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第5R 有馬記念

 悪い予感がなかった訳でもない。


「軽い故障によりヒガシノゲンブは今年絶望」







 菊花賞の二週間後にそのニュースが流れた時、ぼくは悲しんだり驚いたりするよりむしろ納得した。

 サラブレッドって言うのは弱い。あんなに固い地面を、あんなに凄まじい速さで走る訳だから。競走馬、ましてや名馬ってのはそれこそ故障と隣り合わせだった。


「来年には間に合うんでしょうか?」

「有馬記念を楽しみにして下さっていた皆さんには申し訳ございませんが、来年には再びヒガシノゲンブの雄姿を見せられると思います」



 浅野先生も実に淡々としている。まるでその事が分かっていたようだ。

 あるいはまったく訳のわからない存在だからこそ、ある意味予想通りの反応をしてくれたことが嬉しかったのかもしれない。

 もちろんそれは最低な発想だ、ヒガシノゲンブはそんなに変わった訳ではないはずだから。


「しょうがないか、二冠馬になったんだから十分だろ」



 ヒガシノゲンブの反応もこれだけ。大したケガじゃないと簡単に言うけれど、それでもまだヒガシノゲンブには有馬記念があったし、いっそジャパンカップってのもあったはずだ。そりゃ二冠馬ともなればほぼレースは好き勝手に選べるだろうけど、3歳でいられる時間はもうない。やっぱり残念である。





「三馬身ほど後ろから行っておいてこれですか……」

「だからタメ口でいいんだよ同い年なんだから」


 だからと言う訳でもないだろうけど、ぼくは年末最終週の自分のレースに向けてワンダープログラムと併せ馬をする事になった。ヒガシノゲンブが走れない以上、うちの厩舎の筆頭格はワンダープログラムである。

 ぼくがそのワンダープログラムと格が違うという事を認識するのに、全く時間は要らなかった。三馬身以上後ろからスタートしたワンダープログラムは、あっという間にぼくを追い抜いて行った。同じ四本足の生き物のはずなのに。


「有馬記念では人気になりそうだけど」

「ああ、そうだな。僕は勝たなければいけない」

「なんで?」


 勝たなければいけない。なんともまあ便利な言葉だと思う。勝たなければいけないだなんて、そんなのはみんな同じじゃないか。


 レースになれば、一着が出るしシンガリだって出る。その全ての馬が、一着を目指して走っている。トライアルレースとかで三着に入れば本番に出られるとか言うのはあるだろうけど、それだってどうせならば一着の方がいい。


 一着を求めないレースがどこにあるのだろうか。もし同じ言葉をぼくが言ったとして、どれだけの馬が納得するだろうか。

 そして、それを言ったのがヒガシノゲンブだったらどうだったろうか。


 浅野先生のそばには、多くの人が来る。ワンダープログラムやヒガシノゲンブだけではない、その前にたくさんの馬と共に積み重ねて来た実績。それが浅野先生を引き付けて来た。そしてその事により、ますます多くの強い馬がやって来る。その存在が、浅野先生に力を与える。


 馬だって同じだろう。ぼくとヒガシノゲンブでは実績が違いすぎるように、ワンダープログラムとヒガシノゲンブにだって差はある。ヒガシノゲンブはGⅠ二勝、ワンダープログラムはGⅠゼロ勝。しかも同世代。どっちが上でどっちが下かだなんてすぐわかる。

 ましてやあのキャラクターだ。一度出会って聞いたら、いや出会わなくても十分に印象に残る強烈な笑い声。あれに勝てる存在はそうそういない。




「キミは勝つ気がないのか?それが僕らの役目だろう?」

「ワンダープログラムにはヒガシノゲンブに勝ちたいの?」

「当たり前だ、他の馬を全部負かしてこそ栄冠は僕の物になる、ヒガシノゲンブがダービーや菊花賞のように立ち向かって来るのならば倒すだけだ、三度も同じ相手に負ける訳に行くか!それじゃぼくは単走でもう一本行くから!」



 でもワンダープログラムにとっては、ヒガシノゲンブは同僚であり宿敵であり壁であるはずだ。ぼくのようにダート路線へと逃げる事も出来ない。だからこそなんでと質問をしてみたのに、ワンダープログラムの答えはあまりにも薄かった。

 ぼくがさらに迫ってみても、答えはほとんど変わらない。同じ言葉の繰り返しを聞いている。そのワンパターンで薄い言葉の連続でさらに問いかけようと言う気をなくしたぼくを振り切り、ワンダープログラムはまた先ほど一緒に走った坂路の入口へと戻って行った。


 薄っぺらいって言うのとは違う。しっかりした一本の芯を持ち、その目的を叶えるために動いていると言うのはわかる。でも、その目的は一体何のための目的なのか。その事をぼくは聞きたかった。

 ワンダープログラムは速い。とにかく速く走っている。ぼくから見ても美しく、そして強そうに見える。でも、どこか不自然だった。最初からかなりのペースで飛ばし、そして最後までまったくペースを落とさない。どうせこの後当分レースはないしという事で全力を出しているのかもしれないけど、ぼくにはどうも後ろから追って来る馬から逃げるように見えた。目に見えていたはずのぼくと一緒に走って来た時にはかなり余裕があったはずなのに、一体どこの誰が追って来ると言うのだろう。




「お疲れ様、有馬記念頑張ってね」

「ユアアクトレスか、まあやってみせるよ」


 ユアアクトレスがワンダープログラムにべったりな事は、この厩舎の馬は誰でも知っている。クラシック路線を戦った同士としてと言うならヒガシノゲンブがいるが、彼女がダービー以降の半年間でヒガシノゲンブに触れたのはあの神戸新聞杯の時だけである。

 そんなユアアクトレスにもワンダープログラムは丁寧だった。決して疲れを見せる事もなく、丁重に首を下に振り挨拶を行う。由緒正しい良血馬らしい仕草だ。ヒガシノゲンブと同じ仕草だったけど、ぼくにはその事を指摘する気になれなかった。


「この追い切りはココロノダイチも一緒だぞ」

「ああそう、頑張りなさいね、来年こそはオープン馬になりたいんでしょ」

「もちろんだよ」

「ワンダープログラム、ココロノダイチの面倒も見てあげて。手間かもしれないけど」


 ずいぶんとまあ、ダイレクトな言葉だ。ワンダープログラムに対しての傾倒ぶりをここまであからさまにアピールされると何も言えなくなる。まるでヒガシノゲンブみたいだと言う言葉を、ぼくは全力で飲み込んだ。







 ―――そんなことをしている間に、クリスマスがやって来た。イエス・キリストとか言う人の事は良く知らないけどとにかくそういうおめでたいらしい日に、浅野先生の顔は暗くなっていた。


「ああ……昨日はよくやったなココロノダイチ、この調子なら来年は楽しみだな」


 ぼくが二勝クラスのレースを勝った事による喜びが、ワンダープログラムの有馬記念の敗北の悲しみに勝てるはずもない。浅野先生の魂の入ってない頭のなでっぷりが気持ちを落ち着かせず、やはり気持ちの入っていない言葉が耳に入って来ないのもまた当たり前だった。

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