この街では来た道と同じ道を帰らないといけない
「きちんと出勤の際に通った路を帰らないと危ないぞ」
「分かっています」
上司の言葉に生返事をして、仕事を終えた私は帰宅することにした。
全く20歳代の社会人に言うような言葉か。
この地に異動で転勤してきた私は内心でそう呟きながら、職場を出た。
この街は、それこそ日本の何処にでもあるようなそれなりに歴史のある城下町の地方都市だ。
とはいえ、日本全体で過疎と過密が進んでいる現在、表面上は数万人の市民を今でも有するそれなりの地方都市だが、実際には何年か前に周辺の過疎化が進んでいる町村を救済合併することで人口を維持している、私の目からすれば令和の間に市ではなくなることもありそうな地方都市でもあった。
そして、この市の道路図だが。
いわゆる地方の小京都といわれてもおかしくない、市街地に関しては碁盤の目の道路が通っている街でもあり、本来からすれば、路に迷う筈が無い土地でもあった。
そして。
「あれ」
私は気分転換もあって、来る時とは違う路を通って帰る内に道に迷ったことに気づいた。
「おかしいな。ほぼ碁盤の目に近い市街だから、そんなに迷う筈が無いのに」
私はあてもなくさまようことになった。
(いつの間にか異界に入っていたことから)私は時空間の見当識を無くして、ずっとさ迷い歩いた。
その一方。
「あいつは欠勤か」
「はい。スマホに電話しても、ラインを送っても無応答です。というかラインに既読も付きません」
「本当に来た路以外を通って帰って、道に迷ったようだな」
「そのようですね」
私の上司と同僚は、そんな会話を交わしていた。
「毎年、日本全体で約8万人程が行方不明になるそうだから、この街の規模から言えば、毎年100人程が行方不明になってもおかしくはないのだが」
「だから、ネットとかでも騒ぎにならないのでしょうね」
「だが、その100人程行方不明になるのが、きちんとした大人が殆どというのがおかしな話だな。更に言えば、その行方不明者は来た路と違う路を通って帰ることで行方不明になったとか。そもそも行方不明に何でそうなった、とまで言えるのか、自分には理解しかねるがな」
「この街の住民は、それが当たり前と考えていますから、深く考えていない人がほとんどです」
「私は、それが当たり前と考える方が余程、怖いよ」
「でも。私がこの街の出身なので、そう考えるのかもしれませんが。そんな状態が生まれてからずっと続いていたら、おかしいと考える人が稀になって当然ではないでしょうか」
「確かにその通りだな。外部から見ればおかしな状況でも、内部で生まれて、ずっとその中で育って暮らしていれば、おかしいとは考えなくなるのだろうな」
私の上司と同僚の会話は進んだ。
「それで、どうします。彼が行方不明になったと大騒ぎしますか」
「そんなことをしたら、会社のイメージが悪くなる。勝手に行方不明になったことにして、最終的には職場放棄したことを理由として懲戒解雇にしよう」
「それが会社にとって最善でしょうね」
私の上司と同僚の会話はそれで終わった。
その後だが。
私は結果的に10年余り後、何とか帰宅することができた。
だが、会社からは無断欠勤を続けたことで、私は懲戒解雇されていた。
更に私の親兄弟は、私を失踪者として家裁に申し立てをしたことから、私は失踪宣告を受けて、死んだことになっていた。
当然のことながら、年金や社会保険料等の未払いが続いていたことから、老後にまともな国民年金の支払いも受けられない状況に私はなっていた。
そして、こんな風に10年余りも失踪(?)していた以上、非正規労働で頑張って、何とか糊口を凌ぐしか私はなくなっていた。
ちゃんと来た路の通りに私は帰るべきだった。
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