序章 走り屋やってました
クルマの免許を取ったのは18歳の時だった。
車を運転するのは、仕事での社用車とは全く違う爽快感があったので、いくらでも乗っていられた。
昼間に主に運転するのはトラックである。
全国を股にかけてトラックで運送業に勤しむのが、俺―――倉渕道幸の仕事である。
日本のどこにでもいる、トラック野郎―――と言ってもまだ経験も浅い、見習いである。
トラックから愛車に乗り換え、向かう田舎は、たまに物好きな写真家が訪れる程度にはいい景色が撮れるらしい。
神秘的な風景が評判なようで、自然溢れる秘境だという扱いを受けている。
物は言いようだな、と思う。
先祖代々守っている畑で、農作業に勤しんでいる親に、事情を聞かされるまでもなくこの土地でずっと暮らしてきた。
だから、そこから外の世界に出るなんて思いもよらなかったのだ。
曲がりくねった峠道は同じ職場の同僚からもほとんど知られていない場所ではある。
深夜にもなるとに碌に車も人も通りかかりはしない。
一度、同僚を助手席に乗せ走ったときには、なんて面倒な道なんだ、ややこし過ぎると、驚かれたものだ。
ギリギリ車が二台通り過ぎることが出来る程度の道幅の、すぐ脇には畦に囲まれた畑か田んぼが存在する。
あとは、用水路か。
そんな道だ―――農家が存在するというか、農家しか存在しない。
傾斜だけはそれなりに急な、道の脇に、棚田が積み重なっている。
山頂へと続く巨大な階段。
そしてそれを抜けるとその先には、狭い峠道。
要は、田舎だと思ってくれていい―――って、さっきも言ったなぁこれは。
俺は毎朝毎晩、その道を駆け抜けていた。
一人で。
ただ、それだけの―――習慣だった。
―――――――――――――――――
場所はG県、夏名山。
深夜、夜の峠に人だかりができていた。
ボーッとした表情の青年、倉渕ミチユキは、ぶっきらぼうな親父に言われて、レースにやって来た。
「本当に、俺が走っていいんですか、先輩?」
「ああ、道幸―――お前のドライビングは、チーム戦でも戦えるレベルだ!」
「………まあ、勝てるように努力しますが、俺はレースなんてやったことないですからね?」
「―――スタート準備!カウントいくぞぉおお!」
人だかりができていて驚いた。
ガードレールの外側には観客、と言っていいのかわからないが大勢いる。
ちょっとした夏祭りのような雰囲気である。
―――――――――
バトルは、いい勝負になった。
いい勝負、と言えば聞こえはいいが拮抗していると苦しさはある。
相手のドライバーはチャラそうな髪型に見えて、なかなかにテクニックのある男だった。
「くっ………そおお!」
冷静な性格ではあったつもりだが、いざ相手のクルマを追いかけて負けそうになってしまうと、勝ちたいという気持ちが抑えられない―――それが俺という人間らしかった。
その上部を通して、新たな自分を知った、そんな発見をしたのだった。
バトルは苛烈を極めた。
相手も追い抜かれないために絶対に車線の内側は開けまいと、厳しくなる。
コーナーの直前でブレーキを踏みタイヤを横滑り状態に移行させる―――ドリフトである。
この状態になるとステアリングではなく、足で車の向きを左右される
「車のパワーは相手の方が上だな―――ドリフトで、何とか食らいついているけど―――!」
゛゛ギャ ギャ ギャ ゛゛ ゴヒャァアア アアァア ゛゛
タイヤの軋れる音だった。
コーナーを一つ駆け抜けるたびに、タイヤが路面に削られる音と、排気音が激しく響く。
ボンネットの内部から漏れ聞こえるは、クルマの咆哮である。
そして、その瞬間はやってきた。
相手のクルマと並走してコーナーに突入。
だがコーナリング中に、相手の車のテールランプが、みるみる大きくなっていく。
車間距離が縮まっているのだ。
俺の方が、速い―――いや、速すぎる。
速度差が思ったよりも大きい、かといってこのコーナーで追い抜ける体勢にはない―――。
まずい、このままだと衝突する。
とっさにブレーキ、ハンドル操作で、俺はコーナーの外側に、吸い込まれるように―――
「くっ ………!」
俺の車はガードレールに直撃する。
意識は、飛びそうになるが―――そのまま車がガードレールから跳ねる。
命を落とす直前、俺は恐怖の中で、怖くてたまらないはずなのに、笑ってしまった。
バカな男だ、俺は。
でも最後がこんな風で、嬉しいな。
クルマ、好きだし。
それに―――俺の方が、コーナーは速かったのだから。
あっけないといえばあまりにもあっけないが、これで終わりだ。
ガードレールにぶつかり、俺は死んだ。
どういう衝突の仕方をしたのかは、車内からは見えなかった。
――――――――――――――――
目が覚めると、俺は不思議な部屋の中にいた。
「あれ?俺は確か、バトルをしていて………?」
俺は両手を右往左往させていた。
それは決してファイティングポーズのようなものではなく、何かものを探すときの動作でもなく、ステアリングホイールを回すときの仕草だった。
「―――お目覚めかしら!倉渕道幸くん」
澄んだ、若い女性の声がした。