表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
☆初投稿作品☆「From where I stand 」  作者: 山河新(ユーリー)
40/130

睦月ー10

お楽しみ頂ければと思います。


香水を買った後は晩御飯の材料を食品フロアで買い、智輝と小莱の二人は帰路についた。


家に着いた頃はまだ3時を少し回った程度で晩御飯の用意をするには早い時間帯だった。


晩御飯の支度までの間二人は独立した智輝の姉、照美(てるみ)の部屋で過ごした。


「トニー先生の遺品、見せてください。それで彼の事、もっと色々教えて下さい。」


智輝にそう頼まれ、小莱はクローゼットの空いたスペースに仕舞っていたトニーの遺品の入った段ボール箱を出した。


上大岡のボロアパートでは途中で謎の怒りがこみ上げ見るのを止めてしまっていたが、まだまだ箱の中には智輝の知らない物が入っていた。


前回見た


運転免許証


数枚のCD


生前着ていたであろう服が数着


「星の王子さま」の広東語訳の読み古された文庫本


フランス語の辞書


アルバム


生前愛用していた履き古されたバレエシューズ


黄緑色の折り畳み式携帯電話


そして今日買った、「エクラ・ドゥ・アルページュ」の入っている香水のアトマイザー。


小莱は懐かしむような悼むような表情でそれらを1つ1つ大切に出していた。


後から更に出てきた物に智輝は目を見張った。


青や水色を基調とした、エキゾチックなデザインの恐らく舞台衣裳とおぼしき衣類が収められた袋が出てきたのだ。


「すごい。開けて見てもいいですか?」


智輝は息を飲みながら小莱に言うと小莱は静かに頷いて智輝に渡してくれた。


袋を開けて出してみると

羽の付いたヘアバンド、金色のスパンコールで飾られたアームバンド、薄い水色の生地の裾が絞られたデザインのズボン、恐らく上衣と見られる布切れ。これにも金色のビーズやスパンコールが縫い付けられ、キラキラと輝きを放っていた。


「アラビア風ですかね…何の衣装ですか?廖さん、知ってます?」


智輝は大切に手に取りながら小莱に尋ねた。


「はい。バレエの演目…“海賊”という作品の中に出てキマス…“アリ”という人物の衣装デス…」


小莱は智輝の手にある衣装に自身の手も重ね大切そうに生地を撫でながら言った。


「アリ…王子さま系のキャラか何かですか…?」


智輝の質問に小莱は頭を振り言った。


「…イエ…“奴隷”です…。」


「奴隷…!?」


小莱の言葉に智輝は驚き思わず持っていた衣装を落としそうになった。


「なんて役を…俺てっきり主役か何かやってるのかって思ってたのに…」


「イエ…“アリ”は“海賊”の中では第二の主役のようなものデスヨ。バレエのコンクールでもよくバリエーションで踊られマス。」


智輝の言葉に小莱は補足の説明を加えた。

過去にダンス・スクールで講師をしていただけにその手の知識は流石に小莱の方が上だった。


「そうなんだ…廖さんもやったんですか?」


智輝は衣装から小莱の方に目線を移しながら尋ねた。


「はい…。でもコンクールは落ちマシタ。トニー先生も何度も出たそうデスが…ダメだったそうデス。」


小莱はうつむき表情を陰らせ次第に声のボリュームを落としながら言った。


「じゃあ、この衣装はコンクールのための…」


智輝は再び衣装に目線を戻し呟いた。


「はい…。先生はバレエダンサーを目指していたと聞きマシタ。いつかパリのオペラ座の舞台に立つのが夢だったト…。」   


小莱も“アリ”の衣装に再び目線を戻しながら言った。


「…夢…でも、ダンス・スクールの先生になれたんでしょう?それなら…ある意味…特技を生かせる仕事に就けてたわけではなかったんですか…?」


智輝は少し間を置くと冷静に落ち着いた様子で言った。


智輝は絵の能力を生かした仕事に就きたかった。しかし、実現できなかった。


智輝のこれまでの職歴、それは絵の仕事にはかすりもしない、全く関係のない、給食センターの調理師、派遣の工場勤め、そして現在も中華料理店のコックだ。


トニーもダンサーになりたくて、目指していたが叶えられなかったとは言え、ダンス・スクールの講師の職に落ち着いていたなら充分ではないか。

いったい何が気に入らなかったのだと。


それが智輝の意見だった。


「はい…。シカシ、先生が完全に納得した形でなれていたわけではなかったんデス…。」


小莱はまた頭を振り言った。

そして再び箱に手を入れ、一通の封筒を出した。


「先生から僕宛ての…最期の手紙デス…。コレニ…全て書かれてアリマシタ…。」


小莱は封筒から幾重にも重なって折り畳まれた便箋を取り出した。


智輝はそれを横から覗きこんだがやはり読めなかった。


画数の半端ない、繁体字の漢字の羅列。


トニーが中国人であった事が間違いない事実を表していた。


「それには…その…何て書いてあったんですか…?」


智輝は小莱の整った横顔を見ながら言った。


「…トニー先生が…ダンス・スクールの講師になるために…人の道に外れた行いをシタト…」


「それって…具体的にどんな…?」


目を伏せながら少しづつ話す小莱に智輝は尋ねた。


「経営者ト…性的な関係ヲ結ばされてイタト…不倫関係…だったト聞きマシタ…」


「…!?」


小莱は目を瞑り思いきったように言うとまた頭を振り顔を覆って深い溜め息をついた。


智輝はショックのあまりしばらく呆然としていた。


小莱の話によれば、トニーもダンス・スクールの講師になる前は不本意な職を転々としていたらしく、一方で夢を叶えるため様々なコンクールやコンテスト、オーディション等に挑んでいたのだという。


しかし、(ことごと)く壁が立ちはだかり、どんなに努力しても叶えられなかった。


しかもコンクールの為の練習に励む(あま)り身体を壊し、例の小莱も患った帯状疱疹に十九歳の時にかかってしまったのだ。


不幸な事に、トニーはそれを放置してしまい、ウイルスに神経をやられ、慢性の神経痛を生涯抱える結果となっていた。


それでも、トニーは踊る事を辞められなかった。


彼にとってダンスは生き甲斐であり、唯一自分の存在意義を主張できる手段だったからだ。


「踊る事を仕事にしたい、踊る楽しさや喜びを沢山の人に伝えたい」


「自分のダンスで人を感動させたい」


そんな思いを


“夢”を


トニーはいつも抱いていた。


そして二十歳の終わりを迎えたある日例のダンス・スクールの経営者と出会った。

巧い話だった。

経営者の愛人になれば講師の仕事の契約も成立させるなどと。


トニーにしてみれば、講師の仕事はダンサーになるための“繋ぎ”の仕事に過ぎなかったのだろう。


講師になって後もトニーはコンクールやオーディションに出場する事をやめなかった。


いつかパリのオペラ座の舞台に…


その夢さえあれば、夢の為ならば神経痛も、経営者との爛れた関係も気にならなかったのか…


いや違う。

実際は違っていただろうと

智輝は察した。


自分ならそんな状況耐えられる筈がない。

愛人等、本当に愛されているのとは違う。

ただの慰みものだ。

体を玩ばれているだけに過ぎない。

謂わば“性の奴隷”にされているに過ぎないのだ。


そこまでされて叶えたいか、実現させたいか…


“夢”


などという

儚い、曖昧で不明瞭な掴めないものを


追い求めたいか


「そんな状況に晒されるぐらいなら諦める。」


それが智輝の明確な答えだ。


トニーはきっと自分に嘘をつき続けていたのだ。


本当は納得できない、理不尽過ぎる状況を飲んだつもりで

吐き出したい思いすら無理に飲み込み

自分を誤魔化しながら虚勢をはり


体の痛みすらも誤魔化し、薬に溺れ、次第に心身のバランスを崩していったのだ。


コンクールでも結果は出ず、オーディションにも落ち、何年経っても一向に夢を叶えられない辛さからトニーはやがて自暴自棄に陥り


薬物や売春に手を染めるようになった。

そして判明した病。

骨肉腫とHIVのダブルパンチ


そりゃ自殺したくもなるだろう。


智輝はトニーに初めて憐れみの感情を抱いている事に気付いた。


しかし、やはり愛してくれた人を悲しませる行為は許される事ではないだろう。


「どうして諦められなかったんだろう…」


智輝はぼんやりと呟いた。


「もっと早い段階で諦められていたら違っていたかも知れないのに…」


「諦め…」


智輝の呟きに重ねるように小莱も呟いた。


「ダンサーになる以外に幸せに生きられる道はなかったのかな…絶対あった筈なんだけど…」


智輝は小莱の方を見つめ言った。


「俺、絵の道は諦めたけど、今はそうして良かったって思ってるんです。だって…そうしてなきゃ明星(ミンスィン)にも来られなかったし何より廖さんに出会うこともなかったんですから…」


「葉さん…」


智輝の言葉に小莱は切れ長の目を縦に大きく見開き涙で潤ませた。


「俺、料理人になって本当に良かったって思ってます。夢なんか追わなくて良かったって…さっさと諦めて本当に良かったって思ってます。」


「僕も…日本に来て…本当に良かったデス。明星に葉さんが来てくれて…病気にも早く気づけました。日本語も上手く話せるようになったし本当に…」


小莱はそこまで言うと瞬きをして、またニ三滴の涙を落とした。


「“夢”って…いったい何なんですかね…何で世の中では叶えられる人とそうでないのに別れるんでしょうね…。」


智輝の呟きに小莱は静かに首を傾けるだけで何も答えられなかった。

ふと時計に目をやると18時をさしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ