July 4, 1945
熱帯雨林の山の中、地元の子供に導かれるまま、数名の日本兵が潜むという陣地に近づく。
「落ち着いて下さい。指揮官が不安がっておりますと部隊に悪い影響が及びます」
小隊軍曹に諭され、小隊長たる私は自分を励ます材料を考える。
小隊長が新米士官というのは、部隊が行動する上で理由にはならない。
既にドイツは降伏し枢軸国で残るは大日本帝国のみ。
日本軍のあるところ全ての戦場が、東京や大阪、名古屋、広島といった日本の中枢たる大都市さえもが連合軍の制空権下にある。
既に戦争の行方は決している。
このフィリピンの地でも日本軍守備隊は壊滅し、各地で連合軍が日本の占領地を解放している。
兵士の練度も、装備の質も量も、合衆国軍が日本軍に劣るところは一つもありはしない。
合衆国軍が日本軍を恐れる材料など、客観的に見て皆無の筈だ。
しかし……日本兵は頑なに降伏を拒み、必敗の戦闘に挑み命を散らす。
士官向けの教本にも、この日本兵の自暴自棄が思わぬ被害を生む事があるので注意せよとある。
現況を逆手に取り、降伏すると見せかけて騙し討ちをしてくる事例も多く、“残党狩り”部隊にはピリピリした空気があった。
BARとは違う特有の軽機関銃の音に悩まされた合衆国陸軍将兵の数は多い。
木々が生い茂り視界が悪い戦場では、たった数十メートル先の擬装陣地にすら気付けないのだ。
近くで野生動物がカサカサと音を立てて動くだけで、反射的に全員伏せて射撃しろと命令を出してしまう者も居た。
実際、私もこのルソン島に上陸後、そのような経験があった。
それが敵の移動や攻撃ではないと即座に見抜き、射撃中止の命令を出せと私を叱咤してくれたのが歴戦の小隊軍曹だった。
「隊長、この先にある川を渡って500メートルも行けば、日本兵が居るそうです」
ギリギリまで道案内をしてくれた子供には謝礼で追加のビスケットとチョコレートを弾み、小隊員に訓示する。
果たして、今の自分は指揮官として相応しい表情で居るだろうか。
「改めて確認しよう。我々の任務は、付近に日本軍が潜伏するという情報が事実かどうか、事実であればどれ程の規模と戦力を有するか偵察し、中隊本部に報告するものだ。敵が存在すれば交戦の可能性もある。各自、武器の確認を怠るな」
それ程幅の広くない川を渡り、いよいよとなる。
口頭命令は最小限で、それも微かな声で。軍靴が地面を踏みしめる音すらもどかしい。
敵の擬装陣地が無いか、敵兵士の動きが無いか、目を凝らしながらゆっくりと進む。
敵は地面に伏せて居るとは限らない。
都市部なら建物の上、このような熱帯雨林なら木の上で待ち伏せる例も多い。
前後上下左右の全てを警戒できるよう、分隊を配置して連携を取り合う。
ピアノ線や麻の紐などを使った罠も、どこに仕掛けられているか分からない。
慎重に、あと300メートル……200メートル……。
先頭を進んでいた分隊から合図があった。
擬装した日本兵が1人で伏せて居る。
私は十分注意して監視をするよう、指示を出す。
少数の日本兵が囮になり、他の日本兵が迂回しようとするのは常道だ。
既に見えている日本兵は脅威ではない。彼の背後や側面に隠れて、我々が囮に向かって殺到するのを今か今かと待っている日本兵こそが本当の脅威。
既に囲まれていて、10秒後には四方八方から機関銃で狙われるかも知れない。
中でも真っ先に狙われるのは指揮官。つまり自分。そんな不安が無いと言えば噓になる。
そこにたった1人の日本兵が居るという情報から導かれる最悪の想定だ。
だが私は、その不安を打ち払うように前方に這い出て、報告にあった日本兵を双眼鏡で睨みつける。
地面に溶け込むように作られた擬装から覗くのは、銃剣の付いた憎き機関銃の銃口。
私は軍曹に双眼鏡を渡した。
何かが腑に落ちない。
僅かな風でかき消される程の小声で、軍曹が話しかけてきた。
「おかしいです。擬装の一部がめくれたまま、直そうとしないのは何故でしょう。銃身をあんなに出していたら擬装の意味が無い」
言われてみて違和感の正体に気付く。
めくれ上がった擬装の外には機関銃の二脚がハッキリと見える。これがドイツ兵ならすぐに戻すだろう。いやそもそもちょっとやそっとでめくれ上がるような陳腐な擬装など被らないだろう。
とにかく、違和感があるのは事実だ。
「まだ戦意のある日本兵が多数、この付近に潜んでいます。引き返しましょう」
小隊軍曹は冷静に言った。
しかし私は、何故だかその時ばかりは、好奇心が恐怖や慎重さより勝った。
そして小隊軍曹の意見に反して前進の命令を出したのだった。
かなり接近しても、擬装に身を隠した日本兵に動きは無い。
「引き返さないと全滅します!」
掠れたように叫ぶ小隊軍曹を置き去りにして、私は前へ前へとにじり寄る。
そして、一番近かった分隊の小銃手に射撃命令を発した。
熱帯雨林に銃声が響くと、私は駆け寄ってきた小隊軍曹に銃床で殴られていた。
「あんた何やってんだ! 全員殺す気か!」
結構な強さで横腹を殴られて悶絶したが、当然だろう。
私の好奇心が元で、小隊が全滅していた“かもしれない”のだから。
分隊の小銃手が発砲した後、私が小隊軍曹に殴られた後、特に何も起きなかった。
擬装から機関銃を覗かせていたのは日本兵であっただろう死体だった。
腐敗の進んだ亡骸は、今の銃撃が死因ではない事くらいすぐに解った。
数十メートル後方にあった、数メートル掘られた蛸壺に居た多数の日本兵も、全員が痩せ細って死んでいた。
「解かりましたか隊長。彼らが生きて万全な状態だったら、今頃どうなっていたか」
「済まなかった軍曹。肝に銘じよう」
「私へ謝罪するのではなく、今後の行動で示してください」
日本兵の部隊がこの場に居たのは確かだが、今は餓死して全滅。
「惨いものだ。せめて砲火を交えて逝きたかったろう」
私が、この何とも後味の悪い光景を目に焼き付けようとしていると、日本軍の手榴弾が爆発する音がした。
「ニホンの兵隊はキャラメル3つしかくれなかったけど、アメリカの兵隊はビスケットとチョコレート沢山くれたよ」
「そうかい。それは良かったねぇ」
「えっとね、ニホンの兵隊がアメリカ兵をここにつれて来てってキャラメルくれたんだ。それでぼくは、ニホン兵がどこにいるか教えてほしいってアメリカの兵隊がいたから、教えてあげたらビスケットとチョコレートくれたんだよ」