を蝕んでいく。このままではジリ貧だ。
「いったん、引くぞ、プニ!」
学は賢明な判断を下した。無理な戦闘を続けず、一度この聖属性への対策を練る必要があった。プニと学は、なんとかヴァーチュガードの追撃を振り切り、転移門へと引き返した。
自宅に戻った学は、ソファに深々と身を沈めた。まだ身体の奥には聖属性の攻撃が残した微かな痛みが残っている。すぐにPCを立ち上げ、ネットで情報収集を始めた。
「10階層の攻略情報…」
検索窓にそう入力するが、期待するような情報はなかなか見つからない。ニュースサイトや冒険者向け掲示板では、連日、世界のトップランカーたちの華々しい活躍が報じられている。
数日前「雷帝ゼウス」が10階層を単独で進行中だとか、「剣聖ヤマト」が新たな剣技を習得しただとか。彼らの実力は凄まじく、学もそのレベルの高さに驚嘆する。しかし、同時に彼らの話題と共に、ランキングを7位まで異常な速度で駆け上がってきた「名無し」という存在が誰なのか、という話題が持ちきりになっていた。
メディアは「人類最後の希望か、あるいは未知の異界の協力者か」などと様々な憶測を報じている。学は内心冷や汗をかきながらも、その話題をうまく利用して、自身の正体が露見しないよう、さらに慎重に行動する必要があると感じた。
「やはり、表の情報だけでは限界があるか…」
学は重い腰を上げ、インターネットで噂になっていた情報屋を探すことにした。そこでは、高額な情報料と引き換えに、裏社会の情報や、トップランカーでさえ知り得ないような「真実」を扱う情報屋がいると。その情報屋の名は――グレイ。
学は、今までの攻略で得た資金を元手に、グレイとの接触を試みる。
具体的な所在地の情報は無かったが『因果固定』に導かれるように学は情報屋の居場所を探した。
新宿の歓楽街の裏路地、ひっそりと佇む古びた雑居ビルの地下に、その情報交換所はあった。
扉を開けると、そこは薄暗い酒場のようだった。カウンターの奥に立つ男は、フードを深く被り、その顔はほとんど見えない。しかし、彼の周囲からは、底知れない、しかしどこか人間離れした雰囲気が漂っていた。
「…おや、いらっしゃいませ。はじめましてですかな。このような場所においでとは珍しい」
グレイの声は、まるで古びた書物が擦れるような、不思議な響きを持っていた。学はカウンターに座り、単刀直入に用件を伝えた。
「十階層の、ヴァーチュガードとパワーエンジェルについて知りたい」
グレイは一瞬、沈黙した。そして、微かに顔を傾けたような仕草を見せた。
「なるほど、それは難儀なことです。聖属性の敵は、これまでの法則とは少々趣が異なりますからな。特に、あの階層の守護者は…」
彼は意味深に言葉を区切った。学は、グレイが「守護者」という言葉を使ったことに、この情報屋が通常の冒険者とは異なる、より深い情報を持っていることを確信した。
「情報料は、相応のものとなりますが」
グレイはそう言って、学の眼前に半透明のボードを提示した。そこに表示された金額は、学がこれまで稼いだ額の中でも最高額だった。しかし、この先を攻略するためには必要不可欠な情報だ。学は躊躇なく頷いた。
「では、まず基本的な情報から。ヴァーチュガードやパワーエンジェルは、確かに聖属性攻撃が主体です。彼らの真の弱点は、純粋な闇、あるいは邪悪な存在から放たれる強力な魔力攻撃です。そして、物理的な核を持たない彼らには、精神的な衝撃も有効となるでしょう」
グレイは淀みなく情報を語り始めた。
「さらに重要なのは、彼らが『聖なる波動』を常時放っていることです。これは周囲の魔素を聖属性に偏らせ、闇属性系以外のスキルを弱体化させる効果を持ちます。ゆえに、闇属性を攻撃手段として持たない冒険者は、あの階層では苦戦を強いられることでしょう」
学はプニの『シャドウダガー』が闇属性攻撃を微増させる効果を持つことを思い出した。この環境では闇属性を効果的に活用することが攻略の鍵となりそうだ。
「…そして、彼らの行動パターンは、極めて理知的です。愚直なモンスターとは異なり、連携して攻撃を仕掛けてきます。特に、パワーエンジェルは、その巨体に見合わぬ速度で突進し、広範囲を巻き込む聖なる一撃を放つ。迂闊に近づけば、たちまち灰塵に帰すでしょう」
学はグレイから聞いた情報に、再び背筋に冷たいものが走るのを感じた。その言葉は、まさに彼が体験したばかりの苦戦を裏付けるものだった。
「…十階層の、ボスについて知りたい」
学がそう尋ねると、グレイは静かに首を横に振った。
「ボスの情報ですか。それは、また別の話となります。お代も、さらに高額となりますが…いかがなさいますか?」
グレイは目を細め、学の返答を待った。学は迷った。これ以上資金を費やすのは得策ではない。ひとまず、現状で得た情報で戦術を練るべきだろう。
「今回は、ここまでにします」
学がそう答えると、グレイは特に感情を表すことなく頷いた。
「…では、一つ、おまけで。近頃、東京湾で奇妙な噂が広まっております。ただの自然現象ではない、異界の…影が蠢いていると。それは、どうやら地球の神が語っていた『真の脅威』に繋がるかもしれませんね」
「お役に立てたでしょうか?」
グレイは静かに問う。
学は「ああ、助かった」とだけ答えた。この情報屋の正体は依然として不明だが、彼の提供する情報は、学にとって極めて重要だった。そして、彼がさりげなく口にした「異界の影」という言葉は、学の胸に、このタワー攻略だけではない、もっと大きな戦いが迫っているという予感を強くした。
情報屋を出た学は、深く息を吐いた。
「…プニ、対策を練るぞ」
「プルル!」
プニは学の言葉に力強く応えるように、その体を揺らした。トップランカーたちでさえ攻略に苦戦している未知の領域。しかし、学には「名無し」として、この世界の謎を解き明かし、迫りくる真の脅威に立ち向かう使命がある。
そして、遠くの街の大型ビジョンでは、今日もニュースキャスターが、異常な速度でランキングを駆け上がってきた「名無し」という冒険者が一体何者なのか、という話題を興奮気味に報じていた。学は、その喧騒を背に、静かに自宅へと向かった。
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