第2話:サイコロは未来を囁く
電車が最寄りの駅に到着したとき、車内のざわめきはまだ続いていた。乗客たちは互いに顔を見合わせ、信じがたい出来事を共有しようとしている。学は彼らに紛れて駅に降り立った。足取りはまだ少し覚束ない。会社に連絡を入れると、学の上司もまた同様の奇妙な体験をしたようで、全社的に一時休業となることが告げられた。呆然と電話を切り、学は一人暮らしの自宅へと向かう。
慣れ親しんだはずの街並みも、先ほど見た「タワー」がビル群の合間から顔を覗かせているのを見て、別世界に来てしまったかのような感覚に陥る。本当に世界は変わってしまったのだ。
自宅のリビングにたどり着き、学はソファに深々と腰を下ろした。先ほどの出来事が、まるで現実味のない悪夢だったかのように思えた。しかし、ふと意識を集中すると、眼前に再び半透明のボードが現れる。ステータスボードだ。
【田中 学】
年齢: 30
HP: 100/100
MP: 50/50
筋力: 15
敏捷: 20
体力: 15
魔力: 5
運: 77
変わらない自身のステータス。特に「運:77」という数値が、改めて学の目を引く。これが自分に付与された力なのだろうか。そして、ボードの項目には、他にもいくつか見慣れないタブがあった。「スキル一覧」「インベントリ」「人類総合力ランキング」「ガチャ」「クエストログ」「ワールドアナウンス」。
「スキル一覧」を開くと、そこに表示されていたのは3つ、しかし驚くべき名前のスキルだった。
【ユニークスキル】
『倍々サイコロ』
効果: 1日1回、任意のステータス1種を1時間の間、1~6倍にする(サイコロの出目次第)
『上限突破』
効果: あらゆる成長(レベルアップ時の獲得ステータスポイント、スキル熟練度上昇率など)、ステータス上限、スキル取得数制限などを原理的に撤廃する。
『因果固定』
効果: 都合の良い結果を引き寄せる???
ユニークスキル? あまりにゲーム的で、現実離れしている。しかし、これが自分に与えられた能力なのだろう。
学は好奇心に駆られ、『倍々サイコロ』の発動を試みた。スキル名を意識した途端、学の眼前に、本当にサイコロが現れた。それは光を帯びた、不思議な質感のサイコロだった。
「任意のステータス…『運』だ」
学がそう念じると、サイコロは宙に浮き上がり、カラン、コロンと音を立てて回り始めた。そして、やがて止まったサイコロの出目は――「6」。
ステータスボードが更新される。
【田中 学】
年齢: 30
HP: 100/100
MP: 50/50
筋力: 15
敏捷: 20
体力: 15
魔力: 5
運: 462 (77 × 6)
「…っ!」
桁違いの「運」の数値に、学は思わず息を呑んだ。77でも異常だと思っていたのに、それが6倍になり462になったのだ。この数値が、一体どんな影響をもたらすのだろうか。
すると、その直後から、学の周囲で小さな、しかし明らかに「幸運」としか言いようのない出来事が立て続けに起こり始めた。
部屋の片隅に置きっぱなしで諦めていた探し物が見つかった。数ヶ月前に応募した懸賞に当選したというメールが届いた。冷蔵庫を開けると、賞味期限が切れていると思っていたプリンが、なぜか新しいものに変わっていた――気がする。
これらの出来事は些細なものだったが、その偶然があまりにも重なることに、学は戦慄した。これは単なる偶然ではない。自身の「運」が、世界の因果に干渉し、都合の良い結果を引き寄せているのではないか?
そして、彼は確信した。この異常なまでの「運」と、『倍々サイコロ』によってそれをさらに強化できる能力こそが、この突然変貌した世界を生き抜くための、自身の唯一無二の武器になるのだと。平凡なサラリーマンだった自分に与えられた、この新世界での「生存戦略の鍵」。学は、まだ見ぬ未来に一筋の光を見た気がした。
---