ロスト・アポカリプス in ロスト・ワン 滅亡十六夜目
「うっ……」
ピンク色にぬめった生きた人間の内臓を初めて見た。生にすがりつく人の断末魔を初めて聞いた。実験室で髪を焦がしたときに出る臭いを何倍にも濃くしたような人が焼かれる臭いを初めて嗅いだ。魔物との戦いはすでに経験済みだ。だが、実際に人が傷つけられているところを見たのはこれが初めてだ。
図太いと評される山城だが、この光景には胃袋が引きずり出されるかのような吐き気を覚えた。今すぐにでも助けに向かわないといけないのに足の震えが止まらない。
ただの一歩が踏み出せない。
想像してしまったのだ。蹂躙されている人達と同じ結末を辿った時の痛みと苦しみを。
「朱雀くん!」と、ガブリエルが叫ぶ声は遥か後方だ。到着を急ぐあまり、彼女を置き去りにしてしまっていた。
「守護天使の加護によって編まれた天幕の中にいる人間は、この程度の土砂では死なないはずでス。引きずり出して料理してくださイ」
変声機を通したような不快な声が脳内にキンキン響く。その声の主は一匹の魔物だが、放っているオーラが他の有象無象とは明らかに違う。そいつはボロボロの黒い布を全身にまとっていた。大きさは人と変わらず、人間であれば顔に当たる部分の布の隙間から、大きな赤い瞳が一つだけぎょろりと覗いている。布の端から出ている手足は指が二本しかなく、火に焼かれたかのように茶焦げていた。そして、何よりも目を引くのは彼が背負っている棺桶だろう。黒衣の魔物の身長を優に超えるそれは真新しく黒光りしていた。
生き残っていた護衛を殺し終えた魔物達は、黒衣の魔物の指示に従い、わずかに顔を出している天幕に跳びつく。加護というのがあるのは本当らしく、ただのシルクにも見えるそれを裂くのに苦労していた。
中の人はまだ生きている。まだ、助けられる。
山城は張り裂けんばかりに高鳴る心臓を服の上から押さえつける。彼にはわかるのだ。ここにいる魔物には戦いさえすれば絶対に勝てる。だが、足が進まない。
守護天使の加護で守られていた天幕が引き裂かれ、魔物が中へと入っていく。
「なにが世界を救うだ。安い覚悟だな。これじゃあ本当に道化だ」
「朱雀くん、怖いかい?」
山城に追いついた彼女はいつになく真面目な表情で山城をじっと見つめている。
「あんたに力をもらってこの世界に来たのに、情けない英雄だ」
「人が傷つくのを見て、自分が傷つくのが怖くなったかい? 怖いのなら――ボクはむしろ安心したよ。恐怖を覚えず戦う人間の心にあるのは、勇気じゃなくてただの蛮勇だよ。恐怖に打ち勝って戦うことこそが勇気で英雄に必要な素質だよ」
ぽん、とガブリエルが背中を叩く。
「朱雀くん、その恐怖は君を一歩英雄に近づける物だ。足が立たなくなるくらい怯えてもいいんだ。でも、キミはきっとそれを乗り越えて、助けを求める人の元に行く。なんたって、ボクが選んだ英雄だからね!」
「……」
何も言わず山城はただただ頷いた。深呼吸をする。心臓の高鳴りは治まり、足の震えがぴたりと止まった。
ガブリエルが大天使らしいと思ったことは、今までなかったが、この時に限って言えば人の心を支える偉大なる存在だった。
「行ってくる。あんたの名に恥じない英雄になるためにな」
「うん、行ってきたまへ。ボクには彼らを救えない。でも、キミにならできるはずだ」
ククリナイフを鞘から抜いて天幕に向かって疾走する。そこには魔物が群がり、次々と中へと入っていく。埋もれてしまった天幕の中は逃げ場のない猛獣が入った檻であり、すべての人が蹂躙されるのは時間の問題だった。
「<武装複製」
一本だけだったククリナイフを二本に複製して両手に持つ。
「邪魔だ」
左手のククリナイフで二匹の魔物の胴体を、右手のククリナイフで一匹の魔物の首を裂いた。ぬめりとした紫の液体が裂かれた魔物の傷口から飛び出す。
「シュゴテンシ!?」
体が半透明の液体でできている魔物が驚愕の声を上げると同時に、山城はその魔物の頭部にあった赤い核をククリナイフで貫いた。案の定、そこが弱点だったようで塩をかけられたなめくじのように液状の魔物は溶解した。
「ニンゲン――ダト」
魔物の群れが怯んだ隙に山城は裂けた天幕の隙間から中へと飛び込んだ。