ベイラー、叫ぶ。
まだlikeかloveか分からずとも、勢いに任せることも重要です。
『追われ嵐』の到来まであと二日。
「家財道具は最低限に!」
「女、子供、老人が先だ!男は作業を手伝ってくれ!」
「ベイラーと乗り手はこちらに!」
カリンが、ナットを伴って城に帰った直後、早々に国全土を上げて避難の準備が始まった。国中に伝わるのに一日。人員を集めて、段取りを決め、そこから作業を開始するのに、さらに一日かかり、具体的な避難行動は三日経った後だった。
現在、城下のほぼすべての人間が、この城に集まってきている。国といっても、現代国家のように億人単位での生活をしているわけではない。それでも、すでに枯れ木で出来た城に、何十万という人が集まってきていた。城を開放し、受け入れを始めているが、嵐が来る前にすべての住人が集まれるかどうかは分からない。
《カリン! そろそろ休まないと! 》
「窓を塞ぐ手が足りないのだから、一人でも多くのベイラーがいるのよ」
カリンを乗せたコウは、城の窓を塞ぐ作業を行っていた。職人が作ったその塞ぎ窓は、窓と板の淵にある凹凸と合わせ、合計三枚の板を噛み合わせていく。この塞ぎ窓は、その構造により、釘に相当する留具をまるで使っていないため、木材本来の持つ、丈夫さと柔軟さを一切損なうことなく蓋をすることができる。その塞ぎ窓を、職人たちが急ピッチで作っている。
コウが職人たちからその板を受け取り、窓にはめ込んでいく。コウははじめ、城の窓は自然でできた穴だと思っていた。しかしこの作業を通して、有事の際にそなえ、あえて丸く削られていることも知ることができた。
この窓によって、外側から雨で抜けるということはない。ひとまずの問題は、この作業をカリンが休憩を挟まずに行っている事にある。
《日の出からずっとやってるだろう? 一度降りて、休んだほうがいい。カリンが無茶しても誰も喜ばない》
「なら、左手は操縦桿を握っておくわ。優位は貴方になって動ける筈。少しでも多くの窓をきちんと塞いでね。でないとみんな濡れてしまうわ」
《それでカリンがいいなら》
「よしなに」
カリンは操縦桿を握っている左手を縄で縛り、そのまま背を預けた。すると、その窮屈な恰好でもすぐ寝息が聞こえてくる。そんなコウも、昨日からこの作業を続けており眠れていない。次に目をさましたら、どのくらい経っているか、見当もつかなかった。
《あと二日だもんな……》
追われ嵐。何百年に一度という頻度で起こる非常に強い嵐。その風は森を揺らし、山を削るとと言われている。体にキノコを生やした、この国でも長寿のベイラーが、その経験をコウに語った。
《あれはねぇ……嵐というには大きすぎるよぉ。もっと別のなにかさぁ……竜巻が何本もでて、土地の、なにもかも巻き上げてぇ……雨で山を削って、木の根がなくなった山がねぇ……土砂崩れになるんだよぉ》
彼は、話す度に頭に生えた巨大なキノコが揺れて気になるベイラーだった。その語り口こそ間抜けに聞こえるが、彼はこの国で一番の知恵者だという。
《雨で増えた川に混じって下にながれてくるのさぁ……下流にある街も、この城だって……それはそれはぁ……大変だったぁ》
その口からでた言葉は、どれも想像するに恐ろしいものばかりであった。もはや台風などとは比べ物にならない被害が出る事は間違い無かった。
《(この国は生物だけでじゃなくって、自然現象までオーバースケールだ)》
キノコを生やしたベイラーが語る中で、最も危険視すべきは、川の氾濫による土砂崩れである。ゲレーンは四方を山に囲まれ、川の下流に人々が住んでいる。特に城の裏手はすぐ山であり。万が一その山が崩れれば、高低差もあいまって、盆地にまで甚大な被害が及ぶ。
《でも、そんなもの、どうするんだ》
コウには、もう打つ手など思い描けなかった。避難したところで、城がもつのかさえ分からない。だが、キノコのベイラーはコウの心配をよそに、淡々と告げた。
《壁を、作るのさぁ……みんなで力を合わせてだよぉ》
そのキノコを生やしたベイラーは、口もないのに、ニヤリと笑って見せる。少なくとも、コウには、そう見えた。
◇
そして、ついに『追われ嵐』が、ゲレーンを襲うその日がやってくる。
《間に合ったぁ!! 》
「なんとかなったわ。皆にはどういう労いをしましょうか」
窓を完全に塞いだ城。住民のために開放し、余裕とまではいかずとも、ベイラー用のスペースも使う事で、住人すべての避難を完了できた。
《でも、これからですね》
「そうよ。これからよ」
息つく暇もなく、カリンがコウを動かし、城の外に出ると、横殴りの雨が容赦なく打ち付ける。ひと粒ひと粒が目でわかるほどの大粒の雨を、風がさらに後押しするような嵐。そしてこの嵐で一つの知見を得る。
《(やっぱり、この体に雨は堪える。水を吸って体が重い)》
ベイラーの体は木製であり、雨は体を重くし、重くなった体は反応が鈍くなる。今すぐにでも引き返したい欲求に駆られるも、カリンがそれを是としなかった。
その城の外では、すでに山から来る濁流に備え、ゲレーン中のベイラーが集結していた。その数は、百や二百はくだらない。
「諸君! この困難を切り抜けるべく、よくぞ集まってくれた!」
この嵐の中、人間の男の声が聞こえる。凄まじい声量の持ち主であり、ベイラーの手の上に乗り、声を張り上げている。両脇にベイラーが風避けとして立っており、その人間は身分が高い事を示している。
「北より来る嵐に削られ、すでに濁流は迫っていると見ていい! 我らが行うのは、その流れを逸らすことだ! 壁を作り、受け流すのだ! 」
荘厳な声が、嵐を突き破って聞こえてくる。
「この大地の恵みを甘んじて受けていた我々には、同じように、この大地からの試練を、乗り越えねばならん。後ろを見よ! 」
ベイラーが一斉に振り向く。その視線の先には、ゲレーンの城がある。
「大地より借り受けし我が城は、いまや恐怖に身を振るわせている。民が寄り添い合って耐えている。あの城はいつか大地に返さねばならん。だがそれは、静かに、その根を張った場所で朽ち果てるのが、あの木の望みであろう」
男が、拳を突き上げた。
「ならばこの嵐が、この木の最後か!答えよ!!」
乗り手達が、嵐をものともせずに、ベイラーの中から出た。
「「「「否! 否! 否!」」」」
そして、力強い言葉で応えていく。
「ならば! 我らのすることは何だ!」
「「「「この地を守護することなり!!」」」」
「何故だ!」
皆の答えは、すでに心の中で決まっていたのか、間髪いれずにその答えを返す。
「「「「ソウジュによって生かされてきたからだ!」」」
「ここで守らねばどうなる!」
「「「「恥だ!」」」」
「ここで逃げればどうなる!」
「「「ソウジュは我らを見捨てるだろう!!」」」
「ならばどうする!! 生きるか! 枯れるか! 」
「「「人はソウジュと共にあり!!」」」
「ならばその命! 決して枯らすことは許さぬ! 必ず戻り営みを続けよ! 」
一瞬、怒号が止んだ。でも、一瞬だった。
「「「「応ぉおおおおおおおおお!!!」」」」
凄まじい士気。凄まじい熱気。それを与えたあの男は一体誰なのか。
《お父様》
「あの人が!」
ゲーニッツ・ワイウインズ。この国を治める王その人が、いまこの場を指揮していた。
《ここに集いし、我が兄弟姉妹たちよ》
ゲーニッツ王を手に乗せたベイラーがしゃべる。背の高さは他のベイラーと変わりないが、体のパーツごとが大きく、それによって力強いシルエットを見せる。そして、その厳つい体なからも、とても優しい声をしている。
《諸君らに問う……人を好いているか?》
その問いかけに、ベイラーが、そしてコウも答えた。
《《《《応とも!》》》
《人と共にありたいか?》
その問い間髪入れずに再び叫ぶ。
《《《応とも!》》》
《人の終わりを見届けるか!》
《《《《応とも!》》》
《ならば、ここが人の終わりか!》
《《《《否!》》》
《ならばどうする!》
《《《助けよう!》》》
《何故だ!》
ベイラー全員が、その胸の中にある答えを叫ぶ。
《《《我らは人を好いているからだ!!》》》
《よくぞ答えた! 我が兄弟姉妹たち!!》
ゲーニッツ王を支える手とは逆の手を挙げ、問う。
《その力、正しく使え! ソウジュは人と共にあり! 》
《《《ソウジュは人と共にあり!! 》》》
誓いの言葉は、順番が違った。しかし、双方が認め合って上で生きる指標そのものだった。
その言葉に弾かれるようにベイラー達は散り散りになり、川に沿って配置していく。川から堀へ水を入れる場所までは、ベイラーは並ばずにその手前まで。城を最低限、かつ、最大で守るための配置。赤い肩をした、戦いを得意とするベイラー達が、真っ先に川べりに立った。そこは滑落の可能性がある一番危険な位置である。そこにはあのレイダもいた。
しかしコウ達は、内陸の城の傍。比較的安全な場所に陣取っている。今の演説によりやる気に満ち溢れていたコウは思わず抗議を始める。
《カリン! なんでもっと前に行かないんだ! これじゃ壁を作れない!》
「終わったとき、誰が彼等を労うの!? それが私の仕事であり役目よ! これはあなたでも譲れないわ!」
《でも! 》
「歯がゆいのは分かるわ。でもね、他のベイラーを舐めていなくて?」
《舐めてるって、そんな》
「見てごらんなさい」
今にも氾濫しそうな川の淵に、レイダがいる。遠目でも分かるほど他のベイラーと緑の色味が違う。元からの緑色と、センの実で塗った色とでは違うのだとコウは知った。
そしてついに並んだベイラーたちのさらに向こうからソレは来た。ソレは、山を我が物顔で下ってくる。流木を、土砂を、ありとあらゆる物を飲み込みながらやってくる。
この暴風雨によって氾濫した濁流が迫りくる。
《総員! 構ぇえ!!》
レイダの掛け声で、ベイラーたちが一斉にサイクルシールドで壁を作る。そして、後方のベイラーがそれを支えた。人が肩を貸して高さを稼ぎ、さらにその二人組を支え、前傾姿勢で構えている。そうして瞬く間に、大きな壁が城の外に建造された。ベイラーたちの防壁である。
その壁の高さは、もう山が見えない。そして一人のベイラーから、果敢にも壁の向こうを見るために、乗り手が物見を行う。
「衝撃! 備えろぉおおおおおおおおおおおお! 」
壁から顔を出した乗り手が、大声で合図をかける。その時はすぐに来た。あれだけ丈夫そうな壁が、轟音と共に一瞬後ろに下がる。壁にあたっていた雨が衝撃で弾け、雨と合わさって大粒の水滴となり、壁を支えるベイラー達へと降り注いだ。
しかし、しかしながら、その一瞬以降、ベイラー達は下がらない。
耐える。耐えている。この雨のなか。いつ雷が落ちるかというこの場所で、ベイラーたちは必死に、あの濁流を耐えている。耐え切っている。
《すごい》
それはコウにとって、語彙が思い浮かばずに出た、素直な感想であった。
「あれがこのゲレーンのベイラーよ……私たちが、大切にすべきものよ」
《僕の出る幕はないと?》
「弁えなさいと言っているの。コウも私も、まだまだなのよ」
コウが出した物の何倍も大きく、厚い壁がそこにある。
《(あそこまで、できるようになってやりたい)》
「悔しいの?」
《当たり前です》
「男の子ね。そういうとこ」
茶化すようなカリンの言葉が雨にかき消されたそのとき、1人、空色のベイラーが走ってきた。
《ミーン! 体はいいのか?》
《大丈夫です。それより、城の中にお入りください》
「そうするわ……」
《カリン?》
「……」
カリンが無言になると、この嵐の中、コックピットからでて外を眺めはじめる。大雨に打たれながら、じっと山を見つめている。
《濡れちゃいますよ?》
「気にしないわ」
しきりに後ろの方角を気にしている。いま、壁が作られているちょうど真後ろにあたる。
《(城の後方に何か見つけたのか? )》
コウも振り返り、山を眺めるが、見えるのは大雨の中にある不気味な森だけで、なにも変化らしいものは見つけられない。だがカリンは、何かの違和感を抱いているのか、視線がじっと一点からブレていなかった。
《行ってみます?》
コウは、その視線の先に何かがあると考え、提案した。カリンは、コウの提案は予想外だったのか、最初面食らいながらも、かかった雨を払いながら答える。
「え、ええ。そうね……コウ。付き合ってもらえて?」
《もちろん。ミーンは先にもどって》
《え、でも》
コウは、その先を聞くことができなかった。カリンがコックピットに戻るや否や、ずんずん歩みを進めてしまった為である。
《ど、どうしたんです?》
「ちょっと、崩れてる、気がするの」
《ッ!? 走ります》
「でも気のせいかも」
《気のせいかどうかも確認しよう》
サイクルを回して走る。体が濡れている為に、感覚が違っていた。
《(すこし気持ち悪いな)》
コウがぼやきながらも、たどり着いた城のすぐそばにある山の斜面。
普段なら、いつもの山だと一蹴できるが、今日は違っていた。風で木がざわめき、雨水がこちらに流れてくる。そしてそこには、一匹のゲレーンミルワームが蠢いている。
《ミミズが雨の日に外に出るのと同じ理屈なのか?》
「ここ、木が倒れてる」
《ミルワームが倒してきた?》
「前のように何匹も来てるわけじゃ……まって」
ミルワームに気を取られていると、慣れない振動が足元を襲った。
「これは……地響き?」
《地響き? それってまさか……土砂崩れ!?》
コウの、悪い予感が的中してしまった。目の前にある山の一部が突如として削れ、こちらに向かってくる。
木が、土か、土砂崩れとなって流れ込む。山の角が崩れたというより、半分がこちらに流れ込むようなすさまじい土砂崩れ。しかしこの後ろには城が、さらには壁を支えるベイラーたちがいる。
「このミルワーム、根がやられてるのをわかってこっちにきたのね! 濁流でまた土に戻る気なんだわ! 」
《そんな事するのかこいつ!? 》
「今はそれよりシールド!! できるだけ高く! できるだけ大きく!!」
《はい!》
サイクルシールドを、できる限り高く、大きく作り出す。そのまま、山から流れてきた濁流を別の方向へと受け流す。カリンの咄嗟の判断は2人を土砂崩れから守った。
しかし、状況は良くない。このままコウが土砂崩れに押し負けてしまえば、濁流は後ろの城を襲う。そして城を超えれば、ベイラー達の足元が流されてしまう。そうなれば、川から氾濫した方の濁流を押しとどめているベイラー達はシールドを支えきれなくなり、城を守れなくなってしまう。今の城には、何万という避難したこの国の住民達がいる。
《やるしかない》
「サイクルミルフィーユシールド!」
《名前つけたんですか!?》
「その方がイメージしやすいでしょ! さぁ早く!」
コウがシールドを作り上げ、濁流を逸らし続ける。以前ゲレーンミルワームからミーンを守った時の何倍もの重さがコウの腕にのしかかった。
《土って、こんなに重いのか!? 》
「口より手を動かす! 」
《やってる! 》
五枚、十枚と重ねるが、作るたびに破られてしまう。その事実がコウを強かに打ちのめした。
《僕の作るシールドじゃダメなのか》
「めげないの! 何度だって作りなさい! 」
カリンが発破を掛ける。コウにとってはそれだけでも力が湧いて出てくる。同時に、コウの目が赤く光り、練習ではできなかった大きさのシールドを、何枚も何枚も作り上げる。
《もっとだ! 大きく! もっと速く! 》
作り、破られ、作り、破られを繰り返す。
すでに五十枚はくだらない数のシールド作り上げ続け終えると、濁流はその勢いを無くしていった。すでにシールドを支える体には、森からきた泥の重量が、全身に重くのしかかっている。
《なんとか、止まった》
いま壁の向こう側がどんな風になっているかは、コウは考えたくも無かった。
《なんとか……なったんですかね?》
「わからない。とりあえず、そのまま支えていましょう」
足を踏ん張り直す余裕ができた。しっかり体を使って、作り出した壁を支える。
《この嵐は、いつまで?》
「この雨が止むまで。追われ嵐は長くないから、……それでも半日はくだらないのだけど」
《なんとかしてみせます……そういえば、追われ嵐って、一体何なんです?》
「何、というのは? 」
《なんで『追われる』? それじゃまるで嵐を追ってる奴がいるみたいな》
「ああ、それは……待って、何か変な音が」
カリンが話を遮った直後、コウのシールドに突如とした異変が起きる。
流木が、シールドの一部を突き破り、その裂け目から大量の泥水が漏れ出していく。裂け目を押さえると、今度はまた別の場所から流木が突き出ていき、また水がシールドから溢れていく。明らかにシールドの強度が急に落ている。コウはその原因をすぐに悟る。
《隙間に雨が溜まって、柔らかくなった!? 》
コウのシールドは、いわば積層構造。それも急造品である。重ねれば隙間が生まれる。その隙間に雨がたまり、内側から崩壊し始めていた。
「なら、新しく作れば……また地響き!」
《くそぉお!? 》
再び、土砂崩れが起こる。すでに支えていた分と、これからから新しく来るであろう濁流。雨に濡れて重く、支える重さが倍以上となる。サイクルを回し続ける音が、雨にかき消されて聞こえない。どれだけ苦しかろうと、このまま支えなければ、城が、後ろで本流を支えているベイラーが流されてしまう。
《こうなったら百枚でも二百枚でも作ってや―――》
コウが意気込んだ時、流木が再びシールドを突き破った。三度目に、シールドを破ったその流木は、あろうことかコウの体自身にも被害を与える。
《なんだ、急に力が》
右手の、肘から先まで、流木が深々と腕に突き刺さっている。サイクルがもう動かすことができず、そのまま、力なく垂れ下がった。
やがて、その使い物にならなくなった右手が文字通りに荷物となってコウがバランスを崩す。自分が作り上げたシールドに体を押し付けるようにして、なんとか姿勢を保った。だが、保てたのは姿勢だけだった。
《(片腕だけで、今より速くサイクルシールドを作るのか!? )》
自分の体と共に、希望も削られたようだった。今までは両手でシールドを生み出し続けている。それが片腕、しかも濁流はより強く、大きくなっている。出力は二分の一になったのに、要求される量は倍以上。
《(僕が作る壁の速度より、濁流が壁を削るのが早い)》
どうやっても式が合わなかった。
《(なら、僕ができる事は)》
そして、その結論を導く。カリンを、この場から逃がす為に、できる限りの時間を稼ぐ。だがその思考は、状況を理解できず沈黙したカリンを、現実に引き戻す。
「か、考えたのはこの際構いません。でもその考えをそのまま言葉に出したら許しません! 妥協せずに一生絶対許しません!」
《許さなくていい! だから速く》
「駄目よ。絶対駄目よそんなの、だって、だって」
意地を精一杯張っているが、虚勢に近かった。言い争いですらない押し問答の中でも、濁流は容赦なくコウ達を飲み込もうとしてくる。シールドのあちこちがひび割れていく。
「私が、見に行こうなんて言わなければ、こんなことには」
《今こうしてなければ、川で頑張っている人たちも、ベイラーも飲まれてました。だから、いいんだ》
「そうね。でも」
カリンの虚勢も、同じようにひび割れて、砕けた。
「もう、この国は終わってしまう」
それは、コウがまだ聞いた事のない、初めての声色だった。諦めて、どこまでも達観したような、そんな声。暗く思い感情が、雨と共にこの身に打ち込まれていく。視線が下になる。うつむいていく。
片腕が使い物にならず、シールドも崩壊寸前。そしてシールドの崩壊はすなわち、自分たちの背後、川の氾濫を押さえているベイラー達の足元を攫う事になる。そうすれば、如何に巨大な樹木であるゲレーンの城でも、ひとたまりもない。
「もう、打つ手がないわ」
コウより、ベイラーの事を知っているカリンだからこそ、その答えにたどり着いてしまった。すこし先の未来が、ありありと思い浮かべられる。その未来がどこまでも暗い。
人はそんなとき、絶望し、意思が挫ける。そしてベイラーにもそれは伝わる。
《カリン! 力が、抜けて支えきれない!》
腕は流木によって動かないが、まだ片腕がある。だというのに、体が言う事を効かない。重なっていたはずの二人の意思はズレてしまい、どうしようもなく乖離していく。
「いいのよ。もう」
今すぐにカリンが死ぬということはないだろう。しかし、彼女の生まれた場所が無くなる。カリンはそう、悟ってしまった。故に、操縦桿を握る手が緩む。諦めてしまう。うつむいてしまう。何もかもが消え去ってしまうとう絶望は、悲しみと共にどこまでも深く暗い。
《王様のベイラーが言っていました。『人の終わりを見届けるか』と》
「ええ」
その言葉を、ついさっき同じ場所で聞いていたはずなのに、今のカリンにはまるで届かなかった。コウも、その言葉を伝えるために話しているのではない。
《国がなくては、人は生きていけませんか?》
「……」
これは、国家の理論を問うているのではない。もっと根源的な話である。
《人がいなければ、国は生きていけませんが、その逆はないはずです》
国が先ではない。人が先なのだと、コウは説く。だがこれも、コウが本当に伝えたいことではない。お題目の話ではない。
「みんな、なくなってしまうわ。お城も、森も。全部流されてしまうわ」
《でも! 》
壁を破って、目の前に流木が迫る。頬を直撃する。胴体、左足、肩にも、壁を破ってきた流木が突き刺さる。もう、足元は濁流で見えていない。
《でも、あなたは生きている。生きられる!》
「何にもなくなっているのに! 生きていたくない! 」
《ある! この嵐でも無くならない物が一つだけ! 》
「……それは」
コックピットで俯いていたカリンが、顔を見上げた。半透明の琥珀色をしたベイラー特有の体は、内側から見上げれば、そのベイラーの顔と目を合わせられる。二人の目がしっかりと合う。
《それは僕だ! 僕があなたのそばにいる!》
「それは、哀れんで? 」
《違う! 》
「私がゲレーンの姫だから? 」
《違う!》
「なら、どうして? 」
カリンの問いに、すぐさま答えた。
《それは、僕があなたを好いているからです! カリン・ワイウインズ!!》
流木がついに足にまで突き刺さり、ほとんどシールドに倒れこむようにして立っている。今は姿勢を論議している場合ではなかった。
《絶望したままの最後など見たくない! 僕があなたの傍に居る! 例えどんな境遇になろうとも、あなたを見届けます! だから今は顔を上げて、前を向けぇ!! 》
左手で再び壁を出す。でも、さっきよりも早く、土砂が突き破ってくる。でも、その壁を支える足が、下がることはない。目の前の壁が、ボォっと赤く、光っている。雨によってぬれたシールドが鏡の役目を果たしていた。
その赤い光こそ、コウが赤目に戻った証拠である。
「口説き文句としてはよかったわ」
《どうも》
「でも、まさか命令されるとは思いませんでした」
《すいません》
「いいえ。褒めてるんです……やっと、本当のパートナーになれた気がします」
《命令することが?》
「そうではなくて。馴れ馴れしくされるのは嫌です。でも、違った……物怖じせずに、提言してくれました」
《うつむいたままなのが嫌なだけです》
「だから前を向けと?」
《そのほうがカリンはいい。カッコイイ》
「あなたもそこそこカッコイイわ」
《そこそこ?》
「ええ。そこそこ」
《なら……もっと頑張らなくちゃな》
「ええ。頑張って。終わったらうんと褒めたげる!」
《期待しまぁああす!!》
事態そのものは好転しない。相も変わらず、あちらこちら穴が開いている。
「どうしようかしら」
《なにがです?》
「国がなくなってしまうなんて考えたこともなかったから」
《考えませんよ。そんなこと》
「……ひとつやってみたいことがあるの」
《なんですか?》
「旅よ。ベイラーの目的と同じ。遠くに行ってみたい」
《これが終わったら、行きましょう》
「素敵ね……上から破けるわ」
《全身をサイクルシールドで覆います》
「そんなことできる?」
《やります。少しでも怪我を少なくすれば、終わったあとの治りが早い》
「動物を獲るのも火を起こすのも、あなた頼みになるのだから、それがいいわ」
《合図で使います。カリン、かなり揺れるはずだから気をつけて》
「自分の身は、自分で守ります」
さっきから新しい壁を作っているが、それでも上の方にヒビが入る。 新しい穴も増えた。あと少しで、シールドが完全に決壊する。
《3》
壁を作る。すぐに壊れる。
《2》
胴体に泥水が降りかかった。壁の端が削れ始めている。もう限界であった。
《1……!》
「ッ!!」
カリンが自分の頭を守った。壁の上部がついに決壊する。いままでせき止めていた土砂崩れが、そのまま体に降り注ぐ。コウは、その降りかかるであろう濁流を防ぐために、体を押し付けて、壁を支えながら、自分の、まだ使える左腕を上にかざして、シールドを展開しようと構えた。
その時。
「よくぞ守ってくれた。白のベイラー」
壁が、その濁流を防いだ。コウの出した壁ではない。こんな分厚く、大きい壁は、まだ出す事ができない。その壁は、森のような深い緑色をしている。
《遅くなりました。姫様。コウさま》
「バイツ!? 」
《レイダさん!?》
深い緑色をしたレイダが、傍らに立っていた。レイダだけでない。ほかのベイラーも緒に来て、同じようにシールドを作り始める。
《川の方はいいんですか!? 》
《人数を削ってこちらに参りました。川に残したのは優秀な部下たちです。心配ありません》
「姫様をお助けに参るのが、我らの務めというもの」
「バイツ、あなた」
《それに、あの青いベイラーが伝えてくれたのです。『姫様が危ない』と》
体を支える壁が、別の誰かに支えられる。その誰かは、この大嵐の中でもはっきりとわかる空色をしていた。
《ミーン! 避難したんじゃないのか!?》
《足の速さが取り柄と言ったはず。走り去ったのが気になって、あとから追いかけてみれば、白いのは土砂崩れを自分一人で止めようとしている。だから、川のほうへ向かって助けを呼んだ》
「あなたという人は」
《それに、ナットはまだその白いのから、郵便を受け取っていない》
「だから助けを呼んだ。将来の大事なお客様」
ナットの声が聞こえる。まだ彼は怪我が癒えていないのも関わらず、こうして駆けつけてくれた。そして集まった少数を率いて、レイダが号令をかける。
《コウ様が作った壁の穴を塞げ! 他の物は壁を拡大しろ! 少しでも城への被害を食い止める! 選ばれし赤い肩を持つ我らが、新参者に負けるなよ!》
《《《応!!》》》
壁を支える役目をしながら、滞りなく壁を直し、広げ、そして支える、この国のベイラーと乗り手たち。
《カリン……君の国は、すごい国だ》
「当然! この国は私の自慢で、誇りですもの!!」
思わず呟いた言葉に、カリンは自信たっぷりに答えた。長い、長い嵐を、カリンご自慢の国は耐え忍んでいく。
◇
あの長い嵐が止み、雨があがり、土砂崩れも収まった。周りを見渡せば、どのベイラーも泥だらけの傷だらけ。そして、城の方は、多少、土砂にまみれてしまったが、いたって健在。塞いだ窓は一つも割れていない。避難した住民も無事を喜んでいる。先ほどまでどす黒く染まっていたのが空が嘘のように、天気は晴天だった。
「終わったわね」
《ああ、終わった……ああ! いま気を緩められると!》
「え? ああ、ごめん!」
ベイラーに疲労は無い。しかし乗り手との感覚を共有する都合、乗り手の疲労感は伝わってくる。今、カリンが気を抜けば、それはコウへと伝わる。
張っていた気が抜けて、そのままドスンと尻餅をついてしまうコウ。
《だ、大丈夫!?》
「だ、大丈夫……ああ、もういいわ、そのまま、寝転んでしまって」
《わ、わかった》
今度は、ゆっくりと上体を倒して、そのまま寝そべっていく。周りを見れば、へたりこんでいたり、うつ伏せになったベイラーをねぎらっている乗り手がいたりと、三者三様にくたびれ果てていた。ふと、共有が切れる。カリンが操縦桿から手を離したようで、コウの視界がベイラーの物に戻った。
「ああ、そうそう」
《は、はい!》
内心、コウは焦った。どさくさに紛れて、彼は彼女に告白をしてしまった。返事のような物を受け取ったものの、問題がある。
《(まずい。確信がないまま、好きって言ってしまった)》
彼は、彼女を好いている。だがその好いているのが、恋人の意味を含めた物か、友人としてなのか。まったく区別がついていなかった。
《(僕は、カリンが、たぶん好きだ。それは、間違いないけど、僕はカリンと、恋人とかになりたい、のか? )》
共有が切れていて助かったと思いながら頭をひねる。嵐の危機を、二人で乗り越えたはしたものの、最後にレイダ達が来なければ結局は流されていた。状況を利用して告白してしまったかもしれないと、コウは危惧している。
《(まずいぞ。細かな事を聞かれたら答えられないかも)》
「さっきのだけど」
《(来たぁあ!? )》
無いはずの心臓が跳ね上がる感覚がした。だが、カリンの話題は別の物だった。
「なんで『追われ嵐』っていうのか、だけど」
《よかったそっちか》
「はい? 」
《なんでもないです! で、名前の由来は一体》
嵐の名前が妙であることを指摘したコウ。カリンはその答えを、まるで今に見ることができると言わんばかりに、空を眺めている。
「言葉通りの意味よ。あれは追われてるの。嵐が逃げているのよ」
《逃げている? いったい何から?》
「それは」
「おお! おいでなすった! みんな、空を見ろぉ! 」
誰かが、そう叫んだ。全員疲れていて、思考もそこまで深くできずに、ただ、言われた通りに空を見る。雲ひとつない空。何も見るようなものは無い
だがその直後、そしてこの国全体を影が覆った。
空を、その生物は飛んでいた。しかし生物なのかどうかすら怪しい。鳥や虫のようなものとは訳が違った。まず、その天文学的な大きさ。比べるとしたら、まさに山脈。その体はひたすらに細長い。しかし、細いといっても、その太さは、ソウジュの木の高さと同じか、それより太い。体が長すぎて、相対的に細く見えている。その赤黒い巨体を飛ばすためにあるであろう4対の翼。それ以外にも小さく、また何対にもなった翼がある。
顔は、よく分からない。その空飛ぶ山の顔を、正面を見ることなどできるはずもない。それでも、地上からでもわかる、上顎と下顎から生えた大きな牙だけは、その存在をありありと主張していた。
コウがこの国で見た、あらゆる生物、すべての建物、そのどれよりも大きく、巨大だった。
城の上空を、それが通過する際、低い笛のような鳴き声が、国中に響く。コウにはそれがなぜか、『さらば』と言っているように聞こえた。
「あれが、龍と呼ばれる生き物です」
《龍……》
ここが、コウのいた世界とは違うのだと、決定的に印象づけられた。龍。空想上の生き物が、冗談のようなオーバーサイズで現れた。
「私も、こんなに近くで空を飛んでいるのを初めて見ました……嵐は、あの龍から逃げているのです。捕まって食べられてしまうからだそうよ」
《嵐を、捕まえて、食べる?》
「ええ。だから追われ嵐。この国には他にもいろいろな御伽噺があります。あの龍が尻尾を振ったとき、たまたまそれが川底に当たり、以来、そこだけとても深くなってしまった。でも、そこが、この世界で生まれた生き物にのっては楽園となった。とか。あの龍の止まり木が、ソウジュの木の祖先であるとか」
《スケールが大きすぎてよくわからないな》
率直な感想を述べる。長い体のどこからがしっぽなのかさえ、地上からではよく分からないほど、龍の体は長い。
「龍は、この世界を作った者たちの飼っていた生き物だという話もあります」
《飼うって、犬や猫じゃないんだから》
思わず呆れるコウをそのままに、カリンは御伽噺を語る。
「この世界をつくった創造主たちは、新しい世界を作りに旅に出た。でも、自分の世界にひとつだけ心残りがあった。だから、龍に言ったのです」
『この世界の者たちが、自分の力で、言葉がどこにでも届くようになるまで、待っていなさい』
「世界を大きく作りすぎて、そこに住む生き物の言葉を届きにくくしてしまった創造主たちが、せめてもの助けとして、あの龍を遣わした。龍には、この世界のすべての言葉を一つにする力が備わっていて、そのおかげで、世界の生物たちは、どれだけ離れて暮らしていても、初めて出会った生物同士でも、その、たった一つの種類の言葉で、やり取りができるようになった」
ただの御伽噺。それでもコウにとっては、とても引っかかる話だった。。
《(まさか、日本語にきこえるこの国の言葉たちが、あの龍による力で、かろうじて通じているって事なのか)》
コウには、カリンの言葉は日本語に聞こえる。だが、この国固有の名前や、英語のような物もまじっており、いったい自分がなぜこの国の人々と話せているのか、答えが分からなかった。
「いつかこの世界の者たちが、自力で言葉を世界中に届けることができたら、あの龍は去っていくだろう。飼い主のもとへ……そんな話です」
《龍を放っておいて、別のを作るっていうのは、なんだかなぁ》
「気にはかけてくれているけど?」
《なら、直接見てくれてもいいじゃないか。放し飼いした上で捨てるなんて飼い主失格だ》
「そうね。無責任っぽいものね」
まだ、龍はこの国に影を落としている。
《でも本当なら、素敵な話だ》
「こんなの誰も信じていません」
《なんだ。夢がないなぁ》
「だって、それなら私たちは動物とも植物ともお話が出来る筈です」
《あー……そうか、生き物とはいっても、人間だけとは言ってないものな》
「それに……自分が食べるお肉の言葉、聞きたい?」
《……》
コウは想像する。皿にのせられた切り身の肉。しかし肉である以上、過去形ながらも、それはなんらかの生物だった。その生物が、生物同士での友や、恋人と親しげに話しているのを聞いて、果たしてそれらを食べる事ができるか。
《それは、キツイなぁ》
「食べなくては生きられないし、考えても答えが出せるものではないと思うの」
《そう……だね》
「ほかの話題にしたそうね?」
《ぜひ》
あの龍は、他には何を食べているの? あの牙は、体何のために? そんなありきたりな疑問を、コウがカリンにぶつけようとした時。
「私のどこがいいの?」
《ンッ!!》
危惧していた話題が突如として振ってくる。
「好いてくれてるんでしょう?」
《それは……はい……そう、なんですが……》
「私と会って、一ヶ月と、少し。それで、どこを好きになってくれたの?」
《ええと》
コウが、ひとまずは数えてみようと指を曲げ始める。
《(人を導くカリスマをもつお姫様。芯をもっている強い人、好奇心がすごくて、それを優先するやんちゃをする。たまに口が悪い。確信犯で物を言う、えっと)》
どれもこれも、しっくりこない。カリンの望む答えと合致しそうにないのと、コウ自身、まだ完全に理解していない。故に。
《好きなところが、数えきれません》
だから……そう言うしかなかった。
《だからきっと、俺はカリンのまだ知らない部分も好きになれます》
コウは、この答えを、とても情けない物だと思っている。まだ、恋をしたことがない彼にとって、恋愛感情なのか、友愛なのかさえ曖昧で。しかし、カリンの様々な面を知ると、もっと知りたくなる欲求が抑えられない。この衝動に身を任せた結果であった。
「……」
カリンは、終始無言だったが、やがてコックピットがガタガタ揺れる。
「はー! ええ! なに! ちょっと待ってね! いま落ち着くから!」
《……あ、でも、一番最初に好きになったものあがります》
今でもすぐに思い出せる、忘れるはずもない光景。
《初めて会ったときに、僕が立ち上がった時に見せてくれた、笑顔が好きです》
沈黙。後に、コックピット内部で、盛大にどこかをぶつけた音がした。
《なんかすっごい音が》
「えっと! いま動かないこと! いい!?」
《はい……でもいまの、どこか痛めたんじゃ?》
「大丈夫だから! ほんと! ね!?」
《はい……うごきません》
「シュンとしないの! わかった! わかったから! ちょっと待って!」
コウは、さっきから、コクピットの中での疲労困憊で思考能力を奪われているカリンが、あまりにも恥ずかしくて足をバタバタさせていたり、実質的に、「初めて会ったときから好きでした」宣言により、思わずのけぞって頭をぶつけてしまったことを、知る由はなかった。
ここでひと区切りとなります。次回は登場人物紹介。