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第3R 菊花賞への道のり

 神戸新聞杯、それがヒガシノゲンブの次のレースだった。菊花賞へのステップレースのGⅡ、まさしく王道と言っていいレース。

 もちろん、一番人気。ぼくは一度も掴んだ事のない称号だ。




「重賞で一番人気だなんて大丈夫ですか、ヒガシノゲンブさん」

「誰かがなるんだよそんなもん、そんだけだ。あとさん付けしなくていい、ヒガシノゲンブでいいから」


 自分としては恐る恐るのつもりだったけど、あのダービーが幻かもしれないと思わせる程度にはヒガシノゲンブは変わっていなかった。



 三歳になったぼくはここまでの五戦中四戦で、ヒガシノゲンブと一緒の競馬場で走る事になった。でもワンダープログラムと同じように、ヒガシノゲンブは決して未勝利馬のぼくを見下すような目線を投げ付けなかった。ぼくが未勝利戦を三着で、ヒガシノゲンブが新馬戦を一着と言う結果になっても。その後京都にやって来てぼくが未勝利戦で五着、ヒガシノゲンブがきさらぎ賞って重賞で一着になっても。そして皐月賞の時も、あのダービーの時も。


 あんなに恐ろしい顔をしていたけど、決してその気持ちを関係ない存在にぶつけるようなことはしなかった。あくまでもレースの時だけなのだろうと思いたかった。











 そんな神戸新聞杯の一ヶ月前、ヒガシノゲンブの目からおよそ八か月ぶりに離れての福島での一勝クラスのレース。格上げ初戦の上に古馬との初対戦だったけど、負担重量が軽かったせいかまたもや一番にゴールインできた。



 そんなぼくに古馬の皆さんが聞いて来たのは、やっぱりヒガシノゲンブの事だった。



 古馬一勝クラス、昔の言葉で言えば500万下。四歳夏にもなってまだそんな所にいるのは、端的に言えば落ちこぼれだ。その落ちこぼれが集うようなレース、はっきり言って場末とも言うべき場所だったけど、そこにいる馬たちもまたまぎれもなく生まれた時はダービーを勝てという思いを込められていた存在だった。

 あるいはダービーなんかどうでもよくて最初からダートと言う場で輝けという願いを込められていたかもしれないけれど、いずれにせよこんな所で走るのかよと思われていたことだけは間違いないだろう。

 ぼくを含むそんな存在たちにとって、ヒガシノゲンブと言う馬はあまりにも凄まじかった。




「あの前とかどうだったんだよ、喉涸れなかったのか?」

「ダービーの後何か話したのか、にしてもものすげえ笑い声だったよな」

「あの笑い声は本当、実にかっこよかったぜ!」


 そして、みんなあの笑い声に対して好意的な見方をしていた。ダービーだからテレビでも流されたし見ていてもおかしくはないけれど、それでもあの場にいた人馬の中でそういう見方をしたのは誰もいなかったはずだ。

 怒るか、その上で悔しがるか、それともただただおびえるか。だがこの古馬たちは、どの反応もしなかった。ぼくと同じ三歳の馬もそのレースにいたけど、その仔もまた同じような反応をしていた。




 でももしその仔に、おちんちんと一緒にあるべき二つの玉が付いていたらその仔はどうしただろうか。騙馬って言う存在、気性が荒すぎるとか言う理由で二つの玉を取られちゃった存在は、もう走る事しかできない。どんなに頑張っても、栄光は自分だけで終わり。一部のGⅠレースとかもお断りされてしまう。非常につらい存在だ。

 ぼくだってそうならない保証は全然ない、と言うか競走馬をやめたらほぼ確実にそうなるだろう。でも今のぼくにはまだ玉が付いている、その間は大事にしてやっても構わないはずだった。ヒガシノゲンブやワンダープログラムだって、その玉の価値を見込まれているからこそあんな高値で取引されたのだと思うと、なんだか少しおかしくて笑えた。



 そしてワンダープログラムの話は、出て来なかった。一着馬と二着馬の違いと割り切るには簡単すぎるかもしれないけれど、もし仮にワンダープログラムがダービーを勝っていたとして一体何と言っただろうか。


『皆さんのおかげ様です、本当にありがとうございました。』


 そんなありきたりな事しか言わないだろう。

 確かにごもっともだけど、正直な話何にも面白くない。ああ、これがダービー馬と言う名の世代代表なんだなぁと思うだけだろう。ヒガシノゲンブの存在感とはまったく比較になりそうもない。


 とにかく二度目の勝利を得たぼくは、いきなりレパードステークスとか言う重賞を走らされる事になった。ある意味、半年遅れでヒガシノゲンブの軌跡を体験することになった訳だ。無論全く別物ではあるが、それでも嬉しい事には変わらなかった。


 でも結果は、十三着。二勝馬ごときが出るのにはまだ早すぎたんだろう、と言う事にしたい。


「非常に言う事をよく聞いてくれるけれど、素直すぎていざって時の根性がないですね。もう少し競り合わない形でレースを進めた方がうまく行くと思います」


 戸柱さんはぼくの事をこう言った。正解なのかもしれないけど、自分では目一杯歯を食いしばっているつもりだった。自分の目一杯と他から見た目一杯ってのは全然違うんだろう、ヒガシノゲンブを見て恐れる馬もいれば憧れる馬もいるように。


 その戸柱さんは最近忙しい。それもまた、ヒガシノゲンブのせいだと言える。

 何せ、あのダービーの時ヒガシノゲンブの上に乗っていたのが戸柱さんだった。あんな事をやったヒガシノゲンブの上にまた乗っかるなんて、一体どんな気持ちなんだろう。

 今思うと、ダービーの時のヒガシノゲンブは無謀なように見えてしっかりしていた。圧倒的なリードを取っておきながら、七馬身以上広げる事はしていなかった。ずっとそのまんま直線まで入り、そして残していた力を使って追いかけて来た馬たちを振り払った。

 戸柱さんがヒガシノゲンブを手の内に入れていなければあんな巧みなことはできないはずだという考えに至るのは当たり前だろうけど、でもその理屈は戸柱さんがヒガシノゲンブに初めて乗ったのがダービーの時と言う事実の前では力を持てない。


 それまでずっとヒガシノゲンブに乗っていたのは、滝原さんだった。ずっとと言っても皐月賞の時が三戦目、同じく主戦騎手だったワンダープログラムは皐月賞の時が五戦目だった。皐月賞の時にお手馬がかち合ってしまった結果、滝原さんはワンダープログラムではなくヒガシノゲンブを選んだ。

 そして、ダービーの時はヒガシノゲンブを捨てた。これまで自分しか乗せて来なかったはずのヒガシノゲンブを。それがどれほどまでに滝原さんの心を痛め付けたのかはわからないけど、いずれにせよヒガシノゲンブが滝原さんを不幸にし戸柱さんを幸福にした事だけは間違いない事だ。


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