炎、再び
流れに身を任せて漂うひとりの少女。あまりに光が遠い為に、人の目には小さくなってしまっている世界。やがて、少女がまぶたを震わせながら起き上がる。目の前に広がるのは、小さな綿毛が溢れ、彼女の身体に触れないように避けながらも流れていく、広大な川だった。
「……これは、成功? 」
起き上がる彼女の名は、カリン。服装はサーラで拵えたそのままの姿。
「ここが、コウの、人間の心の故郷……綺麗な所 」
手に触れようとしても、カリン自身が風となってふわりと避けていく。何度試しても、結果は変わらない。触れる事は諦め立ち上がる。足の下には綿毛が有るが、なぜか踏み潰していなかった。毛羽立つ綿毛がカリンの身体を支えている。外見からは想像できない強度とハリがある訳ではない。カリンは触れる事が出来ずに、水が油に浮くように、川の上に立っていた。
「……コウはどこ? 」
心の故郷へとたどり着いたカリン。その目的はコウを連れ戻すこと。しかし、いくら見渡してもコウの姿はない。流れに逆らって探すか、下るか。それとも川から逃れて探すか。暗黒よりは明るくも煌めきのない世界で、己の知識や感覚などまるで役に立たずにいた。早くも途方に暮れていると、目の前を細い糸が通っていく。それは川を下るようにしてそよ風と共に去っていった。その糸は、眠りに就く前に、メイロォがコウに巻きつけていた髪の毛と同じ色をしていた。
「あの髪の毛はそう言う事ね」
「ええ。そして私が中に入る為よ」
綿毛が一部盛り上がり、綿毛達が噴火する。一瞬流れから溢れるが、しばらくすると何事も無かったかのように流れは元に戻り始める。カリンが目をこらすと、その中から、声の主が現れていた。美しい髪の毛も、滑らかな肌も、現実で見た物と同じ。だが、手足も、尾びれも、ガラス玉のような丸い目も、全て小さい。声色も仕草も同じだが、バランスがなにもかも変わっている。
「……まさか貴方、メイロォ? 」
「そうであって、そうでない。メイロォは、メイロォの分身。あの髪の毛は貴方を案内する為に用意したの。 さぁこっち」
その姿はカリンの知る物よりも小さく、短く、幼かった。釈然としないままカリンが続ける。
「分身であってもメイロォはメイロォなのでしょう? 私が来る意味なんてなかったのではなくて? 」
最初の話では、カリンが行かなければ解決しないと言う話であった。しかしこうして目の前にメイロォがいるのであれば、メイロォの知る方法でコウを連れ戻す方がずっと早いと考える。だがメイロォはその考えを一蹴した。
「私はあくまで案内役。心も読めないし何の力もない。白いベイラーを連れ戻せるのは貴女だけ。それは何も変わらないのよ」
「……なら、案内役が居ると最初に教えてくれてもよかったのではなくて? 」
「それはメイロォの趣味。驚いた顔を見たいから」
「本当にシラヴァーズって!!! 」
彼女らの本質はなにも変わっていなかった。小動物の大きさにまで縮小したメイロォが、宙を泳ぐようにカリンを先導する。カリンもまた、メイロォに導かれるように歩みはじめる。
「暗闇。だけど、小さな光がいっぱいある……あの光は何なのかしら」
「光瞬くのは全て星の光。人が夜空を見上げる時に見えているものと一緒。違うのは、ここには昼も夜もない事だけ」
「星? あれがすべて? 」
「上に見えるものも、下に見えるものも、右も、左も、全て星。この瞬く暗闇に名前をつける人をメイロォはまだ知らない……きっといい名前をつけてくれる」
「ここは、星が見えるのだから空ではないの? 」
「そうね。貴方はここをそう呼ぶのであれば、それでいいわ」
「またからかっているの? 」
「さぁてどうでしょう」
カリンが疑問を問い、メイロォがからかいながら答える。柔和な対応とは言い難いメイロォの分身との会話は、基本的に不快ではないものの、からかわれている事実がカリンのこめかみに徐々に血液を貯めている。だが、決して退屈さはなかった。暗闇に漂う2人が川の流れにそって、しばらく歩いていく。
「……本当にこっちなの? 」
「ここが命の川。その心を司る大いなる流れ。白いベイラーが迷っているなら、人に入る直前の部分。まだまだかかるわ」
「命の川……心を司る? 」
「この綿毛1つ1つが心であり命。命は体と心があってこそ。どちらか1つではない。ここは心の川でああり、命の川」
「この1つ1つが……? ……って!? 」
心の故郷の正体を意図せず教わると、思わず足を飛び退かせる。
「わ、私、そんな大事な物を踏んでッ!!」
「貴方1人で生まれていない命を壊す事はできないから安心しなさい」
「そ、そうなの? ならよかった」
あまりにも現実離れした光景と、その説明をしているのが、見たことない姿のメイロォであることが、さらに頭を混乱させている。だが、一点だけ、質問事項がでてきた。ここは心の故郷。命が生まれる場所。そこにすでに生まれている人間がいる事に。
つまりそれは、自分がすでに元の世界には居ない事を示しているのではないかと考えた。
「……つまり私、死んだの? 」
「質問が多くって、からかうのも飽きてきたわ」
「それは悪かったわね」
「大丈夫。眠っているだけ。きちんと手順を踏めば起きれるわ」
「その手順は教えてもらえるのかしら」
「ええ。でもまずは白いベイラーをみつけてからでも……」
「メイロォ? 」
「そんな。そんなことが」
「どうしたの? 」
「こっちに! 」
メイロォが突如速度をあげて川を下る。カリンもまた1歩遅れながらもついていく。尾びれが何度も顔に当たりそうになるのを避けながら、加速するメイロォについていく。時折綿毛がカリンの蹴り上げた足に当たり、ふわりと舞い上がった。
「またからかっているの!? 」
「そんなはずは、そんなはずはないのよ。起きてはいけないのよそんなこと 」
メイロォがその顔を焦りに染めている。ここまで狼狽えるメイロォをカリンは見たことがなかった。その、あまりの変わりようについには質問をやめ、黙ってついていく。
「でも一体、何を……なにこれ、臭い? 焦げている……ような……」
駆け出す足が弱まる。それは目的地に着いたからではなく、目の前に起きている光景が身体を止めさせたから。 目の前には、真っ黒になって辺りを漂う小さな小さな粒。そのひとつまみを手ですくい上げると、カリンの指先を間を通りすぎて落ちていく。
そして。落ちていった先に、小さな種が割れて燃え尽きていた。
「ああ! 駄目よ! これは駄目なことよ!! 」
「メイロォ、これは……」
メイロォがその小さな体の小さな手で種を拾い上げる。だがそれも形を保つことが出来ずに中から割れて砕け散ってしまう。何度も何度も種を拾い上げるも、その全てが砕け散ってしまった。つい先ほどまで。目の前で舞い上がっていた綿毛が、灰となって一帯に広がっている。カリンの琴線に触れた景色は、彼女の頬を濡らしていく。
「メイロォ。これは命の種だと。心だと、貴女は言ったわね」
「ええ。言ったわ」
「またからかったの? 」
「からかってないわ」
「ならこれは何! 」
手を広げて見渡すのは、辺り一面に広がる命だった物。命になるはずだった物を見渡す。この場所はすでに命はない。どれもこれも身体と共になる前に灰となってしまった。
肉と血がないだけの、決定的な死。おぞましい惨殺の光景といってよかった。頬をつたう涙が止まらない。カリンは、この、目の前に有るはずの、無くなってしまった命を想い涙する。
「壊せないんじゃなかったの! それがどうしてこんな!! こんなことになっているのよ!! 」
「分からないわ! でも。起きてはいけないことが起きている。これはあってはならないわ」
「そうよ。そうでしょう。だってこんなの、悲しすぎる……」
ついに、膝から崩れ落ちる。涙が抑えきれずに溢れ出て、彼女は両頬を覆った。となりにメイロォが居る事も忘れ、ひたすら泣き声が上がる。
死について、それについて真っ先に思いえがかれるのは、ナットと育ての親、ベルナディッドの事。無論、ベルナディッドだけではない。目の前でベイラーに踏み潰された名も知らぬ盗賊。海賊との戦いで海に流され、すでに戻らぬ人となった漁師。彼女の目の前で命が潰えるか、潰えないかは重要ではなく、命か無くなった事それこそが、彼女が悲しむ理由になった。
彼女が見ている光景は、只の灰の山ではない。彼女の目には、これら全てが、今まで関わってきた全ての人たちが倒れている姿に重なっている。なぜ、どうしてと考えずにはいられない。それは感受性の強さを、ありありと示している。
そして彼女は、持っているパンを、自分の為にではなく、飢える動物に、人に与える人物であった。
「貴女はこの景色を見て涙を流すのね」
泣いているカリンに、手を差し伸べる事もなく、かといって置いていく訳でもなく、静観するメイロォ。
「だって、そうでしょう」
「ここがどんな場所かもわからないのに? 」
「でも、綺麗だもの」
「そう。それは、この綿毛が? 」
「最初はそう思っていたわ」
「……今は? 」
「これが全て命なら、綺麗なのは当たり前よ……それをこうしてしまう誰かか、何かがあるのなら、それはとても悲しい事よ…… 」
静観していた顔に、驚きが満ちる。即答するカリンに、その即答した内容にもまた、驚愕した。しばらくその手を顎に当てながら、今度はメイロォから、初めて提案が行われた。
「貴女、私と恋人にならない? きっと貴女の話は楽しいわ」
「こんな時に何を言っているの!?!? 」
「どう? 」
「駄目よ! 」
「そう」
「それより、この原因は一体なんなの? 」
思わぬメイロォの提案に、涙が一部引っ込むカリン。しかし素っ頓狂な言葉は、悲しんだカリンには起爆剤となる。体を起こしメイロォにくってかかる。
「恋人探しは海でしてくださる? 」
「本気なのに」
「もう。いいから、貴女はこの景色に見覚えはないの? 」
「ある訳ないわ。こんなことは初めてみた。こんなこと、駄目よ……駄目なのよ……心が体に入らない……命が生まれてこなくなってしまう……」
ついには考え込むメイロォ。涙をぬぐい再び2人が川を下ろうとしたその時。
叫び声が、聞こえた。
それはあまりにも悲痛で、痛々しく、生々しい。喉の奥、腹のそこから身体中の力全てを使って吐き出しているような、怒号を超えた何か。痛みを耐えている声なのか、泣いているのかその境目などなくなった声が、遠くから耳をつんざくように聞こえてくる。
その声の主を、カリンは知っていた。
「コウの声だわ……コウに何かあったんだわ!! 」
「待ちなさい、何が起きているのか知る方が先よ」
「この声が聞こえないの! コウは今苦しんでいるのよ! 私が行かなくて誰が行くというの!! 」
メイロォの制止を振り切り、一気に駆け出すカリン。綿毛だった灰がカリンの体にかかり、足を汚す。山のように溜まった灰が行く手に有るのを跳んで避ける。着地する場所もまた灰で一面埋まっていた。大きな跳躍は盛大に灰を巻き上げてしまい、カリンの体を覆い被る。髪も肌も灰まみれになりながら、それを些事だと切り捨てて、自身の足を何よりも早く、誰よりも早くと走らせる。
だが、あまりにも遠い。走り出して駆け出して、汗をかきはじめても、まだコウが見えない。決して走ることをやめないが、灰になった種達がそこかしこに点在している。その1粒を見れば見るほど、今すぐ残った種がないのか探したくなる衝動を抑える。
「ハァッ……ハァッ……随分大きな……ッハ……声だこと」
もうどれくらい走ったのか分からなくなる。息がもたなくなり、全身から汗が噴き出す。汗と灰が混じって滴り落ち、まだ残った綿毛にあたって弾けた。汗を拭うことさえせず、ただひたすらに走り続ける。
「……コウ、どこ、にいるの……」
走り続けたせいでついに、履いていた靴が破ける。足がもつれて倒れ込んでしまう。綿毛と灰が一斉にカリンを避けて吹き上がる。サーラでこさえたマイヤ自慢の一品は、糸がほつれ、破れ、穴が空いて、すでに見る影もない。だが、ここで止まる気などカリンにはなかった。
「……まだ、やれる……」
震える足を両手で支え、無理矢理に体を起こす。壊れた靴を捨て、再び走り出す。涙と汗とが入り混じり、もう体は灰でいっぱいになっている。だが、身なりを気にするほど、今のカリンに余裕も予断もない。
「待っていて。コウ。いま、すぐに……ッツ!!! 」
そして、ようやくソコにたどり着いた。
川が、一部から下り、滝になっていた。その縁に立ち尽くすカリン。
滝の下にあったのは、炎の海。
灰が舞い踊り、叫び声がこだまする。炎を吐き出すのは、人と同じ姿をしながら、右手をかざす、髪の長い女。かざした手から、一条の炎が伸びている。長い髪が大きく広がり、生き物のように蠢く。女の感情を汲み取り動いているように、自由自在ではなく、なるべくして動いているような、不自然な動き。
そして、探し続けていた人も、またそこにいた。
ベイラーの姿だったであろう四肢。琥珀の胴体。琥珀の目。赤い肩。全て同じ姿だが、体のあちこちが欠けている。
それでも、白いベイラー……コウはそこに居た。棒になった足をその場に突き刺して、髪の長い女の行く手を遮るように立っていた。
髪の長い女は、最初はコウの腕を燃やしていたのか、腕の至る所が焦げている。だが、腕を燃やすより先に、コウ自身を燃やし尽くす事を選んだのか、伸びる炎はコウを焼き続けている。
コウの周りはたしかに炎に巻かれている。だが、彼の後ろの川は、未だその姿を保って流れていた。彼は、この炎から綿毛の川を守っていた。
叫び声が聴こえてから、ずっと走り続けていたカリンが、今目の前のコウは、この炎に身を焼かれ続けていたのだと気がつくのに、時間はかからなかった。
「コウ!! 」
滝の流れに身を任せ、自身の足が震えているのも構わず、吐いた息がどれだけ苦しくても、意識が彼女の体を止める事はない。着地の際、足の骨に、鳴ってはいけない音がなるも、その事を気にかける暇も、感覚もなかった。全ては、目の前の人の為。ずっとずっと眠っていた人が、ずっとずっと会いたかった人が、その体を盾にして、この川を、心を、命を守っている。
それだけで、彼女が走る理由になる。
心臓の鼓動は太鼓の様に大きく太く、頭の先にまで響いている。片足は紫色に腫れて、走る度に痛みが身体を襲う。被った灰が口の中に入り、むせ返りそうになる。それでも彼女は走る。あと、5回。足を踏みしめれば、目的の彼に触れることができる。
一歩ごとに足の痛みは増し、体から力が無くなっていく。最早体力など無く、意志が肉体を凌駕していた。
炎に焼かれるコウが、突き刺した足が燃えてなくなり、ついに膝から下が無くなっていく。体のほとんどが燃え尽き、もう両腕すら無くなる。
どちらも、限界だった。だが、それを2人とも決めていなかった。
「コウ!! 」
もう、何度呼んだかわからない名前を叫ぶ。喉が切れて、口から血が滲む。叫ぶ名前の人物は、ついに四肢が燃え尽き、身体が前に倒れてしまう。伏した先で灰が避けていく。長い髪の女は、コウの姿に満足したのか、手のひらから炎を出すを辞めた。煙が立ち込め、目を焼くような熱さが覆う。
倒れた先で、ベイラーの目が、1人の少女を捉えた。それこそ、自身が心待ちにした乗り手。乗り手だから心待ちにしたのではない。彼女に会いたかったから、彼女だから、待っていた。その名を、燃えた喉で呼ぶ。音が正しくならず、何度も風切り音になる。
「まだ、そこにいるのね、コウ!! 」
カリンの声がどこまでも枯れていく。コウの声がどこまでも掠れていく。
だが、応えた。
「《……カ…………リ………………ン》」
「ええ。ええ。ここにいるわ」
言葉を話したくても、人が聞き取れる言葉にならない。ただの、木を撫でる風の音にしかならない。それでも、コウは、カリンと話したかった。
たっぷりと時間がかかりながら、少しづつ、少しづつ話していく。いくらでも話したい事はあった。だが、カリンの考えとは裏腹に、コウは、カリンと、もう1人を眺めていた。
「《……なさけ…………ない、かも……しれない……》」
「いいわよ。それでも」
「《あの……子は…………悲しい……子なんだ》」
目の前の、燃え盛る、髪の長い女に、コウは、悲しいと言う。ずっと、想い続けた自分ではなく、たった今までその身を焼いていた女の事を、コウは考えていた。
「助けたいの? 」
「《……だって……そうだろう……》」
燃え尽きた両腕が、行き場を失いながら地面を這う。
その先には、カリンがいる。
「《こんな事をしてしまうなんて、すごく、悲しいじゃないか》」
確かに、コウはカリンの事を考えてはいなかった。
だが、考えていた事は同じだった。
「《……手を、貸して……くれ……俺と……君……なら……何だって出来る……だから》」
這いつくばりながら、カリンの元へと行く。胴体がかろうじて川から離れ、コクピットが見える。
「《俺は……俺は……彼女を、助けたい!! だから!! 》」
炎になって文字通り木炭になった体は、簡単にひび割れ、朽ちて、砕ける。その形のない腕は、カリンを求めた。
それに、カリンは行動で答える。
「お任せあれ」
その顔はどこまでも納得し、心に従った表情。灰被りになった姫の、晴れやかな笑顔だった。
灰をかぶせ過ぎた。




