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怖い話  作者: 優斗
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第四夜 鏡

 真っ暗な廊下の先には、ぼんやりと緑色に淡く光る非常口を指し示す看板が見える。その手前に、彼女が向かう目的地はあった。


「嫌だなぁ……。なんで、この病院はトイレがこんなに離れているんだろ」


 病室を抜け出し、少女はシンと静まり返った廊下を一人歩く。ペタペタとスリッパの音だけが不気味に響き渡り、それが少女の心を一層不安にさせていた。

 今から一週間前、風邪をこじらせた彼女はこの病院に入院した。その後、順調に回復した少女は、明日の退院に備え昨日は早めに床についていた。だが、夜中になって急にトイレに行きたくなり目が覚めてしまったのだ。

 しばらくの間、少女はベッドの中でモゾモゾしながら我慢していた。この病院は病室からトイレが離れており、しかもトイレに行くためには、あの暗くて不気味な廊下を歩いていかなくてはならない。それが嫌で、夜はあまり水を取らないようにしていたのに、最後の夜に限ってトイレに行きたくなってしまうとは。

 不安げな表情で、少女はキョロキョロと辺りを見渡す。廊下の蛍光灯はあちこちが切れて消えており、残りの蛍光灯もパチパチと点滅し今にも消えそうで頼りない。窓の外はすぐに隣の建物があり、一切外の光は差し込んでこない。唯一頼りになるものと言えば、廊下の一番奥にある非常口を示す看板の光だけだ。

 こんなことなら、寝る前にトイレに行っておけば良かった……。

 怖さに身を震わせながら、少女は涙目で後悔する。

 やっとの思いでトイレにたどり着いた少女は、手探りにトイレの電気を探し当て急いでつけた。パッと明るい光が灯されトイレの姿が露にされる。久しぶりのまともな光に、少女は安堵のため息をついた。そして、足早に手前の個室に駆け込んだ。


「ハァ……怖かった」


 便座に腰掛け、少女はやっと落ち着いた気がした。

 用を足し、少女は急ぎ早にトイレットペーパーを手繰り寄せる。カラカラと紙と鉄が擦れ合う音がトイレに響き渡り、妙な孤独感が少女を襲う。

 早く部屋に戻りたい。あの安全で暖かいベッドの中に潜り込み、楽しい夢でも見たい。明日は退院だ。退院祝いに、友達とプリクラを撮りに行く約束をしているんだ。早く朝が来ないかな。

 と、その時、突然トイレの入り口のドアがギィと開く音が聞こえてきた。いきなりの出来事に、少女は驚きビクッと身を震わせる。

 誰かが入ってきた……。

 何故か少女は息を押し殺し様子を伺った。

 ペタペタとスリッパの音がトイレに響き渡り、ドアの隙間から誰かが通り過ぎていく姿が見えた。そのままその音の主は、少女の隣の個室に入っていき、それっきり物音はしなくなった。

 暫くの間ジッとしていた少女だが、我慢できなくなり溜めていた息を一気に吐いた。と同時に、少女は水を流すと慌てて個室から飛び出した。

 なんで自分は息を潜めたりなんかしたんだろう。別に気にしなくても良かったのに。

 そんなことを思いながら、少女は手洗い場の蛇口を捻った。冷たい水が勢い良く飛び出し少女の手を直撃する。先程までの恐怖が、まるで水に洗い流されるかのように少女の中から消えていく。

 落ち着きを取り戻した少女は、手を洗いながら何気なく目の前の鏡を見た。鏡には、自分の居た個室と奥の個室が見えた。と、その時少女は何かがおかしいことに気がついた。鏡に越しに映る奥の個室、そのドアがわずかだが開いているのだ。

 思わず少女は振り向く。やはり奥の個室のドアが開いている。少女は首をかしげた。

 このトイレには個室は二つしかない。手前の個室に自分が入っていたのだから、さっきやってきた人物は奥に入っていったはず。なのに、何故ドアが開いているんだろう。

 何かが気になり、少女は恐る恐る奥の個室へと向かう。そして、ドアノブに手をかけゆっくりと開いてみた。……そこには誰も居なかった。

 ゴクリと少女の唾を飲み込む音がトイレに響き渡る。

 少女は扉を閉めると、ゆっくりと方向転換をし手洗い場の前に戻った。

 再び蛇口を捻り水を出す。水をすくい、少女は顔を洗った。

 確かにさっき、誰かが奥の個室に入ったと思ったんだけど……。それとも、気がつかないうちに用を足して出て行ったのかしら?

 何度も何度も顔を洗いながら、少女は自問自答を繰り返した。

 そうよ。私が気がつかないうちに出ていたんだわ。きっとそうよ。

 恐怖を打ち消すため、少女は無理やり自分に言い聞かせ、そう思うことにした。でないと余計な妄想が膨らんで、ますます怖くなってしまう。

 顔を洗い終え、少女はポケットからハンカチを取り出し顔を拭いた。そして、改めて鏡を見てギョッとした。奥のドアが先程よりも大きく開いているのだ。


「ど、どうして?」


 少女は慌てて振り向く。だが、奥の個室のドアは閉じていた。

 そ、そうよね。だって、さっき確かにドアは閉めたはずだもん。

 見間違いだったんだ、そう思って再び少女が鏡を見た時、その目に信じられないモノが飛び込んできた。


「ひっ!」


 鏡には奥の個室が映っており、そのドアが大きく開かれていた。そして、そこから緑色をした人の首のようなものが、鏡越しにこちらをジッと凝視しているのが見えた。

 あまりの恐ろしさに、少女はその場に立ち尽くす。さっき用を足していなかったら、きっと漏らしてしまっていたに違いない。それほど、その得体の知れないモノは恐ろしい顔をしていた。

 淡い光を発行させ、その緑色のモノはこちらを見ている。それは、人間の首だと言うのは分かるのだが、髪の毛が海で溺れた水死体のように濡れていた。その姿は、まるで頭から緑色の海草、藻をかぶっているかのように見える。男か女か判別することはできない。ただ分かるのは、それは決してこの世のモノでは無いと言うことだけだ。

 ガクガクと膝を震わせながら、少女はゆっくりと視線を逸らし背後を見た。だが、その背後は何も変わらない。ドアが閉ざされた二つの個室があるだけだった。

 少女の荒い息遣いがトイレに木霊する。少女はゆっくりと鏡に視線を戻した。

 そこには、奥の個室から這いずり出て来た緑色の人間がいた。それは少女のすぐ後ろにまで迫っていた。だが、それはそれ以上動こうとしない。微動だにせず、ジッとこちらの様子を伺っている。

 次……、次、視線を逸らして鏡を見てしまったら……。

 恐ろしいのに、見たくないのに、少女は視線を逸らすことができなかった。もし、次に視線を逸らしてしまったら、その緑色のモノは襲ってくるような気がする。いや、絶対に襲ってくるだろう。何故か分からないが、少女には確信があった。そう、次は無いと言うことに。

 潤んだ瞳で、おぼろげに映る怪物を鏡越しに見つめ続ける。そんな時間がどれぐらい過ぎただろう。気力が尽きた少女は、その場に倒れこみそのまま気を失ってしまった。


「……ちゃん、……ちゃん」


 誰かが呼ぶ声に、少女は目が覚めた。目の前には、自分の母親が居た。


「いつまで寝ているの。今日は退院する日でしょ。早く用意をして、出る準備を

なさい」


 少女の服をたたみながら、母親は片づけをしている。

 状況が良く分からず、少女は辺りを見渡した。そこは、自分が居た病室だった。

 まどろみの中、少女はベッドから体を起こすと大きく伸びをした。

 ……なんだろう。凄く目覚めが悪い。何か怖い夢でも見たのだろうか。


「酷い顔しているわよ。ホラ、顔でも洗いなさい」


 母親にタオルを渡され、少女は眠たい目を擦りながら部屋にある備え付けの洗面台に向かった。そして、鏡に映る自分の後ろに佇むモノを見た時、少女は全てを思い出した。

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