第六夜 後ろ
日雇いバイトでその日暮らし、将来に大きな不安を抱えながらも生きていくことで精一杯で何も変えることができない、それが今の男の現状だった。
そんな彼の唯一の楽しみは、仕事帰りに寄るレンタルビデオショップでDVDを借りることだ。今日も荷物運びの仕事を終えた男は、行き着けのレンタルビデオショップに足を運んでいた。
乱雑に並べられたDVDに、埃と共に積み上げられたビデオの山。おおよそ客商売をする気が見られないこの小汚い店を男は何故か気に入っていた。
未来が見えない自分と同じだな。
そんなことを考えながら、男は面白そうな映画でも無いか物色する。
狭いわりには品揃えが豊富なこの店。だが、さすがに毎日通っていては見るものも無くなってくる。次はドラマにでも手を出そうかと考えていた時、男は奇妙な一本のビデオテープを見つけた。
それは、何処にでも売っているようなVHSのビデオテープだった。山積みにされたレンタル用のビデオテープの一番下にあるそれを男は力任せに引っ張り出した。
テープにはラベルが張ってあった。それには「三十二歳・男」と書かれていた。
何故こんな所に、市販されているビデオテープが?
首をかしげながら男はケースを見た。表面にはレンタル可能を示すバーコードが張られている。
男は疑問に思いながらも、この異質なビデオテープが気になり始めていた。それに、このタイトルも気になる。「三十二歳・男」自分と同じだ。いったい、自分と同じ年の男の何が映っているのだろうか?
一度気になってしまうと、その後は早かった。気がつくと男はそのビデオを借り店を後にしていた。
自宅に帰り、男は早速借りてきたビデオテープをデッキに入れた。
ザザッと一瞬砂嵐が走ったかと思うと、画面がすぐに切り替わった。だが、何度も上書きされたのか、ビデオは相当痛んでいたようだ。所々にノイズが走り色も滲んで見えずらい。だが、暫くの間再生していると段々と画質が鮮明になり始めた。
最初に男の目についたのは、無数の立ち並ぶロッカーだった。そのロッカーの前には、木製で作られたベンチがある。どうやらそこは更衣室のようだった。
誰も居ない更衣室。その映像が固定のまま延々と流され続けている。男は一瞬、何かの覗きを撮ったアダルトビデオかと思い、期待しながら見続けていた。だが、しばらく待っていても画面はいっこうに変わる気配が無い。ずっと無人の更衣室を映しているだけだ。
男は早送りをしようと、手元にリモコンを手繰り寄せた。と、その時だった。画面に変化が訪れた。更衣室に人が入ってきたのだ。
「この部屋のロッカーを使ってください」
「はい、わかりました」
画質が悪すぎて顔ははっきりとわからないが、更衣室に入ってきたのは一人の男のようだった。男は部屋の外に向かって返事をしている。この男がラベルに張ってあった「三十二歳・男」なのだろうか?
男は撮られていることにも気付かず、一番奥のロッカーの前まで来ると着替えを始めた。
なんなんだ、このビデオは? 男の着替えなんて見ても面白くもなんともない。ハズレを引いちまったか?
ボーっと画面を見ながらそんなことを考えていた時、ふと画面の男が使っているロッカーとは正反対、入り口付近のロッカーの扉が、ゆっくりとだが開いていくのに気がついた。
「なんだこりゃ?」
男は画面を食い入るように見た。ロッカーの奥に何かが見える。ボールほどの大きさの楕円形の黒いシルエット。これは……。
「うわあああああっ!」
男は驚いて画面から離れた。それは人間の首だった。うつろな目をした人間の首がロッカーの中にあったのだ。そして、その首の横から白い手がにゅっと伸びてきた。まるで狭い箱に無理やり押し込められたかのような格好をしたその人間は、今まさにその場所から出てこようとしていた。
背を向けて着替えている男は、その存在に気がついていない。その間に、完全にロッカーから姿を現したソレは、よたよたとまるで映画に出てくるゾンビのようにふらつきながら着替えている男に向かって歩き始めた。
まるでホラー映画を見ている感覚で、男は恐怖に震える口を抑えながら、聞こえるはずのない声で「後ろ……。後ろ……」と囁いた。だが、その声が聞こえたのだろうか、突然画面の男がハッと後ろを振り向いた。そして、
「ぎゃああああああああああああっ!!」
割れるような物凄い叫び声が更衣室に響き渡り、それと同時に映像が途絶えた。
映像が終わってからも、男はしばらくの間動けなかった。男は何も映っていないテレビの青い画面を見つめながら、全身をびっしょりと汗で濡らし、体を小刻みに震わせている。
何をそんなにビビってる? これは作り物だ。あんな映画に出てくるような化け物が、実際に存在するわけが無いだろう?
男は繰り返し繰り返し自分にそう言い聞かせた。だが、どうしても体の震えが止まらない。何故なら、最後に映ったあの恐怖に歪んだ男の顔、あの顔が自分の顔のように見えたからだ。
男は確かめようとリモコンを手にした。だが、再生ボタンを押す気にはなれなかった。あんな恐ろしい映像など二度と見たくない。
次の日、男はすぐにそのビデオを店に返しに行った。レンタル期間はまだあったが、そのビデオを手元に置いておくのがあまりにも気味が悪かったからだ。
暫くの間、男は行く先々のバイト現場でロッカーの立ち並ぶ更衣室が無いか確かめていた。そんなことはあり得ないだろうが、もし万が一ビデオに映っていた同じ場所があるのであれば絶対に入らない。そう男は心に誓っていた。
だが、一週間経っても十日経っても一ヶ月が過ぎても、ビデオで見たような場所に行くことは無かった。やがて月日が経つにつれ、いつの間にか男はあの映像のことをすっかり忘れてしまっていた。
それから三ヶ月ほど過ぎたある日。梱包の仕事が入った男は、とある倉庫へと向かった。
「この部屋のロッカーを使ってください」
「はい、わかりました」
現場の管理者に連れられた場所は、無数のロッカーが立ち並ぶ更衣室だった。
部屋に入った男は、一番奥のロッカーを開くと中に入っていた作業服を取り出し着替えを始めた。
今日の仕事は比較的楽なバイトだ。帰りの時間も、遅くても夜の八時までには終わるはず。終わったら例のレンタルビデオショップでも立ち寄ろうか。
そんなことを考えていた時、男の耳にどこからともなく囁くような人の声が聞こえてきた。
不思議に思った男は耳をすます。その声は、こう言っていた。
「後ろ……。後ろ……」




