第三夜 カレー
最近、彼の帰りが遅い。
その原因は知っている。私の他に女が出来たからだ。
よく女の感は鋭いとか言われるけど、私から言わせれば男が嘘をつくのが下手なだけ。
極端に帰る時間が遅くなったり、今まで放置していた携帯を肌身離さず持つようになったりと、とにかく色々とあからさま過ぎる。案の定、彼が寝ている間に携帯を確認したら、女からの着信とメールが来ているのを発見した。メールの内容は思い出したくも無い。
彼と付き合い始めて、もう一年にもなる。
当初、私と彼が付き合うことを知った会社の同僚達は皆驚いていた。それもそのはず、彼は会社の中でも特に目立つ存在だったのだ。
見た目の甘いマスクに、スラッとした高い身長、それに加え仕事も出来るとなれば誰しもが憧れるに決まっている。かつて私が居た部署でも彼の人気は高かった。
それに比べ私の見た目は綺麗じゃないし、スタイルも良い方では無い。性格もどちらかと言えば暗く人前に出るのも苦手な方だ。だけど、私は料理には自信があった。彼は私の作ったカレーを美味しいと言ってくれた。私のカレーを毎日食べたいと言ってくれた。そう、私はカレーの腕だけで彼を射止めたのだ。
目の前の鍋には、そんな彼の大好物のカレーがグツグツと煮えている。
特に頬肉の入ったカレーが大好きだと言っていた彼。もちろん、今日のカレーも柔らかい頬肉が入った特製のカレーだ。
私にはカレーしか無いんだ。カレーで手に入れたものは、カレーで取り戻してみせる。そのためだったら、何を犠牲にしても私は構わない。彼さえ取り戻すことができるのなら。
「ただいま」
彼が帰ってきた。
私は満面の笑みを浮かべながら彼を出迎えた。
「おかえりなさい」
「今日も残業で疲れたぜ」
嘘だ。今日も他の女の所に行っていたくせに。
だけど、私は表情を崩さない。少しぐらいの浮気は許してあげれるほどの寛容は持っているつもりだ。最終的に私の元に帰ってきてくれればいいのだ。
「今日は、あなたの好きなカレーよ」
きっと彼は喜んでくれるに違いない。だって、カレーは彼の大好物ですもの。
だけど、彼の表情はとてもじゃないが喜んでいるようには見えなかった。あからさまに眉間にシワを寄せ嫌そうな表情を浮かべている。
「またカレーかよ……。ったく、毎日毎日カレーばかり作りやがって。もういい加減うんざりなんだよ、カレーは! たまには他の料理も作ってみろよ!」
「で、でも今日はあなたの大好きな頬肉の入ったカレーなのよ! 絶対に美味しいから少しだけでも食べてみて!」
私は急いで皿にご飯を盛り、その上にカレーをかけようとした。だが、そんな私を彼が後ろから突き飛ばした。突き飛ばされた私は、その勢いで鍋をひっくり返しカレーを全身に浴びた。
「あ、熱い!」
「いらねぇって言ってるだろうが! しつこいんだよ、カレーも、お前も! ったく、床を汚しやがって、汚ねぇじゃねぇか! さっさと片付けろ!」
カレーを全身に浴び、火傷を負ってしまった私を気遣うことも無く、彼はさっさと寝室に行ってしまった。
一人残された私は、泣きながらうずくまる。
ひどい。カレーが好きだって言っていたのに。毎日でも私のカレーが食べたいって言っていたのに。私にはカレーしか無いのに。
真っ赤に腫れあがった手で、転がっている鍋を引き寄せる。見ると、底の方に少しだけルーが残っていた。だが、彼の好きな頬肉は全て床に散らばってしまっていた。
私は、再び皿にご飯を盛ると残ったルーを掻き集めその上にかけた。だが、彼の好きな頬肉が無い。これでは彼を取り戻すことはできない。
しばらくして私は、カレーの盛った皿を持ち寝室へ向かった。
すでに布団に入り込んで寝ている彼を呼び起こす。
「カレーが出来たわ。あなたの好きなカレーが……」
「うるせえな! いらねえって言ってる……」
そう言いかけた彼は、私の顔を見て驚愕の表情を浮かべた。
私は真っ赤に染まる歯を剥き出しにし、精一杯の笑顔を見せた。
「今日はあなたの大好物の頬肉が入ったカレーよ。たくさん食べてね」