如月ー5
衝撃の展開になりますので心の準備をよろしくお願いいたします。
翌朝、小莱はいつもより二時間も早く目が覚めてしまっていた。
昨夜見た夢が余りにも意味深だったせいか、夢を見ていたのに全く眠って休んだ気がしないのが本音だった。
いつも携帯で設定している6時のアラームより二時間も早い午前4時。
晩冬の今の時期だ。窓の外には依然夜の闇が横たわり、当然と言わんばかりに月と星が輝いていた
寝直そうと目を閉じても一向に眠れない。
しかし隣では智輝がすうすうと寝息を立てて眠っていた。
昨夜、突如得体の知れない不安に襲われ智輝の部屋に押し掛け一緒の布団で寝た事を小莱は思い返していた。
思えば随分大胆な事をしたと小莱自身、昨夜の自分に驚いていた。
よく智輝は受け入れてくれた物だ。
月明かりが射し込む薄暗い部屋
智輝の安らかな寝顔はそれこそ、さっき見たばかりの夢に顕れた天使のようだった。
『葉さん…やっぱりあなたは天使様なんですか…?』
小莱は広東語で智輝の美しい寝顔を見つめながらぼんやり呟いた。
太陽が東の空に輝く頃まで小莱は智輝の隣でその美しい端正な横顔を眺めながら涅槃についた釈迦の体勢で横たわっていた。
その日は小莱も智輝も共に朝から出勤になっていた。
穏やかな朝だった。
いつものように、智輝が用意した朝ごはんを平らげ、京急川崎駅まで歩き、京浜急行で横須賀中央まで出て上町商店街の坂を登り出勤。
当たり前のように繰り返していたそんな時間が今日も流れていた
と思っていた。
“そいつ”が現れるまでは。
京急横須賀中央駅の改札口にそいつは待機していた。
中肉中背、性別は恐らく男性か。全身カーキ色のミリタリーファッションに身を包み、サングラスにマスクを着け、改札から抜け出る人々をまるで物色するかのように付近をうろうろと挙動不審に歩き回る様は誰の目から見ても異様そのものだった。
智輝もその人物に気付いてはいたが、あえて気付かないふりをしてやり過ごした。
目を合わすまいと俯き何とか改札口を抜ける事に成功したが
後からついて出てきた小莱にその人物はつかつかと歩み寄り恐らく広東語で何事かを話していた。
奴は小莱を探していたのだ。
「廖さん?」
智輝は引き留められている小莱を気にかけ思わず立ち止まった。
小莱は初めは相手に敬意を払った態度で対応をしていたが、突然顔面蒼白になり、ひきつった表情で後退りをしたかと思うと逃げるように走り出した。
その様子に激昂した男は小莱を追い、大声で何事か叫びながら
乱暴に小莱の腕を掴み嫌がる小莱を無理矢理引き留める素振りを見せた。
突然の出来事に周囲は騒然となった。
横目をやりながら足早に去る者
足を止めつつ傍観する者
遠くから傍観する者様々に居たが
誰も騒ぎを止めようとしない。
皆事件に巻き込まれるのは御免なのだろう。
しかしそんな中果敢に立ち向かう者が一人だけいた。
智輝だ。
「おい!やめろよ!嫌がってんだろ!放せよ!」
智輝はそう叫びながら、男の手を小莱から放そうと割って入った。
その瞬間だった。
「ドスっ」
そんな擬音がぴったり当てはまる“凶器”が智輝の右脇腹を直撃していた、
突然過ぎて、智輝自身、自分に何が起きたのかわからなかった。
そうこうしているうちに男は凶器を再び抜き左脇腹、左胸と連続して刺した。
鋭利な刃物は厚手の冬物の上着すらも無情に貫くほどの威力だった。
「…っ!」
激痛と共に血圧が一気に下がり、智輝は膝から崩れるように床に倒れた。
「嘘だろ。嘘だろ。」
痛すぎると最早声も出ないのか。
智輝は苦しみに顔を歪めながら脳内で延々と同じ言葉を繰り返していた。
刺された傷口からは赤黒い血液が次第に溢れだし、流れて筋を作った。
辺りからは悲鳴があがり、小莱は再び顔面蒼白になりながら、智輝の側に座り込み必死で呼び掛けた。
「葉さん!!葉さん!!」
「…廖…さ…」
智輝が痛みに気を失いそうになる中やっとの思いでそう返した時だった。
慌てて逃げ出そうとする男を長い棒状の物で思い切り急所をつき、倒れた所を踏みつけ押さえ込む者が現れた。
「警察と救急車!!こいつ押さえてる間に早く誰か!!」
そう強い口調で叫んだのは
『ミック!』
『廖さん、説明はあとだよ!葉さんに声かけ続けて!あと止血!タオルかハンカチで傷口を強く抑えて!』」
『うん!』
米奇の言葉どおり、小莱は鞄から手拭き用のタオルを出し智輝の胸の傷口に当てた。
両脇腹の傷には今日着るつもりだったコックコートの前掛けを縛り付けた。
しかし、出血は治まらず、やがて誰の目にも明らかに危険だとわかる量に達していた。
智輝はそんな中でも必死に小莱の呼び掛けに応えようと意識を繋ぎとめていた。
堪えきれない痛みに大量の出血から智輝は自身の脳裏に「死」の一文字を連想しそうになったがすぐに振り払い涙を浮かべながら顔を除き込む小莱に呟いた。
「廖…さ…俺…大じょ…ぶ…俺…絶対…廖さ…一人に…しない…から…」
視界はかすみ、何度も闇に落ちそうになった。
「眠い…」
「寒い…」
「ヤバい…痛みが鈍くなってきた…」
「寒い…」
「寒い…」
誰かが呼んでくれたようだ。
救急車のサイレンが遠くから近づき駅の前に止まった。
そして僅か数分の間に数人の警官も駆けつけ智輝を刺した男はその場で現行犯逮捕された。
警官が駆けつけるまで、智輝は勇敢に犯人を押さえ込む、まさかの米奇に“何か”を重ねていた。
何処かで見たことがあった姿だ。
何だろう…
意識がとうとう線香花火の最後の火の玉のようになっているのを智輝自身感じていた。
ヤバい…起きてなきゃいけないのに…ここで寝たら…俺は…
救急隊員による措置を受けながら智輝は
「意識レベル1」
という声を最後についに意識を失った。




