お母さん 今までありがとう
私が高校3年生のときにお母さんが胃がんと診断されて
家族での闘病生活と思い出を描いた約3年間のストーリーです。
拝啓:お母さん
今日、大学を卒業したよ。
ありがとう。お母さん。あれから約3年になるかな。
長い長い闘病生活お疲れ様でした。
もうそろそろ落ち着いたかな。
私もそろそろ落ち着いたから書いてみました。
2019-2020
お父さんがいてお母さんがいてお兄ちゃんがいて当たり前の日常があって、これはごく一般的な4人家族の話。
ちょうど私が高校3年生の卒業する前……
優しくて面白くて可愛くて大好なお母さんに癌が発見された。癌と診断されるだけで、余命、手術、抗がん剤などの言葉が横切る。それも癌の中でもスキルス胃がんの腹膜播種。医師からの説明をうけ、セカンドオピニオンすることになり、県内の有名な病院へ行くことになり、そこでの手術がきまった。だが、手術するにも2,3ヶ月かかった。それは色んなひとが癌の手術を待っているからだ。そして数ヶ月後、手術が開始された。手術開始後3、4時間で医師から説明があった。癌の進行が早すぎて、もう既に癌が色々な場所に転移し遅かったと……
この時点でもうステージ4…『ステージ4:末期がん』
私は泣き崩れ、手術後のお母さんとの面会ができなかった。
その際に医者から伝えられたのは余命の話。
でも余命の話なんてお母さんに出来るわけもなく(結局家族で判断し伝えることはできなかった。)病院からでて車の中でも泣いて泣いて、手術後のお母さんに中々会えなかったことを今でも覚えています。当時私のお母さんは41歳でした。
病気になると年齢は関係ないって思う人もいると思うけど、あまりにも早すぎる宣告で、お母さん、家族を含めその日からは中々過酷の日々でした。でも絶対泣くことは良くないっと家族では笑顔を耐えないような日々にできるよう支えていこうって家族で話しました。
今の医療は良くなってきている、そんなのすぐ治るでしょと思う人も多いかもしれないけど、蓋を開けてみると意外とそうでもないんだなということを実感しました。抗がん剤で癌の進行を抑えるという治療手段しかなかったお母さんにとって本当に壮絶な日々だった。何しろ毎日副作用、服薬する薬の量が半端なかったから。嘔吐、頭痛、寒気色々。
コロナウイルスの関係もあって、私と兄の大学がオンライン授業になったので家の事や病院の送迎や付き添いなど私やお父さんで交代でてきたので良かったです。お母さんの抗がん剤治療がない日=休息の時間はできるだけ、私はお母さんと楽しい時間を過ごすことを決めていました。前から私は友達のようにお母さんと仲が良かったので、私にとってもお母さんにとっても本当に楽しい時間になりました。アルバイトも頑張ってお金を貯め、お母さんの行きたいところやご飯にも一緒に行ったりして、できる限りの親孝行をと思い、家族旅行も行って、東京にも行ったり、地元にも一緒に帰って、美味しいもの食べにも連れて行ってあげたりもしました。誕生日や母の日には最高のプレゼントを渡しました。すごく喜んでもらって嬉しかったです。そして春夏秋冬時はあっという間に流れました。時が流れていくにつれ、痩せていき、何も食べれない、飲めない、逆流してくる胃酸、動けなくなって行くお母さんを見ていくのは本当に辛かったです。でも、私の成人式を見たい見たいとずっと言っていて、それだけは見せてあげたい。もうその一心でした。そして11月15日私の成人式の振袖の前撮りがありました。お母さんは動けない状態だったため、振袖屋さんに頼み込んでそのまま振袖のまま帰宅サプライズをしました。その時本当に涙を流しながら喜んでくれました。
『お母さんあなたの振袖がみれず死ぬと思ってた』と言われ家族で大泣き……
2020.12.20
私はアルバイトに行ってました。私は本当にちょうど朝アルバイト先の人達に親の事を話、アルバイトを減らしてもらう交渉をしていたところでした。そして途中お父さんから1本の電話がきて、『帰ってきなさい。』の一言でした。
すぐアルバイト先から出て走り、家へ向かいました。
2020.12.20 19時頃
お母さんは天国に飛び立ちました。
兄、父親は傍にいたのですが、私だけ母親を看取ることができなかったので、人生で1番泣いて、1番後悔した日でした。多分これ以上辛いことってこの先もないだろうなと今でも思います。
今でも母親の事を考えたりするだけでも涙が溢れてくるのに。
泣くのはお母さんが心配するのであまり良くないとおもってはいますけど……。
ーーーーお母さんが残してくれた遺書ーーーー2020.0812
これを読んでるということはもういないってことだね。ごめんね。あなたたちが大人になって成人式や就職してなりたいことをしたり結婚したり、孫が生まれて面倒みたり、傍で見てあげることが出来なくて本当に本当にごめんねと。
人はいつか死ぬんだからお母さんが先にいってどんなとこか見てくるよ笑笑
悩んだりするのは一瞬にして、ポジティブに生きるようにした方が1度の人生だしそっちの方が楽しいよ。絶対に!ポジティブに生きるよう努力してね。悩まないで、悲しまないで運命は変えようないんだ。事故で急に亡くなる人がいる中でお母さんにはまだ猶予があったから、いっぱいいっぱい思い出作らせてもらったよ。本当ににありがとう。優しい、楽しい明るい理学療法士さんになってね。そしていつかお金もちの旦那さんと可愛い子供と幸せになって欲しいな。あなたの成人式を見れなかったのが後悔しかない。けどお父さんをよろしくね。
ありがとうお母さんの子供に生まれて来てくれて
2人はお母さんの宝物です。
と書いてありました。これをどんな気持ちで書いたのかと思うと涙がとまらないし、胸が痛くなります。本当に強い芯のある母親だなと思います。この言葉は今私の生きる希望にもなっています。
最後に私がこの小説にして伝えたかったのは
「感謝」と「生きる」ということ。
今までの私の人生で身近な人が居なくなるということがなかったため、普段いる人が、パッと居なくなることほど、辛いことはなかったし、居なくなってから気づくことってたくさんありました。お母さんにはまだ猶予があったかもしれないとお母さんが残してくれていた手紙にもあったのですが、、、、一緒に過ごした時間がいくら長くても短くても後悔は残るものです。後になってこれをしておけば、これは伝えておけば、、聞いておけばなど次から次へとでてくるものです。
だからこそ、今のうちに人との時間を大切にし、感謝の言葉を伝えることが可能な時に感謝する。
あとはお母さんはよく言っていました。ニュースなどで自殺した人などを見ると「生きたくてもお母さんみたいに生きることができない人ってたくさん居るんだよ。だから命は大切にしてね」と、
今すぐにでも死にたいと思ってる人もいるでしょうし、
考え方は人それぞれかもしれないけど、私はこの経験から(そんな経験はしたくなかったけど)命あるかぎり大切にしようとおもっています。そして1人の医療従事者として、1人でも多くのひとを笑顔にできるようがんばります。
昔から変わらない夢……
"患者さんだけではなく患者さんの周りの人全ての人を少しでも笑顔に出来る立派な理学療法士を目指し頑張って行きたいと思います。そして母親のような立派なお母さんになるのが私の将来の夢です。
この小説を通して、
少しでも『ありがとう』の感謝の気持ちと、『生きる』という事を大切にして欲しいと思いました。この世に生きていれば嫌なこと、いい事沢山あると思います。1度しかない人生をどう生きていくのか考えてもらえるような作品になったらいいと思います。