水無月
トニーが何故あんな風になっても元の天使に戻れ天界に帰る事が出来たのかその答えが書かれてあります。
お読み頂ければと思います。
ここまでで便箋は20枚目に突入していた。
『小莱、まだ読んでくれているかい?』
『ドン・ペドロ劇場で公演したバレエ団は勿論俺を仲間には入れてくれなかったよ。』
『代わりに、今回振り付けを担当してくれた例のフランス人舞踏家、ボヌールを紹介してくれたのさ。』
『奴から直々にバレエを基礎から学んで技術を身につけてからまた来いって言われたんだ。』
『バレエ団にはパリのオペラ座に所属していた人もいたし、コンクールで何度も入賞した人もいたんだ。』
『目指すならまずはパリだって、そう教えられた。』
『そして俺は誰にも内緒でボヌールと契約した。信仰心も無くした俺に教会の修道院の施設は窮屈な牢屋でしかなかった。早く出ていきたかったんだ。』
『修道院長のマリア・マチルダからも沢山怒られたよ。でも、もう一人のシスター、マリア・アルマは唯一俺を応援してくれた人だった。』
『彼女はシスターの中でも特に優しい人だった。正に聖女だった。』
『最後に施設を出ていく時、オルガンで讃美歌を弾いて見送ってくれた。「神ともにいまして」だったよ。』
『施設を出て3ヶ月経った時、手紙も送ってくれた。でも返事はずっと書けないままなんだ。』
『いつか成功して立派になってから、その時初めて返事を書こうと思ってた。』
『でも返せないまま随分経ってしまった。シスターには本当に悪い事をしてしまった。』
『今の状況を知らせてもきっと喜ばない。信仰も捨てた人間に救いはないって言われるだけだ。』
『きっとこの今の有り様は天罰なのかも知れない。』
『肺に転移した腫瘍のせいかな。息が苦しいよ。咳も止まらない。小莱、もし、君が観音様なら俺を救いたいと思ってくれるかい?』
『どん底の今、何かにすがりたくて堪らなくなっている。何かを信じて救われたくて仕方なくなっているよ。』
『まさか、死に際に信仰心が甦るなんてね。』
『もうペンを握るのも辛くなってきた。頭がぼうっとするんだ。』
『最後の力で俺は引き金を引こうと思う。』
『怖いよ。俺きっと地獄へ堕ちるよね?散々好き勝手に沢山の人を悲しませて迷惑をかけて生きてきたんだもの。』
『ごめんなさい。ごめんなさい。俺が間違っていました。主よ。我をお救い下さい。マリア様。イエス様。その御慈悲でどうかお救い下さい。こんな罪深い身でも、偉大なる主よ。どうか、見捨てないで下さい。』
『観音菩薩の生まれ変わりの小莱、どうか俺のようにはならないで。どうか正しい道に進んで、人々を導いて。』
『最後にこれだけ伝えたい。俺の人生は本当に最低だった。でも一つだけ、とても素晴らしい事があったんだ。』
『こんな俺を先生といつも慕ってくれた、小莱、君に出会えた事だ。俺も本当に君の事が大好きだったんだ。こんな形で伝える事になってしまって本当にごめんね。』
『今までありがとう。』
『さようなら。』
『愛してるよ。』
『葉童雄』
『Antonio Dos Santos』
小莱はここまで読むと両目から止めどなく溢れる涙を袖で拭った。
手紙の最後で証明された、トニーの胸に甦った信仰心。
その心は誰でもない、トニー自身を救っていたのだ。
トニーは天に帰り、元の天使に戻り、双子の兄ザドキエルと再会しミカエルとザドキエルと共に協力し
偉大なる主との新たな約束でこの世を救いにやって来るのだ。
『トニー先生。今度こそ、幸せになる道を歩んでください。僕、待ってます。どうか無事に、また生まれて来てください。』
小莱はそう言うとトニーの遺書を両手の合掌に挟みながら祈った。




