また遊説、ですっ!
「とはいっても、さすがにしんどいのが人間ってもんなの…」
さすがにしんどい。
遊説も3日目ともなれば数人を惹きつける演説ができるようになるかと思ったら、全然そんなことはなかった。
私も覚悟を決めたことだし、ここから人が増えていく展開でしょ、ここは。
私のサクセスストーリーのライターは腕が鈍っているみたい。
スタッフの方々に作ってもらったマニュフェストを下地にした演説でも効果は変わりない。内容などはじめから関係なかったのだった。
もうぶっちゃけ投げ出したかった。
一人語りを聞いてもらえない程度でしょげるなんて情けない。
そう思われるかもしれないけれど、自分の話が全く聞いてもらえない状況が続くってのは心がつらい。
休み時間の友達とのおしゃべりで、私の発言だけスルーされるみたいな。
いなくても変わらないやつとして処理されているのが悲しい。
そう、悲しくてつらい。
「先生、本日の遊説予定ですが……うわ」
事務所に入ってくるなり、私の姿を見た高倉さんが絶句した。
私はソファの背もたれに体を預け、溶け切っていた。
私は液体。
どろどろになって人々の中に溶けていくのよ…。
「もしかして三日で心がやられてしまったんですか」
「そ、そうです」
「たった三日で?」
「むしろよく三日も持ったと思いますよ」
一日目で挫けそうだったんだから、私は頑張ってる。
足をばたつかせて反抗の意思を見せる。
高倉さんは私の足を押さえるようにソファに背を預けた。
必然、私は高倉さんと背もたれに挟まれる形になる。
ぐえ。
「そうは言いますが、全部で二週間あるわけですから、この程度で挫けてしまわれては困ります」
「あ、あと十日もこんな生活が続くんですか」
「選挙活動期間なので」
「い、いやです……」
高倉さんが背中を反らしてさらに押しつぶされる。
ぐえぐえ。
「先生の我儘一つで決められることならば良かったんですけどね。バイトとは違って先生に代われる人はいませんから。これって実はすごいことなのですが」
「私は唯一無二の議員候補じゃなくて唯一無二のアイドルになりたいんです」
「それは承知の上です」
「承知されても…」
散々私をソファに押し付けてから「失礼」と高倉さんが立ち上がった。
失礼の一言で許される限度を超えている。
「まあでも先生がそろそろ音を上げるのではないだろうかという予測はしていました」
「はあ」
「なので今回は趣向を変えまして」
高倉さんがパンツスーツからビラを取り出した。
近所のスーパーのチラシだ。
「先生、ここ鶴舞の特産と言えば何でしょう」
特産。
あまり詳しくないけれど、海が近い街だし。
「……お魚?」
「大きくとらえればそうですね! 海産物が魅力の港町、鶴舞です」
高倉さんがチラシの鮮魚の部分を強調した。
また、嫌な予感がする。
「まさかスーパーで演説するわけじゃないですよね…?」
少し声が震えながら尋ねた。
「まさか!」
高倉さんは鼻で笑うように私の疑問を否定した。
よ、よかった…。
選挙カーの上からならまだしも、同じ目線で近い距離で無視されることがどれだけ辛いことか。朝の駅前演説が憂鬱でしかないのだ。
「海に出ましょう!」
「は?」
と。
いうわけで。
私はいま船の上にいるのだった。
「というわけで、じゃないでしょ…」
漁船の甲板でモーター音に包まれながら、必死で船酔いに耐えていた。
うっぷ。
小さい船だから船体が大きく揺れて気持ち悪い。
今この船にいるのは高倉さん、私、そして二階堂さんだった。
怪我の具合も良くなったようで、すっかりスタッフの一員としてシャカリキに働いてくれている。
具体的には漁船の操縦をしてくれている。
「船舶免許持ちの小柄な女子、属性としてアクが強い…」
でも今やアイドルもかわいいだけじゃ売れないし、そうした特技の一つや二つは持っていないといけないのかもしれない。
二階堂さんの子猫のような可愛さにアイドルとして嫉妬を覚える。
せめて可愛さだけでも勝たなくては。
「先生? 大丈夫ですか? ここは波が荒いので少しだけ我慢してくださいね」
操縦席から小鳥のような声がした。
私がその二階堂さんを見遣ると笑顔を見せてくれる。
ああ、無理。
可愛すぎる。
意地でも負けは認めないけど、可愛すぎる。
しばらくしてから船が止まり、船頭で景色を眺めていた高倉さんが隣に来た。
「先生、ここで演説しましょう」
「ここで?」
「はい」
あたりを見回しても遠くに鶴舞の街が見えるだけで、船の影一つない。
「誰に向けて?」
「鶴舞の人びとに向けてですね」
「マイクもないのに」
「潮で錆びてしまいますから」
ほらほら、と高倉さんが立ち上がるように促す。
しぶしぶ立ち上がるとモロに潮風を体に受けてよろけてしまう。
周りには相変わらず何もない。
操縦室から二階堂さんが顔を覗かせている。
「え、えーと」
演説をすると言っても、誰もいないこの状況でどう話したものか。
いつもとは違う方向で悩ましい。
「誰も聞いていないというところではいつもと同じですよ!」
「う、うるさいですよ…もちさん」
「高倉です」
「高倉さん」
突き抜けたように高い空、晴れ過ぎるほど晴れた航海日和だ。
そう、どうせ誰も聞いていないのだから大声でいい。
「鶴舞の皆さん、こんにちは!世界党公認候補、田山ゆうきでございます!」
この時の演説は、これまでで一番気持ちよかった。
と、ようやく陸に帰ってきた私は述懐するのだった。
ただ、良いことばかりでもない。
船酔いで天地不覚なのだ。
足取りもおぼつかないし、ひたすら気持ちが悪い。
高倉さんに肩を借りながら、私の腰のあたりを二階堂さんが支えてくれている。身長差的に仕方ないとはいえ、小さな体に担がれる惨めさったらない。
うぷ。
吐き気を誤魔化すように会話をすることにした。
「そういえば高倉さん」
「なんでしょう」
「今日はなんであんなに写真を撮っていたんですか」
「ふふ。秘密です」
高倉さんは胸ポケットのスマホを叩いた。
船の上で揺られながら撮っていたので手振れでマトモに撮れているとは思えない。
そんな写真を何に使うというのだろう。
「だいたい、こんなことをしても選挙には意味ないでしょうに」
結局、周囲に船が来ることもなく孤独な演説をするだけだった。
これなら毎度のようにショッピングセンター前で演説をした方がいくらか効果があるだろう。
でも、と高倉さんが口を開く。
「これで演説をするのは怖くなくなったんじゃないですか」
「え」
「人前で演説をするのが疲れてしまったようなので、気分転換に、と思いまして。先生はまじめだから考えすぎるようですけど、船上で好き勝手話すようにやれば良いんです」
ああ。
そうなんだ。
高倉さんは私のためにこんな方法をとってくれてたんだ。
「どうせ先生の話は誰も聞いていませんから」
「ねえ、ちょっと」
良い話かと思ったら小馬鹿にされたので思わず怒ってしまった。
「先生! 先生!」
かわいい声がすると思ったら二階堂さんが下の方で小さく跳ねている。
「私は先生のお話をちゃんと聞いていましたよ!」
満面の笑みを向けられる。
やん、もう。
可愛さで負けてもいいや。
評価のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
次話は明日20時に更新ですので、良ければブクマ登録もしていただけると幸せです。