師走ー9
物語の時系列ではまだ2017年の設定です。
そして作中の人物に起こった出来事は私に実際に起こった出来事を参考に書いています。
もし殺人が罪でなければ私に嫌がらせをした人でなしを真っ先に殺しに行きたいです。
「…?!」
いきなり抱きつかれ困惑の色を隠せない智輝はそのままの状態で固まっていた。
「葉さん、大丈夫よ。この方は廖さんの香港でのお友達の方で廖さんを心配して様子を見に来ただけのようだから。」
「…そうなんですか…?」
なおもパワー全開の力強いハグにそろそろ苦しくなってきた智輝に玉玲は安心させるように言った。
「この人…女性にしては力ありすぎだろ…」
智輝がそう思い出したころ、やっと金魚は離れてくれた。
「Thank you so much Mr. Tomoki Inaba !」
「…ゆ…Your welcome…」
嬉しそうに弾みながら英語で礼を言う金魚に智輝は控えめに返事を返した。
『よろしければ、廖さんの所にご案内致しますがどうされますか?せっかくですから行かれる前に何かお召し上がりになられます?』
玉玲は広東語で金魚ににこやかに尋ねた。
『是非そうします!実は朝から何も食べていなくてお腹ペコペコだったんです!』
金魚はまたオーバーアクションに身振り手振りを交えながら応えた。
『うちのお勧めは飲茶で初めてのお客さまにはミニ炒飯とミニ蟹玉スープをサービスさせていただいております。さ、お掛けになってお好きなメニューをお選びください。』
玉玲はそう言うとメニュー表を出しあの小さなメモのような注文用紙を再び腰掛けた金魚の前に置いた。
やり方の説明は香港人の彼女にはする必要はないのだと智輝は判断した。
金魚は楽しそうにメニューをしばらく眺め、先程の注文用紙にペンでチェックを入れ玉玲に渡した。
そうこうやっている間に別の客が次々に来店しだし、智輝も忙しく動き回る羽目になった。
近所に住む常連の老夫婦や若い二人連れの女性客、一人旅の途中で偶然立ち寄った男性客、中国本土から観光旅行に来た中国人の家族連れ、カップル、オーストラリアから観光に来た白人の家族連れ、アメリカから観光に来た黒人のカップル…
実に多種多様な国籍、人種、組み合わせの客が次から次へと押し寄せ、昼時には店内は満員になっていた。
いつも厨房で壽康のサポートをしていただけの智輝はホールがこんなに忙しい大変なものとは思っていなかった。
「廖さんもミック君もよくこんなのこなせるな…」
玉玲もホールに下りて智輝一人では捌ききれない仕事を手伝ってくれたお陰でパニックになることは無かったが
昼過ぎの3時頃やっと落ち着く頃には智輝はもうすでにくたくただった。
「すごいわ!葉さん、まるで招き猫ね!本当にお客さんでお店がいっぱいになったわ!やっぱりイケメンが接客にまわると違うわね!」
「ソウダ!皆葉サンのカコイイ姿近クデ見タイ。ツイデニ私ノ料理食ベル。コレデ大繁盛ヨ!」
「いや、壽康さんの料理のほうが第一でしょ…どう考えても…」
客がすっかり捌けて一息入れている智輝に称賛の言葉を浴びせる夫婦に智輝は苦笑いしながら言った。
「あ、そう言えばさっきの廖さんのお友達の方は…」
智輝は先程の八角形の窓の席に目をやりながら金魚の姿を探した。
「今住居スペースの方で待っていてもらってるわ。ミックが帰ってくるまではしばらく暇な時間になるから、今から廖さんの所に送ってあげようと思ってるけど。」
「わかりました。廖さんの様子、お戻りになったらまた教えてください。」
エプロンを外しながら智輝の問いに応える玉玲に智輝はにこやかに言った。
智輝と壽康に見送られ、玉玲の運転する車で金魚は小莱のアパートまで送られていった。
『本当に助かります。お店のお料理もとても美味しくて、感動しました!』
『ありがとうございます。夫にもそう伝えておきますね。きっと泣いて喜ぶわ!』
送迎中の車内での金魚の言葉に玉玲はにっこり笑って返した。
『それにしても驚きました…。あれほどそっくりな人が居るなんて…まるで“彼”本人かと思ってしまったぐらいです…。』
『…どなたの事…?』
車窓から遠くを見つめながら独り言のように呟く金魚に玉玲は横目をやりながら尋ねた。
『ごめんなさい。あの…彼、“葉さん”の事です。昔の友人に彼に本当にそっくりな人が居て…葉童雄…トニー・イップという人です。』
金魚はそう言いながらまた財布から一枚の写真を出した。
ちょうど信号待ちになっていた所で玉玲はそれを覗きこみ、思わず息を飲んだ。
『まあ!これ、“葉さん”じゃないの?!…後ろの景色は香港ね…。』
ほとんど金髪に近い黄土色の髪
右が薄い茶色で左が緑色のオッドアイ。
西洋人のような彫りの深い顔立ち。
透き通るように白い肌。
それらの特徴は智輝の持っているそれにほぼ完全一致していた。
しかし、写真に写っているのは智輝ではない。
数年前既にこの世を去っている“葉童雄=トニー・イップ”のほうだ。
自信に満ちた澄ました表情で香港でも屈指の絶景と称されるビクトリアピークを背景に立っている一枚だった。
『この方…今もお元気でいらっしゃるの?』
玉玲の何気ない問いに金魚はうつ向きながら
『いえ…彼はもうこの世にはいないんです…。』
『えぇっ!?どうしてまた…!こんなにお若いのに…』
信号が青になり再びハンドルを握り直した玉玲は金魚の言葉に驚きを隠せなかった。
『不治の病を患って…それを苦に自ら命を…』
金魚はそこまで言うと溢れでる涙を手の甲で拭いバッグからちり紙を出して鼻をかみ、話を続けた。
『…自ら命を絶ったんです…。拳銃で…頭を撃ち抜いていたと…後に知りました…。』
『…まあ…!』
『彼の死を誰より悲しんだのは小莱で、それはもう本当に可哀想なぐらい落ち込んで…』
『…そうなのね…。』
『自分がもっと側に居てあげれば彼の自殺を止めてあげられたかもしれないなんて自分を責めたりして…』
『そんな…』
金魚の話に玉玲は親身に聞き入り相槌を返していた。
はっきり言って玉玲自身も初めて知る小莱の過去の話に大変驚いていた。
『そんな所に追い討ちをかけるように…小莱にも次々に不幸が押し寄せて…』
『…廖さんにまで…!』
『それまで勤めていたダンススクールの講師の仕事を突然辞めさせられたんです。雇い主の勝手な都合で…!』
『まあ!』
『それで再就職を試みて…小莱は絵を描くのが得意で…本当はその道に進みたかったからその方向で色んな所にアタックしていたみたいだけど…』
『頑張っていたのね!』
『でもどこも小莱を受け入れてはくれなかったんです…!』
金魚は拳を握りしめながら悔しさと怒りを堪えるように続けた。
『だから、当座の生活の為にも家族への建前の為にも不本意な仕事に就くしか無かったんです。ビルの清掃や工場や日雇いなんかを転々としていたんだそうです。』
『本当に…そんなに苦労されていたなんて…』
玉玲は小莱が今まで隠していた辛かった過去を自らの事のように思い涙を滲ませながら言った。
『彼はその当時はSNSもやっていたのですが…』
『そうなの!?』
今の時点で玉玲が知る小莱のイメージとSNSというコンテンツは正直結び付かなかったため玉玲は思わず感嘆の声をあげた。
金魚はなおも強い口調で続けた。
『小莱が日記で自らの境遇を嘆いた記事を投稿した所に“荒らし”が来たんです。』
『“荒らし”…?』
『コメントやメッセージなんかに批判的で辛辣な言葉を書き込んだり差別発言を書き込んだりする輩の事です。』
『まあ!そんな酷い人がいるの!?』
『小莱はそれの被害にあってしまい…5年近く続けていたSNSも辞めざるを得なくなって…しかももっと最悪な事に…』
『何があったの…?』
『小莱や小莱に関わる人物のあること無いことを本当に酷い言葉でネット上の掲示板やなんかに書き込まれて…』
『とうとうプライベートでまで嫌がらせが発展してしまったんです…』
『自宅のポストに怪文書が届いたり、玄関に猫の死体を置かれたり…無言電話等の迷惑行為をされたそうで…』
『そんな…警察には相談したの…?!』
『できなかったそうです。今から二年前、2015年…香港では大々的な学生デモが頻発していて警察も取り合ってる暇が無かったようで…』
『そうね。日本でも時折ニュースで流れていたわ。』
玉玲は二年前の事を思い出しながら応えた。
『小莱は家族にも咎められて祖国でも完全に居場所を無くしていました。だから私が日本に逃れさせたんです。』
金魚は当時小莱に見せた広告のコピーをバッグから出した。
それは驚くほど安く、日本に語学留学が出来ると謳った内容のものだった。
二人の乗った車は目的地までもうあと数十メートルという所まで来ていた。




