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穴を掘り男とパパ活おんな

作者: 床崎比些志

男は穴を掘っている。

 

 ここ1ヶ月の間、週末は決まってここへ来てひとり孤独に夜通し穴を掘っては埋めているのだが、いまだ目当てのものは見つかっておらず、そこらじゅう穴ぼこだらけになってしまった。正確に数えたわけではないが、気がつけば直径1メートル、深さ50センチほどの穴を20個近く掘り起こしている。秩父の山奥の冬は、凍えるほど寒く、氷結していることも珍しくない地面にスコップを突き刺すのは並大抵のことではない。そのあいだ寒さと腕と腰の痛さと眠気で、何度も男のこころは折れそうになった。そして幾度となく冷たい真っ黒な地面にへたり込んだ。しかし男はそのたびに気持ちを奮い起こして、穴を掘り続けた。

「よし、もう一つだけ掘ろう」

 そう声に出してスコップを杖にして立ち上がる。しかし、今晩も夜が白々と明け始めた。どうやらまたも徒労に終わりそうだ。額から流れ落ちる汗が目にしみる。五臓六腑から湧き上がるような異臭をたたえた深いため息が白い吐息となって口から絶え間なくもれている。まるでため息のための穴を掘っているようなものだ。そしていつしか、男自身のこころにも、決して埋め戻せないような穴ぼこが日に日に増えてゆくように感じられるのだった。


 女は鏡を覗き込み薄めの化粧を施しながら、今晩のパパのことを考えていた。その男と会うのは今晩で4回目である。食事をして、お小遣いをもらうだけだが、自称大手商社の部長だけのことはあって、店のチョイスも羽振りもそこそこ行けてる。おじさんの自慢話や手柄話につきあわされるのは苦痛だが、少なくとも大学生の真由にとっては同級生の彼氏とでなら決して味わうことのできない料理をただで賞味できるし、苦痛とはいっても怒鳴られたり、嫌がることを強要されることもなくただ黙ってニコニコ笑顔を浮かべて相手の話すことに耳を傾け、ときどきうっとりとした目で「素敵です」「カッコいいです」とつぶやいてさえいれば相手はずっと上機嫌だし、そのぶんお小遣いも弾んでくれるのでバイトとしても割がいいと思っている。

 もちろん今夜の相手も女にとっては複数いるパパのひとりであり、個人的な異性としての感情はまったくないのだが、別な意味でその男の存在は特別だった。だからーーもうしばらくこの男は大事にキープしておきたいと考えている。

 女は鏡の自分に微笑みながら男からプレゼントされたピンクのルージュを薄いくちびるに重ねた。


「ふーん、それで、おばさんからの連絡は?」

「ないです、ぜんぜん。たぶん、そのうちひょっこり帰ってくるかも。でもわたし、あの人、嫌いだから、もうどうでもいいです。ひどくないですか?田舎から出てきた姪っ子を残して勝手に一人で失踪って。ありえないとおもいません?」向かいに腰掛ける男からの質問に真由はことさらあっけらからんと答えた。

「うーん、そうだね。でもきっとおばさんにも事情があったのかもしれないし」

 男は少し返答に窮した。それで重い空気が流れたが、おもむろに懐から赤いハンカチを取り出して、ひらりと真由の鼻先にたなびかせた。そして赤いハンカチがガラスコップの中で十円玉に変わるマジックを披露した。

「えーすごーい!」そう大袈裟に驚いて見せながら真由は自慢の二重まぶたの瞳を大きくパチクリさせた。

 男は得意顔で、ちょうど運ばれてきたメインデッシュに舌舐めずりしながらナイフとフォークを手に取った。

「今どき、この程度のマジックで喜んでもらえるなんて、真由ちゃんって希少動物だよ」

「絶滅危惧種みたいに言わないで下さいよ」

といって真由はふくれ顔をみせた。

「ひゃっ、かっわいいなあ」

 男は、フォークに刺した肉片を中空にほったらかしにしたままポカーンと口を開け、臆面もなく鼻の下を伸ばしている。

「ありがとうございまーす!」

 そういうとすかさずフォークをつかんだまま動かなくなった男の右手を両手でにぎった。さらに追い討ちをかけるように、年甲斐もなく照れ臭そうに顔を赤らめる男が上目遣いに顔を上げた瞬間を狙って、自身最大のチャームポイントである八重歯全開の笑顔を心持ち身を乗り出しながら浮かべた。

「おー!前から思ってたけど、真由ちゃんの八重歯は最高だよ。ひゃっ!」

はしゃぐ男を尻目に真由は恥ずかしげにすぐに口元に手をやり、

「ずっとコンプレックスなんです。わたし、子供の頃から歯並び悪くて……」

「そんなことない。すごく素朴でいいよ。自信もちな。うん、ぜったい、いいから」

 真由はすこし不安げに長い髪の毛を両手で触りながら殊勝にうなづいた。

「なんか、わたし、田舎ものだから……ロングさんみたいな素敵な方にそういってもらえると……」

 そしてここぞとばかりに少し潤んだ瞳でじっと見つめてから「ちょっとだけど、自信が持てます!」とニッコリと笑った。

 ロングさんと名乗るその男は言葉にならない相づちを鼻息を荒くして打ちながら、フォークに刺さったままだった肉片をようやく頬張った。その様子を見て、真由は男の自尊心が120パーセント満たされたことを確信し、お小遣いの皮算用にも余念がなかった。


男は夜の高速道路を愛車のベンツ駆って走らせている。目的地は今晩も秩父のとある山奥。トランクには泥だらけとなったシャベルと長靴と手袋と一緒にキャンプ道具と釣り道具一式が入っている。妻には、山奥の渓谷でキャンプがてらに早朝の鱒釣りをすると行って出てきたが、もともとお互いに干渉しない関係なので、別に怪しむ様子もない。

 それにしても今日は調子に乗って心付けを弾みすぎた、と男は少し後悔していた。気がつくといつもの倍の額を差し出していた。ただ、真由が投資の話にも食いついて来たことは救いだった。

 男は、女たちには、とある一流企業で国際先物取引に従事するバリバリの商社マンだと称している。そして、パパ活サイトで見つけた手頃な獲物を釣り上げると、業務上のインサイダー情報だといっては、面白い銘柄を見つけたのでぜひ一口乗らないかと持ちかけるのだ。女たちは金に目がないので、ほぼ100%食いついてくる。そして投資資金を預かったうえで適当に経過報告で値上りをちらつかせながら、さらに投資を募り、それまでの心付けとプレゼント代に費やした投資額回収の目処が立った頃合いで、先物取引の失敗を告白し、自分の投資もすべて失ったとことを詫びて今度別な形で弁償するよと告げ、SNSをブロックしてバイバイするというのを常套手段としている。女の方にももともと多少は引け目はあるし、トータルでみれば互いにトントンになるのだから、普通はそれであとあと問題になることはない。男自身の遊びの流儀も、あくまでトントンに持ち込むことであり、それ以上は決して深入りも深追いもしないことだった。それがたった一度、例外があった。あのころはたまたま急ぎで大金が必要な事情があり、つい流儀を忘れ、実際の投資額の倍以上をふんだくってしまった。さらに女が欲深で利口だったため、早々に男の手口を見破り、全額返せ、さもないと会社に言いつけると迫られた。大手商社に勤務しているというのはもちろん真っ赤なウソなのだが、女はどういうわけか男の本当の勤務先と上司の連絡先を突き止めていた。男は多少なりとも女に好意と甘えを感じていただけに金の亡者と化した女の豹変ぶりが無性に憎たらしかった。そして、もはやここまでの裏切りとなるとどうやってもトントンにはならないと思った。だからやむなく男は女を殺した。そして誰にも知られることなく、秩父の山奥に埋めたのだ。

 ところが、それから二年ほど経ったある日、その女の姪っ子という娘と偶然パパ活サイトで出会ってしまった。もちろん最初はそうとは知らなかった。二度目に会った時に、そのことを彼女から知らされたのだ。もちろん、男はそしらぬふりを決め込み、面倒臭いことになる前にさっさと縁を切るつもりでいた。しかし、田舎者の女子大生が漏らした一言で展開が大きく変わった。

「おばちゃん、実は金持ちの娘で、両親は早くになくなったんだけど、その遺産ってことで時価1000万円以上のダイヤのネックレスを持ってたんです。それをね、身に付けたままいなくなっちゃったの。あー、どうせだったら、あのネックレスを置いて失踪してくれたらよかったのになあ」

 男は内心舌打ちした。ネックレスには見覚えがあった。高価なものかもしれないという思いもあったが、それを奪ったら本当にただの盗賊に成り下がるような気がしたし、何より、女の持ち物を手にしたがために将来うっかり足がつくことを恐れたのだ。

 しかし姪っ子の言葉を聞いて男の態度は決まった。がらにもなく、一攫千金を求めてしまった。

 それからの男の行動は早かった。翌日の土曜日にさっそく穴掘りの道具とカモフラージュ用のキャンプ用品を買い込み、その日の晩に秩父へ繰り出した。それからは、死体にまみえる恐怖や体力的な疲労感にもめげることなく、あたかも山奥の狐か狸に取り憑かれたかのように、ひたすらネックレス探しに夢中になった。

 殺した女のことは嫌いではなかった。むしろ相手が望むなら本当の愛人にしてもいいとさえおもっていた。しかし、しょせんは金目当ての小賢しい女だったのだ。

 それにくらべて真由はかわいい。適度に素朴な田舎者っていうのもいいし、とにかく男を立てることを知っている。そしてバカだ。なんでも信じるし、どんな話にも感心する。女はやはり、バカにかぎる。

 ……と昨日の晩の真由の無防備な笑顔を思い返し、いっそのこと妻とは別れて真由と一緒になるのも悪くはないな、と考えながらも、金を受け取る時の表情には、女の本性が出るものだ、としみじみおもった。男は女性との食事が終わった後にテーブルの上でさりげなくお小遣いの金を渡してそっと手を握るのを常とし、そのちょっと嫌がりながらもよろこぶ姿を見るのをパパ活における至福の時と考えているのだが、その時の女の顔は皆同じように見える。あの時の女の目にはお金しか映っていない。昨日の真由もそうだった。

 男は、フロントガラスを交差する対向車のライトに目を細めながら、「あれさえなければなあ」とつぶやき、今夜こそきっと手にできるに違いないダイヤのネックレスを頭に思い浮かべた。そして、映画の『ボヘミアンラプソディ』を見たのをきっかけににわかファンになったクイーンの『ドントストップミーナウ』をカーステで再生すると、サビのところだけを大声で歌いながら闇夜に向かって疾走した。


男は穴を掘っている。その日の晩もすでに三つの穴を掘ったが、女の死体とネックレスはまだ見つからない。つくづく自分の記憶の曖昧さに嫌気がさしてしまう。やがて東の空が少し青白くなってきたころに、少し土の色が変わっている場所を見つけた。もしかするとすでに自分が埋め戻した穴かもしれにないと思ったが、それにしては、心当たりのない場所であり、穴の埋め戻し方も自分のように乱雑ではなく、意図的に踏み固められているような形跡があった。その瞬間、ここだ、と直感した。男は疲れを忘れて、猛然とスコップを律動させた。するとしばらくして、スコップが硬い物に当たった。それはまぎれもなく白い骨だった。ようやくたどり着いたとおもったそのとき、闇夜に乱れ飛ぶ懐中電灯の光とともに慌ただしい足音と男たちの叫び声が周囲に響いた。


 男はあっけなく警察に逮捕された。

 真由から通報があったのだ。


 男は自分と同じ歳ぐらいの中年の刑事とパイプ机をはさんで取調室の中で向き合っている。

「どうやってあそこがわかったんでしょ?」

 男はうつむきながら、ぼそっと刑事に聞いた。

「あんた、SNSの交換しただろ。GPS機能付きだったんだってよ、あれ」

 最初の食事の時、真由の連絡先を聞いたら、自分は信頼できるSNSでしかやり取りをしない主義なのだというので、うっかりスマホを渡して、アプリのインストールから設定まで彼女に任せたことを男は思い出した。

「じゃあ最初から俺のことを犯人だって疑ってたってことですか」

「そうらしいよ」

 男は顔を上げ、なにも言わずポカンと口を開けたまま刑事の顔をまじまじと見た。

「ハンドルネームだってよ」

 あっと、ふいに声を出した。

「同じハンドルネームを使ってたんだろ、あんた。生前、被害者の叔母が『ロングさん』ってどう思う?て姪に聞いたんだって。いかにも足長おじさん気取りって感じで、ダサいよね、ってのが二人の最後の会話らしいぜ。姪っ子は、その会話を頼りに、ずっとありとあらゆるパパ活サイトで叔母の行方を探していたんだとさ」

「探してる?そんなこと一言もいってませんでしたよ。むしろいなくなってせいせいしたって」

 思わず男は手錠をはめた両手でぎゅっと握り拳を作った。

「女はしたたかだからね。……まあ、あんたは何をされても文句の言える立場じゃないけどな」と刑事は横を向いたまま答えた。

 男はバカだと思っていた娘にまんまと騙された怒りとともに、ダイヤのネックレスごときで正気を見失い、自分の一生を棒にふったことの悔しさで身体中の血管がブチ切れそうだった。

「そういやあ、ネックレスも結局みつからなかったっていうし、もしかしたら、あんた、女子大生に一杯食わされたんだよ」

 と刑事はうれしそうにカラカラ笑った。

 男はそれを聞いて、自分はずっとありもしない宝を求めて真由の思惑通りに夜な夜な野良犬のように穴を掘り続けていたことを知り、急に虚しさが込み上げてきた。

「俺はなんの穴をほってたんでしょうね」

 刑事は目を閉じてなにも答えなかった。

 男はため息をつき、刑事にたばこを要求した。

「すまん、ここは禁煙なんだ。今じゃ警察署も全館禁煙の時代だよ。取調室にたばこや灰皿がないんじゃ、ムード、出ないよな。できればクレームしたいけど、仕方ないんだよ、俺も一公務員にすぎないからさ」

 男は、刑事の少し卑屈な表情を見て、ほんの少し口元におもねりの笑みを浮かべたが、黙って目を伏せた。

 すると刑事が、急に真顔に戻って、

「さっきの質問の答えーー」と切り出すと、やにわに黄色い歯を見せながら、「なんでもいいけど、やっぱり、ーー墓穴、だろうな」とちょっと照れ臭そうな得意顔で笑った。


女は鏡を覗いている。そして銀色のネックレスを首にかけ、左右に一回ずつ体を半分ひねりながら、ダイヤに縁取られた自分のうなじを映し出すと、満足そうに艶かしく笑った。そして濃いめのルージュとアイシャドーを引く。

 今日のパパは初めての男だ。比較的若い男だが、IT関連の社長らしい。本当は、目的を達成したので、サイトから退会してもいいのだが、割りの良いバイトが見つかるあても当分ないので、もうしばらくパパさんからお小遣いをいただくことにした。めんどくさそうな相手ならブロックしてしまえば、二度と顔を合わせる心配はないのだから。

 そして、女は鏡の横に置いてある骨壺と位牌に顔を向け、線香を上げた。

「おばちゃん、仇は討ったからね」

 そのまま神妙な顔つきで手を合わせながら目を閉じた。……

 約束の刻限まではもうしばらく時間があったので、ベランダに出てみた。高層階の部屋から眺める外の世界はすっかり春の陽気に包まれている。優しい風が女の鼻先をくすぐり気持ち良い。春風に誘われるかのように力一杯に背伸びをしてみる。ここ数日、不眠不休で慣れない力仕事に精を出したせいで、体の節々が痛い。女は、かたわらの壁ぎわに無造作に立てかけられた泥だらけのスコップと長靴を見て苦笑した。

 思い返せば、はじめはほんとうに叔母の手がかりをさがすのが目的だった。けれども男が掘り起こした無数の穴ぼこを見ているうちに何がなんでも遺体を掘り起こさねばならないとおもうようになり、やがて男よりも早くネックレスを探し出すことに夢中になってしまった。    

 もしかしたら、自分もあの男と同じ何ものかに取り憑かれていたのかもしれないと考えながら、青空に胸を開いて大きく深呼吸をした。そしてそのまま手すりに上半身をあずけた。すると気持ちがふっと楽になったような気がした。新鮮な高層階の空気がまるで今も体内に巣食っているかもしれない憑物を洗い流してくれたようである。思えばすべてが思い通りに運んだ。まるで自分自身のために春の女神が微笑みかけてくれているような幸福感に満たされていた。ーーが、次の瞬間、地上を見下ろした女は驚きのあまりに声を失った。眼下に大きな穴ぼこが見えたのだ。その穴は、見る間にどんどん大きくなる。まるで首にかけたダイヤのネックレスをぐいぐい引っ張られながら穴の底に引きずり込まれるような錯覚とともに。

 女はなんとか賢明にその幻覚に抗いながら、上体を起こすと、その反動と恐怖でたまらずにコンクリートの床にへたり込んだ。そしてあたかも魂の抜けきった藁人形のように呆然と空を見つめた。

 折しも空には陽気なひばりのさえずりが共鳴していた。(了)



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