睦月ー4
新緑の季節も佳境になり、直に紫陽花の季節に変わりますね。
お楽しみ頂ければと思います。
小莱が智輝と一つ屋根の下で暮らす事になった事実を金魚が知ったのは年が明けて一週間が経ってからだった。
かつて“友人”だった故人、葉童雄こと、故トニー・イップに生き写しの日本人、稲葉智輝。
大切な友人の小莱に関わるとあれば無条件に心配してしまう金魚だったが
小莱の現在の勤め先の中華料理店「明星」の店主の壽康も、以前小莱の住んでいたアパートに快く案内してくれた奥さんの玉玲も可愛いせがれの米奇も
誰一人として智輝を悪く言う者は居なかった。
皆口を揃えて、
「優しくて真面目で仕事もきちんとしてくれて気が利く、とてもイケメンな最高の料理人」
とべた褒めしていた。
しかも智輝が全力で小莱の面倒を見て日本語の勉強も見てくれているおかげで、久しぶりに会った時の小莱はまるで日本人のように流暢に日本語を話せるようになっていた。
待ち合わせた横浜の「ジョナサン」では日本語のメニューをスラスラ読み、オーダーを取りに来た店員にまた流暢な日本語で料理を注文していた。
「飲み物は料理と一緒でお願いシマス。」
等、以前とは比べ物にならないほど滑らかに自然に話している様子に金魚はただただ感嘆するばかりだった。
『でも、まさかまだ帰ってなかったなんて…もしかして金魚さんも日本が好きになっちゃった?』
『えぇ。本当に素敵ね。この国は。ただこの寒いのだけはやっぱり堪えがたいものがあるわね。』
料理を待つ間お冷やを飲みながらにこやかに尋ねる小莱に金魚は
応えた。
『そりゃあ、今は冬だもの。香港と違って日本は四季がはっきりしてるんだよ。僕も来たばかりの時は寒さが辛くてしかたなかったけど、初めて本物の“雪”を見た時はすごく感動したよ。』
『ああ。あのシャーベットみたいな綿菓子みたいなやつね。あれ味もするの?私まだ一度も本物を見たことないのよ。』
小莱の対応に金魚も興味深そうに尋ね返した。
『ははっ!味はしないよ!あれ、自然のシャーベットだよ。たぶんシロップかけたら美味しいかもね。』
小莱は朗らかに笑いながら言った。
金魚はそんな小莱の様子に驚いたと同時に深く安心感を覚えていた。
三年前、祖国で水杯を交わしたあの時とは別人のように小莱は明るさと朗らかさを取り戻していた。
これも日本での生活、特に智輝による影響が大きいのだろうか。
『…ねぇ。彼とはどう…?ぶっちゃけ、今どこまで進展してるの?』
金魚は身を乗りだし小莱の耳元に口を寄せ小声で
尋ねた。
『彼って…“葉さん”?進展って…何もないよ。ただ家に住まわせてもらって…勉強みてもらったり、寝食を共にしてるだけだよ。』
小莱は粗方飲み干した水の氷をグラスの中で転がしながら言った
。
『それ、本当…?彼…本当にあんたに何もしてこないの?』
金魚は目を見張りながら言った。
金魚から見ても、小莱はかなり色っぽい部類に入る男子だ。
濡れたように艶やかな黒髪、滑らかに整った透明感溢れる象牙色の肌、
切れ長の憂いをたたえた澄んだ茶色の瞳は柔らかな筆で書き流したような滑らかな曲線の眉と艶やかな長い睫毛に縁取られ、
一度流し目などされようものなら老若男女問わず正気を保てないだろうと思える程だった。
加えて、ダンス・スクールの講師の仕事やその後肉体労働で程好く鍛えられたしなやかな細身のボディラインも誰しもの目を引き付けて止まないものだった。
小莱は顔の大きさから肩幅、手足の長さや腰の高さ、首の長さに至ってもどれも申し分のないバランスの取れた抜群のスタイルでもあった。
一度だけ小莱の踊っている姿を金魚は見たことがあったが、それはそれは美しく優雅であり妖艶さもたたえ、正に天人の舞のようで一度見たら忘れる事が出来ない程のインパクトがあった。
そうでなくとも、彼の何気ない仕草の一つ一つ、本人は無自覚なのだろうが矢鱈に色気を孕んでいるのだった。
横の髪を耳にかける仕草。
頬杖を付き伏し目がちにうつむきながらグラスの縁を指でなぞっている様子。
さっきから対面で見ていた金魚も胸がざわついて仕方がなかった。
『トニーは最期まで小莱に手を出してしまった事を悔やんでいた…。』
金魚は小莱を眺めながら過去に思いを馳せていた
。
13年前、行き付けのバーで酒が入った勢いでトニーにその事実を打ち明けられた時の衝撃は今でも金魚の胸に鮮やかに刻まれていた。
『教え子の小莱に…まだ15才の少年に…手を出してしまったんだ…。俺は何て事をしてしまったんだ…。』
以前から小莱という教え子の少年から熱い視線を送られている事実を、トニーは初めは楽しそうに話していた。
人形のように顔立ちの整った可愛い子だったから悪い気など全くせず、むしろ気に入って優しくしてあげていたと彼は話していた。
しかし、5年が経ち、思春期を向かえる頃
小莱は見違える程に美しく艶やかな少年に成長していた。
スクールの上級クラスの中でも飛び抜けて優秀な小莱をトニーは絶賛していた。
『あの色気は俺には出せない。』
とまで言っていたのに。
小莱自身が無自覚に放っていたその“色気”にトニーはやられてしまったのだ。
ただでさえ人生という名の出口の見えない迷宮で迷って心身のバランスを崩していたトニーが
そのたった一度の“行為”を
元に
もう二度と戻る事が許されない“破滅への道”を辿る事になろうとは
誰が予想などできただろうか。
金魚がもやもやと考えている内にいつの間にか注文していた料理が運ばれていた。
黒いホットプレートの上では、じゅうじゅうと食欲をそそる音を立てながら美味しそうなステーキが肉汁を溢れさせながら湯気をたてていた。




