霜月ー3
私が現在働いている職場ではこの物語のようなやり方をとっていません。
仕込みをしながらオーダーも対応しなければならず大変です。
いつか私が自分の店を持った時は絶対壽康さんのやり方でやるつもりです。
「葉君。人参切り終ワタラ、袋入れて冷凍庫に仕舞ッテ置いてネ!」
厨房の奥でスープの出汁の味を確かめながら店長の壽康が言った。
葉というのはこの店での智輝の愛称だ。
智輝の姓が「稲葉」だったのでそこから“葉”の一文字をとってつけられた呼び名だった。
「はい!」
五本目の人参に包丁を入れながら智輝は元気良く返事をした。
今日は店は事実上の休みだが、厨房では約1週間分の仕込みが行われていた。
これが壽康のやり方だった。
丸一日「仕込みだけの日」を授け、徹底的に仕込みを済ませるのだ。
スープも、サラダに使う野菜類も蒸籠に入れて蒸して出す飲茶の惣菜類も、炒飯も、デザートの一切も何もかも。
全て冷凍で保存が利くものはこの日の内に大量に作りおきして冷凍保存しておき
次の日には解凍したものを出すだけにしておくと、非常に楽なのだ。
もし大量にオーダーが通っても
解凍したものを出すだけなので慌てなくて良い。
急がなくて良い。
余裕を持って出すことが出来る。
最高だった。
何より忙しい開店中に仕込みをしなくて良い事が天国だった。
以前のアイリッシュレストランとは雲泥の差だった。
「あっ!廖さんってばまた葉さんの事見てますね!」
智輝の後ろの作業台で焼売を仕込みながら店長の息子の孫米奇が言った。
例の「男の娘」の子だ。
しかし今日は女装はしておらず、智輝や壽康達と揃いのコックコートを着ていた。
「スミマセン…。」
後ろを振り返った智輝と目が合った廖小莱はばつが悪そうに言った。
初めてこの店に来た時入り口で鉢合わせて思わず見つめ合ってしまったあの黒髪の美人だ。
非常に美形で綺麗な顔立ちの中性的な見た目だったため初めは性別が分からなかった。
しかし後に男性であることが分かった。
彼は一昨年、日本に語学留学に来てから、ずっとこの店でアルバイトをしている28才の香港人の青年だった。
「分かりますよ。葉さん、すっごくイケメンだもんね!ついつい見ちゃうの無理もないですって!」
肩をすくめながら餃子の皮を伸ばしている小莱をフォローするように米奇は明るく言った。
「別に俺そんなイケメンじゃないっすよ…。」
智輝は優しく微笑みながら小莱と米奇に言った。
「本当にイケメンの人は皆そう言うんですよ!」
米奇は38個目の焼売を包みながら言った。
智輝は苦笑いしながら小莱の方を見た。
小莱も同じくこちらを見ていた。
やはり何度でも目が合う。
小莱が確実に事あるごとに智輝に視線をやっているからに違いない事は分かっていたが、智輝自身別に悪い気はしていなかった。
「俺の容姿が珍しいからだろう。凡そ一般的な日本人からはかけ離れた色素だからな。」
智輝は七本目の人参に包丁を入れながら思っていた。
智輝は生まれつき色素が大変に薄かった。
髪はほとんど金髪に近い黄土色で、両目の色も片方づつ違う色をしていた。所謂、オッドアイというもので
右が薄い茶色、左に至っては宝石のような緑色だった。
顔立ちも彫りの深い西洋人のような作りだったため、何も言わなければ誰しもが外国人だと思うほどだった。
実際、子供の頃から外国人によく間違えられ、その事でからかわれた経験もあった。
成長した現在でも、外国人から英語で道を尋ねられる事があった。
あまりにも頻繁にあったため、初めは僅かながら抵抗があった智輝も諦めて英語で対応が出来るよう会話文のフレーズを丸暗記してある程度かわせるようにしていた。
10本目の人参を切り終える頃には時計は昼の13時を指していた。




