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ふたりの女

「ついてきな」


  軽快なタームの声に導かれ、カリン率いる龍石旅団は後に続く。水浸しになったベイラー達も一緒についていき、重くなった足取りで砂浜に跡をつけている。海賊のアジトは、半分岩に埋もれたような形になっており、岩場にめり込むように家ができていた。その構造に、オルレイトは見覚えがあった。


「レイミール造船所と似ている……」

「オルレイトくん。どうゆうこと? 」

「ネイラさん。君はやめてください。えっとですね。あれは岩を切り崩して作られていましたけど、ここと作り方は 大差ないんです。でも、なんで海賊と、国の造船所が同じ作りなんだ? 」

「まずねぇ! ここは削ってないよ! もとから窪んでんのさ!! 」


  タームが声を張り上げて抗議する。距離感が狂ってオルレイト以外の人間にはいささか大きな声になっているが、タームは盲目で、誰が何処に居るのか把握できていない。


「それを真似したのが向こうさ! こっちが最初なんだ! おぼえときな!! 」

「は、はい! 」

「いい返事だ。海で声の出ないやつはすぐいなくなっちまうからねぇ! きをつけなぁ!!」


  こちらを振り向いているが、オルレイトの方を見て居るわけでは無い。包帯の巻かれた顔から、その視線を読むことなど出来なかった。タームはとりあえず大きな声を出して相手に自分の声を届かせるようにしている。それは、彼女が海賊時代に、船の上で身につけた司令術でもあった。そのうち、ひらけた場所にでると、そこは家の中央らしく、ひときわ広く間取りがとられていた。ベイラーも入れる高さがある。そこに一枚引かれた、座布団にも似た椅子にサマナが手を引いて誘導する。


「船長。ついたよ」

「何言ってんだい。今はあんたが船長だろうが!シャキッとしなぁ! 」

「ひぃ! ごめんてばぁ」


  あれだけ船の上で船員達に威勢よく指示を飛ばしていたサマナがタジタジになる。それは身内にみせる気の緩みであり、自身の祖母だと言うのは決して嘘ではないのがカリン達にはよくわかった。それはそれとして、カリンは深く頭を下げる。つられるように、龍石旅団の皆が頭を下げた。


「……感謝いたします。海賊のお祖母様。助けて頂きありがとうございました」

「うん。うん。育ちのいいいとこの声がするねぇ。そうゆう連中をよく人質にしたもんだ」


  思わず顔を上げるカリン。タームの口はにっこりとしており、歯茎がよく見えた。


「ああ、なにもあんた達を人質にしたいわけじゃない。するんだったら今してる」

「で、ではなぜ?? 」

「助けたいって言ったのさ。あいつが」

「あいつ? 」


  その時、耳をくすぐる様な小さい囁きが、カリン達へと届いてくる。それは何と言っているのか分からないほど小さくか細い、ベイラーの声。しかし、リク達がキョロキョロ辺りを見回しても、見知った仲の姿しか見えなかった。 同時に、先ほどコウの腕を叩き落とした時に聞こえた風切り音が迫ってくる。


「全員伏せて!! 」


  カリンの指示に従い、全員が地に伏せる。ベイラーも例外ではなく、皆々がとっさに膝をついて出来るだけ地面と距離を近くする。4本足のリクだけが、コウを担いでいた為に一拍遅れて地面に伏せた。しばらくの静寂。波の音がやけに響く。


「……きの、せい? 」

「育ちのいい子は耳もいいんだねぇ」


  タームがカッカと笑うと、風切り音が再開する。そして、その音源がカリン達の頭上を通り過ぎた。道具に見えるソレは、くの字をして、曲がった部分を中心に高速で回転する武器だった。双子のリオとクオが懐かしそうにはしゃぐ。


「「ブーメランだぁ!! 」」

「ブーメラン? 」

「あのねあのね! あれで獲物を落とすの! 鳥とか! 空を飛んでるやつ! 」

「なんでかわかんないけど、ブーメランは投げると戻ってくるの! 」

「でもお父さんめっちゃ下手くそで全然上手く作れなかったの」

「だから、代わりに罠を作るようになったんだってお酒飲んでた時いってた! 」


  リオとクオの父は狩人している。普段は罠の使った狩りを行なっているが、その昔はよく武器で雄々しく戦って狩っていたいたらしい。双子が自慢げに語るその姿を、父のジョットが見たらなんと思うだろう。きっと悲しむに違いないと、カリンはこの事を胸のうちに秘めることにきめた。


「ってことは、さっきコウの手を弾いたのは」

「《ーー》」


  放たれたブーメランと、先程のか細い声の主は持ち主が同じだった。あまりに微動だにしなかったために、カリンらが見つけ出すことができなかった。タームの背後に陣取るようにして座っているベイラー。身体中が潮風に蝕まれているのか、至る所が腐って亡くなっていた。それはすでに上半身にも及び、喉の部分にまで及んんでいる。彼、もしくは彼女は、最早、喋ることができなくなっていた。


「《ーーー》」

「ご、ごめんなさい。あなたが何を言ってるのか分からないわ 」

「いいんだよ。どうせもうすぐこいつは本懐を遂げちまうんだ」

「本懐……それはつまり」


  タームの背後に佇むベイラーは、すでに体のほとんどが地面と一体となっていた。かろうじて上半身がまだベイラーの体を残しているような状態。カリンの故郷、ゲレーンにも、このように自身の身体をほとんどを木にしているベイラー、通称キノコがいたが、その姿は潮風で風化している分、痛々しかった。


「さて、助けちまったからには、何か貰い受けるのが海賊ってもんだが、あたしゃもう海賊じゃない。だからなーんにも貰わないよ」

「な、何から何まで」

「それよりサマナ。なんでこの人らを連れてきた? なにもこんな大勢のベイラーまで連れてくることなかっただろうに」

「べ、ベイラーが大変だから連れてきたんだ」

「……ほぉ。そいつは今どこだい」

「リオ、クオ。リクはさっきので怖がってるかもしれないから、乗って手伝ってあげて 」

「「はーい! 」」


  たったったとリズムカルに走る双子。リクの元にたどり着くと、うんしょうんしょとリクの足をよじ登り、コクピットに同時に収まる。


「いっくよー」

「おー!! 」


  操縦桿を握り、リクの俯いた顔が上がる。重かった足取りは羽のように軽くなり、肩にコウを背負ってやってくる。


「リク。大丈夫。私たちがついてる」

「わたしもいるよー! 」

「《ーーー!!》」


  音にはなっていないが、その声は双子に届く。シラヴァーズに揺るがされたリクの心がゆっくりと帰ってくる。


「でも、せっきのコウ、怖かったね」

「そうかな? ボワわわーってなっててカッコよかったけどなぁ」

「えー」


  コウの体からほとばしっていた炎はすで鎮火しており、再び燃える予兆もない。だがその琥珀色の目は半分欠けたままで、光も失っている。力なく垂れ下がる腕には、コウに意識というものを感じることはできなかった。


「なんだい? 足音がやけにおおいね。それに重たい。随分デカイのがいるんだねぇ」

「そ、そんなことまで分かるのですか? 」

「こんなになっちまったからね。必要だったんだよ。さて。ちょいと触らせてくれないかい」

「おろせばいいのー? 」

「ん。元気な声だ。ゆっくりおろしてやんな」


 背負われたコウをゆっくりと下ろす。背中から地面につくように、最後に頭がつく。サイクルジェットを内包する肩が大きく、少々不自然な仰向けになった。


「片目を貫かれてから動かない。かとおもったら、さっきは身体中が炎に包まれて動いたんだ」

「ほー」


  状況を説明するサマナにうなづきながら、コウを肌を触るターム。時折カリカリと引っ掻くようにしながら、随所をくまなく触っていく。顔のあたりまで行った時、ふと声を漏らした。


「こいつを直したのはどいつだい」

「ネイラ。ガイン。こちらに」

「は、はい」


  おもわずない筈の襟を正して駆け寄るネイラ。側で膝立ちになるガイン。この老婆の威勢から推測するに、何か理不尽な叱責を受けるものかと危惧したかの行動。特にネイラは医者であり、朦朧とする老人を相手にした時、身に覚えの無い、実際に無い事実をでっち上げられ、こちらが謝って初めて場が収まる経験をしてきた。それも一度や二度ではない。医者という立場で患者を蔑ろにすることはネイラにとって禁忌に値する。それはそれとして、老人の扱いに関しては、人一倍苦労していた。今回も同じようにこちらが謝るのだろうと考えていると、目の前のタームは、いきなり大きな声で、それでいて朗らかに笑った。


「あんたら腕がいいねぇ! 治った後のベイラーに混じりっけがない。全部邪魔なもんを取っ払ったんだろう? 小さいもんはよく見逃されるもんだが、こいつにはそれがない。よくやったねぇ」

「は、はい」

「ありゃ。ちと高いね。屈んでくれないかい」


  突然の事でカリンに目で助けを求めるも、カリンはタームの指示に従うように首を縦に振る。カリンに言われてしまっては従うほかなく、隣にいるガインと同じように膝立ちになる。

 

「いい子だ。ほれこの子のベイラーも。そこにいるんだろう? 」

「《は、はい》」

「いい子にはうんと褒めてやらなきゃならない。話はそのあとあと」


  頭をなでようと伸ばす手が、たまにネイラの頬をぺちぺち叩きながらも、やがて頭にたどり着き、慈しむように撫でた。ガインには、その指先を撫でてやる。その光景は、母が子を褒める姿と何も代わりが無かった。思わず、ネイラが自身の母を思い出す。その手の温もりは、あまりに似ていた。


「こ、これからも頑張ります」

「《頑張ります》」

「うん……さて。サマナがなんで連れてきたのかはよぉくわかった」

「そ、それは一体」

「簡単だ。『うちらじゃ分からん』からだ」


  ミーンがずっこけ、リクは肩を傾け、乗り手の全員はそれはそれは落胆した。


「なら、誰が分かるんですか? 」

「ああ。それがあのシラヴァーズだ。あいつらは人間よりずっと長くベイラーと付き合ってきた。それなら何か分かる筈だ。ってことだろうサマナ」

「でも、シラヴァーズは人がそんなに好きじゃない」

「さらに、人もまた、シラヴァーズを忌み嫌っている……育ちのいい娘や。今までシラヴァーズのことを知っていたかい? 」

「い、いいえ」

「みんな絵空事だといって本やら何やらに閉じ込めちまった。まぁそうされる理由もあるがね。あいつらは好きなもんを何でもかんでも自分の住処に連れて行っちまう。それがたとえ、金銀財宝だろうと、人間だろうと……そうだ。財宝だ。あいつら、あたしがとってきた財宝をいつのまにか船からかっぱらっては隠しちまう。隠すだけならいい! せっかくの宝石も両手にくっつけて楽器にするわ、服はちぎって髪留めに変えるわ、食べ物は全部海に浮かべて下から眺めるわで、まぁひどい! 」


 いつのまにかコウに寄りかかってどかりと座るターム。その周りに座る龍石旅団。はたから見れば賢者が知恵を授ける一幕にしか見えないが、その実情は暴露大会と愚痴が入り混じった混沌としたものだった。


  タームの海賊時代。彼女はここを長らくアジトとしており、財宝を持ち帰ってはここで眺めて酒を煽る生活をしていたこと。たまに食い扶持に困ったら護衛を買って出たこと。気にくわない貴族がいたら横からなにもかもを奪い、手に余る財宝はテキトウにサーラにばらまいていたこと。様々な話をカリン達に聞かせた。面白い話であったのが救いであったが、コウを治せるという決定的な情報は上がってこない。


「海の底にはあいつらが持ち帰ったものが溢れてるってはなしさ……ありゃ。」

 

  そして気がつけば陽は落ち、夕方になっていた。タームがよっこらせと立ち上がる。


「話はまた今度だ。飯くって寝な」

「あ、あの、コウは、助かるんでしょうか」


  壮大な海賊話に、誰よりも聴き入っていたカリンも、思わず呼び止めて問う。そもそも、この場所にきたのは、ここならばコウが治るかもしれないという可能性を信じていたからだ。もしそれがただの可能性で終わるならまだしも、何も関係がなかったとなれば、流石のカリンでも怒りを覚える。タームはそれを知ってから知らずか、その問いには答えを返した。


「ああ。あんたと一緒に、シラヴァーズのすみかに行けば、なんとかなるかもしれないし、何とかならないかもしれない。シラヴァーズの方が物を知っているってだけだ。そのベイラーが起きるかどうかなんてしってたこっちゃないね」

「そう、ですか」

「それとも、まだ起きないこのベイラーを、あんたは信じるのかい? また起きてくれるって」


  問いかけに問いかけで返すターム。その意図は、カリンには分からなかったが、答えは即答だった。それ以外に答えなどハナから持ち合わせていない。


「もちろん。私のベイラーですから」

「……好きにしな。あたしゃ寝る。サマナァ! 肩を貸しなぁ! 潮風が強くなりやがった」

「は、はい!」


  タームが杖をつきながら寝室に赴く。後を追いかけるサマナがカリンの前で立ち止まる。


「ベイラー、なんとかなりそう?」

「……試せるものがある。それだけでまずは十分。」

「そっか」

「おやすみなさい。また共に」

「共に……? 」

「ああ。ごめんなさい。私の国ではこうやって別れの挨拶をするの」

「はー。挨拶1つちがうんだ」

「こちらはどんな挨拶を? 」

「さらば。だよ 」

 

  いつか、姉であるクリンとの別れの際に使われていた、短すぎる威勢のいい言葉。ここに来て、自分は故郷以外の場所に足を踏み入れているのだと体感した。


「サーラの流儀に合わせた方がいいのかしら」

「えっとどっちでも、いいと思う。」

「そんな曖昧な……」

「どこの国でもいろいろな挨拶があるって船長が言ってた。海賊にはいろんなとこの奴らが集まる。自分を忘れたいやつはサーラの挨拶をするし、ほかの国の挨拶をしてるやつもいる。貴族さんの好きな方にしていいんだよ。私がそれを受けてどう思うか、とかは、そもそも関係がないんだよ」

「………なら」


  カリンが逡巡する。即答でできなかった。直前までは、サーラの国の挨拶行い、友好を深める気でいたカリンであったが、最初から、挨拶の違いで友好が崩れるならば、その程度の友好なのだと気付かされる。


  クリンは、妃としてサーラの挨拶で別れを告げ、姉としてゲレーンの挨拶をした。そのことがカリンの確かな経験となり、道標となる。


「それでは、さらば。また明日」

「……なるほど。そうくる」


  今度はサマナが頭を抱え始める。カリンは今、サーラの流儀に、自国の流儀を交えてみせた。サーラの挨拶が『さらば』なのは、明日また会う時に、今日起きたことを忘れるための、一種の儀式であり、酒を飲み干す国ならではの、許しの言葉でもある。それを、カリンはしってか知らずか、元の意図を尊重しつつも、自己流のアレンジをしてみせた。明日にまた会おうという約束の取り決めは、今日までのことを一旦は置いておこうという意味にも捉えられる。カリンに比べてずっと長い思案の後、サマナが答える。


「また共に海へいこう」


  カリンに笑顔が広がる。こうして2人は、 明日の約束を取り決めた。いつか、2人は名を呼び合い、助け合う親友となるために。願わくば、これから出会うすべての人々とそうなるようにという、ほんの少し都合のいい祈りを込めて。


  しばらくすると、 食事が始まるも、内容は簡単な焼き魚に終わった。この旅を記録するオルレイトが不満げな声をあげると、サーラは宴会は派手にするが、食事だけであれば、質素な物で構わないという気質を知った。カリンもそれに習い、腹4分目ほどにとどめ、自身の乗り手に寄り添う。


  吹き抜けのアジトは星が瞬き、どこからか聞こえる波の音が、今日の喧騒を思い来させる。


「きっと、きっと大丈夫よ。二度目だし。シラヴァーズもいる。大丈夫」


  ほどなく食卓を照らす火が消され、各々が就寝していく。龍石旅団はベイラーへと乗り込み、ベイラーのいないマイヤだけ、持ち込んだ簡素な寝袋で夜を明かそうとする。


「カリン様。質素な寝袋しかご用意できませんが、今は寝てください。明日何が起こるかわかりません。ここは、英気を養っていただかないと」

「そうね。ええ。きっとそう。でも今は、コウの側にいさせて。もう二度と目を覚まさな位かもしれないのだから。せめて、少しでも一緒にいさせて」

「……かしこまりました。また共に」

「ええ。また共に」


  マイヤがそれ以上の追求をやめ、眠りに着く。ここで自分が寝不足になっても、自分のできることを減らすだけであり、自分の出来る事を減らすことは、最終的にカリンの邪魔をする事に繋がる。それは何としても避けたかった。


  カリンが仰向けに横たわるコウの顔に背を預けてすわりこむ。今日一日でサーラで拵えた服はすっかり痛んでしまっている。


「はやく起きなさい。起きないとあなたの好きなせーらーふくを着替えてしまうのよ? 」


  こつんと頭を預けて、そっと囁く。


  「あなたはたまに私の知らない世界の話をしてくれるわ。今も、私の知らない世界にいるの? ねぇ。今、コウはどこに行ってしまっているの? 私を、連れて行ってはくれないの? 」


  その問いかけに答える者はいない。2つの月が登り、時間だけが過ぎていく。今までその時間は2人が居た時間だった。今は、1人だけ。それはカリンにとって、堪え難い時間へと、変わっていた。 


 ◆


  同刻。月が見ていたのはカリンだけではなかった。海に浮かぶ木片にしがみつく男。上半身だけ海から出したその体は、指はしわがれて、唇は紫になり、すでに服は下着を除いて流されている。それは、やがてくる死を待っているような有様だった。


  呼吸は浅く、今にも止まりそうだが、それでもなお、しがみつく手は離さない。よく見れば、ナイフを木片に突き立て、その柄に結んだ紐で、手首を縛り付けていた。もし自分が手を離してしまっても、このナイフに体が支えられ、再び握り返すことができる。この男は決して自分の生存を諦めてはいない。受動的に死を受け入れるのではなく、能動的に死を回避すべく動いている。その目は、諦めなどしていない。


「まだかよ。クソ」


  どこまでも貪欲に生き汚いこの男の名は、パーム・アドモント。青いベイラーが動かなくなり、バラバラ担ってコクピットから投げ出されてもなお、必ず生きて陸に上がるという決意を揺るがさなかった。


  それは、丸一日海の上で、小さな木片にじっとしがみつき、海水を飲まないように口を閉じ、眠ってしまっても木片を離さないように保険を掛け、時折足をばたつかせて波を受け転覆するのを回避している。


  なぜここまで諦めずに入れるのか。この男の気合いと根性が凄まじいのか、はたまた運がいいのか。


  残念ながらどちらでもない。この男は全力で打算した結果、丸一日後に助かると分かっていて行動に移している。決して泳いで陸地に着く訳ではない。それ以上の予測が、彼の原動力担っている。


「……来たか」


  嘯く顔には、疲労の中に確かに笑みが含まれている。パームが漂う海の向こうから、爆音と共に白波が立つ。それは海面から少し離れた位置でまっすぐパームへと向かい疾走する。あの、コウ達が戦った青いベイラーが、変形をしてまっすぐこちらに疾走してくる。それを見たパームが、残る力を振り絞り叫び声をあげた。ここで叫ばなければ、漂流生活を耐えた意味が無くなると確信があった。


「減速しろケーシィ!! ヒトガタになってアーリィベイラーを海につけろ!! 」


  その叫びが、疾走するモノに届いたのか、爆音は徐々に小さくなり、波の音と大差がなくなり、白波はその姿を消していく。 一度、機首を上げて高度を取り、青いベイラーが減速しながらその姿を変えていく。翼と機首が背中に回り、体育座りのように畳まれた足が伸びていく。


  一瞬で変形を行い、人と同じ姿となった青いベイラー。アーリィベイラーと呼ばれたソレが、海に浮かぶパームの側で着水する。木で出来ているベイラーであるため、腰から下は沈むものの、コクピットがある胸部までは浸からなった。通常琥珀色であるはずのコクピットは翡翠色をしている。やがてコクピットが波紋が広がり、中から乗り手が出てくるも、その姿は、変形するベイラーと同じほど特異だった。


  乗り手は女性であり、身に纏うそれは水着といって差し支えない、あまりに面積の少ない服。男を煽情するためだけの装飾品の数々。首輪についたプレートが、ほかの装飾品と比べて粗悪品なのか、悪目立ちしている。髪飾りで纏めた赤毛の長髪は、この海のように波打っている。


「旦那様おまたせぇ 」

「……戦う時は喋るなっていいつけはよく守った」


  その口調もまた、聞く者が聞けば卒倒するものだった。あのパームに甘い声でねだる女。この女こそ、コウ達をサイクルショットで苦しめ続けた乗り手。その名前もまた、カリンが聞けば卒倒していた。


「ケーシィ・アドモント、旦那様のをお救いする為に、アーリィベイラーを持ってきましたぁ」

「おうおう。えらいえらい」

「なんて感情のこもってない!! でもそんな旦那様が好き!! 」

「……なんでこうなったかんだか」

「さてさてどんどこ連れていきますよ。あったかいスープをつくってますからね」

「さっさとつれてけ」

「はーい!! 」


  両手で掬い上げ、ずぶ濡れのパームがベイラーに引っ張り上げられる。海水が指の間から通り抜け、時折迷い込んだ魚がベイラーの肌にあたってピチピチと跳ねていた。


「きゃー! 下着以外無いじゃないですかぁ! 着替え持ってきてないのに!! 」

「いらないだろ」

「要ります! 旦那様が風邪をひいたらどうするんですかぁ! 」

「さっさと仮面の旦那のいる場所に連れて行け。アーリィベイラーを落とされたって聞いて湯沸かし器になってる頃だ。戻ってベイラーの1人や2人納品しとかねぇと」

「もう悪事の算段はじめてるー。さっすがぁー」

「早くしろっていってるんだ!」

「はーい」


  青いベイラー。アーリィーベイラーから、体の色から若干明るくなった、しかし形容するには青としかいいようがない炎で、その体を海から押し上げていく。やがて、ケーシィはベイラーを変形させず、ゆっくりとした速度でこの場を後にする。今変形すれば、手の中にるパームを海に叩き落とす事になる。それを知っているが故の、安全運転だった。


「(こいつを金で買ったのは失敗だったか……かなり使えるが、名前まで名乗り始めたのは厄介だな。まぁ、こいつもそのうち、前金の時にやるか)」


  ベイラーの手のひらで夜風に身を震わす男。そして、その男の名字を名乗る妖艶な女。気安く旦那とよび、パームは呼ばれるたびに嫌悪感を示すも、それをまったく苦と思っていないケーシィ。


  この2人は、今現在夫婦関係にある。サーラの取り決めに従い、確かに婚姻の儀を取りここなっている。それは、パームがこのサーラで潜伏するための隠れ蓑。若い男の一人旅より、夫婦の移住の方が怪しまれないという経験則を利用した隠れ方の1つ。


  ケーシィはそもそも、若い女の体を売り買いする、けっして人道など考えない連中が取り扱っていた『商品』であり、パームにとってはただの取引でのお得意先。そこで適当に見繕っただけの女だった。ただ誤算があるとすれば、彼女はベイラーを扱わせると、その精密さは凄まじく、さらに空を飛ぶアーリィベイラーとの相性は、抜群だった。


「(仮面の旦那も人が悪い。こんなベイラーをどこでみつけて、どうやって連れてきたんだか)」


  パームの頭の中には、すでにこのアーリィベイラーの本来の乗り手からの強奪方法のシュミレーションがなされていた。如何にして乗り手の過去を暴き、心を挫き、ベイラーだけを攫うのか。何通りかを思い描いた頃に、ふと腹が空いていることを思い出して、先ほどのスープの話を蒸し返した。


「スープ以外には何がある」

「よくぞ聞いてくれました! なんとお肉です! 豪快にまるまる一枚肉を焼く用意ができてますよぉ! 」

「ステーキか……まぁ食えるからいいか」

「あれ? お嫌いでしたか? 」

「食うからいい」


  それ以上は会話を中断させる。ステーキが嫌いな訳ではなく、ただ、自分が海に落ちた原因は、白いベイラーの使う、サイクルステーキブレードなどという、ふざけた名前の、これまたふざけた威力を持ったブレードによってこんな惨めな姿になっているのだと、ケーシィに説明したくなかった。


  パームはただ、この次は、あの白いベイラーを、確実に叩き潰すことだけを考えている。次こそ、乗り手もろとも葬りさる。その決意が、あの、不愉快な笑いを誘発する。なぜ面白いのか、なぜ笑っているのか、パーム本人には分からない。ただ、ケーシィは、楽しそうだなぁと本人の気も知らずに微笑むだけだった。



生き汚なさの権現になりつつあるパーム。

次回はちょっとした日常をお送りします。

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