睦月ー2
五月になり、昼間は暖かく過ごしやすくなりましたが、夜との寒暖差で体調を崩す人が増えているようです。
皆様もどうぞお気をつけてお過ごしください。
お楽しみ頂ければと思います。
2018年一月一日元旦。
まだ夜も明けきらない早朝5時過ぎ、智輝と小莱は川崎駅のバスターミナルに居た。
6時13分始発の浮島バスターミナル行きのバスに乗るためだ。
大晦日、智輝と小莱は二人で初日の出を見に行く予定を立てていた。
紅白で安室奈美恵のラストステージを拝んだあとは適当にBGMとして聞き流しながら二人は計画を練っていた。
横浜ランドマークタワーやマリンタワー、大さん橋、その他高台の見晴らしの良い所も候補に上がったが、川崎から遠い事や互いに人混みが苦手等の理由から穴場の浮島町公園で決定したのだった。
6時13分始発の浮島町ターミナル行きのバスはほとんど貸し切り状態と呼べるほど空いていた。
ここから目的地まではバスで30分かかる。
途中でコンビニに寄り購入した温かいジョージアの「贅沢カフェラテ」を飲みながら智輝は小莱にイヤホンを片方貸して音楽を流した。
イヤホンから流れる音楽はペンタトニックスの「New Year's Day」だ。
新年の一番最初に聴くにはぴったりの楽曲だった。
途中のバス停から二、三人ほど、同じく初日の出目当てに浮島町公園に向かうであろう客も乗ってきたが早朝ということもあってか、やはり穴場なのだろう。
本当に疎らで最後まで全ての席がほとんど空いている状態で気がつけば終点に着いていた。
日の出の時刻は6時50分ごろとの情報だ。
二人がバスを降りた時、空は大分しらみ始めてはいたがまだ日は昇っておらずどうやら間に合ったようだった。
「公園から羽田空港の滑走路が見えるんです。飛行機の離着陸も見ることができるんですよ。」
公園の海を見晴らせる方角まで歩きながら智輝は白い息を吐きながら言った。
「そうなんデスね。羽田空港、懐かしイデス。僕が始めて日本二来た時、降りタ所デス。」
小莱も白い息を吐きながら懐かしそうに言った。
智輝の家に通いつめ美子や智輝に師事し、日本語学習を徹底して復習させられたためか、見違える程に小莱の日本語は上達していた。
「てにをは」も促音も口を閉じて喉で発音する日本語特有の「ん」の発音も伸ばす発音も最早完璧だった。
「廖さん、本当に日本語上手くなりましたね!ほんの数ヵ月前とは恐ろしい違いですよ!」
「葉さんと美子さんの教え方ガ本当に上手だったカラデス。僕、トテモ感謝してマス。またお礼何か贈らなケレバなりませんネ!」
智輝の賞賛の言葉に小莱はにっこり微笑みながら返した。
「いや、ほんと…もうそんなにして頂かなくても…俺は廖さんがそうやって幸せそうに笑っていてくれるだけで充分ですよ。」
智輝はあの包み込むような優しげな笑みを浮かべながら言った。
小莱はそんな智輝の優しい言葉にまた胸が熱くなった。
そんなやり取りをしている間に遥か水平線の彼方は次第に燃えるような赤に染まりだし、遂に生まれたての真っ赤な太陽が顔を出した。
「日、出る國…日本デスネ。」
小莱は初日の出の光に照らされた薔薇色の顔で呟いた。
「千年と数百年前…その節は俺達の先祖が大変失礼な手紙を送ってしまい誠に申し訳ありませんでした。」
智輝も同じく薔薇色に染まりながら言った。
「…っふふっ!…そんな事今の中国人、もう気にシテマセンヨ!」
小莱は智輝に苦笑いしながら楽しそうに言った。
「ソレニ、僕思いました。日本、本当に太陽の國デス。四季が綺麗で明るくて、人が皆優しい…輝いて見えマス。」
「廖さん…。」
智輝は薔薇色の光に包まれる小莱を眩しそうに見つめながら呟いた。
小莱は祖国香港で何も悪いことをしていないのに突然仕事を失い、ネットで有らぬ噂を立てられ、重ねてストーカーにまで嫌がらせを受け、家族にも疎まれ、完全に居場所を無くし、ほうほうのていで日本に逃れてきたのだ。
横浜市上大岡の訳ありボロアパートから川崎市の智輝の家に居を移してきた時の荷物の少なさがそれをありありと物語っていた。
小さめのキャリーケースにボストンバッグ、そしてかつて恋人だったダンス・スクールの恩師、トニーの遺品の入ったダンボール箱が一つだけ。
今着ている服も、智輝の家に持ってきた服も皆日本に来てからユニクロや無印良品やGUでマネキン買いしたものだった。
香港からはダンス・スクールの講師時代に着用していたスウェットスーツと前に金魚が見せてくれた写真に写っていた時に着ていた地味な紺色の中国服、ボトムスはジーンズ一本だけしか持ってこなかったという。
紺色の中国服は金魚から贈られたものだった。
木綿の素朴な風合いの生地で作られたそれは、小莱がもし日本で行方不明になってもすぐに探し出せる目印にと金魚が持たせた品だった。
3年前、男人街で買ってすぐに着替えて九龍半島の景色を背に、出国前に写真を撮られた事がまるで昨日の事のように鮮やかに小莱の脳裏に記憶されていた。
初めて日本に降りた日から合う日本人という日本人は皆小莱に親切だった。
道を尋ねれば丁寧に教えてくれ、切符の買い方が分からなければそれもみな教えてくれ、落とし物をすれば拾ってくれ、皆優しくにこにこと対応してくれた。
そして移り変わる季節は実に鮮やかで美しく
日本は小莱にとって正に救いの国だった。
「日本での初日の出はここ以外でも見ましたか?」
智輝は小莱の生まれつきとは信じられないほどに美しく整った横顔に見惚れながら言った。
「いえ。ここデ見るのガ初めてデス。」
「そうなんですか。あ、廖さん、今年は香港には帰られるんですか?もう随分帰っておられないんでしょう?」
小莱の返答に智輝は思い出したようにまた質問をした。
「…えっと…帰るつもりハ…アリマセン…。」
小莱は、はるか水平線に目線をやりながら答えた。
「今年も…帰らないんですか…?」
「はい。香港ニハ、僕ノ居場所アリマセン。帰ってモ家族ニ迷惑カケマス。」
小莱は依然目線を外さないまま智輝の問いに答えた。
「…そうなんですか…。あ、もし、廖さんが居たいなら…その…ずっとあの家に居ていただいて…全然構いませんから。」
智輝は小莱の見つめる先を同じように見つめながら言った。
「香港の家族の方がどうであろうと、廖さんにはたくさんの家族同然の人が居ますよ。明星の壽康さんや玉玲さん、ミック君、金魚さん、俺や俺の両親も、皆廖さんの味方ですから。」
「葉さん…。」
小莱は目線を智輝に移し呟いた。
その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
「玉玲さんから聞きました。廖さん、香港で本当に辛い思いされたんですよね…。無理に帰らなくても大丈夫ですよ。両親には俺から言っておきますから安心してください。」
智輝は小莱の濡れた瞳をあたたかく見つめながら言った。
太陽は次第に空高く昇り赤かった色はいつしか目映いばかりの金色になっていた。




