教官のベイラー
ロボットを一番うまく動かすには練習しかありません。
森に囲まれた国ゲレーン。そこには定期的な天候調査を行う、独自の観測所がある。雨量、日照時等々、農作物への影響を考えれば、自然と共に暮らすこの国にとって、天気を調べ、予報をするのは極めて重要な仕事である。しかし、現代のように人工衛星もなければ、天気図のようなものもない。行うのは国土を五角で囲うように点在する観測所の間での、口頭での伝達を行い、情報収集をした上での予報だ。一日足りとも欠かされた事のない、ある意味狂気的ともとれる観測により、蓄積された情報で統計から予報をする。
しかし、山に近いゲレーンでは、この予報あまり当てにする人は少ない。
情報収集というのは、観測員の目に頼る、極めてアナログなものだからだ。根拠も、あくまで過去の記録がそうでああったというもの。雨なのか晴れなのかを知りたい住人にとって『何年前の雲の推移と似てるから曇りのち晴れ』と言われて納得できようはずもない。
一昨日も、観測員ベルナディッドは、その目で雲の流れを見ていた。何もない。昨日と模様が違うだけの雲。空は晴天。このままいけば、例年通り寒波がきて、雪が降る。その雪が山に積もり、ゆっくりと濾過され、雪解け水となる。土に水が溜まり、川は美しいせせらぎを鳴らす。この国はそんな美しさを持つ国だった。
だが今日、観測員ベルナディッドが見たものは、その美しさを根本から破壊するものだった。
「あれは……いや、間違いねぇ。記録と一致してる」
「おじさん、どうしたの? 」
郵便屋であるナットは、すでに仕事を終えて観測所に遊びにきていた。ベルナディッドは彼の叔父にあたる。叔父の仕事ぶりを監視するつもりなどなく、毎日暇そうにしている彼をねぎらうつもりで差し入れを持ってきていたのである。だが、その叔父が血相を変えて過去の資料を目繰り返している。その様子が尋常ではなかった。
「おいナット! すぐ国に伝えてくれ! お前なら一日でいけるはずだ!」
「半日だよ。でもどうしたの? 急に」
ミーンの脚の速さであれば、休憩を挟まずに全力で走れば、通常3日の道中すら、彼は半日で移動できた。無論この工程は乗り手であるナットの体力気力を度外視した物のため、実行されることは今まで無かった。
「『追われ嵐』だ! はやく伝えないと」
「―――それは一大事。方角は?」
「北からだ! 到達するのは……はやくて、五日とみていい!」
過去の資料と照らし合わせ、その大嵐が来る前兆をとらえていた。過去にこの嵐が、如何にゲレーンという国を傷つけたかが克明に記されており、嵐の名はもはや伝説の域であった。
「僕が着いて、準備できて四日半。それならなんとかなる。でも、おじさんはどうするの?」
「急いで俺も帰るが、俺のベイラーはお前さんのミーンより遅い。それでもなんとか逃げ切ってみせる」
「そんなの間に合わない。ミーンに背負ってもらえばいい」
「馬鹿言え。お前はなんとしても早く、このことを国に伝えるんだ。俺を乗せて重くしたミーンでどれほどのスピードが出せる?」
「ダメだよ……ここに残ると死んじゃう。それはダメだ」
ベルナディッドがナットの頭をくしゃくしゃとなでる。
「誰が死ぬかよ。何年観測員やってると思ってる? 行け! お前さんのベイラーの本領を発揮するところだろうが! 行けってんだよ!」
「うん。叔父さん。待ってる」
「おう」
くしゃくしゃとなでられた手のぬくもりを忘れないように、しっかりと胸に刻み込んで、ナットは走り出す。そして青い、空と同じ色をしたベイラーが、猛スピードで観測所から去っていく。登ることは苦手だが、この国で誰より早いのがナット・シングのベイラー、ミーンであった。差し入れの為に観測所に来ていたことが、何よりの幸運と言えた。
「自慢の甥っ子だぜ。全く」
宣言通り彼はまだ死ぬ気はない。これから全力で生き残る策を考えねばならない。だが、ナットの言うこともまた、正しい。逃げるのは間に合わない。
「抗うにしたって、どうするか」
《川の流れに身を任せては如何かなぁ、ベルナンダァ》
「ベルナディッドだ! わざとやってるだろてめぇ!! 」
こんな状況でも軽口を叩きあえる仲であるベイラーが、とても心強かった。
《シールドで殻を作ってこもるのだ。中は揺さぶられるだろうが、それなら助かる》
「やけに詳しくねぇか? 」
《昔、キノコから教わったのだ》
「あの城にいるベイラーか! ならそれでしのぐとしよう……さて。他の観測員たちも気づいてくれればいいが」
自慢の甥にすべてを任せたはいい物の、今のベルナディッドに後顧の憂いが募るばかりだった。それほど、『追われ嵐』の名は恐ろしいものとして観測所では記録されていた。
◇
『追われ嵐』到来、七日前。観測員がまだ観測していない頃。
《腕は目標と線を結ぶように。初めてなのですから、狙って当たるものではありません。最初は針を真っ直ぐに飛ばすことを意識するのです。》
《姫さま。わかります?》
「やってみます……こう?」
カリンがコウのパイロットになって、一ヶ月がすぎた。ゲレーンでは暦の読み方はそう違いがないようだが、ひと月はすべて三十日。したがって、日の短い冬にあたる部分はものすごく短くなる。四季ではなく二季で、暑いのと寒いのが両極端なのがまた田舎加減を加速させている。雪も降るようで、早いところでは冬支度を始めていた。カリンも例外ではなく、すでに身に着けるドレスは随所がモコモコしてきている。コウは、そのモコモコでカリンのアホ毛が帽子で隠れてしまうが少し勿体無いと感じていた。
「コウ。狙えて?」
《はい。でも、一応、左腕で支えていたほうがいいかと》
「あ、そっか」
現在2人は、ベイラーの勉強会中であり、今日の項目は道具の作成と使用。今までは座学と歩行しかやっておらず、ようやくの実践的な指導が入り、カリンも熱心に教育を受けている。一方のコウは、カリンの熱心さにあてられつつも、指導している相手の事を考えると、どうにも気が気でならなくなる。
「腰を落として、踏ん張りを効かせるんだ」
《肩幅ほどに足を開くといいですよ》
その教官が、あの決闘で相手したバイツとレイダだった。過去に腕を斬り飛ばした相手にこうして教えてもらうのが、コウからしてみれば絶妙に間が悪い。
《最初は大きな針で、打ち出す感覚を身に付けるのです。威力は考えなくてもいいでしょう》
「いっぺんに言われても」
カリンは文句を垂れながらも、コウを上手く動かしてみせている。座学の効果は確かにあり、以前よりスムーズにコウを歩かせたり、走らせたり、物を運ばせたりできるようになっていた。それはコウ自身にも影響があり、乗り手が居ない状態でもある程度は動く事が出来るようになっている。
その上で、今回の講習は、ベイラーの飛び道具。サイクルショットについての講義である。カリンが言われた通りにコウの右手を前にむけて、サイクルで針をイメージする。
サイクルは様々な姿に形や硬さを変えて、ベイラーを生やす事ができる。イメ―ジさえできれば、様々な物を生み出す事が可能であった。サイクルショットは、針を勢いよく弾き出すように生み出すことで、実質的に飛び道具とする代物である。カリンのイメージ通り、小さくも鋭い円錐状の針が生み出されていく。
《サイクルショットは、練習を重ねればどんなベイラーでも習得できます。得意な距離、威力、弾速は個々の能力で変わってしまいますが、使いこなせば様々な場面で有用に使用できます。必ずマスターしてほしいですね、カリン様》
「圧がすごい気がする」
《気のせいです》
サイクルショットは木の的を使って練習するのが一般的で、距離にして20mの位置にある。僕はそうでもないが、カリンの視界で見ると、かなり小さく見える。
《(こんなので当たるのか? )》
「やるだけやってみる。コウ!」
《は、はい!》
コウとカリンの意思が重なっていく。一つの的を射抜く意思が力となってコウにサイクルショットを生み出させる。
「《当たれぇ!! 》」
バシュンと白い針が、自分の腕から、放物線ではなく、真っ直ぐ線上に伸びていく。狙いもよく、的に勢いよく命中した。
「やった! 当た―――」
ポスンと、間の抜けた音がなり、そのまま針だった物は勢いを失い、コロコロと転がっていく。威勢のない音と同じように、的にはなんら影響がなく、傷ひとつ無かった。
「当たったのになんでええ!!」
《そんな! 威力が足らなかったのか!!》
《いいえ。原因は別にあります》
レイダが即座に原因を見抜き、その対処法を伝授する。
《撃ち出そう撃ち出そうと考えすぎで、針の中身がスカスカです。大きさに対して軽いものでしたから、初速も早く、いいショットに見えますが、アレでは効果は期待できませんね》
針を拾い上げ、みせつけるように指でつぶして見せる。たしかにコウが生み弾きだした針は、エンドウ豆のさやのようにふにゃふにゃとして柔らかかった。
《(にしたって言葉がキツい。そうえばバイツの時も、自分の乗り手に対して当たりがキツく感じたけど、この人もしかしてこれがデフォか? )》
《ですが、狙いは上々です。あの的は動かないとはいえ、よく当てました。バイツ様より目があります》
「なんでそこで俺を引き合いに出すんだお前は」
《誰か様は、初めての飛び道具で乱射魔になってしまわれましたね。おかげで悪くない私までこっぴどく怒られました》
「それはなぁ! 」
《しかも一発も当ってませんでしたし。二十は軽く超えて撃っていたのに》
「今では動かない的なら外すことはない!」
《本当ですかそれ?》
コウが悪意無く聞き返す。するとバイツは、一瞬キョトンとした顔を下かと思えば、その真偽を証明するのもやぶさかではないのか。レイダへと乗り込んでいく。
「行くぞレイダ! お前の力を見せてやれ!」
《坊やの仰せのままに》
「もう坊やという年ではない! 」
軽快な身のこなしで、レイダが立ち膝になるまでもなく、するするとコックピットへと入り込む。やがて共有を終えたのを確認するかのように両手を開け閉めし、最後に針を生み出しはじめる。奇しくも的は当時と同じ20個だった。
「連射だ。両腕ごとで行くぞ」
《仰せのままに》
レイダの両腕から針が二本飛び出す。その針は細く、短い。それでいて鋭さすら垣間見える。改めてレイダにつぶされた針をみると、彼らの針が如何に洗礼されているかが分かる。狙いを定めるや否や、すぐさま射撃が行われた。
バズン!バズン!バババババ!!
射撃と共に、的が木っ端微塵に吹き飛んでいく。どんな距離だろうと、どんな角度だろうと、両腕で確実に破砕していく。恐るべきは、あれだけ連射して撃ち漏らしがひとつもない。最後の的、距離にして四百m、さらにはコウ達が撃った大きさの半分の面積しかない的を、二人は難なく打ち抜いてみせた。カリンとコウは2人そろってで思わず拍手してしまった。
《的が動かないと、当てるのが楽でいいですね》
「まったくだ」
この発言により、「うますぎて参考にならない」のレッテルを、二人はこの教官たちに貼り付けた。
◇
《次はサイクルシールドの使用法です。これは、土木作業や対ベイラー、対猛獣用に効果を発揮します。練習して伸びるのは、シールドが出せる大きさ、厚さです。サイクルショットのように複雑な工程を挟まない分、センスとも呼ぶべき部分がありありとでてきます。私の真似をして、両手を広げてください》
レイダがコウ達に向かって腕をまっすぐに伸ばし、手のひらを見せる。コウ達もそれに倣って、レイダに手のひらを見せる。
《このまま、サイクルを回してシールドを作っていきます……バイツ様》
「おう」
レイダの手のひらが一瞬蠢いたと思えば、ズワッとコウ達の視界がふさがった。樹木の壁が現れる。ベイラーの体よりずっと大きかった。
《戦い以外でも使いますので、ある意味サイクルショットより使用頻度が多く、これもぜひ習得してほしいものです。やってごらんなさい》
《サイクルブレードを作ったのと同じ感じでやればいいのかな》
「たぶん。あれの応用でいけると思う」
サイクルブレード。シールドが盾なら、こちらは剣。もっとも、コウ達はあれから一度も使う機会がない。武器とは使わないことが一番であり、それは喜ばしい事でもある。
「コウ、やってみるわよ」
《お任せあれ》
両手に力を込めていく。徐々に、木の芽が生えるように伸びていきいくが、途中でレイダが声を掛けた。
《そこで気合をいれるのです》
《ここでも!?》
《気合とは乗り手との息を合わせる、言わば合図。まだ日の浅いあなた方は、かけた方がよろしい。私の両腕を切り落としたときなど、凄まじいものでしたよ》
あの日の決闘の出来事を引き合いに出されてしまい、コウは一層気を揉んだ。しかし、気合いを入れることで乗り手と息が合わせられる理屈は通る物であり、試さない手はなかった。
「い、行くわよコウ。壁を作るのに気合って、ちょっとよくわからないけど」
《お、おう。せーのっせ、の「せ」でやるか》
「せーのっせ? ……ああ、いま言っててわかったわ。そういうこと」
掛け声ひとつでも、こうして共有していれば説明が短くて済む。力を籠める場所がわかれば、あとは息を合わせるだけだった。
《そういうこと》
「せーのっ」
「《せッ!!》」
気合いと共に息を合わせてサイクルを回すと、一瞬ですさまじい勢いで壁が出来上がった。サイクルショットと違いこちらはレイダより大きく出来上がる。
「やったぁ!!」
《すっごい! すごいよ姫様》
「喜んでるところで悪い。手を離して横を見てみろ」
《はい?》
バイツの言われて通り、手を放して出来上がったシールドを見る。まずレイダの作成したサイクルシールド。これは、万人が見ても壁と判断できる。木造の家に使われていそうな立派な木の壁である。
一方、コウの壁はひたすら薄かった。よく見れば密度もなくペラペラで、ベニヤ板のような出来栄えとなっており、レイダの物と比べると貧相極まりなかった。
《大きさは問題ありません、むしろ素晴らしい。問題は厚さですね。ですが、これはこれで用途がさまざまです。防ぐことには使えないでしょうが、これを使って加工品を作るのは容易いでしょうから。気落ちしませんように》
「《はい》」
コウもカリンも、がっくりと肩を落とす。二つとも基礎とはいえ熟練のベイラーとここまでの差が出ることに驚くと同時に、自分たちの未熟者をまざまざと見せつけられている気がして、それがまた彼らの顔が曇る原因にもなった。バイツはそれを見るに見かねて、彼らの特徴を述べ始めた。
「あー、貴君らの作り上げる道具たちは共通点……いや、ある種の癖がある。とりわけ、どれもこれも大きく、しかし中身はスカスカ。という点だ」
《う》
「うう……」
「しかし、それ以外に目を向けると、面白いことがわかる。それは‘‘速さ’’だ」
《よくわかっていらっしゃる。さすがバイツの坊やだ》
「うるさい。サイクルショットもサイクルシールドも、初速、そしてシールドを展開するスピード。これは、レイダに優っていたという点。加えて、あの決闘の時に見せたブレード」
《 (これは、もしかして、この樽で髭を蓄えた男は、決闘した僕らを褒めているのか? )》
「あのブレード、使用したらすぐに壊れてしまったが、展開までが凄まじい速さだった。レイダのシールドが間に合わないと判断したのもそのためだ。もしシールドを使っていたら、こちらが間に合わず、両腕が斬られただけでは済まなかっただだろう」
「バイツ、あなた……」
カリンが感嘆の声をもらす。思わずコウも感激していた。
「これも! 俺の歴戦で培われた判断力と観察眼によってわかったことだ! よぉく覚えておくように」
その感激は、バイツの言葉によって霧散した。最終的に己の自慢話へとすり替える技法は鮮やかとすら思える。
《可愛くないよ。バイツの坊や》
「だからその呼び方やめろ! 俺はもう子持ちなんだぞ! 呼ぶなら息子の方じゃないのか!」
《え》
コウの思考が今度こそ止まった。ありえない話ではない。だが、この髭を蓄えた男が妻子持ちである事実を受け止めるのに時間がかかった。
「あら、コウは知らなかったの? 男兄弟よ。にぎやかそうで良いわよね」
《知る機会が、ありませんでした》
「それに仲がいいって評判よ。そうよね? 私たちに当たり散らしたバイツ? 」
カリンはすでに周知の事実であるようで、さして気にしていない。それよりも、あの森で起きた決闘騒動のほうがカリンには頭に来ているようで、わざわざ話題を蒸し返して話す。
「そ、そこを持ち出すとは、姫さまもお人が悪い」
「えーそうですとも。コウを出来損ないと言ったこと、決闘して許したとはいえ、忘れてはいませんからね! ずっとぐちぐち言ってやります」
「んん!……身から出た錆びゆえ……甘んじて受けましょう」
したり顔のカリン。対してバイツは困り顔。
《(何か理由があったのかな。カリンを乗り手にしたくない理由とか)》
今にして思えば、喧嘩腰どころの騒ぎでもない。間違いなくバイツはレイダの力を最大限に発揮し、こちらを打ち倒そうとしていた。何が彼をそこまでさせたのか。それを今さら、困り顔
になっている彼に聞くのは憚れてしまう。
《道具を作る訓練はこれで終わりにしましょう》
レイダの言葉をきっかけに空気が緩んだ。バイツもコックピットから出てくる。
《姫さま。先日、『みるふぃーゆ』という新しい菓子が職人の間で出来上がったようです。これから、部下の乗り手を数名募って参るのですが、ご一緒しませんか?》
「そんなものが! どんなお菓子なの?」
《いくつもの層が重なってでできたケーキ……だったかな。確か》
「コウ! あなた知っていたの! さてはレイダと共謀して黙ってたのね!?」
《いいえ、私めはそんな……コウ様が知っているとは思いませんでした》
「え? そうなの、レイダ? あれ?」
ここまで来て、コウは己の失言に気づく。ミルフィーユはたしかに薄いパイ生地をクリームと共に積層したケーキの一種である。だがその知識は、コウの現代の話であり、このゲレーンという国においてはまだ開発途上の菓子だった。
《あー、その、城の中でその話題を聞きまして》
誤魔化すように話すコウ。実際、この国のミルフィーユがどんな物なのかをしらないために、嘘なのかどうかさえ怪しい、ただの間を保つだけの会話になってしまう。幸い、カリンは共有を切っていたため、その事実は伏せられた。
《ああ、それならそうでしょうね。見た目も新しいお菓子ですし》
「いいわね! 早く食べに行きましょ。コウ! 連れて行って頂戴!」
「俺は報告に行く。レイダ。二人について行くといい」
《はい。では後ほど》
コウが一か月の間、この国で過ごして理解したのは、乗り手とベイラーの関係性は、分類がとても曖昧な物という事だった。今のように、レイダはバイツを降ろすことも、バイツが長い間レイダと離れる事はままあった。それはバイツがこの国では軍の総司令に当たる人物であり(これを知った時コウはおもわず土下座しに行くかどうか本気で悩んだ)多忙であること。レイダがある程度の動きは自分一人でこなせてしまうこともあいまって、2人が並んでいる事は少ない。それは決して不仲という訳でなかく、お互いがお互いの自由を許している空気があった。家族とも、友とも違うその空気に、コウはまだふさわしい名前を思いつけていない。
「あー、レイダ。そのミルフィーユという菓子なんだが」
バイツが離れようとしたとき、レイダに声を掛けた。それは頼み事をしようとして、指を折って数えている。先んじてレイダが答えた。
《はい。4つ、お土産をもっていきましょう》
「4つ? おおくないか? 」
《いいのです》
「そ、そうか。じゃぁ頼んだぞ」
用は済んだとばかりに、そそくさと走り出してしまった。
《バイツは、城から戻る時は奥様方にお土産を持っていくんです。でも……》
《でも?》
《いつも自分の分を買っていかないんです。本当に、困った人でしょう?》
「それは困った旦那様だわ。奥様だって一緒にお食べになりたいだろうにね。そうよねコウ?」
コウに不意打ちが飛んできた。しかし、今度はきちんと受け止められる。
《はい。きっと大切なことです》
コウは、あの日の朝食を忘れたことはない。
◇
「お父様に会わせたいわ」
《はい?》
ベイラーの医務室。怪我をした時にコウが座っていた場所で、ミルフィーユを食べてご満悦なカリンが突然言い出す。コウが座って、カリンが見上げている形となっており、奥にはレイダもいる。お土産のお菓子が焼きあがるのを待っていた。
この国のミルフィーユは、ケーキというよりクレープに近い物だった。卵でできたであろう黄色い生地が三枚重なっている。中にはジャムか果物かがはいっており、それを切り分けて食べていたのを目撃している。
《(卵があるんだから養鶏場があるんだろうけど、ニワトリを見ないな)》
すでにこの国に住んでいても、野菜な肉の供給源がいまいち不明だった。野菜は広大な農地があるため想像にたやすいが、先ほどのケーキや肉など、動物性たんぱく質がどこから来ているのかわからないでいる。
「コウ、聞いてる? 」
《は、はい! 聞いてます》
「結局、お顔だって見せてないでしょう?」
《そうですね、毎日僕と操縦訓練。姫様はお稽古がお忙しいので、時間もありませんし》
四六時中、コウが一緒であることは少なかった。大体の時間を1人で過ごしている。国を見て回る。散歩ひとつとっても、歩行する訓練になる。
《稽古というのは、何の?》
「踊りと楽器。ほかにはそうね……一つにまとめてしまうと、作法ということになるのだけど……えーと」
おもむろに指で数え始めた。なんども折り返しが入り、傍から見たら何個が分からない。
「踊りは、種類でいえば三種類。楽器は四つ。剣もやるわね」
《はい?》
聞き返してしまった。剣の稽古に楽器、踊り。それらを八種類を平行でしている。さらにいれば、カリンは踊り『は』と言った。それは他にも種類がある事を示している。
「お作法は毎日じゃないけど、丸一日使ってみっちりやるわ。私がいない時って大体それ」
《姿が見えないときがあると、思ってはいましたが……》
「コウは? 私がいないときは何してるの?」
《散策と、林業のお手伝いです。みなさんが持ってきた木材を、牽引車に載せて引っ張ってますね》
この国の主な生産は、この豊かな森を伐って売る林業。何十万いる国民より、森にある木の方が多い疑いすらあるこの国ならではの特徴だった。人が住む家も、ログハウスのようなものが一般的で、この城のように、巨木を加工して住んでいる者もいる。
城下町が一番人が多く活気があって、盆地にいくにつれ人口が少なくなっていく。この国の木材は何かしらの需要でもあるのか、国の外にも行っている。貿易も頻繁に行われている。
ゲレーンでは経済が形成されている。硬貨もある。その硬貨も、また木でできていた。簡単に劣化したり、偽硬貨が作られそうな構造であるが、コウはまだそこまで詳しく調べられていない。
「散策? どんなところ?」
話の続きを、カリンは求めてきた。
《そんな遠くには行っていません。強いて言うなら川です》
「川?」
《はい、綺麗ですよね。大きな魚がいて驚いていたら、その魚を丸呑みするさらに巨大な生き物がいて! 鱗がないことを見るに、魚ではない気がするんですが》
「ふーん」
ふと、カリンの声のトーンが落ちたのを感じる。その落ち方は、カリンの、不発弾の導火線というべき物で、爆発することは無いが、確実に火薬はつまっており、しかしカリンの強靭な精神力で抑え込むことで不発弾足りえている代物だった。
《(なんだろ。少し話すぎたかな)》
自分の会話を省みる。今のところ、カリンの気を著しく損ねるような話題をしていたわけではない。であれば、また別の要因であるように感じられた。
《……大きな魚を食べたあれは、一体なんなのでしょうか》
「ああ」
声のトーンがさらに下がった。確実に導火線は進んでいる。コウが苦心しているのは、この導火線は一度火がつくと消し方が一つでは無い事だった。水をかけても止まらないことがあれば、何もしなくても消えることがある。解決策が無数にあるが、あてはまるのは一つだけ。コウにとってそれが厄介だった。
「今日食べたミルフィーユのクリーム。あれのお乳はあの子、ミルブルスからとってるのよ」
《お乳……あれ哺乳類だったのか》
話題そのものがNGでは無いようで、一応円満に話が進む。だがその口ぶりは、これを知らないと話が進まないからと言うような物だった。
「体にたっぷりの脂肪を蓄えて、たくさんの魚を食べて育つの。ラブレス……ああ、盆地で尻尾の長い動物がいたでしょう? 」
《居ました。なんかすごいのが》
「あの子達はすごいのよ。卵は栄養があるし、お肉は塩漬けにすれば長持ちするし……でもそんなラブレスでも、水を飲みに川に入るんだけど、ミルブルスはその子たちを食べちゃうの」
《……めちゃくちゃ獰猛じゃない? 人間なんて一飲みじゃないか》
「でも頭が良くて、城の堀に入れて餌をあげると、お礼にお乳をくれるのよ。子どもができたらまた川に返す。冬になる前に暖かい海に戻るの。そして季節が巡ったら、餌をもらえる場所だってわかっているから、また来てくれる。これはずっと昔から続いているんですって」
《へぇ》
心の底からため息がでた。この国の人々にとって、ミルブルスとラブレスは貴重なたんぱく源だった。ミルブルスは鮭のような性質を持っていて、川から堀にいれられても、自分たちが捕まっているわけでは無い事を理解できるだけの知性をもっている。
《なる、ほど》
「よくわかった?知りたがりの私のベイラー?」
《まだまだ、わからないことだらけです。だから》
「だから?」
カリンから差し出された導火線の消し方は、まだわからない。
《今度、川を見に行きましょう》
故に、提案する形をとった。これは答えになっているかどうか。
「……ふむ」
《(ふむ!? )》
コウはその答えに頭がくらくらし始める。答えに限りなく近いのは、下がったトーンがもとに戻り始めている為に察することができる。しかしそれが以外が分からない。
《コウ様》
《レイダさん。いまちょっと―――》
すると、おもわぬところか助け舟がでた。お土産用の菓子が焼き上がる間待ちぼうけを食らっていたレイダである。しかし、助言らしい助言はその先にはなく、ただ、指が二本立っているだけだった。いわゆるピースサインである。
《(レイダさんまで僕をあざ笑う! どうせ僕は無様だ!! )》
毒を吐き出したい気分に襲われる。しかしレイダのその行動に意味がないとも思えなかった。しばらくして、そのぴんと立った2本の指は、サインではなく数を示している事を悟る。
《2本……2個……ふたつ……ふたり》
2に関する言葉をならべて、ようやくレイダの、そしてカリンの求める答えを悟る。
《姫さま!》
「なぁに? 大声出して」
《二人で行くとなおよろしいと思います!!》
「どこに?」
《か、川にです! カリンと散策したり、また食事をご一緒できたら、僕は嬉しいです!》
これが答えなのかどうか。最後の最後までわからない。結局決めるのは自分ではなくカリンである。だが、これが答えてであってほしいと心底願った。自分で考えておきながら、コウにとってこの提案は、とても魅力的だった。
「はい。喜んで!」
導火線についた火は消え、不発弾は無くなった。代わりに、花の咲いたような笑顔。
《(レイダさん、ありがとうござます)》
レイダにおもわず目配せしてしまった。レイダは、器用に目を片方だけ瞬かせた。それは、熟練のベイラーができる茶目っ気……ウインクであった。