師走ー4
説明が遅くなり申し訳ありません。
登場人物の台詞が普通に日本語の時は「」で表記してあります。
小莱や米奇等の香港人が広東語を話している時は白抜きの『』で表記してあります。
映画などにした場合、下に字幕が出ている状態と想像して頂ければ分かりやすいです。
お楽しみ頂ければと思います。
壽康達の乗った車は10分も経たない内に上大岡の小莱のアパートにたどり着いた。
『廖さん、迎えに来たわよ。容態はどうなの?』
『大丈夫か?心配でいつもより店を早く閉めてきたよ。』
小莱の部屋に入るや否や
香港人の夫婦は当然のように広東語で捲し立てた。
一人だけ日本人の智輝は口を半開きにしながらその様子を見守るしかなかった。
実際香港人のネイティブな広東語は早口でほとんど何を言っているか分からない。
『葉さんが見てくれたんだけど、どうやら「“たいじょうほうしん”」らしいんだ。子供の頃、水痘にかかった人がなる病気みたい。』
米奇が捲し立てる両親に説明してくれた。
智輝が聞き取れたのは、自分の呼び名の『葉さん』と何故か日本語のままの「たいじょうほうしん」と先程米奇に頼んで通訳してもらった時聞き取れた、『水痘』と言う単語だけだった。
「水疱瘡の事、広東語ではソイダウって言うのかな。」
等とぼんやり思う智輝に米奇の母の玉玲は尊ぶような眼差しで智輝を見つめながら
「葉さん、そうなの?凄いわ。見ただけで病名がわかるなんて。」
と完璧な日本語で言った。
玉玲は日本に住んで相当長いらしく日本語のレベルは日本人並みだ。
米奇の日本語の上手さは母譲りなのだ。
「はい。俺が以前かかったのと同じ症状でしたから、でもちゃんと医者に診てもらったほうがいいですよ。」
智輝は控えめに返したが、やはり小莱の体が心配だったので病院に早く行って欲しかった。
「勿論そのつもりよ。帯状疱疹は私もかかったけど辛かったわ。ちゃんと治さないと後遺症が残っちゃうのよね。」
「そうですよ。近くに総合病院もありますからすぐに連れて行ってあげてください。」
智輝は小莱の体を労るように優しく支えながらそう言った。
小莱は先程の「恋する乙女」のような表情を再び浮かべていた。
加えて智輝を見つめる視線には熱が宿り、病気で弱っているせいもあるのか、元より色気のある雰囲気が更に強まって妖艶さすら覚えるほどになっていた。
智輝は小莱のそんな様子に気付いてはいたが、あえて気付かないふりを通し続けた。
小莱には危険な一面がある。
老若男女を問わず全ての人を誘惑するような危うい一面が。
しかし本人にその自覚はない。
この誘いに応えてはいけない。
智輝はその事を察していた。
小莱が無意識かつ無自覚に放っているフェロモンにほだされて勢いに任せた行為に走ってしまったら、本当に取り返しのつかない事になる。
お互いに一生消えない傷を負うことになりかねない。
しかしそんな智輝の考えに反するかの如く小莱の熱い体は完全に智輝の腕に全体重を預けていた。
ややうつ向いて伏し目がちになった表情はふわふわと夢を見ているかのようなものに変わっており
小莱の意識は既に遠く計り知れない彼自身の宇宙へ飛ばされていた。
「…廖さん。大丈夫ですか?皆が迎えにきてくれてますよ。」
智輝は優しく小莱にそう言いつつ困惑していた。
『葉先…(イップさん)』
「はい。俺はここですよ。ちゃんと病院に行きましょうね?立てますか?」
智輝はまるで介護師のように小莱を上手く支えながら立たせ、後は母国語で気兼ねなく話せる香港人の一家に預けた。
「葉さん。悪いんだけど、廖さんの診察が終わるまでこの部屋にいてもらえないかしら?」
「…えぇっ!?」
玉玲の言葉に智輝は思わず大きな声で聞き返してしまった。
「どうやら鍵が最初からついてなかった部屋だったようなの。いつも開けっ放しで出てきてたみたいだけど、いくら何でも無用心だから、お願いできないかしら?」
「やっぱり訳あり物件じゃん。」
と思いながら
「分かりました。この部屋で待ってますね。あ、廖さん保険証とか持ってますか?」
「確かいつも財布に入れてたわよね?在留カードも一緒に入れてあったはずだわ。」
智輝の問いに玉玲はまるで小莱の親のように応えた。
小莱は部屋着にコートを羽織った状態で壽康達の車で病院まで送られていった。
1人残された智輝がもう一度小莱の部屋を見渡し何よりも気になったのは、やはりあの段ボール箱だった。
「葉童雄的遺物」
この文を日本語にしたらどういう意味になるのだろう。
「遺物」と言う単語から察するに「遺品」だろうか…
「葉童雄」とは人名だろうか…
一抹の不安がよぎったが、興味と好奇心のほうが勝り智輝は悪いと思いつつ段ボール箱に手を伸ばしていた。




