ステージ、ですっ!
毎日20時投稿です。
アイドルはトイレに行かない。
それでも私のお尻は今、あたたかい便座に乗っかっている。
せっかくセットした髪は頭を抱えたことでぐちゃぐちゃだ。
長い溜息が出て、排せつ物のにおいがした。
いや、私が出したものではないけど。
「やだやだやだよぉ」
うつむいて、ミニスカートから伸びる自分の太腿が目に入った。
欠かさずストレッチをしているためか、細いがハリのある健康的な脚だ。
自分の体のパーツでも気に入っている部分だった。
「行きたくないよぉ」
アイドル衣装のまま、私は奥から二番目の個室にいた。
このごろ改装されて綺麗になったものの、トイレに長居するのはつらかった。
『選挙に勝ってみせろ――!!それがアイドルになる条件だ』
お父さんの言葉が頭を巡る。
ぐええ。
衣装にトイレの臭いがついたら嫌だな。
私を見に来てくれた人たちは気づかないだろうけど、申し訳ない気持ちになる。
「緊張する…」
いつもそうだった。
人の視線を集めたい。
可愛いって言われたい。
アイドルになりたい。
そう思って目指したはずなのに――
「うっ」
便意は無かったはずなのに座っているだけで不思議と催してしまう。
いや。
アイドルはトイレに行かないので、催すのはコンサートだけですよ。
ぶるぶるっと体が震える。
緊張が限界に達していた。
早くマイクの前に立たないといけないのに。
「先生!!!!」
扉を壊さんばかりのノックと同時に叫び声がした。
聞きなれた女性の声だった。
幼い頃から聞いているけれど、呼び方は変わってしまった。
「入ってます…」
「そうじゃないですよね! 出番です!」
「わ、わかってますってばあ」
余りに情けない自分の声に泣きそうになる。
「分かってません! 皆さんもうお集まりいただいているんですよ!」
定規のようにきちっとした人だから声も角ばっている。
扉の外では腕を組み仁王立ちしているに違いない。
より出たくない。
「お、怒らないで…もちさん」
「高倉です!」
「高倉さん…」
下の名前が可愛いのに呼ばれるのを嫌がるのだった。
「今すぐ出たら怒らないでくださいね」
「分かりましたから」
「イライラするのもやめて…」
「はいはい」
なんだか額の青筋まで白い扉の奥に見えるようだった。
私は便座から立ち上がって、パンツとその上に見せてもよいパンツを履いた。
用は足してないけど流しておく。
用は足してないけど。
錠を横に引いて扉を開く。
案の定もちさん…高倉さんは腕を組んで仁王立ちしていた。
私ほどでないにしてもタイトスカートから伸びやかな脚。
スーツスタイルの女性は美しい。
それでも、私はアイドルだから。
負けてるなんて思わない。
「先生!」
高倉さんは私の手を取って引き寄せた。
私は猫背になっていた。
「あ、手、洗ってないです」
「どうせ出るもん出てないんでしょう」
「そうだけど…」
「なら良しです!」
きびきびと姿勢正しく歩く高倉さん。
死刑執行の朝みたいに、うなだれて連れられて行った。
白いトイレの壁も刑務所っぽい。
入ったこと無いからイメージだけど。
トイレから出て舞台に続く廊下を進む。
カツンカツンと高倉さんと私のハイヒールの音が交互に鳴った。
私の方は音が鈍いような気がした。
足取りと心が重かった。
「開演まで二分ですから、あと一分で登場しましょう」
「ええ…」
「露骨に嫌そうな顔をしないでください」
高倉さんの方が嫌そうな顔をしていた。
「いつもそう言いますけど、私にだって心の準備というものが…」
「それは来てくださっている人も変わりません」
「なおのこと時間通りに始めましょうよ。みんな驚いちゃいますって」
手が強く握られた。
「時間より早く登場したら驚いて、そして嬉しいじゃないですか。ほんの一分程度のフライングは記憶に残らないけれど、その場はとても楽しくなります」
「こざかしいですね…」
「ちょっとした工夫が大事なんです」
「むう」
確かに待ち人が予想外に早く来れば嬉しいかもしれない。
彼女の言葉に何も言い返せず押し黙った。
人が集まったときに聞こえる、言葉にならない話声の塊が聞こえてきた。
舞台が近づくにつれて背筋も伸びてくる。
やはり私は生粋のアイドルなのだ。
ステージが私を輝かせる。
気持ちを高ぶらせる。
「さあ、先生! しっかり!」
「うええ…」
高倉さんは私の髪形を直した。
そして気合いを入れるためか背中を叩く。
バチン!
「痛いですよお…今日は背中があいてる衣装なんですって」
「より気合いが入りますね!」
「この体育会系めぇ…」
いつの間にかニコニコと送り出す表情に変わっていた。
高倉さんにマイクを握らされる。
舞台袖の階段で私は深呼吸をした。
排泄物のにおいはしない。
人の熱量が、ステージ裏からでも感じられた。
すごく緊張して足踏みしてしまうのに、この時ばかりは期待感が勝ってしまう。
「今日の先生は世界で一番輝いていますよ!」
高倉さんはお世辞でもないように言う。
「……当たり前です。私はアイドルなの」
私もそれを当然のように受け取った。
階段を駆け上がり舞台の中央に立つ。
すると、裏方さんに合図が送られる。
すべての照明が落とされて、ゆっくりと開く緞帳から影の私が現れる。
その影はさぞかし美しくあることだろう。
私はアイドルであるために努力を惜しまない。
この立ち姿だって、世界の…銀河の誰にだって負けない自信がある。
体も、顔も、声も、全てはアイドルであるため最高に保ってきた。
フリルの衣装、大きなミニスカート、自然に見えるメイク。
アイドルらしく、アイドルらしく。
美しい私を見せるために手は尽くしたのだ。
緞帳が上がりきったところでスポットライトが照らされる。
ポーズを決めた私の肢体を灼けるような白い光が包んだ。
見なさい。
これが私よ。
アイドルの私よ。
マイクにわたしの口が近づいた。
柔らかい、女の子らしい唇が。
「皆さんこんにちは。本日は私、田山ゆうきの講演に足を運んでいただきありがとうございます。皆様方には父である田山春彦にあたたかいご支援をいただいて参りましたが、これからは私がこの地を背負って立ちます。本日は短い時間になりますが、これからも末永い応援をよろしくお願いいたします」
大きな拍手がわき上がった。
老若男女問わず来てくださった方々で公民館の座席は満員だ。
私の頭上にある横断幕には
[田山ゆうき 参議院総選挙へ 講演会]
と掲げられている。
いや。
いや。
いやいやいやいや!
私は議員じゃなくて!
アイドルになりたいんだよ!!!!
評価のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
次話は明日20時に更新ですので、良ければブクマ登録もしていただけると幸せです。